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59.治療

 午前は戦闘訓練、午後は感知訓練。

 ヴェルの容赦無い訓練(基本的に私に向かって剣を振り下ろすか、当たっても痛くない術式で作った球を投げて避けさせるか)の後はいつもへとへとなのだが、その分ご飯は美味しい。つい熱が入るのか、毎回訓練後はヴェルがちょっと申し訳無さそうで、食後のお茶は凝ったものを用意してくれたり、お茶菓子を取り寄せてくれたりする。因みに今日はミルクティー。いつも彼の手元を見ているのだが、お茶によって蒸らす時間とかちゃんと変えているみたい。

 ヴェルは初めて見る茶缶を棚から取り出して、淀みない手つきで小さなボウルに入れると、軽く熱湯を注いだ。ミルクティーは自分で入れたことがないのだが、ミルクにそのまま茶葉を入れるものだと思っていた。

『ミルクに入れないの?』

『後で入れる』

 そう答えたヴェルは、簡易コンロに片手鍋を置いて、ミルクと水を入れて火にかけた。ヴェルの背中にくっついて手元を覗き込む。彼はいったいどこでお茶の入れ方を学んだのだろう。

『ヴェル、器用だね』

 手先が、というよりは、できることが多いというか。ヴェルはちらりとこちらを見下ろしたが、すぐに手元に視線を戻す。

『そうでもない』

 ヴェルはミルクが沸騰する前に火を止めて、先程の茶葉を鍋の中に入れて軽くかき混ぜ、蓋をした。棚からカップを取り出して、お盆に用意する。

『…料理も、できる?』

 ふと気になって問いかけてみた。

『できない』

『えっ』

 凄く意外だ。びっくりしてヴェルの顔を見上げると、ちょっとだけ眉間に皺が寄った。

『何だ』

『…できるのかと思ってた』

『あまり食に興味が無かったからな。どうにも…調理法が分かればその通りには作れるが、味については何とも言えん』

『…ちょっと、食べて見たい』

 ニヤニヤ笑うと、憮然とした視線が降ってきた。

『お前はどうなんだ』

『私?できる!』

 こう見えても一応自炊していたのだ。別に凝った料理を作っていたわけではないが、一通りは作れるぞ!ふふん、とドヤ顔を向けると、今度はヴェルが意外そうにこちらを見た。

『自分で作っていたのか?』

『うん、ひとりだったし、料理は好きだから』

『…お前、すぐ指を切りそうだな』

『き、切らないよ!』

 そ、そりゃあ、ちょっとは怪我はするけど。切り傷とか火傷とか。でもちょっとだし。

 むう、と唸ると、ヴェルは少しだけ笑って、蒸らしていたミルクティーをカップに注いでいく。

『砂糖も出そうか』

『うん!』

 今日はお茶菓子が無いから、甘いロイヤルミルクティーにするのもいい。

 忙しいと言えば忙しいけど、それでも凄く穏やか。こういう生活がずっと続いたら幸せなのに。棚からシュガーポットを取り出してくれるヴェルの後髪を見上げながら、そう思った。



 お砂糖をたっぷり入れて、甘くしたミルクティーを口に入れる。コクがあって凄く美味しい。やっぱりヴェルはお茶を淹れるのが上手だと思う。

 ヴェルは砂糖を入れないまま、無表情でミルクティーを飲んでいた。以前、甘いものは甘過ぎなければ嫌いではないと言っていたが、彼が甘いものを食べたり飲んだりしているのは殆ど見たことがない。こちらで出された甘いもの…ケーキとかタルトとかは、結構甘めだった。甘さ控え目のお菓子は、あまりこちらには無いのかも。

『ヴェルは、好きな食べ物、あるの?』

『好きな…?』

 甘いものについては聞いたけど、他の食べ物の好き嫌いについては聞いた事がなかった。ヴェルはどこかきょとんとした顔になって、こちらに視線を向ける。

『…あまり、考えた事がない』

 確かに、ヴェルはご飯は直ぐに食べ終わってしまうし、何を食べていても特に表情は変わらない。好き嫌いは無さそうな印象である。

『じゃあ、お肉と野菜なら、どっち?』

『……』

 彼は眉間に皺を寄せて、カップに視線を落とす。それすらも、特に差は無いのだろうか。

『…どちらかと言えば、肉の方が、好きだと思う』

 歯切れの悪い言葉は、いつもの彼らしく無い。それがなんだか少し面白かった。

『逆に、嫌いなものは?』

『………特に、無い』

『じゃあ、私が料理作ったら、食べる?』

『……味が良ければ』

『むっ』

 なんだと!疑っているのか!?

『美味しいもん!』

『…どうだかな』

『作ってあげる!』

『ここでは作れんぞ』

 た、確かにここで料理を作るのは無理がありそうだが!

『…っ、全部終わったら!』

『そうか。…全部、終わったらな』

 微かに笑って、ヴェルはカップに口を付けた。

 全部終わったら、ヴェルの舌を唸らせる一品を出してやる。それから、甘さ控えめのクッキーも焼いて、紅茶も上手に淹れられるようになって、それからそれから…。…今からちょっと練習した方がいい気がして来た。

『…外が騒がしい』

『え?』

 不意に顔を上げたヴェルがそう呟いて、背後の扉に視線を向けた。自分には全く何も聞こえなくて、首を傾げる。少しして、自分にもバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。慌ててカップに残っていたミルクティーを飲み干して身構えると、大きく音を立てて扉が開かれる。

 そこに立っていたのは、どこか辛そうな顔のゲーゼさんだった。

『お嬢ちゃん、頼みがある』

 いつもよりずっと早い時間に部屋を訪れたゲーゼさんは、酷く焦ったような口調でそう言うと、駆けるようにして室内に入ってくる。いつもくるくるでボサボサ気味の白髪混じりの茶色い髪はいつも以上にボサボサだった。

 彼は室内を横切ると、私の両手を取ってぎゅっと握りしめた。只ならぬ様子に、アレクシスさんも扉の前でこちらを伺っている。

『さっき、負傷した聖騎士が運ばれてきた。魔獣の血を受けておる。今フライが血の進行を術式で遅らせておるが、長くはもたん。お前さんの血を、貰えんじゃろうか…』

『……』

 一瞬言葉の内容が頭に入ってこなくて、ぽかんとゲーゼさんの皺だらけの顔を見上げる。今、何と…魔獣の、血…?

『…っ!』

 思わずゲーゼさんの手をぎゅうっと握り込む。

『どうぞ、いくらでも、使ってください』

 ゲーゼさんは少しだけ泣きそうな顔をして、何度も謝罪とお礼の言葉を口にした。


◇ ◇ ◇


 フード付きのマントを着込んで、目深に被って顔を隠す。ヴェルに貸してもらった黒色のそれは、そのままだとずるずると裾を引きずってしまう。

『急ぐのだろう。抱えて走ろうか』

『そうしてくれると有難い、いつまで持ち堪えられるかわからん!』

『承知した』

『では私が後ろに付きます。両手が塞がっていては警護どころでは無いでしょう』

『ああ、頼む』

 頭上で勝手に会話が飛び交い、ヴェルにひょいっと抱え上げられる。

『首に腕を回せ』

 か、顔が近い。緊張を押し殺してぎゅっと目を瞑り、首に抱き付く。急ぐんだ、しょうがない。

 ヴェルはそれを確認すると、ゲーゼさんの後ろに付いて駆け出す。

『第13区画の医務室に隔離しておる、わしは足が遅い、先に転移陣で向かう』

『ああ』

『あっ、あの、ニルさんを!』

 連れて来てくれ、と言う前に、『わかっておる!』と声を上げて、ゲーゼさんは横道に逸れていった。

『喋るな、舌を噛むぞ』

 ヴェルは走る速度を上げて、廊下を駆け抜ける。ピリッとした空気がヴェルから感じられて、驚いて見上げる。今のは多分、探知術式だ。

『人のいない道を選ぶ。アレクシス、補佐に回れ』

『はい』

 アレクシスさんの方からも術式が展開される空気を感じる。ヴェルはそのまま真っ直ぐ走ったかと思うと、石造りの廊下の壁の、ガラスの嵌っていない窓枠に足を掛けた。

『目を閉じていろ、高いところは苦手だろう』

『えっ』

 目を見開いてヴェルの顔を見上げるが、彼は窓の外を真っ直ぐ見据えている。その後ろから、アレクシスさんが声を上げた。

『西側8階通路が無人です』

『ああ、わかった』

 ヴェルは頷くと、一片の躊躇いもなく、平然と、窓の外に身を投げた。

『っ、っ!』

 悲鳴を飲み込んで、ぎゅうっとしがみつく。目を閉じろと言われたが、逆に余裕がなくて目は開けっぱなしだ。急激な視界の変化で目が回りそうになる。何故、何故アレクシスさんも平然としているのか!聖騎士ってそういう人達なのか!?ヴェルは軽やかに斜め向かいの2、3階下の窓枠に着地して、再び駆け出す。

 半ば意識を飛ばしそうになりながら、今度は目を閉じて首に顔を擦り付ける。信用していないわけではないが、怖いものは怖い。それから多分似たような無茶な移動を何度かして、ヴェルは立ち止まった。微かな血の匂いに、背筋に悪寒が走る。

『スグル、降ろすぞ』

 声を掛けられて、ゆっくりと地面に降ろされた。少しだけふらつく身体を、ヴェルの手が支える。自分は走っていないのに、ちょっと息が上がっていた。恐怖で。

 木製の扉が並んでいる廊下は、完全に無人だった。扉の一つから、強い術式の気配を感じる。これは、訓練では感知したことのないもの、だと思う。ヴェルはその扉に手を掛けて、迷わず開け放った。

 血の匂いが、酷く濃くなる。床には大量の血の染み込んだ布切れが転がっていて、服にべっとり血をつけた男の人が、ベッドの周囲を慌ただしく動き回っていた。ベッドにはフライさんが付いていて、その後ろからゲーゼさんが何かの術式をかけている。ニルさんはベッドの反対側について、厳しい顔をしてそれを見下ろしていた。

 ふとベッドに横たえられた人影に視線を向けて、思わず生唾を飲み込む。

 その人の肩口から腰の辺りまで、大きな傷が斜めに横たわっていた。生きているのが不思議なくらい、どくどくと血が溢れて、唇の端から泡立った血が流れている。傷口の周りには、かつて見たことのある…黒い液体が侵食するような跡。魔獣の血に侵されている。

 固まっていると、ゲーゼさんがこちらに来て、私の手を軽く引っ張った。血のついた手に、一瞬たじろぐ。

『お嬢ちゃん、頼めるか…?』

『…はい』

 こくりと頷くと、そのままベッドの脇に連れていかれた。ベッドの側に膝をついて、顔をそっと覗き込む。ベッドに横になっているのは、燃えるような赤い髪の、若い男の人だった。どこか少し幼さの残る顔立ち。歳下、かもしれない。

 こんなに若くて、戦いに出たんだろうか。真っ赤に染まった騎士服は、元の色が何色か分からないほど。フライさんは何かの術式を、彼の傷に向けて展開している。ゲーゼさんはいつもとは違う、つまみのついた太いチューブが接続された針を取り出して、私の顔を見た。それにこくりと頷いて、腕を前に差し出す。

『血を流す速度がいつもより速くなる。しんどくなったら言うんじゃぞ』

『はい』

 深呼吸して、心を落ち着ける。はやくしないと、間に合わないと言うことだ。

『ニルさん、止める時、合図して』

――わかった。

 確か、流しすぎてもよくなかった筈だ。以前血を注いだ時の会話を思い出しながら、ニルさんと頷き合う。それから、もうひとつ。

『ゲーゼさん、あの、この人の口…塞いで、ください』

『…?』

『多分、凄く、痛いので…』

 かつてヴェルに血を注いだ時、悲鳴を上げていた。あのヴェルが、だ。多分ひどい激痛なんだと思う。

 ゲーゼさんが動く前に、周りを動き回っていた男の人が、横たわる青年の口に布の塊を突っ込んだ。神経質そうな顔がゲーゼさんの方を向く。

『いい、やってくれ』

 その言葉にゲーゼさんが頷いて、私の腕に針を刺す。管の中を進んで、私の赤い血が、傷口へと降りていく。

『っ――!!!』

 くぐもった叫びとともに、青年の身体が大きく跳ねる。男の人がその身体を抑え込んだ。ごめん、ごめんなさい、でも、この方法しかないのだ。唇を噛み締めて、いいと言われるまでじっと待つ。木の根が張るように黒く侵食していた液体が色を失っていくのが、視界の端で見えた。

――もういい!

 ニルさんの掛け声で、管を身体から引き抜く。糸が切れたようにぐったりと倒れ込んだ身体に、ニルさんのものと思われる血液がかけられて、口を塞いでいた男の人の手によって上から治癒術式が展開された。

『…っ、は』

 腕から針を引き抜いて、肩の力を抜く。もう、大丈夫、だろうか。ちらりとニルさんに目配せすると、小さな頷きが返ってきてほっとした。

 目の前の青年の顔を覗き込むと、少し呼吸は荒かったが、容体は落ち着いてきているようだった。強力なニルさんの血によって、みるみるうちに傷が塞がっていく。内側から外側へ、内臓から皮膚へ。ちょっと不気味な光景だ。だがきっと、私もこうやって修復されたのだろう。

 少し頭がぼうっとするから、もしかしたら貧血気味になっているのかもしれない。その場にへたり込んでじっと動かずにいると、ヴェルの手が伸びて、腕の傷を塞いだ。後ろから身体を支えられたので、有り難くその腕に体重をかける。

 徐々に呼吸が安定していく姿を見下ろして、ふう、と大きく息を吐き出す。良かった、本当に良かった。目の前で死なれたらきっと、立ち直れなかった。

『スグルさん』

『お嬢ちゃん』

 フライさんとゲーゼさんがこちらに跪いて、深く深く頭を下げる。

『ありがとう、初めて、魔獣の血に侵された聖騎士を救うことができた』

『ありがとう…』

 ぼろぼろと涙が床に落ちた。驚いて、フライさんの手を握る。

『顔を、あげてください』

 もっと早くにここに来ていたら、死なずに済んだ人もいたかもしれない。きっと今まで、彼らは必死に救おうとして来たのだろう。助けられなかった人を沢山見てきているのだろう。

『もっと、早くに、いられなくて、ごめんなさい』

 フライさんとゲーゼさんが、はっとした顔でこちらを見上げた。

『助かって、よかった』

 笑って言うと、フライさんは私の手をぎゅうっと握りしめて、くしゃっと笑った。 

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