63.地下へ
『よう』
地下に降りる入り口の前で、平然とこちらに声を掛けた男の顔を見上げて、思わずぽかんと口を開けてしまった。
『なんで、いるんですか』
『面白そうだからだ』
性格の悪そうな笑みを浮かべて、眼前の男は傲然と言い放つ。その背後で団長さんが未だかつて見たことないくらい険しい顔をして立っていた。元々の顔立ちも相まって、めちゃくちゃ怖い。そしてこの状況が、彼らにとっても完全に想定外の事態なのだと理解する。
『あの、あなたに何かあったら、凄く、まずいんじゃ…』
『何も無いさ、うちの最高戦力が3人揃っている。むしろ聖都より安全なんじゃないか』
『…陛下、不測の事態というものはあります』
『信頼して言っている』
『……』
重々しい溜息をついて、団長さんが眉間の皺を更に増やす。凄く怖い、熊でも顔を見ただけで逃げ出しそうだ。
クラウスは前見たのと同じ茶色い外套を着て、長い金髪を帽子の中に納めている。王宮にいる時はキラキラした服ばっかり着ていたので、やはり一応は変装している、らしい。帽子から漏れた長い金髪が一房落ちて、綺麗な顔にかかった。どんなに変装しても、気品みたいなものは隠せていない気がする。
街は少しずつ復興してきているようだ。幸いあの事件で死者は出なかったらしい。あの時、たまたま噴水の近くにいたというヴェルとリュゼがすぐに対応したおかげだろう。…本当、運が良かった。
既に水と土地の浄化は終わっているらしいのだが、作物が全滅なのだという。また種を植えて育て直さなくてはならない。生活は大分苦しいものになるのだろう。前訪れた時のような活気は薄れて、街は閑散としていた。どうしようも無かったのかもしれないけど、あの時、地上への転移を阻止できていたならと考えずにはいられない。
噴水は今は止まっているが、地下から送られた水が、ごぽごぽと音を立てて湧き上がっていた。綺麗な水、嫌な気配は全くない。ちゃんと浄化されているのがわかってほっとした。
噴水のすぐ脇にあるマンホールみたいな丸い扉を団長さんが引き上げる。暗闇の中、地下へと梯子が降りているのが見えた。
『先に俺とアレクシスが降りる。次に陛下、お願いいたします。後はルーカス、デルリーン、グレイプニル、シュタールベルク、スグル、ヴェルフリード、フェルステルの順だ。通信機を起動しろ』
ヴェルの手が伸びて、耳の通信機のスイッチが入った。
地下空間で起こった過去の嫌な記憶が脳裏をよぎって、ぞわりと悪寒が走る。リーゼさんの後から地下に降りて少し進むと、ひんやりとした冷気が頬をちくちくと刺した。ここからは感知するから、防護服は一旦脱がないといけない。
防護服を脱ぐと、少し肌寒い。足元でばしゃばしゃと水の跳ねる音がする。ここを泳いだ時のことを、今でも思い出せる。冷たくて、骨まで染みるような…あの、嫌な感覚。ぎゅっと一度目を閉じて、その記憶を外に追いやった。
じっと立ち尽くしていると、後ろから肩に温かいものがかけられた。びっくりして振り返ると、ヴェルが私の肩に自分の上着を掛けてくれたらしい。
『あ、りがとう…』
『いや』
私の手の防護服をヴェルの手が取り上げた。持ってくれるようだ。…なんだか申し訳ないけど、触っていない方が感知精度は上がりそうだから、ありがたく持ってもらうことにする。
『移動を開始する。北から順に回っていく。スグル、何か感知したら言ってくれ』
『はい』
少々大所帯だが、移動速度は速い。地下空間は全体的に空気が籠っていて気持ち悪い感じかする。注意深く意識を周囲に向けて、どんな小さな違和感も見逃さないように集中する。
しかし、約2時間ほどかけて隈なく地下を回ったが、何も感じなかった。
『何も感じないのか』
『…はい』
一周して元の位置まで戻って、首を傾げる。小部屋もひとつひとつ確認したが、何もなかった。団長さんは低く唸り声を上げて顎に手を当てる。
『ここでは無いのかもしれんな』
緊張感なく軽い調子で呟いたクラウスに、フェルステルさんが『そうですね』と返した。
『…上はどうでしょうか』
眉間に皺を寄せて、フェルステルさんが上を指差した。その言葉に、クラウスがちらりと視線を上に向ける。
『上?』
『そこの娘の話では、領主が関わっていたのでしょう。屋敷のどこかに仕掛けがあってもおかしくは無いのでは』
『そうだな…確認するか。調査員の見落としがあるかもしれん。…新しい領主が既についているんだったか』
『いいえ、まだです。先代の一族はあの騒ぎで全員死亡が確認されています。後任はついていません』
リーゼさんがそれに答える。団長さんはこくりと頷いて、梯子の先を見据えた。
『都合が良い。…そちらを当たってみるか。地上に上がるぞ』
領主の館は、あの時の煌びやかさが嘘みたいに、ボロボロになっていた。壁の金の装飾の置物や宝石の類は壁から引き剥がされて、下地の石の土台が露わになっている。きっと誰かが忍び込んだんだろう。諸行無常、盛者必衰、というやつか。割られたガラスから中に風が吹き込んで、借りっぱなしだったヴェルの上着がふわりと揺れた。
『館の地図を転写します』
リュゼが白い紙を取り出して、インクを転写していく。精密な線が瞬時に引かれていく様は実に見事だ。団長さんがそれを見下ろして、全員に指示を出した。
『一階部分から調査を始める。ここから東側の通路から確認するぞ』
廊下を広がって、クラウスと私を取り囲むように周りを固められる。地図によれば、館は左右対称で、ほぼ真四角。中央には四角く庭が作ってあって、沢山植物が植えられているらしい。
『何か感じるか』
クラウスがこちらを見下ろして問いかけてきた。
『何となく、変な感じはあります』
『変な感じ?』
『…近いかもしれません』
壁か、床か、それとも天井か。違和感の正体を探して周囲を見渡す。もう少しで廊下の突き当たりにぶち当たる。
『…すみません、ちょっと』
小さく声を上げると、全員が立ち止まる。壁に手を当ててゆっくりと足を進める。
『…ここ、です』
強力な術式の気配がする。ここだけ空間が歪んでいると思わせるような、強い違和感。前に立っていた団長さんが、こちらを見下ろした。
『どんな術式の気配を感じる?』
『探査妨害と、隠蔽、あとは…何かの起動術式です。罠かもしれません。ここまでの強度は、訓練でも見た事はないです』
『範囲は』
『この扉から、奥の扉までの壁一面に感じます。ただ、起点は多分ここなので、ここを消せば全て解けると思います』
『…そこまで分かれば十分だ。優秀だな』
団長さんにそう言われて、照れ臭くてへらりと笑ってしまう。あとは解除までが私の仕事だ。
ポケットに入れていた金属のケースを取り出して、蓋を開けた。中には注射針と、透明なチューブが入っている。…流石に、腕に自分で針を刺すのは怖い。
『ヴェル、お願いできる…?』
『…ああ』
ヴェルは眉間に深い皺を刻んで頷いて、私の前に跪く。ヴェルにやって貰えるなら一番安心だ。この場で最も信頼している相手というのもあるけど、治癒術式が使える以上、医学的知識もある程度持っている筈だから。
針を皮膚に沿わせるように当てて、ちらりとこちらを見上げた。
『刺すぞ』
『うん』
ぷつりと皮膚を破って、針が体内に入る。正確に血管に刺さった針が、血をチューブへと送り込んだ。
チューブの先を壁に当てて、術式の起点となっている場所に血を垂らす。チューブが擬似的な血管の役割を果たして、壁に新鮮な血液が流れ落ちた。
ぴりっと、空気に電気が走るような感覚。よかった、ちゃんと解除できた。
壁は唐突に形を変えて、何も無かったはずの空間に扉が現れる。特徴的な、鳥の翼を模したようなデザインの金のドアノブは、何処かで見たような…。
『これはこれは』
クラウスが小さく呟いた。顎に手を当ててニタリと悪い笑みを浮かべる姿は、王というよりは悪の親玉である。
血はまだ使うかもしれないから、針は刺したままの方がいい。血が流れないようにチューブの先のつまみを閉じて、針を固定するようにテープを巻いて行く。見かねたのか、ヴェルが私の手からテープを取り上げて、綺麗に巻き直してくれた。
『…痛むか』
『ううん、慣れたから大丈夫』
ヴェルは少し険しい顔になって立ち上がった。…若干、苛ついているように見える。
団長さんは扉の前に立つが、ドアノブには触れずにリュゼに視線を向けた。
『内部はどうだ』
『地下へと続く階段になっています。…かなり深いですね』
目を細めたリュゼは、どこか身体が重そうだ。壁に背中をつけて、眉間を指でつまんでほぐす。
『…地下水路よりも更に地下深いところまで続いています。構造は水路と似ていますが、複数箇所、隠蔽術式がかけられているみたいで、よく見えません。見える範囲で地図を作ります』
懐から新しく紙を引き出して、インクをかけて転写して行く。だいぶ疲労が溜まっているようだが、大丈夫だろうか。
『斜線部分は『見えない』部分です。人の気配は、見えた限りではありませんでした』
『ああ、わかった』
ちらりと地図に視線を落とし、団長さんはドアノブに手をかけた。
『デルリーン、お前は警護に回らなくていい。何か妙なものが見えたら言ってくれ』
『はい』
リュゼはしんどそうに頷いて、ふう、と息を吐き出す。
『お前も、何か感じたら言え。ここから先は未知数だ』
『はい』
ドアを開けると、暗い階段が続いている。防護服に袖を通して、階段を降りるリーゼさんの後ろについた。
◇ ◇ ◇
階段は一体どこまで続いているのかと思わされるくらい、凄く長かった。帰りにこれを上るのかと思うと気が滅入る。階段を下りきった先にはまた扉があった。また、金色の、翼のような形のドアノブ。天井に点々と取り付けられた微かな照明を反射して、薄ぼんやりと光っていた。
『待ってください』
何か、術式がかけられている気がする。防護服越しでも分かるくらい強い術式だ。道を開けてもらって、ドアノブを注視する。
『何かの起動術式と、個体判別術式、探査妨害がかかってます』
『…罠だな。解除できるか』
『はい』
チューブのつまみを回して、血をドアノブに垂らした。気配が消えたのを確認して団長さんに合図する。団長さんが扉を開け放つと、その先は円形のホールになっていた。ごてごてとした装飾の多い、煌びやかな空間。クリーム色の石の壁はつるつるとしていて、床にはえんじ色の丸いカーペットが敷かれていた。その上に黒く描かれた模様は、何かの陣のようにも見える。天井から吊り下げられたシャンデリアがぼんやりとそのカーペットに不気味な影を作っていた。
『何か感じるか』
『床から…転移術式みたいです』
『どこに繋がっているのだろうな』
『陛下、不用意に術式を起動するのだけはおやめください』
『流石にやらんさ』
くつくつと笑う姿は信用ならない。以前魔獣を召喚しやがった前科がある。
団長さんは険しい顔で地図を広げて、ホールから続く廊下の一つを指で指し示した。
『あの通路から行くか。都合上スグルに全体を確認してもらう必要がある。時間はかかるだろうが、よろしく頼む。疲れたら言え』
『はい』
頷いてみせると、団長さんはふっと笑って、私の頭をがしがし撫でた。少し不器用なその撫で方は、会ったばかりの頃のヴェルの撫で方に似ていた。…何となくだが、団長さんはヴェルに似ている気がする。ちょっとぶっきらぼうで、不器用で、どこか優しくて。
『移動を――』
ぴくりと、団長さんの眉が動いた。
『っ、団長!』
リュゼの声が掛かるより前に、団長さんはその巨躯からは想像できないほどの俊敏さで剣を抜き――何かを、弾き落とした。激しい金属音と、何かが床に転がる音が響く。その転がったものを見るまで、何が起きたのかわからなかった。
『陛下、後ろへ!』
団長さんの鋭い声が指示を出して、空気が一瞬で変わる。ヴェルが私の腕を引っ張って、背中に庇うように立った。
『ああ、失敗してしまいました。だから言ったじゃないですか、厳しいですよって』
少し軽いその声は、この場にいる聖騎士団のものではない。だが、聞き覚えがあった。
『カスケード…?』
小さく呟いた声に、ぴくりと前に立ち塞がった背中が反応する。遠くの方で、あの印象の薄い顔の男が、楽しそうに笑ったのが見えた。




