62.移動開始
予定通り3日後、私たちは、かつてカスケードと相見えた場所へと移動することになった。
感知訓練はしっかりしてきたから、だいたいの術式は分かる、と思う。まずはこれができないと、私が行く意味がなくなってしまう。
今回は聖騎士のみで、地下空間の先行調査を行う。直前までフライさんとゲーゼさんが、『お嬢ちゃんが行くなら行く!』と言ってくれていたのだが、クラウスが却下したのでお留守番だ。その代わり、強力な防護服を開発してくれたので、とても有り難い。防護服は黒くて、フードのついた長袖のコートみたいな形だった。感知の時は脱がないと感知精度に支障が出るので、脱ぎ着しやすい形にしてくれたらしい。
『基本的な攻撃系の特殊術式と物理的な衝撃は防ぐはずじゃ』
『お前さんの血がかかると効果が無くなる、怪我には気をつけるんじゃぞ。特に術式の起点となっておるのが襟部分にある、そこにはかからんようにな』
との事だ、確かにかなり強い術式の気配がある。お礼を言って受け取ると、おじいさん達はにこっと笑った。ううむ、癒しである。
防護服に袖を通して、フードを被る。一応顔は隠しておいた方がいいだろう。
久々に外に出た。時間は朝の9時ごろ、辺りは明るい。白亜の城を背に立って、今回同行する聖騎士達と向かい合う。これから私は天馬で移動、警護以外の人員は転移陣で移動する。目的地までは約16時間、深夜到着予定である。その後は一旦休んで、明日の朝から調査開始だ。
今日はヴェルもアレクシスさんもルーカスさんも、白い騎士服を着ている。…白い騎士服だと、何故か黒い騎士服よりも空気が威圧的になるのだが、何故なのだろう。ヴェルは黒の方が似合うなあ…。普段も絶対明るい色は着ないから、見慣れなくて変な感じがする。
『どうして、白いの?』
ヴェルに問いかけてみると、ちらりと視線が落とされた。
『正式に近衛として外に出る訳ではないからだ』
クラウスに会った時、皆一様に白い騎士服だったのは、そう言う理由からだったのか。…近衛がクラウスのまわりを固めていたら、『聖帝です』と言っているようなものだ。逆に危ないのかも。あの時は、クラウスも普通の格好をしていたし、お忍びみたいなものだったのかもしれない。
『準備はいいか』
こちらを見下ろす団長さんに、こくりと頷く。団長さんはそれに頷きを返すと、私の前に膝をついた。懐から短剣を取り出し、私に差し出す。
『護身用だ。抜かずに済むように我々で警護するが、もしもの時は躊躇うな』
『…はい』
剣を受け取って、両手で握る。刃物を持つのすら久しぶりだ。ずっしりと重く、簡素で無骨な短剣は、私には大きい。腰帯に挿して、鞘を固定する。
『剣を振った経験はあるか』
『…振り回したことなら、あります』
『振り回した?』
以前カトリーナの屋敷で、脱出のために、鞘ごと剣を振って警備を殴り倒した。あと、…これは忘れたいし忘れて欲しいのだが、ヴェルに向かって剣を振り下ろしている。当たっていたらと思うと今でも恐ろしい。ちらっと背後のヴェルを振り仰ぐと、若干険しい顔をしていた。…残念ながら覚えているようだ。
『あ、団長、それは…』
気まずそうにリュゼが声を上げる。困ったような顔のリュゼと目があった。お互いあの時はいっぱいいっぱいだった。
『何だ、話せ』
『…俺が負傷して、動けなくなった時、スグルが俺の剣を…』
『振り回した、か?』
『ええ。…1人、昏倒させてました』
『ほう、度胸があるな』
『そうですね…本当に』
しみじみとリュゼが頷く。ちょっと、あれはやりたくてやったわけじゃないんだが!
『戦士に向いているかもしれん』
団長さんが小さく笑う。ぶんぶん首を振ると、団長さんは金の目を細めてははっと笑った。思っていたよりずっと邪気のない子供っぽい笑みで意外だが、今はそんなことはどうでもいい。
『まあいい、それはまた次の機会に話そう』
『団長、冗談はやめてください』
『そう冗談という訳でもない』
静かな声で制したヴェルに軽く返して、団長さんは懐から小さなガラス片を取り出した。
『通信板を小型化したものだ。耳に入れて使う。お前は起動できんだろう、後ろの男にでも起動してもらえ。起動すると周囲の音を拾い、同一の暗号術式を組み込んだ通信機に音を飛ばす。一定以上距離が離れると音が不鮮明になるが、今回の作戦では支障は無いだろう』
ニルさんの通訳を通してもらって、やっとなんとか理解する。こくりと頷くと、団長さんに手を取られて、通信機を落とされる。ちょうど小型の補聴器のような形状をしていて、片側…おそらく耳に差し込む部分が、シリコンみたいに柔らかい。
『入れてみろ』
右耳にそっと差し込む。耳栓を入れた時みたい。ヴェルの手が伸びて、耳元でピリッと術式が起動する気配がした。
『感度はどうだ』
音が二重になって聞こえる。団長さんももう使っていたようだ。
『綺麗に聞こえます』
そう返すと、団長さんはこくりと頷いて立ち上がる。
『それでは移動を開始する。ヴェルフリード、スグルについて天馬で移動しろ』
『はい』
『警護にアレクシス、お前がつけ。後は全員転移陣で移動し、先に拠点を整え、侵入の準備を整える』
『承知しました』
アレクシスさんが返事して、私の後ろにつく。リュゼが二頭の天馬の手綱を引いて来て、それをこちらに引き渡してくれた。
『リュゼ、身体大丈夫?』
『え?』
高い位置にあるリュゼの穏やかな翠の目を見上げて問いかける。リュゼはきょとんとした顔でぱちぱち瞬きしたが、『ああ』と声を上げた。
『もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね』
にこっと笑う顔は、いつも通りだ。良かった、あの時はかなり体調が悪そうだったから。
『ま、今回もけっこう、戦力としては使い物にならなくなると思うけど』
はは、と力無く笑って、リュゼは肩をすくめた。そうか、基本的な内部の確認は、リュゼの目を通すから…前みたいに疲労で動けなくなるかもしれない。
『大丈夫、1日休めばだいたいなんとかなるから。心配しないで』
『う、うん』
頭を撫でる手は優しい。もう歳上だって分かっているはずなのだが、リュゼは未だにだいたいこんな調子である。
『スグル、乗せるぞ』
『うん』
ヴェルが私を抱え上げて、天馬の上に横向きに乗せた。後ろにヴェルが跨って、私の身体を支える。マントが背後から身体にかけられて、視界が少し狭くなった。背後でアレクシスさんも天馬に跨って、こちらに視線を向けて頷く。
『目を閉じて、こちらに腕を回せ』
小さな声で指示が飛んできた。ヴェルの胸に躊躇いながらも腕を回して、しっかりしがみつく。私の背中を、ヴェルの左手が支えた。ぐんっと重力がかかるような感覚とともに、天馬が宙へと浮上する。
『到着は深夜だ。眠くなったら眠っていい』
『まだ、眠くないから、大丈夫』
『そうか。…この距離になると、もう下の音声は拾えない。お前の国の単位を使うなら、…丁度、500メートルくらいか。アレクシスの声なら届く』
『呼びました?』
『わ』
耳元で声がしてびっくりする。隣についたアレクシスさんが、天馬の上からこちらに笑いかけたのが見えた。
『我々は伝えたい時だけ音声が入るようにするんですが、スグルさんのものは常時音を拾います。1人にすることはありませんが、念のためです。それに、音声入力の起動をその都度となると大変ですから』
『…確かに、そうですね』
『ああ、あと、これはフライさんが言っていたんですが…防護服同様、血液の付着には気を付けてください、とのことです。壊れてしまう可能性があるので』
『はい』
アレクシスさんは頷いて、ヴェルの方へ視線を向ける。
『疲れたら代わりますよ』
『何を』
『スグルさんです』
『疲れないから代わらなくて良い』
『おや、随分と――』
――ぷつっ。
『ひょえ』
アレクシスさんの言葉が終わる前に、ヴェルの手が私の耳の通信機を切った。指先が耳に触れる感触にびっくりして変な声が出てしまう。
『…うるさい、黙れ』
『そうだが』
『うるさい、代わらん。切るぞ』
ヴェルの声しか聞こえないが、どこか少し機嫌が悪い。だがまあ結果的に、私はこのままヴェルの天馬に乗るということは何となく察した。
『…疲れる?』
『ただ支えているだけだ、疲れない』
『そう…?』
ヴェルがそういうなら、多分大丈夫なんだろうけど。なるべく彼の負担が減るように、身体に回した腕に力を込める。
『……お前が疲れるだろう、普通にしていていい』
『疲れないよ、これくらい』
『……』
ヴェルは黙って視線を正面に戻した。それからは殆ど会話もなく、たまにヴェルとアレクシスさんが事務的な話をするくらい(ヴェルの声しか聞こえないけど)。16時間とは正直かなり長くて、時々休憩を挟んで食事を摂ったけど、夜、辺りが真っ暗になる頃にはうとうとして来てしまっていた。結局最終的に意識を飛ばしてしまって、目が覚めた時には、なぜかベッドの上だった。
◇ ◇ ◇
時計も渡されていたので、ポケットに入れっぱなしだった懐中時計を取り出す。朝の6時だ。身体を起こして伸びをすると、背骨がぎしぎし痛んだ。宿の一室のようで、部屋は狭い。ここ最近ふっかふかのベッドに慣らされていたので、硬い布団だと身体が痛くなってしまうらしい。なんとも贅沢な悩みである。
『お目覚めですか』
高い声にびっくりして視線を上げると、扉のところにリーゼさんが立っていた。銀色の髪をひとつにまとめて、こんな朝早い時間なのに、きっちり騎士服に身を包んでいる。凄く綺麗でかっこいい。
『おはようございます、スグル』
『おはようございます』
ふんわりと笑う顔は美しい。美人の笑顔は癒しである。
『行動開始は9時ですから、まだゆっくり時間はありますよ。お飲み物はいかがですか』
『あ、はい…いただきます、ありがとうございます』
こくりと頷くと、リーゼさんは笑みを深めて扉の外の誰かに指示を出す。
『あの、ヴェルは…?』
いつも近くにいた存在が居ないので、なんとなく気になる。小さく問いかけると、先程までの柔らかい空気が一変して、むすっとした顔になる。
『あんな朴念仁のどこがいいんです』
『ぼくねんじん?』
知らない単語に首をかしげる。リーゼさんはこちらに近寄って、私の両手を手をぎゅっと握った。
『いいですか、世の中にはもっといい男が沢山いるんです。あんな剣を振り回すしか能の無いぶっきらぼうな男なんておやめなさい』
『…はい?』
『まだリュゼの方がマシだわ、あの子はいい子だもの。うちの業務には不向きだけど。まあそんなことはいいの、取り敢えずアレはやめておきなさい!』
『…?』
一体何の話なのかと困惑して相手の顔を見上げると、リーゼさんは何やら頬を染めて、『ああ、もう』と小さく呟いた。
『こんな可愛い子、あんな男にやりたくないわ…っ!私が男だったら…!』
いや、だから何の話!
『騒がしいぞ』
扉が開かれて、ラフなシャツ姿のヴェルが入ってきた。手にはお盆を持っている。…ヴェルが騎士服を着てないの、ちょっと久しぶりに見た。暗い紺色のシャツは、よく似合う。やっぱり暗い色の服の方が彼の雰囲気に合っていた。
『ちょっと!女性の部屋にノック無しに入るなんてどうかと思うわ!』
『あ?ああ、悪い』
ヴェルはサイドテーブルにお盆を置いて、しれっとそう返した。こちらを見る眼差しはいつもの静かなもの。
『よく眠れたか』
『うん。…ごめん、寝ちゃって』
『構わない。取り敢えず水を用意したが、飲みたいものは何かあるか』
『ううん、お水がいい』
『そうか。…食事はあと少ししたら用意させる。9時に行動開始だ、少し前に迎えに行く』
『うん』
『それでは、後程』
ヴェルはそう言って、私の頭を軽く撫でると小さく微笑んで、すぐに部屋から出て行った。それをぽかんとした顔で見送って、リーゼさんは大きく溜息をつく。
『なにあれ、別人じゃない』
その呟きは凄く小さくて、よく聞こえなかった。




