61.知識
『見えるか』
『…なんとか……』
訓練再開から3日目くらいで、何となくヴェルの剣筋が見えるようになってきた。本当に何となくなんだが。ただほんのり見えるだけなので、正直一生かかっても避けられる気はしない。離れたところで見ていたニルさんが、大きく欠伸をした。ちょっと腹立たしい。
『じゃあ次は避けろ』
『へ』
左から剣が迫って来て、ひいっと悲鳴を上げてしゃがみ込む。
『今のはゆっくり振った。それでは次の一撃を避けられない、しゃがみ込むな。まあ状況にもよるが、なるべく立ったままでいろ』
『…う』
そ、それは難しい。というか真剣というのが凄まじく怖い。片刃なので峰側をこちらに向けてはいるのだが。
――流石に避けるとなると難しいだろう、熟練の剣士でも厳しいものがあるのではないか。
『だがやって貰わねば困る。降りかかる火の粉は払うが、…スグルは運が悪い、何があるかわからん』
――否定できんな。
『…運が悪いのは私のせいじゃない…』
それにそこまで悪くはないと思うのだが…今まで何とか助かってるんだから。
『…しかし、一撃目が避けられるだけで大分違う。それだけで我々が対処する時間ができる』
ヴェルは剣を納めて、ちらりと扉に視線を向けた。
『中断する。来客だ』
その言葉の少し後に、こんこん、とノックの音が響く。お昼ご飯にはまだ早い時間だが、誰だろう。
クラウスからお呼びがかかった。
急いで服を着替えて廊下に出る。少し空気はひんやりしていた。日本の夏は凄く暑かったけど、こちらはかなり涼しくて過ごしやすい。ということは、もしかして冬は長くて凄く寒いのかもしれない。
無言でヴェルが私の肩に上着をかけた。寒そうなの、分かったんだろうか。お礼を言って袖を通すと、ほんのり温かい。ヴェルの手が伸びて、更にフードを被せる。ふと顔を上げると、アレクシスさんが面白いものを見るような視線をヴェルに向けていた。
『何だ』
『いえ、別に』
その問いに答えず、先導してアレクシスさんは歩き出した。
アレクシスさんの後ろを歩いて廊下を進む。横にはニルさん、背後にはヴェル。本物の空を見るのは少し久しぶりで、ぼんやりと窓の外を眺めていると、どんどん上の階へと階段を上らされた。地味に足が疲れる。
連れていかれたのは先日夕食を摂った部屋ではなく、その階の突き当たりの扉だった。大きな扉の両側には、黒い騎士服を身に纏った聖騎士が立っている。アレクシスさんに気がつくと、軽く頭を下げて、扉の前のスペースを空けてくれた。
アレクシスさんがノックをして扉を開ける。何の部屋なのだろうと思っていたのだが、眼前には大きな机がどんと置かれていた。机の上には大量の書類が積まれている。その背後に並ぶのは大きな本棚と大量の蔵書。どうやら執務室らしい。
『よう』
書類の山の向こうで豪華な椅子に座っていたクラウスが、いつものように声をかけた。今日は長い金髪を片側に流している。クラウスは何か書き殴っていた手を止めて、ふう、と息を吐き出した。
室内には他に聖騎士が数人。フェルステルさんと、ルーカスさん、後の2人は多分知らない人。それから、リュゼだ。
『…っ!』
思わず声を上げそうになるのを堪えてリュゼを見遣ると、彼はいつものようにへらっと微笑んだ。彼は白い騎士服を身に纏っていた。凄い、似合う、カッコいい。そういえば近衛は黒い騎士服なのだと言っていたから、この場ではヴェル、アレクシスさん、ルーカスさん以外は皆、近衛兵では無いのだろう。騎士服を身に纏っていると、いつもどこか穏やかというか、柔らかい空気の彼からは想像できないくらい、ピシッとして見える。体調はもういいのか、目の方は大丈夫か聞きたいが、ちょっと聞き辛い空気。
ヴェルに促されて、クラウスの前に置かれた椅子に腰掛けると、横にニルさんがお座りした。肘掛けに体重をかけてこちらを睥睨するクラウスの周囲に、聖騎士が並ぶ。こうして鋭い空気の人が並ぶと、凄まじい威圧感がある。
クラウスは赤い目をこちらに向けて口を開いた。
『近々、動いてもらうといったな』
『はい』
『アルネイアの、お前が見たという地下空間についてだが。こちらでも確認ができた。かなり酷い有様だったようだが…それについては明言を避けようか。調査を進めながら、こいつの目で地下を隈なく『視た』が、真っ黒な空洞が更に地下にあることが判明した。だが、内部へ入ることができん。かなり高度な隠蔽術式や防壁がかけられている可能性がある』
緊張気味に頷くと、クラウスは言葉を続けた。
『そこで、だ。その術式を探し出して、破壊してもらいたい。ついでにその地下空間の調査にも加われ。お前がいた方が話が早い。急だが3日後出立してもらう、いいな』
『…はい』
きゅっと唇を引き結ぶ。クラウスは私の中の恐怖を見透かしたようにニヤリと笑って、背もたれに身体を預けた。
『参加要員についても話しておこうか。トレーガー』
『は』
トレーガー、と呼ばれた、身体の大きな人が前に出る。凄く背が高くて、というか身体が本当に大きくて、まるで熊のよう。身長、もしかしたら2メートル50近くあるんじゃなかろうか。黒い髪を後ろにざっくり撫で付けていて、そこから漏れた髪が一房、おでこにかかっていた。彫りの深い顔の奥から見えるのは、鋭い金色の瞳。腰には剣を4本も刺している。ヴェルやアレクシスが腰に刺しているのよりも少し長い。歳はよくわからないが、恐らくフェルステルさんとたいして変わらないんじゃないかと思う。
『聖騎士団団長、トレーガー・テオドールだ。今回直接指揮に当たる』
重低音の声は、彼を更に威圧的に見せる。彼が聖騎士団の団長、なのか。凄く強そうだ。かなり高い位置にある頭を一生懸命見上げると、喉が締まってうまく声が出ない。『よろしく、おねがい、します』と声を掛けると、彼は膝を折って、私と視線を合わせてくれた。だが怖い顔が近くなって、より恐怖心を煽られる。
『事情についてはある程度把握している。お前のような…戦を知らぬ娘を作戦に加えざるを得ない現状を、まずは謝罪する。申し訳ない』
『いえ…』
誠実さを感じる言葉に、慌てて首を振る。自分で決めたことだ。
『それから、魔獣の血を受けた聖騎士の治療に、血液を提供してくれたことも聞いている。遅れたが、改めて聖騎士団の団長として、感謝を』
『いいえ、お役に立てて、良かったです』
そう言うと、彼は金の目をすっと細めて、私の顔をじっと見た。
『……?』
『…いや、何でもない。今回作戦に参加する人員は、ここに居る聖騎士全員だ。フェルステル・ディートリヒ、シーレンベック・アレクシス、レーム・ルーカス、デルリーン・リュザフィール、エインヘイル・ヴェルフリード。この5人は知っているな?』
『は、はい』
『もう1人、作戦に参加する。シュタールベルク』
『はっ』
思いの外高い声。背が低い…どうやら女性のようだ。他の人の陰に隠れてよく見えなかった聖騎士が、団長さんの隣に膝をつく。彼女は顔を伏せたままで、冷たい声を出した。
『シュタールベルク・リーゼロッテと申します』
長い銀髪を後ろで一つにまとめた、冷ややかな空気の女性。この空気に、何となく覚えがある。
『…リディア、さん?』
小さく声を掛けると、肩がピクリと揺れた。ゆっくりこちらに顔を上げた彼女の顔は、よく知ったもの。蕩けるような優しい微笑を浮かべて、氷のような水色の瞳がすっと細くなる。
『ええ。お久しぶりです』
『…聖騎士、だったんですか』
『はい』
『ええと、シュタールベルク…?』
『本当の名前は、シュタールベルク・リーゼロッテといいます。どうか、リーゼと』
『…はあ』
衝撃を隠しきれず固まっていると、リディアさん…リーゼさんの秀麗な指が伸びて、私の両手をそっと包み込んだ。
『スグルの話を聞いて、飛んで戻ってきました。お元気にしていましたか?』
『…は、い』
『左様ですか、それはよろしゅうございました』
船の上とは違う丁寧な口調に、どちらが本来のリーゼさんなのか分からず困惑する。
すっと彼女は立ち上がると後ろに下がった。どこかぽかんとした顔でそれをみんな見ている。…何かおかしなことでもあっただろうか。
クラウスが咳払いして、居住まいを正す。彼は軽く髪をかきあげると、ふう、と息を吐き出した。
『今回選抜した人員は、お前の素性をある程度把握している人間に絞っている。その上で、戦闘能力の高い者を集めた。…地下では何が起こるかわからんからな。お前の護衛も必要だ』
『グレイプニル、は、一緒に来ますか』
『ああ、必要になるだろうからな。お前の言葉のこともあるが、負傷した際にも役立つ。それから…俺は国をそうそう空けられん、今回は行かん』
『…そうですか』
クラウスが前回、普通に魔獣を召喚したのが脳裏をよぎる。正直今回は同行しないのが有り難い。この男は何をしでかすかわからない。
『何か質問はあるか』
質問、か。ぼんやりと手元に視線を落として、手のひらの傷が目に入った。私も何か武器とか持っていた方が良いのだろうか。
『私も、武器を持つべきですか…?』
『護身用に短剣は渡しておく』
『わかりました』
そこでふと気になって顔を上げる。
『こちらには、ええと…「銃器」の類はあるんですか』
『ジュウキ?』
ニルさんの通訳を通しても、クラウスは分からなかったようだった。つまりは、こちらには存在しないのだろう。訊くべきではなかった。
『いえ、何でもありません』
『いや、話せ』
『でも――』
『俺の命令がきけないのか?…俺だけに分かるように話せ』
『……』
威圧的な言葉に、思わず押し黙る。
『…すみません、わかりました』
ニルさんに目配せして、今度はあちらの言葉で、話を続ける。ニルさんは相手を限定して意識を繋ぐことができるから、クラウスにだけわかればそれでいい。
「私がいた世界…階層では、術式が存在しないと、以前お話しましたが…そういったものが無い分、科学技術の進歩によって世界は発展して来ました。おそらくこちらよりも、より便利な道具もあります。…そういった進歩の過程で、銃器は生まれました」
より良いものを、便利なものを、人の為になるものを。しかし、新しく生まれた技術はいつの時代も武器に転用されてきた。
「銃というのは、簡単に言えば、鉄の弾丸を飛ばす殺傷能力の高い武器です。中距離から遠距離用の武器ですね。訓練を積めば、かなりの遠距離からの狙撃も可能です。剣よりもずっと扱いやすく、女性や子供でも持たせれば十分戦力になります。国によっては一般人でも所持することができますが、私の国では法律で所持することが禁じられています。…ですので、私は触ったことはありませんし、構造についても深くは知りません」
ひと呼吸置いて、言葉を続ける。
「また、特性上、大きな発砲音が鳴ります。消音器を取り付けることで音は抑えられますが、完全に無音とはいきません。また、接近戦も不向きです。銃口を自分に向けられてしまえば、自分に対して発砲してしまいますし…強力な武器ですので、奪われるだけでかなり戦況が相手有利になってしまいます」
なるべく、あまり便利じゃないように伝えてみる。ちらりとクラウスを見上げると、机に肘をついて、酷く冷めた目でこちらを見下ろしていた。
『…お前の知識は危険だな。扱い方次第で毒にも薬にもなる』
話すべきではなかったと思う。慎重に言葉を選ぶべきだった。急激な進歩は、きっと様々な弊害を起こしてしまう。
『お前は聖帝国の管理下に置く。今後一切、俺以外の前ではあちらの話はするな。国外にも許可無く出るな。もしそれを破れば、俺はお前を処分しなくてはならん。言っている意味はわかるな?』
『…はい』
彼の言葉が管理者としてのものだということは分かる。そしてそれは残酷だが、正しい判断だと、思う。
私の顔を真っ直ぐに見据えたクラウスは、静かな声で『それでいい』と呟いた。




