07.名前
「言葉が分からないんだけど」
色々こちらのことで話し込んでいた1人と1匹に、ちょっと泣きそうになりながら主張すると、ニルさんは初めてその事実に気付いたというように、きょとんとした顔をした。いや、別にいいんだけど、もうちょっと異界人にやさしくしてくれないだろうか…。
男の方もどうやら私の言葉が分からないらしい。『言葉が分からんのか』と呟いた。
――こればかりはどうにもならんな。習得してもらうしかない。
嘘だろ、社会人になってやっと英語の呪縛から解放されたのに!絶望しかない!
「英語のテスト毎回赤点だったのに…」
頭を抱える私にニルさんが憐みの視線を向ける。やめろ、そんな目で見るな!
ニルさんはこちらから目をそらすと、男の方に向き直った。
――お前には我々に同行してもらいたい。我々には、こちらの事情を把握したうえで協力する存在が必要だ。私が話した内容は禁忌に触れる内容だ。協力しないならば――。
『殺すんだろう。かまわない。…命を助けてくれた恩義がある』
男は途中でニルさんの言葉を遮った。すべて納得したうえで協力してくれるということだろうか。私の方にその鋭い眼差しを向けて、頷きながら言った。
『協力しよう』
私のズタボロの手を恭しく持ち上げて、頭を下げる。まるで騎士の礼のようで、少しくすぐったかった。
――ならばまず、言葉を教えてやってほしい。このままでは、お前たちだけではまともに意思の疎通が図れんだろう。
男は若干めんどくさそうな顔をした。おい、さっきまでのしおらしい態度はどうした。
『名前を、聞いても?』
男はニルさんの方に向けて何か言った。
「なんて?」
ニルさんに聞く。
――名前を尋ねられた。
「崎坂優です」
どうも、と頭を下げる。
『サキサ…?』
ああ、名前だけでもいいのかな。
「すぐる」
『スグル』
そうそう、と頷くと、男は口の中でスグル、スグルと繰り返した。もしかしたら発音しにくいのかもしれない。
ついでに、ニルさんの方を手で示して、「ニルさん」と伝えると、ニルさんに怒られた。
――グレイプニルだ、妙な呼び方を伝えるな。
やっぱり呼びにくいと思うんだけど。男は別段気にした風もなく、グレイプニルと呼んだ。
――お前の名前はなんだ。
ニルさんの興味なさそうな問いかけに、男は片方の眉を軽く上げて答える。
『エインヘイル・ヴェルフリード』
二つの単語が出てきたのが分かったが、
「どっちが名前?」
困惑していると、ああ、と男が呟いて、『ヴェルフリード』とだけ言った。日本と同じように、名字が先で名前が後らしい。妙な感覚だ。
「べるふりーど」
『ヴェルフリード』
「ヴェ…ヴェルフリード」
『言いにくいならヴェルでもいい』
発音の訂正をされた。なんとか頑張って発音すると、うむ、と頷きが返ってくる。意外と教師に向いていそうだ。もう少し緩い方がいいなあ…と思ってチラッと見上げるが、鋭い視線が返ってくる。残念ながらこの男、手は抜いてくれなさそうである。
◇ ◇ ◇
ヴェルフリード…ヴェルは、帝国の騎士なのだという。どうりで礼が板についていると思った。
『今、世界中で魔獣が出没している。数年前突如現れ、…そうだな、数か月前から急増した。ここ最近はかなり強力な魔物が増え始めた』
ニルさんに通訳してもらいながら話を聞く。階層の乱れがここ最近酷くなっているということだろう。
『聖帝国は特殊な国だ。戦には介入せず基本的には「裁定者」の立場を守る。我々聖騎士も、世界の秩序を守るのが役目だ。それ故に、各地に飛んでひたすらに魔獣を狩り続けてきた。ここ最近強力になりだした獣に、多くの同胞が屠られている』
苦々し気な口調で綴る。
『調査は続けているが、どうにも元凶が分からん。何が原因なのか、何者かの手によるものなのか…』
胡坐をかいた足に肘をついて、顎に手をやる。どこか遠い目をしていたヴェルは、少し間をおいて、ニルさんの方に目を向けた。
『私は、この地に現れた魔獣を狩るために派遣された。魔獣は倒したのだが、…まさか裏切られるとはな。部下が全員殺された』
男は自嘲気味に笑う。
『今は、死んでいることにした方が動きやすい。奴を地獄に送らねば、死んでいった部下の無念も晴らせん』
ビリっと空気が震えるような感覚が背筋を上って、思わず身体が震えた。ヴェルはこちらをちらりと見て『悪い』と呟く。すぐにその感覚は無くなった。
『何故裏切りにあったのかは分からんな』
――魔獣の出現とは関わりが無いのやもしれぬな。
『どうだろうな。どちらにせよ、探し出して追及すれば済む話だが』
ふうむ、とニルさんが呻く。途中から通訳してくれていないので、置いてけぼりである。恨めし気な視線に気づいているのかいないのか、ニルさんはすいっと目を逸らした。
――直近の課題は、どこに向かうべきか、か。
『ああ、だがまずは――』
私のボロボロのジャージと、自身の裂けたシャツを見て(そういえば私が破いた)、『服をどうにかしようか』と、苦笑しながら言った。
彼によると、そこそこ近くに山小屋があるのだという。
『遠征に必要な物資をそこに置いてきた。食料も衣類もある。ここから、北に…歩いて5時間くらいの距離だろう』
ニルさんの通訳を聞きながら、「助かった!」と心の中で小躍りした。いつ裂けるかわからないような状態のジャージだったので、服を着替えられるのは非常に助かる!それに、ヴェルの服を見た感じ、ジャージのような素材や金属製の細かいジッパーなどは目立ちそうだった。剣を扱っていたり、甲冑を着込んでいたり、まるで中世ヨーロッパである。
ヴェルは甲冑はこの場に置いていくという。
『組み合わせが目立つだろう』
困ったように言われた。なるほど確かに、白い獣と女と甲冑の組み合わせは謎すぎる。全部が浮いている。
「ニルさんは目立たない?」
『獣に乗る文化はある。「騎獣」と言ってな、飼いならした獣に乗る。空を飛ぶものもいるが、そちらは少々値が張るな』
馬だけじゃなく色んなものに乗るらしい。ニルさんに通訳してもらいながら、ふむ、と咀嚼する。空を飛ぶとなると、大きな鳥とかなんだろうか。
彼は話しながら、剣だけ腰に差して立ち上がる。騎士だというのから、ごてごてした装飾の多いものでも持っているのかと思ったが、柄と鞘に少し透かし彫りがされているだけの、思ったより質素で武骨な剣だった。
『先導しよう。言葉も教えてやる』
――よろしく頼む。
「よろしく頼む!」
少し高揚感を覚えながら、ニルさんに続く。まさか彼が「言葉を教える」と言っているとは思っていなかったし、スパルタだとも思っていなかった。
『こんにちあ』
『違う、こんにちは』
『こんにち、は』
『こんにちは』
『こんにちは』
道中、ヴェルは歩きながら、私はニルさんの背に揺られながらで、言語指導が続いていた。ずっとこんな調子で、発音が悪いと訂正されながらゆっくり教えられていく。既に指導開始から2時間くらい経っていた。
「休憩したい」
泣きそうな顔で何度目かの主張をすると、いいだろうという返事が返ってきた。逆にヴェルの方が「休憩したい」という日本語を覚えてしまったらしい。ニルさんの背中にうつ伏せにしがみついて「ふひぃ」と声を上げる。下の方から喉の奥でくつくつ笑う気配がして、毛を引っ張って抗議した。
この男、めんどくさそうな表情を時々しながらも、かなり厳しく指導してくる。ありがたいっちゃありがたいのだが、先が思いやられる。柔らかい毛皮に顔を埋めてぐでぐでだらだらして休憩していると、視線を感じた。
ちらりと顔を上げると、男と目が合う。明るいところで見ると、紺色の瞳がいつもより青く見える気がした。
『なに?』さっき覚えた「なんですか」みたいな意味の言葉だ。
『…いや』
『なに?』
若干睨みつつ言う。なんだ、私の顔に何かついてるのか?
『…酷い傷跡だ』
袖から覗く手に視線をやって呟く。意味が分からずニルさんに通訳を求める。
――酷い傷跡だ、と。
「ああ…」
腕を上げて、軽く動かす。引きつれたような痛みが僅かに表皮を走った。
「もう殆ど痛くないから、大丈夫」
ちらりと振り向いた獣と目が合う。少しだけ心配そうなその視線に、苦笑いを浮かべる。「大丈夫だよ」と繰り返した。やり取りで理解したのか、ヴェルは目を逸らして、『そうか』と呟いた。もしかしたら一生消えないかもしれない傷跡だ。この引きつれるような痛みも、ずっと付き合っていかなくてはならないかもしれない。
『まあいい。勉強の続きだ』
「ええ~」
勉強、の単語はさっき覚えた。嫌すぎて。
『いいから繰り返せ。まずは復習からだ』
その後は、山小屋につくまでの約3時間みっちり言葉を教え込まれた。…8割方忘れたが。
◇ ◇ ◇
山小屋についた時には、もう夕方だった。色々叩き込まれすぎて若干放心状態の頭で、「今何時くらいなんだろう…」とぼんやり考える。
山小屋は本当に「小屋」といった感じの木造で、中は6畳くらいの小さな空間だった。そこに、おそらくヴェルたちが持ってきたのであろう荷物が置かれて、空間を圧迫している。毛布や水もあるみたいだ。ニルさんの背中から降りて、床にへたり込んで休憩する。お腹もすいたし、喉も乾いたけど、動きたくない。脳が無理。
『今日はここで休もう。街までは距離があるのでな、1日歩き通しになる。』
――いいだろう。優、今日はここで休む。
「うん…」
死にそうな顔で答えると、不憫なものを見るような視線が返ってきた。だったら途中で止めてくれ…。
ごそごそと荷物を漁っていたヴェルがこちらを振り向いた。何かの塊を手に持っている。
『食うか』
『なに?』
語尾が上がったのでおそらく問いかけだったんだろうと思うが、意味は分からなかった。何かを差し出しているので顔を近づけてよく見ようとすると、口にその何かの塊を突っ込まれる。『食え』…容赦がなさ過ぎてつらい。
咽ながら口を押さえる。ビーフジャーキーみたいな味が口に広がる。意外と美味しい。そしてビールが恋しい。
『干し肉だ』
『ほしにふだ』
『干し肉』
『ほしにく』
鸚鵡返しにして発音の勉強をする習慣がついてしまった。そうか、これは『ほしにく』か。
「ほしにく」はおいしい、ほしにくほしにくと呟きながら固い肉を頬張る。その様を見ていたヴェルが、今度は白っぽい塊を渡してきた。
『保存用なのでかなり固いが、パンだ』
『ほぞ…?』
『パン』
『ぱん』
比較的薄い板のような物体だった、近くで見てみるとちょっと茶色っぽい色をしている。噛んでみたが、固すぎて噛み切れない。格闘していると、ひょいと取り上げられてしまった。ま、待って、食べるから!
あわあわしていると、ヴェルが『ぱん』をバキッと割った。え、それ手で折れるものなの…?小さくなった塊を差し出してくる。口に何とか収まりそうなサイズ感のそれを咥えて、もごもご口を動かしていると、少しずつ味がしてきた。パンみたい。奥歯なら何とか噛み切れた。
もごもご口を動かしていると、ガラス瓶のようなものに入った水を手渡される。薄いガラスでできているので、すぐに割れそうだ。そっと手に取ってよく見ると、瓶の底に魔法陣のようなものが焼き付けてあるのに気付いた。割れにくくするための術でもかけられているのかもしれない。中身はやっぱり水のようだった。ごくりと飲むと疲れた身体に染み渡る。
お腹が満たされて、少し頭も回復してきた。ふう、と息をついて壁にもたれる。ああ、屋根があるって素晴らしい。高い天井を眺めながら感動していると、食事を終えたヴェルが横に腰を下ろした。同じように壁にもたれて息を吐きだす。隣に座ると、空気が温かくなったような気がして、何となく安心してしまった。




