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06.男

 私が血を流した後は黒いものも消えていて、その上から流されたニルさんの血液によって傷は見る見るうちに塞がっていった。

(わたしも、こんなんだったのかな…)

 半ば放心状態でその様を眺めながら考えていると、ニルさんがこちらを見ていった。

――死は免れたようだ。このまま置いておけば朝には動けるようになるだろう。

「よ、」

 よかった。身体から力が抜ける。ニルさんがこちらを見て、僅かに目を細めた。

――傷が深いな。薬草を探してくるから、ここで待っていろ。

 返事をする前に、獣は身を翻してどこかに行ってしまった。

 ありがとう、と心の中で返事をして、剣士の方を向き直る。このまま置いておくのは寝苦しそうなので、未だ身体を覆っている甲冑を脱がしてあげることにした。

 

 甲冑のつくりなど知るわけがないので、なかなかに骨の折れる作業だった。何枚もの鋼を組み合わせて、革のベルトや金具で留めているらしい。血みどろの身体をひっくり返したり引っ張ったりしながらなんとか脱がしていく。

 かなり背の高い男のようだ。身長は2メートルくらいあるかもしれない。立たせてみないとわからないが。身体はがっしりとしていて、しなやかな筋肉に覆われている。どちらかといえば細身かもしれない。

 頭を覆っていた兜を脱がすと、赤銅色の髪が現れた。位置は日本でも、顔は全然日本人っぽくなかった。すっと通った高い鼻筋はどう見ても西洋人顔だ。いや、綺麗な顔だとは思うが。

 眉はしかめられているが、呼吸は安定している。傷があった胸のあたりを見てみたが、完治しているようだ。血の跡が残るだけで、傷跡すらない。そっと触れると、自分の手の甲に僅かにかかった酷い傷跡が視界に入った。…少しだけ羨ましい。

 甲冑を脱がし終えて身軽になった男を、ぐいぐい引きずって近くの木にもたれさせた。お、重い。とんでもなく重かった。息が上がってぜえぜえ声を上げていると、ニルさんが帰ってきた。ヨモギっぽい形の葉っぱを咥えている。

――潰して手のひらにつけておけ。鎮痛作用もある。

「ありがとう」

 ありがたく受け取って、手にごしごし擦り付ける。とんでもなくしみた。

 歯を食いしばっていると、こちらを見下ろしていた獣が呟くように言った。

――これきりにしてもらうぞ。

 何が、と聞き返すと、ニルさんは、私のざっくり切れた手のひらを見つめて言った。

――命がいくつあっても足りんだろう。

 心配してくれているらしい。「だいじょうぶだよ」の笑いかけると、それきり獣は押し黙った。

 …きっと私は、同じ状況になっても、同じことをしてしまうんだろう。

 ニルさんもきっと、それが分かっているんだろうと思った。

 

◇ ◇ ◇


 もう1つ、やることがある。ニルさんは言って、死んでいる魔獣に向き直った。

――魔獣の血が流れすぎている。書き換えなくては。

「さっきやったみたいに、中和するの?」

――お前の力は必要ない。この獣は血の力が弱いようだ。私が書き換えるだけで事足りる。

「じゃあ、この人を切った剣に塗られていたのって、別の魔獣の血ってこと…?」

――ああ、そういうことになるな。

 毒のように、魔獣の血をわざわざ塗った剣を使ったということは。

「故意に「魔獣の血」を使っている…?」

 ニルさんは目を細める。鋭いまなざしを男に向けた。

――後でその男には詳しい話を聞かねばならん。

 ニルさんは、魔獣の体に血を流し始める。獣はずぐずぐとその形を崩し、地面にしみこんでいった。

「かわいそうだね…」

――そうだな。

「はやく、なんとかしないと」

――…そうだな。

 悲し気なニルさんの背中を撫でると、しっぽがゆらりと揺れた。

 

 

 その後は私もニルさんも疲れ切って、男のすぐそば、2,3メートル離れた茂みで休むことにした。ニルさんはだいぶ血を流しているはずで、私が寝るよりも早く寝息を立て始めていた。この間もぐうぐう寝ていたが、私を助けるために血をたくさん使った後で、体力を回復しようとしていたのかもしれない。

 真っ青な顔で寝息を立てている男を横目に、ニルさんの白い毛皮に顔をうずめて、私も眠りに落ちた。

 

◇ ◇ ◇

 

 誰かの呻くような声で目が覚めた。

 目を開くと、すっかり周囲は明るくなっていた。今日も快晴らしい。眩しい日差しが、大地を明るく照らしている。多分朝の8時とか9時くらいだと思う。腕の下で、まだニルさんはぐうぐう眠っていた。寝息でひげが揺れている。なんかちょっとかわいかった。

 大きくあくびをして、まだ眠たい目をこする。身体の痛みはもう殆どなかったが、昨日ざっくり切った手のひらはまだ痛かった。あれ、なんで切ったんだっけ。首をかしげて、ぼんやりとした頭で周囲を見渡すと、少し離れたところで木に寄りかかっていた男と目が合った。

「……」

「……」

 無言で見つめあうこと数秒。

 男の顔と手のひらの痛みで、昨日の夜何をしたか思い出した。

 男はぽかんとした顔でこちらを凝視している。赤銅色の髪は朝日を受けて所々赤みを増して見えた。目の色は一瞬黒かと思ったが、深い紺色のようだ。西洋人の年齢は見た目では私はよくわからないのだが、30代には見えない。20代後半くらいなのではないかと思う。とても端正な顔立ちをしている。

 男は私と、獣を交互に見て、困惑の表情を浮かべる。直後はっとしたように胸に手を当てた。そこに傷跡が見当たらないのに気付いたようで、さらに動揺した視線をこちらに向けた。

『…何だ、これは?』

 掠れた低い声が男の口から洩れた。もちろん日本語ではない、英語でもない。聞き慣れない言語のようだった。

『私に、何をした…?』

 やはり、言葉はわからない。

『小僧、答えろ!』

 怒号が飛ぶ。ひっと声を上げて縮こまる。この時男が私のことを「小僧」と言っていたのが分かっていれば、容赦なくぶんなぐっていたところだ。

 男はふらふらと立ち上がり、地面に転がっていた剣を拾い上げると、こちらに向けた。

 びっくりして横で爆睡しているニルさんを揺り起こすが、全然起きてくれない。ビリビリと空気が震えるほどの――これが殺気というものなのだろうか、背筋が凍る。ガタガタ震える私を、男は冷たい目で見下ろした。

――落ち着け。

 ニルさんが起き上がって、男の方に声をかける。男はびくりと獣に目を向けた。

『魔獣が言葉を操るか』

――私は魔獣ではない。この者に手を出すのであれば食い殺すぞ。

「待って!ニルさん、せっかく助けたのに!」

――黙っていろ!

 ニルさんと男は向かい合って睨みあう。

「ちょっと起き抜けで混乱してるだけじゃん!ちゃんと説明すれば…」

――剣を向けられて、何を呑気なことを言っている!大体お前が助けるなどとぬかさなければ…。

「ニルさんだって協力したじゃん!」

――反対しただろう!

「いいの!!私がやりたかっただけだもん!」

――この…!

「なによ!分からず屋!!」

『…あー…』

――お前は黙っていろ!

『…』

 ニルさんに一喝されて、気を削がれた様子の男からは、もう殺気は感じられなかった。

 剣を下ろした男を見て、ニルさんが今度は落ちついた声をかけた。

――昨夜のことは覚えているか。

『…覚えている。胸を刺されて死んだはずだったが』

 腹立たし気に男はぎりっと歯を食いしばる。こちらまで微かに音が聞こえた。

――こいつが、助けたいといったので命を救った。感謝しろ。

 男が何とも言えない顔をこちらに向けた。

「ニルさん、別にいいよ、感謝されたくてやったわけじゃないんだから…」

 ニルさんはこちらをちらりと見たが、私の発言は無視して、禁忌のはずの話を滔々と語り出した。



 男は、黙って聞いていた。どうやら、「階層」や、「聖術」、「魔術」の概念は知らなかったらしい。まあそれはそうか、聖術にあたるものしか使っていないのなら、反対の概念など考えすらしないだろう。話の合間に、禁忌とされている内容について「話してよかったの?」と聞いてみたが、「やむを得ない」という返答が返ってきた。以前、こちらの人間に聞き込みをしないといけないというようなことを言っていたのを思い出す。聞き込みをするにも、先ほどの男の反応からして(斬りかかろうとしていたし)、ニルさんが直接聞きこみすることはできないだろうし、私は私で多分言葉が分からない。

 考えてみると、この出会いはもしかしたら…都合の良いものだったのかもしれない。この地に住んでおり、なおかつこちらの事情を正確に把握している人間が最低一人必要だ。「管理者」に会えるのかもわからないのだから。

 話の間、顔を僅かに青くしたり眉間に皺を寄せたりしていた男は、すべての話が終わると、こちらに視線を向けた。

『小僧』

 少し離れて木にもたれていた男が近くに寄って来る。寝っ転がっていた時にも大きいと思っていたが、立ち上がるとその背の高さを実感する。でも2メートルはなさそう。190センチくらいかな…。

 男はすぐ近くにしゃがみ込んで、立っている私と視線を合わせた。まるで大人と子供だ。

『礼を言う。命を救ってくれたことに』

 私の左手にそっと触れる。びっしりと手に走るおびただしい量の傷跡を見て、複雑そうな、苦い顔をした。手のひらを上に向けられて、かさぶたになった真新しい傷口に大きな手が触れた。

「いっ」

 痛みが走って、思わず声を上げる。咄嗟に振りほどこうと腕が動いたが、男の力強い手がそれを阻んだ。

『…治癒の術をかける』

 男の手から魔法陣のようなものが出てくる。それが傷口に触れると、痛みが少しだけ和らぐ気がした。たっぷり時間がかかったが、傷口は一応は塞がったようだった。息をついて、男は手を放す。年上の男性に触れる機会などここ数年無かったのでちょっと緊張した。これが、聖術というものだろうか。血の力が関わるというので、ガッツリ肉体を傷つけて行使するのだろうかと思っていたが、そうではないらしい。

『一応は塞いだが、激しく動かすと傷口が開くかもしれない。安静にしろ。…それにしても随分術がかかりにくいな。これも体質なのか。ビルレスト…とかいう』

――そうだな。難儀な体だ。

「あの…」

 流暢に知らない言葉を喋る、男の端整な顔をちらりと見上げる。そろそろ言葉が分からないことに突っ込んでもいいだろうか…?


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