66.贈り物
3時間くらいして、ヴェルが戻ってきた。若干すっきりとした顔をしているような気がする。後ろに流された赤銅色の髪は僅かに濡れているから、ついでにお風呂にも入っていたらしい。
『なんだ、もっと休んでりゃいいのに』
徐々に上達してきた私の3杯目の紅茶を啜りながら、団長さんが低く呟いた。
『…1杯目より随分上手くなったな。店に出せるんじゃないか』
『いいえ、まだまだです。次ご馳走するまでに、もっと上手になりますから』
『はは、それは楽しみだ』
テーブルを挟んで、ふふっと笑い合う。この短時間で、ちょっぴり距離が近付いた気がする。ヴェルはなんとも言えない顔でこちらを見下ろして、団長さんの後ろに立った。
『団長。戻りましたので、代わります』
『これが飲み終わったらな』
『…暇なんですか』
『比較的暇だ』
暇だったのか。カップをソーサーに戻した団長さんに視線を戻すと、団長さんは小さく笑った。
『陛下から命が下るまで、暫くは休憩だ。お前、まだ寝ていていいぞ』
『いえ、十分休みましたから』
『俺はまだここで茶を飲んでいたい』
『わがままですか、いい歳なんですからやめてください』
『まだ若い』
『もう若くないでしょう。いいからさっさと出て行ってください』
『うるさいな、しつこい男は嫌われるぞ』
『その言葉そのままお返しします』
打てば響くような言葉の応酬に、思わず笑ってしまう。ヴェルは鋭い視線を一瞬こちらに落として、団長さんの隣の席に着いた。折角なので、ヴェルにも紅茶を淹れて渡してみる。
『…お前が淹れたのか』
『うん』
『…団長、病人に何させてるんですか』
『私が淹れたかったの。いいから飲んで』
口を開きかけた団長さんを制して、カップをヴェルに押し出す。ヴェルは険しい顔のまま、一口お茶を飲んだ。
…眉間の皺が1本減った。全部は減らなかったので、もっと精進しなくては…。団長さんはちらっと隣のヴェルを見下ろして、ふっと笑う。
『いつか追い抜いてやるってよ』
『…ほう』
ヴェルは小さく笑った。軽く目を伏せてゆっくりと紅茶を飲む。
『まだまだだな』
『ぐっ』
くそ、絶対追い抜いてやる…!悔しいから、誰かもっと上手な人に師事しようか。しかし彼以上となると…ちゃんとした給仕さんに頼むしかないかもしれない。
『はは、ちょっと見ねえ間に随分と表情豊かになりやがって』
『……』
楽しそうに笑う団長さんをヴェルの鋭い目が睨みつけた。団長さんはそれに気付いていないみたいに、平然とお茶を飲む。
『まあ、悪いことじゃない。お前はもう少し感情的になった方がいい。抑えすぎるとその内爆発するぞ』
『…抑えているつもりはないので』
『抑えてなくて普段あれか?酷いな、お前』
『…そういう性格だ』
『つまらん男だな、そんな風に育てた覚えはないんだが』
『……』
…空気がどんどん険悪になっていくのだが。さっき団長さんは『弟みたいなもんだ』と穏やかな顔で言っていたのだが、見間違いの上に聞き間違いだっただろうか。
ヴェルは少し険しい顔で、はあ、と大きく息を吐き出す。若干苛ついた声音になってきた。丁寧だった口調も、元のぶっきらぼうなものに戻る。
『いいから、戻ったらどうだ。仮にも団長だろうが』
『仮にもとは何だ』
『安心しろ、他意は無い』
『…お前、俺を馬鹿にしてるのか』
『まあ、そうだな。未だに書類仕事はフェルステルに丸投げしてるだろう』
『うるせえ、剣の腕じゃ俺に敵わねえ癖に』
『試してみるか、あれから何年経ったと思っている』
『ああ?死にてえのか』
『あ、あの』
喧嘩でも始まりそうな空気に耐えきれず、慌てて声を上げる。こんな調子で本当に一緒に住んでいたんだろうか。ほぼ喧嘩しかしていなかったのでは…。比較的冷静に言葉を紡ぐヴェルに対して、団長さんがどんどん熱くなっていく。2人は口を噤んでこちらを見て、気まずそうに目をそらした。
『…悪い』
『すまん』
2人同時に小さく謝罪して、同時に紅茶に口をつける。…なんだかんだとやっぱりどこか似ている気がする。
『…しょうがねえな、俺は戻るか』
団長さんは空になったカップをテーブルに戻して立ち上がった。高い位置にある金色の目が、ちらりとヴェルに鋭い視線を落とす。
『ちゃんと守ってやれよ。昨日のこともある』
『分かっている』
『ではな、スグル。また来る』
『はい、また』
大きな手がどすっと頭に乗って、がしがしと髪をかき混ぜた。ぐわんぐわん視界が揺れて、ちょっと目が回りそうになる。彼は小さく笑みをこぼすと、背を向けて『じゃあな』と言って颯爽と部屋から出て行った。
『…まったく』
ヴェルは閉じられた扉から視線を外して低く呟くと、カップに口をつけた。こちらに向いた目が私の髪を見て、眉間に皺が寄る。
『ボサボサだ』
頭に手をやると、たしかにぐしゃぐしゃだった。手櫛で整えていると、ヴェルが『待て』と制止する声を上げる。何だろうと視線を向けると、ヴェルは騎士服の腰の辺りをごそごそとまさぐって、何かを取り出した。
『やる』
『わ』
軽く放られたそれを慌てて両手でキャッチする。綺麗にラッピングされた、手のひらに収まるくらいの箱。…なんだろう。
『…くれるの?』
『ああ』
『あけていい…?』
『ああ』
ああ、しか言わない。ちょっと困惑気味にゆっくりリボンを解く。箱を開けると、中にはーー花の模様が彫り込まれた、綺麗な白い櫛が入っていた。施されている美しい装飾の僅かな凹凸に光が反射して、きらきらと光る。繊細な花の透かし彫りの中心には、夜空のような深い紺色の石が嵌っていた。
『わあ…綺麗』
手に取ると驚く程軽くて緊張する。何かの術式の気配…強化術式がかかっているようだ。木とも金属ともつかない、不思議で滑らかな触り心地。櫛の先の方は木みたいな温かみのある感じなのに、装飾が施されているところは金属みたいに冷たくて硬い感じがする。
『本当に、貰って、いいの…?』
『お前に買ったものだ』
驚いて顔を見上げる。ヴェルは静かな眼差しをテーブルに固定して、腕を組んだまま動かない。
『…ありがとう、凄く、嬉しい』
好きな人にプレゼントされるのって、こんなに嬉しいんだ。自然と笑みがこぼれて、収まりがつかなくなる。指で櫛の装飾をなぞりながらお礼を言うと、ヴェルはちらりとこちらに視線を向けた。
『……それで?』
『…それで??』
『……いや、』
ヴェルは一瞬呆然とこちらを見下ろして、直ぐに目をそらす。なんだろう…?
『…なに?』
『何でもない』
ヴェルは何故か気まずそうに口元に手をやる。私、何かしただろうか…?じっとヴェルの顔を見上げると、彼は小さく咳払いをして、私の持っている櫛に視線を落とした。
『…使ったらどうだ。その為のものだ』
『なんか、もったいない…』
こんなに綺麗だと、なんだか畏れ多くて。へらりと笑うと、ヴェルは苦笑した。
『使ってくれた方が、私も…嬉しいんだが』
『……嬉しい…?』
『…らしくない事を言った、すまない』
『ううん』
嬉しい、という言葉がヴェルの口から出るのは、多分初めてだった。それがなんだか意外で、でも私も嬉しくて、思わず小さく笑ってしまう。
櫛をそっと持ち上げて、髪を梳った。乱れていた髪が綺麗になっていく。当たり前だけど、手櫛でやるよりずっとすぐ整った。
『…髪が、少し伸びただろう。そろそろ必要かと思っていた』
ヴェルはそう言うと、紅茶を飲んで小さく息を吐き出した。
『そういうものには疎くてな、どれがいいかわからなかった。…それなら、似合うかと。気に入ってくれたなら、良かった』
いつもは淀みなく言葉を口にする唇が、珍しくぶつ切りに、迷うように動く。
『…うん、ありがとう。大事にする』
もう一度お礼を言って、そっと櫛を両手で持つ。なんだか凄く幸せで、胸がいっぱいで、うまく言葉が出てこない。
ヴェルは私の顔をちらりと見下ろすと、穏やかに笑った。
『ああ。…どういたしまして』
ヴェルは立ち上がって、空になったカップをお盆に下げる。…時々見せる、僅かな間だけの穏やかな微笑み。それにいつも見惚れてしまって、少しだけ心臓がうるさくなる。
『本調子じゃないだろう。ベッドで休め。…あの馬鹿に付き合わなくても良かったんだぞ』
『楽しかったから、つい』
『…楽しかった?』
『お菓子の話とか…ヴェルの、昔の話とか』
『……』
ヴェルの顔が少し険しくなった。あっ、これは…秘密にしておくべきだったか…!慌てて口を噤んでも、もう言ってしまった後である。ヴェルは険しい顔のまま私の後ろに回って椅子を引くと、そのまま私を抱え上げた。
『???』
戸惑っているうちに、いつもより若干乱暴にベッドに降ろされた。靴もすぐ脱がされて、ついでに手に持ったままだった櫛も取られて、サイドテーブルの引き出しに仕舞われる。無駄に手際がいい。
『聞こうか』
『へ?』
『何を聞いた』
ベッドに腰掛けてこちらを見下ろす目は鋭い。あれ、さっきまでの穏やかな空気は…?
どんどん鋭さを増すヴェルの目つきに耐えきれず、目を泳がせながら先程までの団長さんとの会話を思い出す。どれだ、ヴェルが怒りそうなのって!料理中に台所を爆破した話か、それともヴェルの創作料理を食べた猫が死にかけた話か!料理がらみは全部やばい気がするが、そっちの印象が強すぎてまともな話がパッと出てこない。そしてどの話をしても怒られる…私ではなく、おそらく団長さんが!そして絶対喧嘩になる…!
『ええと、ええと』
さり気なく距離を取ろうとごそごそと動いていると、ヴェルは私の顔の両脇にどすっと手をついた。た、退路を塞がれた…!
『答えろ』
声と共に顔が迫ってきて、恐怖のあまり『ひいっ』と悲鳴が漏れる。ぎゅうっと目を閉じて顔を背けると、眼前の男は小さく舌打ちした。えっ、それ程までに聞かれたくない話があったんですか!
ちらっと目を開けると、逆光になったヴェルの顔が驚くほど近くにあって、滞り気味だった思考が完全に停止した。微かな熱い吐息が頬にかかる。
『スグル』
低い声で名前を呼ばれて、おっかなびっくり視線を上げると、鋭い、夜の闇のような深い紺色の瞳と目が合った。もう少しで唇が触れそうなほどの距離。手の甲に触れた柔らかい唇の感触が脳裏をよぎって、みるみるうちに顔が熱を持って行くのを感じた。
『…何故赤くなる』
『へっ!?』
『一体何を聞いた』
『えっ、いや、その』
ヴェルは目を細めてこちらを見下ろしていたが、不意にその視線を扉がある方に逸らした。
『人が来る』
低く囁くように言うと、私の上から退く。た、助かった…。ヴェルはベッド横の椅子にどすんと座って足を組むと、私の顔を見下ろした。
『後で聞くからな』
『…はい』
それまでに普通のエピソードを思い出しとかないと…。ノックの音に扉を開けに行くヴェルの背中を見送りながら、こっそり溜息をついた。




