58.戦闘訓練
1週間ほど、そのまま穏やかに日が過ぎていった。こちらに来て、もう3ヶ月以上になる。だんだん数えるのが面倒になって来た。
実験や訓練の時間はほぼ丸1日。ひたすら自分の神経を研ぎ澄ませて、何処に術式がかかっているか、その種類が何かを探る。基本的にはフライさんとゲーゼさんが用意した、小さな箱にかけられた術式が何かを言い当てる訓練だった。
初めはなかなか探れなかったが、今では少しずつ分かるようにはなって来た。探査、探知術式から、転移、強化、精神干渉、隠蔽、防音、術式妨害…その数は多岐にわたる。まるで匂いを嗅ぎ分けるような、繊細な感覚が要求される作業に、毎日へとへとになった。単純な起動術式というのもあって、これはよく罠をかけるときに使われるらしい。以前地下でフェルステルさんが使ったのはこれで、地下の小部屋のドアノブ全てに探査の起動術式をかけていたらしい。聞いたところによると、彼は転移や探査のエキスパートで、戦闘にもそれを取り入れているのだとか。そういえば、魔獣との戦闘でも小さな転移を繰り返していた。ヴェルはやらないのか、と尋ねてみたのだが、『向いていないからやらない』と言っていた。血の特性で、術式の向き不向きがあるようだ。
訓練中は意味を正しく理解しなくてはならないから、横にニルさんについてもらっている。リュゼやエルにはずっと会っていなくて少し寂しい。
訓練の合間にたまにクラウスが部屋に入ってきて(毎回ノックしない)、そういう時は訓練を中止してディルネを弾く。部屋にひとつだけのソファは、今では完全に彼専用の観客席みたいになっていた。フライさんとゲーゼさんもにこにこして聞いていくので、良い気分転換にはなったけど。
そんな感じで、訓練と演奏で日々忙殺されて、夜は泥のように眠った。…幸いというかなんというか、そのおかげで、隣で寝ている(と思われる)ヴェルに緊張することもなく、ぐっすりである。結果あまり彼と話す時間もなくて、『覚悟』が何なのかは聞けずじまいだった。
◇ ◇ ◇
『よう』
いつものように軽く声を掛けて堂々と部屋に入ったクラウスは、ソファにどっかりと座って大きく息を吐いた。お疲れのようだ。
『今日は何をしている』
長い髪をかきあげながら尋ねたクラウスに、フライさんが丁寧に答える。
『本日は、隠蔽術式と個体判別術式の気配の感知訓練ですじゃ』
『なるほど。より実践に近付いてきたか。…調子はどうだ?』
最後の問いかけは私に向けてのものだった。『まあまあです』と答えると、クラウスはふっと笑って椅子の背もたれに腕をかける。
『近々、少し動いてもらうことになる。心の準備だけしておけ』
『…?はい』
よく分からないまま頷くと、クラウスはニヤリと笑みを深めた。それを見てヴェルが少しだけ眉を顰める。ふとクラウスは笑みをおさめて、考え込むように口元に手を当てた。
『…戦闘訓練もしておいた方がいいな』
『何を言うておる!お嬢ちゃんにそんなことはさせられんじゃろうが!』
ゲーゼさんが私の手を取って抗議した。最近どうも、孫を相手にしているような可愛がり方をしてくるので、ちょっと複雑だ。誰も年齢を言ってないんだろうか。…いや、実年齢でも孫の歳くらいだと言われればそれまでなのだが。
『儂らがスグルさんの為に、最高の防護服を開発する。騎士服よりずっと頑丈なものをじゃ!だから不要じゃ』
『そうじゃ!そもそもこんな幼気な娘を戦場で使うなど儂らは反対じゃ!』
『そうじゃそうじゃ!』
『…スグルの了承は得ている。開発するなとは言わんが』
『はい、私、やります』
『なんと!』
『むうっ、ならば更に改良を加えて、どんな術式も通じない最強の装備を作るのじゃ!のう、ゲーゼ!』
『うむ!フライ!お嬢ちゃんの為じゃ!』
盛り上がり出した研究員の2人を呆れた顔で見上げていたクラウスが、なんとも言えない顔をこちらに向けた。
『お前、何かしたのか』
『…いいえ』
『…まあいい、ただ戦闘訓練はしておけ』
『戦闘、訓練…』
『……陛下』
ずっと黙っていたヴェルが口を開いた。
『彼女に剣を持たせるべきでは無いと思いますが』
その言葉に、クラウスは不機嫌そうに目を細めた。
『剣を振り回せと言っているのではない、周囲に意識を向けて、不測の事態に対処できるようになれと言っている』
『…それでは、私にやらせてください』
『お前が、訓練をつけるのか?』
『はい。よろしいですか』
『…適任といえば適任だが。お前の剣に反応できれば、大抵のことは迅速に対処できるだろうな。…いいだろう、任せる。手心は加えるなよ』
『ありがとうございます』
…ヴェルが、私に、戦闘訓練を?きょとんとして赤銅色の髪を見上げると、鋭い視線が返ってきた。せ、先生モードだろうか。長いことご無沙汰だったが、勉強を教えていた時と空気が似ている。逃げ出したい。
『さて、俺も暇ではない。さっさと弾け、今日は明るい曲がいい』
凄く偉そうに言い放つと、クラウスは踏ん反り返った。いや、偉そうなんじゃなくて、偉いのだが。
…ヴェルの戦闘訓練は、非常に恐ろしいものだった。
『私が斬りかかる。最初は避けなくていい、当てる気もない。気配と感覚だけ掴め』
ニルさんに通訳してもらって、血の気が引いた。
我々は部屋の真ん中で、向かい合って立っている。離れたところで、フライさんとゲーゼさんが、ヴェルに『お嬢ちゃんをいじめるな!』と野次を飛ばしていたのだが、ヴェルの鋭い一瞥で押し黙ってしまった。ああっ、私の味方が!
『恐怖で反射的に動きそうになる、というのであれば、椅子に縛り付けるが。下手に動くと怪我をしかねない。どうする』
『…このままで、お願いします…』
『そうか』
いつもの静かな声でそう言うと、すらりと長剣を腰から抜く。こ、怖い。しかしこれは必要な訓練だ。足が震えるのを必死で堪えて、ぎゅっと胸の前で手を握る。
ヴェルは無表情でこちらを見下ろしていたかと思うと、小さく笑った。
『へ』
一瞬気が抜けてきょとんとする。次の瞬間には右頬に風圧を感じて、驚いて視線を向けると、首筋に刃が突きつけられていた。
『見えたか?』
『……なにも』
離れたところから打ち合っているのを見る分にはまだ分かるのだが…その対象が自分となると、これ程までに分からなくなるのか。呆然としていると、ヴェルは一度剣を鞘に戻した。
『見えなくてもいい。反射的に避けるのが理想だ。まずは気を抜くな』
そ、それは卑怯だ、だってさっき笑ったじゃないか。むっとして見上げると、相手は片方の眉を軽く上げて、鼻で笑った。なんなんだ、腹立たしい!
でも、なんていうか、少し安心した。最近また、どう接したらいいのかわからなくて困っていたから。前みたいに過ごせてちょっと嬉しい。
しかしヴェルは容赦無く二撃目を繰り出す。逆側の頬に風圧を感じて、思わず身体が一歩後ろに下がった。
『動くなと言っただろう。だがまあ…動きの向きはそれでいい。あとは術式か。…そもそも、攻撃術式はお前に通用するのか…』
その呟きに、フライさんが答える。
『理論的にしか言えんが、皮膚は切れるじゃろうな。血液に触れた時点で霧散すると考えておる。試すわけにもいかん、実際にどうなるのかは未知数じゃな』
『…となると、衝撃系や特殊変化術式は通用する可能性が高いのか』
『おそらくはそうじゃな…。防護服でなるべく対処したいところじゃが』
ふうむ、と呟いてヴェルは顎に手を当てる。
『そちらについては、こちらでも打つ手を考える。防護服は頭まで隠れるようにしてやれ』
『ああ、勿論じゃ』
『…スグル、続きだ。物理攻撃にまずは備える。同様に攻撃する、目と身体を慣らす』
『う、うん』
今日はそれから夕食までの間、びゅんびゅん飛んでくるヴェルの剣に戦々恐々としながら、みっちり目を慣らされた。…やはり彼はこういう事となると、容赦が無い。
◇
『ふへえ…』
食事と入浴を終えて、疲れ切って椅子でため息をついていると、目の前にことりとお茶が置かれた。
『…悪い、少々やりすぎたか』
ちょっと気まずそうに、ヴェルは向かいの席に腰掛ける。3時間くらいずっと剣を振り回していた筈なのだが、その顔に疲労の色は全く見えない。
『…やりすぎ、だけど、それでいいよ』
多分あまり時間はない。詰め込んでやるしかないことは理解できる。
お茶は、今日はハーブティーみたいな薄い色だ。飲み口はすっきりとしていて、味はどことなく麦茶に似ている。
『おいしい。こっちで、初めて飲む味』
立ちっぱなしで疲れた足をぷらぷら揺らしながら、ヴェルに笑いかける。彼は小さく笑って、カップをソーサーに戻した。
『聖帝国の東の方で飲まれる茶だ』
『へえ…私の国にあった、お茶の味に似てる』
『そうか…』
ヴェルはどこか茫洋とした眼差しをカップに落とす。後ろに流されていた前髪が一房落ちて、紺色の瞳にかかった。
『帰りたいか』
静かな声に顔を上げるが、ヴェルは視線を固定させたまま動かなかった。返答に窮して俯くと、手のひらに走る傷跡が目に入る。
『…わからない』
それは正直な答えだった。あちらには、家族は居ないけど、友達は沢山いて。穏やかで、平凡で、そういう生活がそれなりに幸せだった。私がいきなりいなくなってしまったから、友達も心配していると思う。会社の後輩はきっと大変な思いをしているだろうなあ。失踪事件だって騒がれているかもしれない。
こちらでは私は異質だ。術式が平然と使われるこの世界では酷く生きづらい。今は生かされているけど、存在が不要と判断されれば、管理者である聖帝に…クラウスに処分されてもおかしくは無い。その血の特性だけで、この世界に害をなす可能性のある生き物なのだから。
それでも、出来ることなら、みんなと一緒に居たい。ヴェルと一緒に居たい。
『帰りたい、けど、みんなと居たい…』
ぎゅっと手を握ると、傷が僅かにひきつる。
これ程までに、大切だと思ったひとは居ない。どうしたらいいか、わからない。
きっと帰っても、残っても、後悔する。
『そう、か…』
ヴェルは小さく呟いて、静かに息を吐き出した。視線は落とされたまま、手袋をした長い指がカップを持ち上げる。
『お前が望むなら、一緒に行ってもいい』
『…え?』
『もし帰るなら、な』
『……』
きょとんと相手の顔を見上げると、ヴェルはいつもの無表情でお茶を飲んでいる。今、とても信じ難い言葉が、彼の口から出なかったか。
『っ、ふ』
なんだか笑えてきて、思わず声が漏れてしまった。くすくす笑うと、ヴェルは憮然とした顔でこちらを見下ろした。
『何だ』
『ごめん、ちがうの』
笑いをこらえるように、お茶を一口飲む。なんか、必死に悩んでいたのが馬鹿らしくなってきた。不機嫌そうなヴェルの顔を見上げて、ふっと笑う。
『ヴェル、多分、私の国じゃ、生きるの難しいよ』
『そんな悲惨な戦場か』
『戦場?まあ、ある意味そう。「コンクリートジャングル」で、「スーツ」着て戦うの。「パソコン」が武器』
『…??』
ヴェルの眉間の皺が増えた。彼の中で今の言葉がどのように想像されているのかと考えると面白い。
笑みを収めて、真っ直ぐ見上げる。ヴェルの言葉で、選択する決心がついた。
『ありがとう』
囁くように漏れた声に、ヴェルは眉間に皺を寄せたまま、小さく頷いた。




