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65.団長さん

 頭を撫でる優しい手が心地いい。水の中を静かに揺蕩うような、穏やかな気持ち。夢うつつのまま、その手に頭を擦り付けると、誰かの微かに笑う声が聞こえた気がした。

 ぼんやりとした頭で目を開ける。天蓋付きベッド、すごくふかふかの布団。ここ最近の慣れたベッドの感覚。聖都にいつの間にかついていたみたい。…となると、地下からずっと爆睡していたのか。

『悪い、起こしたか』

 声のした方に頭を向けると、ヴェルがこちらに視線を落としていた。まだぼんやりとした頭で何度か瞬きすると、少しずつ頭が冴えてくるような気がする。

 掛け布団からは左腕だけ出されていて、腕には綺麗に包帯が巻かれているのが見えた。意識を失う前のことを色々思い出して、深く息を吸い込んで、吐き出す。

『…おはよう』

 小さく声をかけると、ヴェルは少しだけ笑って、『おはよう』と返した。



『身体の調子は、どうだ』

『…ちょっと、だるい』

『何か食べるか』

『もう少ししたらで、いいよ』

『わかった』

『今、何時…?』

『朝の10時だ。聖都に戻ってから3時間くらいか。…随分長く眠っていた。血を流しすぎだ』

『ごめんなさい…』

『もう怒ってない』

 そう言いながら、ヴェルは少し険しい顔だ。

『今回は傷が深い。加減は覚えろ。身体は大事に扱え』

『はい…』

 あの時だいぶ焦っていて、いつもより刃物を握る手に力が入ってしまった。いっぱいいっぱいだったので痛みはあまり感じなかったが…時間が経った今は、少しずきずきと痛む。

 身体を起こすと、ぐらぐらと視界が揺れるような感じがした。ヴェルは私の顔をちらりと見て、大きく息を吐き出す。

『…お前が無茶をするたびに、寿命が縮む気がする』

 重い溜息に、うっと息が詰まった。心配かけてばっかりな気がする。

『…フェルステルさん、は?』

 気になっていたことヴェルに問いかける。血塗れの姿が脳裏を過って、不安になってきた。

『処置は終えている、命に別状はない。既に目を覚ましている』

『そっか、よかった…』

『まだ暫くは病室から出られんだろうがな』

 あれだけ出血していたら、そりゃあふらふらだろう。白い騎士服が真っ赤だった。…助けられて、本当に良かった。

『…茶でも淹れるか。何でも好きなものを淹れてやる』

『いいの?』

『『頑張ったご褒美』だ』

『ごほうび』

 ヴェルの口から出てきた言葉が意外と可愛らしくて、思わず吹き出した。相手は若干目つきが悪くなったが、『何がいいんだ』と続ける。

『ミルクティーがいいなあ、甘いの』

『わかった』

 通信機でアレクシスさんを呼んで、ヴェルがキッチンの扉の奥へと消える。室内に入ったアレクシスさんは、ヴェルがさっき座っていた椅子に腰掛けて、こちらに視線を落とした。

『大丈夫ですか?』

『はい、大丈夫です』

『そうですか、よかった。…無理を強いてしまって、申し訳ありません』

『いいえ』

 アレクシスさんは小さく苦笑した。

『後で見舞いに伺うと、団長が。今はもう調査員が地下に入ってますから、警護は別の者に任せて、一旦聖騎士は全員聖都に戻っています』

『そう、ですか…』

 記憶はおぼろげだが、確か調査が終わったのはお昼の3時ごろだった気がする。今翌日の朝10時だから、多分みんなちゃんと休めているだろう。ちょっとほっとした。

『…あの、ヴェル、寝てますか…?』

 こっちに戻る時、ヴェルが抱えて戻ったなら、ヴェルは殆ど休んでいないんじゃないだろうか。それに、アレクシスさんも。アレクシスさんは困ったように笑って、『寝てないと思います』と答えた。

『帰ってから、私は先程まで休んでいたんですが…ヴェルはそのままこの部屋での警護に戻ったので。丸一日以上寝ていない筈です』

『寝なくて、いいんでしょうか…』

『まあ、鍛えてますから、大丈夫ですよ。それに、座っても寝れる器用な男ですし。いつもそうでしょう?』

『は、はい』

 私の隣で普通に横になっているとは言えなくて、慌てて頷く。アレクシスさんはきょとんとした顔になって、私の顔をじっと見つめた。軽く防音結界が張られる気配がする。

『座ってないんですか?』

『座ってます』

『まさか貴方の横で寝ているなんてことはないですよね』

『ないです』

『…貴方達、もしかして恋仲ですか?』

『こいなか?』

『…恋愛関係にありますか?』

『…はい?』

 ぽかんと相手の顔を見上げる。徐々に言葉の意味が理解できて、ぶわっと顔に熱が集まるのを感じた。

『ちっ、違います!』

『本当に?』

『違います!!』

『はは、スグルさん、嘘つけないでしょう。分かりやすいですね』

 う、うるさい!そういう気質だ、しょうがないだろ!

『ま、彼には恋人はいませんから。安心してください』

『なっ』

『だいぶ鈍い男ですから、苦労するかもしれませんが』

 アレクシスさんは楽しそうに笑って、すっと立ち上がる。結界が解除される気配がした。

『頑張ってくださいね』

『うう…』

 逆にアレクシスさんは鋭くて困る。小さく唸って見上げると、アレクシスさんは笑みを深くして、小さく何事か呟いた。

『…貴方も鈍そうですから、なかなか進まなさそうですけど』

『え?』

『はは、何でもありません。そろそろヴェルが戻りますね。…食欲の方はどうです?胃に優しいものにしましょうか』

『…はい、お願いします』

『承知いたしました。ベッドでも食事が摂れるよう、取り計らっておきますね』

 かちゃりとドアが開く音がして、ヴェルがお盆を持ってこちらに戻ってきた。私の顔をちらりと見て、少しだけ険しい顔でアレクシスさんに視線を向ける。しかし睨まれた当人は何事もなかったように私に軽く礼を取った。

『それでは、私は戻りますね』

 アレクシスさんはにっこり私に笑いかけて、部屋の外へと退出する。…なんか、凄く弱みを握られた気分。

『…どうした、顔が赤いぞ』

『なんでもない…』

 ヴェルに渡されたカップを受け取ってミルクティーを一口飲んで、大きく溜息をついた。…凄く美味しいはずなのに、複雑な気分だ。


◇ ◇ ◇


 食事を終えて少ししてから、団長さんが部屋を訪れた。…大きな手に、小さな花束と、小さな箱を持って。その後ろから、少しふらつきながらフェルステルさんも入ってくる。顔色が悪いのだが、動いても大丈夫なんだろうか。

『見舞いだ』

 背が高いせいで扉をくぐって室内に入った団長さんは、私に花束を手渡した。団長さんが持っていると凄く小さく見えるのだが、手に持ってみると結構大きい。白い花と薄桃色の花は、ちょっとバラに似ていて、とてもいい匂いがする。

『ありがとう、ございます』

 思わず笑みがこぼれる。後で花瓶に挿してもらおう。団長さんはふっと柔らかく笑って、胸に手を当てて頭を下げた。丁寧な騎士の礼だ。後ろから入ってきたフェルステルさんが、剣を支えにして、団長さんの横に立つ。

『…謝罪に、来た』

 殆ど崩れ落ちるように私の前に膝をついたフェルステルさんは、私の手を取る。左手の包帯と、二の腕についた手型の痣に視線を落として、苦しげに顔を歪めた。

『本当に、申し訳ない』

『いいえ、…私にしか、できないことですから』

『……』

 フェルステルさんは眉間に皺を寄せて黙り込む。いつもは綺麗に整えられている灰色の髪は、今日はぼさぼさだ。きっとまだ調子が悪いんじゃないだろうか。

『…謝られるより、お礼言われた方が、気分がいいです』

 笑ってみせると、フェルステルさんは一瞬呆けたような顔でこちらを見る。

『…そうだな。ありがとう、助かった』

 穏やかに笑った顔は、いつもよりもずっと若く見えた。いつもそうやって笑っていたらいいのに。

『…笑ってた方が、素敵です』

 そう言うと、フェルステルさんはちょっと気まずそうに目を逸らした。少しだけ頬に赤みが差している。…なんだか少し意外だ。

『身体は、大丈夫ですか』

『俺は問題ない、ただ血が足りんだけだ。お前こそ…大丈夫か』

『大丈夫です、慣れっこですから』

『そうか…』

 沢山傷痕が走る腕を見下ろして、フェルステルさんが小さく呟いた。こちらに来た時と比べると、ほんの少しだけ傷痕は薄くなった気がするが――まだ僅かに皮膚に凹凸を作って、縦横無尽に横たわっている。今回は刃物で綺麗に切った傷だから、多分酷い痕にはならないだろう。

『…そろそろ、病室に戻れ。抜け出して来たんだろう』

『…ああ』

 立ち上がるフェルステルさんを、後ろからアレクシスさんが支えた。

『アレクシス、そいつを病室まで送ってやれ』

『はい』

『いや、俺は1人で――』

『立ってるだけで精一杯だろうが。行け、アレクシス』

 アレクシスさんはこくりと頷いて、フェルステルさんの身体を支えたまま外へと連れ出した。団長さんはそれを確認すると、ベッド横に立っていたヴェルの方に視線を向ける。

『お前、寝てないだろう。暫く俺が見ていてやる、部屋で休んでこい』

『いえ、私は…』

『寝てこい、命令だ』

『…はい』

 ヴェルは眉間に深い皺を刻んで頷いて、こちらに一礼して部屋から出て行く。…あれ、ということは、暫く団長さんとふたりきりだろうか。団長さんは厳しい顔で扉を見ていたが、ふ、と小さく息を吐き出して、こちらを見下ろした。少々顔が怖い。

『……甘い物は、好きか』

 団長さんはちょっとだけ気まずそうに、小さな箱を差し出しながら言った。



 箱の中にはケーキがふた切れ入っていた。折角なので一緒に食べましょうと、固辞する団長さんを無理矢理椅子に座らせて、紅茶を淹れて差し出す。団長さんの前のカップはなんだか凄く小さく見えた。見よう見まねで淹れた紅茶は、やっぱりヴェルの紅茶の味には遠く及ばない。ちょっと悔しかった。

『すまない、病人に茶を淹れさせるなど…』

『気にしないでください、ずっと、淹れてみたかったんです。ヴェルがいつも淹れてくれるんですけど、なんだか悔しくて』

『あいつが淹れる茶は、うまいのか』

『ええ、とても美味しいですよ』

『…この紅茶も、十分うまいと思うが』

『まだまだです。ヴェルに負けてられませんから』

『…そうか』

 笑った団長さんに笑い返して、ケーキにフォークを刺す。どこからどう見てもショートケーキで、黄色っぽい丸い果実が上に乗っていた。こちらでこの手のケーキを見るのは初めてで、わくわくする。ひとくち口に入れると、生クリームの甘さと、果実の甘酸っぱさがふわりと口の中に広がった。凄く意外だが、苺の味に似ている。スポンジ部分は甘くなくて、全体的に甘さ控え目で品がいい感じ。

『凄く美味しいです』

 幸せを噛み締めていると、団長さんは穏やかに笑った。団長さんもケーキをひとくち口に入れる。なんだか凄く似合わないが、その姿が可愛らしく見えて来て、思わず笑ってしまいそうになった。

『団長さんは、甘い物は好きですか』

『……割と』

 凄く意外だ。ちょっとびっくりして見上げると、相手は何やら複雑そうな顔でケーキを口に入れて行く。

『…店に行くと、視線が痛い。いつもは代わりに別の者に買って来てもらうんだが』

 容易に想像できてしまって、なんとも言えない気持ちになる。これだけ身体が大きければかなり目立つだろう。その上強面だし。それなのにわざわざ買ってきてくれたんだろうか。

『聖都で一番人気の菓子屋の、トレッチェルという菓子だ。並ばんと買えんのだが、久々に時間ができたのでな。…気に入ったのなら、また持ってくる』

『じゃあ、その時はまた一緒に食べましょう』

 提案してみると、団長さんは小さく笑って、『そうだな』と返してくれた。



 ケーキを食べ終えて、ふたりで紅茶を啜る。やっぱり凄くカップが小さく見えた。今なら気になっていたことを聞けそうな気がして、ちらりと相手の顔を見上げる。顔は怖いが、意外と優しい人だとなんとなくわかって来た。

『団長さんは、おいくつなんですか』

『今年で38だ』

 もう少し上だと思っていた。確かにあんまり皺は無い気がする。

『フェルステルさんも、同じくらいですか?』

『2歳下だな』

『へえ…』

『あいつは冷静そうに見えて、時々突っ走りやがる。優秀なんだがな』

 団長さんは小さく息を吐き出す。

『そういえばお前、歳は幾つだ』

『…知らなかったんですか?』

『ああ、知らん』

『21です』

『…見た目よりは上だろうと思っていたが、思っていたよりは上だった』

『よく言われます。ヴェルにも、最初は12、3歳の男の子だと思われてました』

『あいつ、性別まで間違えていたのか…』

『男の子みたいな格好だったので…仕方なかったかもしれません』

『しかしな…』

『そっちもよく間違われますから。気にしてません』

『……ううむ』

 このままだと後でヴェルが怒られそうである。慌てて別の話題を探して視線を彷徨わせて、彼の腰に差された剣に目がとまった。

『あの、団長さんは、なんでそんなに沢山剣を差してるんですか?』

『ん?ああ…』

 団長さんは視線を腰に落として、剣の柄に触れた。

『…どうにも昔から力加減が苦手でな。気を抜くと折る。その予備だ』

『折る…?』

 そういえば地下での戦闘の時、団長さんの剣は一度折れていた。てっきりカスケードの力が強くて押し負けているのかと思っていたのだが、違ったのだろうか。

『俺は剣に強化術式をかけて使う。強くかけすぎるとな、剣の方が耐え切れずに折れるんだ。ヴェルフリードも同じように強化してるが、あいつは器用だからな。加減が上手い』

『そうだったんですか…4本、一気に使うのかと思ってました』

『どうやって持つんだ、それは』

 団長さんは小さく吹き出した。自分で想像しようとしても曲芸師みたいな図しか思い浮かばなくて、同じように吹き出してしまう。

『戦闘に集中するとすぐ折っちまう。面倒だから普段はあまり術式をかけないんだが、昨日は手を抜ける相手ではなかったからな。経費がかさむから折るなとフェルステルにも怒られるから、どうにかしたいんだが』

 辟易したように溜息をつく。なんとなくその仕草がヴェルに似ている気がして、不思議な感じがした。

『…どうした』

 顔に出てしまっていたらしい。団長さんがこちらを不思議そうに見下ろした。

『…なんとなく、なんですけど、ヴェルに似ている気がして』

『俺と、ヴェルフリードがか?』

 きょとんとした顔で、団長さんは瞬きをする。

『初めて言われたな。容姿は全く似ていないと思うが』

『あ、いえ…雰囲気が』

『雰囲気?』

『普段の感じもそうなんですけど、笑い方とか、仕草とかが、どことなく』

『…そうか。何だかんだと、付き合いが長いからな』

 団長さんはそう言って、小さく笑う。そうやって、ふと柔らかく表情を緩めるところが…凄く似ている気がした。

『あいつに初めて会ったのは…もう10年前か。15とは思えん程冷え切った態度だった。…あんな事があった後だしな』

『あんな、事?』

『…聞いていないなら、俺からは言わん方がいいだろう。まあ、色々あってな。あいつの帰る家が無かったから、騎士団に入るまで間、うちで引き取った。俺も家族はいないから、2人暮らしだったが』

『一緒に、住んでいたんですか?』

『2年と少しだけな。ついでに剣の腕も鍛えてやった。めきめき上達しやがって、追い抜かれるんじゃねえかってヒヤヒヤしたな。まあ暫く抜かせる気はないが』

『ヴェル、やっぱり強いんですか』

『ああ。だが俺の方が強い。実質うちの二番手だな』

 ふんっと鼻で笑う。負けず嫌いらしい。

『三番手がフェルステルか。転移を組み合わせるからな、俺でもかなりやり辛い相手だ』

『へえ…』

 昨日クラウスが言っていた『最高戦力が3人』というのは、どうやら団長さんとヴェルとフェルステルさんだったらしい。そのフェルステルさんを、一太刀で倒したカスケードは…かなり、危険な相手ということだろう。少し怖くなって、別の話題を探す。

『…あの、ヴェルは、料理はしてたんですか?』

 ヴェルは料理はできない、と言っていたが…実際の所はどうだったんだろう。ちょっと気になる。

『料理か…』

 団長さんは若干遠い目になった。…思っていた反応と少し違う。

『あいつ、料理した事無いくせに、初っ端から創作料理を作りやがってな』

『…なるほど』

 何となく察しがついた。そしてどうやら彼に料理の才能は無いことも。

『俺もそう上手い方じゃ無かったんだが…あれよりはマシだ。あれはな、『不味い』というよりは『やばい』だ。人間の食いもんじゃない。比較的何でもできる奴だったから、気を抜いていた』

 そこまで言われるほどのものとは一体。詳細が気になる所だが、ちょっと聞くのも怖い。おののいていると、団長さんはニヤリと笑って『後で教えてやる』と言った。…聞きたいような、聞きたくないような。

『まあ散々喧嘩もしたが、俺にとってあいつは歳の離れた弟みたいなもんだ。似ていると言われるのは、案外嬉しいものだな』

 微かに笑う顔はやっぱりどこか似ていて、優しくて、暖かくて――本当の、お兄さんみたいだった。

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