68.おめかし
それから約1週間ほどは激しい運動は控えて、引きこもって身体の回復に努めた。その間は第10部隊の隊長さんが毎朝部屋に来て、一応簡単な診察と治療をしてくれた。『暇じゃないんだが』と渋ってはいたけど。そういえば、眼鏡の彼の名前は、ザイフェルト・ディーターさんというらしい。皆『先生』と呼んでいたので、名前がわかるまで時間がかかった。
腕の深い傷には彼によって毎日治癒術式がかけられたが、ある一定のラインを超えると、もう術がかからないようだった。おそらくそれは、血の通う、内部深いところまではどうやっても治癒ができないからだろう。だがまあ、安静にしていたおかげで割と直ぐ治った気がする。
『こんな傷も治せんとは、少々腹立たしいな』
診察と治療を終えた先生は、溜息をついてそう呟いた。毎日顔を合わせていても、先生はちょっと気難しそうというか…笑った顔を見たことがない。
華奢な指が、私の腕の古い傷痕をなぞる。ぴりっとした術式の気配は感じるが、やはり変化はなかった。それに小さく息を吐いて、先生はサイドテーブルにガラスの瓶を置いた。
『…塗り薬を処方しておく。皮膚の代謝を少しだが早める薬だ、傷痕に塗るといい。長期的に塗らないと効果はないだろうが…術式が使われていないただの薬だから、多少は効くだろう』
ガラスの瓶の中には、とろっとした半透明の白い液体が入っている。わざわざ用意してくれたんだろうか。
『ありがとうございます』
『礼はいい、私の矜持の問題だ』
瓶を手に取ってお礼を言うと、先生は中指で軽く眼鏡を上げた。
『全身だとこれで…おそらく2回分くらいだな。使い切ってもらった方が管理しやすい。2回で使い切れ』
先生には一度ちゃんと診察して貰ったので、傷の数も確認済みではある。肩口から脇腹まで届く大きな傷痕を見て、『死因はこれか…?』と言われたのがちょっとショックだったが。…死因とか言わないでほしい。
『お前、風呂はいつ入っている』
『夜、ご飯の後です』
『それなら風呂の後と、朝起きた後に傷痕に塗布しろ。毎朝持って来てやる』
『そんな、悪いです、受け取りに行きます』
『大した手間じゃない、お前は転移陣が使えんだろうが。それに薬が効いているのかも確認したい。試験薬みたいなものだからな』
し、試験薬なのか…おっかなびっくり瓶を見下ろす。
『背中は手が届かないだろうが…流石に男に塗られるのは嫌だろう。シュタールベルクにでも頼め』
『はい…』
できれば自分で全部やってしまいたいところだけど…背中はちゃんと塗れる自信がない。ちょっと恥ずかしいが仕方ないだろう。リーゼさんには船の上で一度裸を見られているし、他の人に見られるよりはまだいい…気がする。
『それでは私は戻る。薬が身体に合わなかったら言え、成分を変えたものを用意しよう』
『はい。ありがとうございました』
軽く頷いて、席を立った先生は颯爽と部屋から出て行った。いつもお世話になっているので、いつかちゃんとお礼をしたいけど――先生がどんなものをもらったら喜ぶのか全く分からなかった。
◇ ◇ ◇
『お前、外に出たくはないか』
『…はい?』
その日の昼食後すぐに、クラウスに執務室に呼び出された。開口一番にそう言い放った男に困惑して軽く首をかしげると、ニヤリと相手は笑う。
『外と言っても城内だ、安心しろ。こちらとしてもお前に死なれては困るからな。適当に散歩してこい』
『…はあ』
『警護にはフェルステルとヴェルフリードをつける』
『…フェルステルさん、もう動いても大丈夫なんですか?』
フェルステルさんはこの場にいない。心配になって問いかけると、クラウスはふっと笑った。
『問題ない、お前が思っているよりは頑丈にできている。…フェルステルはうちで最も警護に向いている男だ。元々は近衛だしな。これで守れなければ、誰が付いても結果は変わらなかったと割り切れる』
それだけの警護がつくということは、それだけ危険が伴うということだろうか。少し緊張する。
『城の庭を好きに歩き回っていい。1時間程度がいいな。ま、あからさま過ぎて何も釣れんだろう。釣れれば僥倖、だな』
やっぱり半分囮みたいなものなのだろうか。というか囮になれと言っていたしそういうことだろう。不安が顔に出てしまっていたのか、クラウスはこちらを見下ろして僅かに目を細めた。
『勿論他にも手を打つ、心配するな。…それから、シュタールベルクを侍女兼警備としてつけてやる』
『じじょ…?』
『忘れていたが、一応お前も女だしな。表に出るなら色々と身だしなみも気を遣うだろう』
今、女であることを忘れていたとか言ったか?あまりに失礼な発言にぶん殴ってやりたくなる。睨みつけるがクラウスは素知らぬ顔で言葉を続けた。
『それにそろそろ、お前を正式に宮廷楽士として表に出さんとな。お前、こちらの作法には疎いだろうが。シュタールベルクに習え』
『…はい』
ちゃんとした場で弾かないといけない、ということだろうか。…ドレスを着るのも1人だと難しいし、リーゼさんが付いてくれるなら凄く心強い。お化粧も凄く上手だった。
クラウスは視線を手元の書類に落として、ペンを走らせる。
『話は以上だ。…行っていいぞ』
その言葉に頷いて、椅子から立つ。クラウスは一瞬視線をこちらに向けて、いつもの性格の悪そうな笑みを浮かべた。
『取り敢えず、その少女にしか見えん形を年相応に見えるようにシュタールベルクに改造してもらえ』
…ここまで言われても手を出すのを我慢した私を、誰か褒めて欲しい。
◇ ◇ ◇
部屋の前まで戻ると、リーゼさんが立っていた。…何故かメイドさんの格好で、大きな鞄のようなものを持って。
『スグル!』
リーゼさんはその場に鞄を落として、溶けるような笑みを浮かべて駆け寄ってくると、私の両手を包み込むように握った。…鞄がとても重そうな音を立てて床に落ちたが、一体中に何が入っているんだろう。
『はあ、やっと警護に回れたわ!ずっと陛下に上申しておりましたのに、なかなか許可が出なくて。これ以上焦らされたら、首を刎ねてやろうかと――ああ、いえ、なんでもございませんわ!』
…何やら物騒な言葉が彼女の口から出た気がしたが、一旦聞かなかったことにしておこう。
『あの、その、格好は…?』
『これですか?』
彼女の格好は、かつて城内で見かけたメイドさんと同じ格好だ。正統派メイドさんという感じの、シンプルな長袖の紺色のワンピースと、白いエプロン。美人さんは何を着ても似合う。
『一度着てみたかったので。それにおあつらえ向きじゃありません?』
『…おあつらえむき…?』
『ぜひ着てもらいたいお洋服と、化粧道具一式持ってきました。さ、お着替えしましょう!あ、後ろの男どもは入ったら殺しますから』
『えっ』
そのまま部屋に引きずられて、あれよあれよという間にひん剥かれ――彼女の着せ替え人形にされたのだった。
『スグルはやっぱり、赤系よりも青系の方が似合うわねえ。肌の色のせいかしら、透明感のある綺麗な白い肌だもの。今日はちょっと大人っぽいワンピースにしましょうか』
『あら、素敵!でもどうしましょう、胸元開きすぎかしら…もっと清楚な方が似合うかしら』
『こっちのワンピースはどうです?腰の編み上げが可愛らしいの』
『ああっ、可愛い!ああでも可愛すぎるかしら…っ、年相応に、だったわね…今回は我慢するわ…』
『ちょっと色は暗いけど、これにしましょうか…袖のところ、レースになっているの。素敵でしょう?可愛すぎないから、きっと大丈夫だと思うのだけど…もっと色々用意してくれば良かったわ。明日はもっと用意いたしますから』
『あらあら、とても似合うじゃない!持ってきて良かったわ…!ああっでもちょっとスカート短い…かしら…膝から下でもあの男どもに生足は見せたくないわ…』
リーゼさんが、止まらない。しかし、もう何度目か分からないが、今回のお着替えでどうやら納得がいったらしい。紺色のワンピースはスクエアネックで、半袖。その袖部分だけ綺麗なレースになっていて、素肌が透けて見える。膝丈のふんわりしたラインのスカートは後ろの方だけ少し長くなっていた。
『この靴下を履きましょうか。膝上までありますから』
鞄の中から引っ張り出した黒い靴下は、こちらも繊細なレースで縁取られていて、なんというかちょっと恥ずかしい。いや、見えない位置なのでいいのだけど。当たり前のようにガーターベルトも出されて、なんとも言えない気持ちになる。
『…一応確認ですが。もう男性物の下着、身につけていたりはしませんよね?』
『いっ、いいえ!!』
以前、何故か突然ニルさんに勧められてから、一応は男性物の下着は卒業したのである。というか聖都では当たり前だが女性物の下着しか用意されていないので、普通にそっちを着用している。こちらの女性物の下着は何故か総じて紐パンで、なんだか落ち着かない。けっこう履き慣れてきた気がするが、未だに着るときは緊張する。…ほんと、なんで紐なんだろう。そっちのが作りやすいのかな…。縫い合わせる手間がかからないから…。
リーゼさんはじいっと私の顔を見ていたが、こくりと頷いて、私に靴下とガーターベルトを差し出した。
『後ろを向いていてあげますから、こちらを着用してください。靴はこちらを。身長ももう少しあった方が良いもの。少し歩きづらいと思いますが、今日だけ我慢してくださいね。明日は歩きやすいブーツを用意します』
差し出されたのは、ドレスと同じ紺色の、踵がだいぶ高い靴だった。多分15センチ以上ある。前の方も少し高くなっている、ええと…プラットフォームパンプス、っていうんだったか。これを履けば身長175センチは超えるから、だいぶマシにはなるだろう。リーゼさんは多分180ちょっとくらいで、こちらの女性の平均身長がそれくらいだから、…おそらく『ちょっと小柄』の範囲くらいには入れる。
受け取った靴下とガーターベルトと靴を着用して、ふらつきながら立つ。最近ぺったんこの靴ばかり履いていたし、あちらでもここまで高いヒールの靴は履いたことがないから、視点がかなり高くなってびっくりする。横に立ったリーゼさんの顔が近くて、ちょっとドキドキした。間近で見ると更に美人だ。彼女はにっこり笑って、私の頬を指でなぞる。
『それではお化粧しましょうか。沢山お着替えしているうちに、時間が無くなってきてしまいましたわ!』
何故かリーゼさんはとても幸せそうである。鞄から化粧道具を引っ張り出すと、以前そうしてくれたように、傷痕が見えなくなるように液体を肌に塗り込んでくれた。
『…大人っぽく、大人っぽく…』
何事か低く呟きながら、お化粧もしていってくれる。鏡を背にしているので何が起きているのかよく分からないのだが…リーゼさんの腕は信用しているので、お任せすることにした。
『あとは髪ね。どうしようかしら…』
ごそごそと鞄の中をまさぐっていた彼女は、『あっ』と小さく声を上げる。
『私としたことが、櫛を忘れてきてしまいましたわ!取りに戻りますので、少々お待ちを』
『あっ、それなら、あります』
慌ててサイドテーブルの引き出しを開けて櫛を取り出す。ヴェルにもらった、白い櫛だ。
『すみません、ありがとうございます。…綺麗な櫛ですわね』
『ヴェルが、くれたんです』
へへ、と笑って見せると、穏やかに微笑んでいたリーゼさんの表情が凍りついた。
『あの男がですか』
『…?はい』
『これを?』
『…はい』
『何と答えました?』
『へ?ありがとうって…』
『……それだけですか?』
『……?』
少し時間が経ってしまったから、自分が何を言ったかよく覚えていない。ううむ、と唸ると、リーゼさんはぽかんとした顔でこちらを見下ろした。
『…ヴェルフリードが言わなかったのなら、私は言ってやりません。案外骨のない男ですわね』
『ほねのない…?』
『いいえ。…さ、髪をやってしまいましょ』
リーゼさんはふふっと笑って、私の髪を櫛で梳っていった。
部屋の扉を開けると、既にフェルステルさんが来ていた。待たせてしまっていたようで、申し訳ない。ヴェルは白い方の騎士服に着替えていて、それに少しだけどきりとした。
『すみません、お待たせして』
『いや、いい』
フェルステルさんはそう返して、軽く微笑んだ。顔色は良いし、前みたいに真っ直ぐ立っている。回復はしているように見えた。
『身体は、大丈夫ですか?』
『全快している、問題ない。お前の方はどうだ』
『大丈夫です、元気になりました』
『そうか、それは良かった』
なんだか今日は、フェルステルさんの空気が柔らかい。それに少しほっとして、笑みがこぼれる。
『そういう格好をしていると大人びて見えるな』
『年相応に見えますか?』
『年上に見える。そういえば歳はいくつだ』
『21です』
『は?』
…そろそろ、クラウスは私の年齢をちゃんと皆に言うべきだと思うのだが。




