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55.ベッドの中で

 一度部屋に戻って脱ぎ捨てた衣類を回収しようと思ったのだが、既に運ばれたあとだった。結果的に手ぶらで、新しい部屋へと移動する。

 辺りはもう暗くなっていて、窓の外から綺麗な星空が見えた。こちらは空気が汚染されていないから、星がよく見える。廊下に並んだ窓から差し込む月と星の光が美しかった。前を歩くアレクシスさんの青い髪が、より青さを増して見える。背後にはルーカスさんという、ヴェルとリュゼについていた人が警護でついてくれていた。

 部屋はもう少し上の階になって、もう少し広い部屋になった。こんなに広いとちょっと戸惑う。扉は3つで、浴室とトイレと…もう一つはなんだろう。ベッドはやっぱりどでかいし、内装は豪華だし、なんだかほんとに、王様にでもなった気分だ。この部屋は全体的に臙脂色のものが多く置かれていて、高級感が増して見えて畏れ多い。金の装飾が施されたベッドの柱をちらっと見上げて、ううむと唸る。

『…?』

 室内に足を踏み入れると、妙な気配を感じた。きょろきょろ見渡すと、後ろに立っていたアレクシスさんが口を開く。

『…本当に、気配でわかるんですね。室内には音を遮断する結界と、転移妨害の複合特殊結界を張っています。…不快感はありますか?』

『いえ、大丈夫です』

 殆ど意味は分からなかったので、最後の言葉にだけ返事しておく。何かの結界が張られている、らしい。

 かつかつと靴音が聞こえてくる。部屋から顔を出して廊下を見ると、遠くからヴェルが歩いて来たところだった。夜の光の下だと、より気配が鋭く感じる。アレクシスさんの隣に立ったヴェルは、静かな眼差しをこちらに向けた。

『基本的には室内をヴェル、廊下を私で見張ります。中の見張りは気心の知れた相手の方が良いでしょうから。なるべく、彼の側から離れないようにしてください。それから…何かご入り用のものがございましたら、ヴェルに申し付けください』

『はい』

 こくりと頷くと、アレクシスさんも頷きを返して、部屋の外へと退出する。入れ替わりで室内に入ったヴェルは、黙って扉の横に立った。

『……』

『……』

 無言だ。壁にもたれて腕を組んだまま、身動き一つせず、目を閉じて、ただ無言で立っている。

『…あの』

『……』

 声を掛けても返事はない。

『…怒ってる…?』

『………そうだな』

 長い沈黙の後に、一言だけ返事が返って来た。

『ご、ごめんなさい』

『何に対する謝罪だ』

『地下で、術式の気配に、気付かなかった…』

『それは怒っていない。他だ』

『勝手に、動いた』

『ああ。他には』

『無茶した…』

『他に』

『…心配、かけました…』

『そうだな』

『……』

 申し訳無くて俯く。あの時ヴェルは私に『何があっても動くな』と言っていたのに、勝手に怪しいところ触って、地下に落下し、挙げ句の果てに(これは私のせいじゃないけど)魔獣まで召喚してしまった。

『結果論で言えば、これで良かったのかもしれないが。…お前、私に心配をかけるのが趣味なのか?』

『ち、違います…』

『それならもう危ない真似はするな。…いや、するなとは言わんが、やる前に一言言え』

『はい…』

『…もういい』

 はあ、と溜息をついて、ヴェルは壁から背中を離した。私の目の前に立つと、左手を取って傷を塞ぐ。…地下で、クラウスに切ってもらった傷だ。気付いていたのか。

『クローゼットに服が入っている、寝間着に着替えて寝ろ』

『いっぱい寝たから、眠くない』

『そう言えばお前、フェルステルの腕の中で熟睡していたな』

『う…』

『いいから着替えろ』

 促されて、クローゼットを開く。今度は長袖のシャツばかりだ。肌が隠れるようにしてくれたんだろう。

 クローゼットの左の方に、白いキャミソールワンピースみたいなのを見つけた。他のと比べてかなりシンプルなので、寝間着かも知れない。

 ちらりとヴェルの方を見ると背を向けて立っていたが、一応クローゼットの陰に隠れて、服を着替える。柔らかくてすべすべした生地は着心地がいい。肌寒くて、その横にかかっていたシャツを羽織る。

『いいよ』

 声を掛けると、ヴェルは振り向いて、ベッドに向かって私の背中を押した。

『もう遅い、ベッドに入れ』

『…何時?』

『もう日付が変わる時間だ』

 えっ、さっきまで明るくなかったか?きょとんとして見上げると、ヴェルは『ああ…』と何かに気がついたようにこちらに向き直った。

『言っていなかったな。聖都は北にあるから今の季節は日が長い。…お前、寒くないか』

『少し…』

 がくっと気温が下がった気がしたのは気のせいではなかったのか。ヴェルは何も言わずに私を抱き上げると、ベッドへとゆっくり下ろした。するりと靴が脱がされて、上から布団がかけられる。丁寧な仕草が照れ臭くて、顔を隠すように布団を引き上げた。

『…ヴェルは、寝ないの?』

 ベッドの横に椅子を置いて、そこに腰掛けたヴェルに問いかける。ヴェルはこちらには視線を向けずに、足を組みながら答えた。

『寝る。お前が寝たらな』

『……』

 それなら、私が寝ないとヴェルも寝れない。それは申し訳ないので早く眠らなければ。目を閉じて、しかしふと気になってヴェルの背中を見上げる。

『ヴェルはどこで寝るの…?』

『このまま眠る。気にするな』

『身体、痛くなるよ』

『痛くはならない』

『なるよ』

『ならん』

 くそ、頑固だな。じっと睨むが、振り向いた顔は無表情だ。どこからどう見ても通常運転だが、ヴェルは全然寝ていないはず。あの街では魔獣と戦闘した後すぐ天馬で長時間移動して、こっちに着いたらクラウスと食事だったし。

 もぞもぞとベッドから起き上がって、ぽんぽんと布団を叩いて見せる。場所を開けてやるからここで寝ろ、の合図だ。幸いベッドは凄く大きい。端っこと端っこで寝るなら、私も多分緊張しない。

『…何だ』

『ここ、寝ていいよ』

『寝ない』

『なんで?』

『…女だろう、障りがあるだろうが』

『さわり?』

『…本当にもどかしいな』

『むう…』

 もどかしいのはこちらも同じだ。むっと睨むが、相手は頑として首を縦に振らない。

『がんこ!』

『お前に言われたくはない』

『ぐ』

『いいから寝ろ、私も休めないだろう』

『じゃあ寝て、ここ!』

『寝ない』

 …ここまで断られると、なんだか虚しくなってくる。

『…いや?』

 ちょっとしょんぼりして問いかけると、ヴェルは眉間に皺を寄せて目を逸らした。

『嫌ではないが』

『じゃあ、いい?』

『……』

『いい?』

『………わかった』

 はあ、と息を吐き出してヴェルは靴を脱いでベッドに腰を下ろす。よし、勝った。それを確認して、自分の方はベッドの反対側へ向かうべくもぞもぞ移動する。

『待て』

『わっ』

 唐突に手首を掴まれて、後ろにバランスを崩した。倒れこんだ身体を大きな手が支える。驚く程近い距離にある整った顔に身体がぴしりと硬直した。

『私に横になれと言うなら近くにいろ。警護しづらい』

『えっ』

『嫌なら私は椅子で眠る』

『うっ』

 そう言われると弱い。諦めてその場に横になると、その隣にヴェルが横たわった。

『……』

『……』

 仰向けで目を閉じる横顔が近くて、もともと眠くなかったのにどんどん目が冴えていく。し、失敗だった、これは想定外の事態だ。

 ぎゅうっと目を瞑って羊を数える。羊が1匹、羊が2匹、羊が3匹…ぴょんぴょん跳ねながら白い羊が柵を越えていく。

『…眠れないのか』

 羊を67匹数えたところで、隣から声が掛けられた。

『……』

『起きているだろう』

『…うん』

 狸寝入りを決め込もうかと思ったのだが、あっさりと見破られてしまった。目を開けてヴェルの方に顔を向けると、彼は目を閉じて全く動いていない。

『寝ろ』

『そう言われても…眠くない』

『どうしたら眠くなる』

『…羊を数える、とか』

『…は?』

 真っ直ぐ天井を向いていた顔が、『羊』という言葉に目を開けて、きょとんとした表情でこちらを向く。

『何故羊を数えるんだ』

『わかんない、私の国…あれ、外国…?かな、では、羊を数えると、眠くなるって…。白くて、ふわふわだからかな』

『…っふ』

 微かに声を上げて、ヴェルが笑う。なんだか久し振りに笑った顔を見た気がして、少し安心した。聖都に着いてから、普段以上に無表情だったから。

『さっきから、数えてるんだけど、眠くならなくて』

『数えていたのか』

『67匹』

『…随分数えていたんだな』

 へらっと笑ってみせると、ヴェルは小さく笑った。穏やかな表情に、心臓がどくりと大きく跳ねて、頬に熱が集まっていく。それを誤魔化すように、話を続ける。

『こちらでは、眠れない時は、何をするの?』

『そうだな…手を、握る』

 するりと伸びた右手が、布団の下の私の左手を握った。ヴェルはこちらに身体を向けて、手を握る指に少しだけ力を込める。びっくりして顔を見上げると、ヴェルは困ったような顔をしていた。

『よく、親が眠れない子供の手を握る、らしい。安心して、よく眠れるんだそうだ。私は経験が無いのでよくは分からんが』

『……』

『…安心感は、あるか』

『…あん、まり』

 大きくて、あたたかい。だがどちらかといえば緊張感の方が強い。そう言いつつ、何となく手を繋いだままでいる。ヴェルはふっと笑うと、軽く手を引いた。

『わぷ』

 硬い胸板に鼻が当たった。黒い騎士服は肌触りが良い。いや、そうじゃなくて。

『これなら?』

『!?』

 違う、接している面積が少ないから安心感が少ないという意味では無い!

 いや、そりゃ、初めて抱きしめられた訳じゃ無いけど、そういう感じじゃなかったし(どういう感じかと聞かれると困るのだが!)、べべべベッドの中はよろしく無いだろう!著しい風紀の乱れを感じる!えっ、もしかしてこの男、他の女性にもさらっとこういうことをするのか!?そうだとしたら許しませんけど!!

 固まっていると、険しい顔で顔を覗き込まれて、更に緊張で死にそうになる。

『どうした、顔が赤い。気温差で風邪でも引いたか?』

『…っ!』

 に、鈍い!鈍すぎる!怒りが恥ずかしさを凌駕して、逆に冷静になってきた。

『大丈夫!寝る!』

 半ばキレながら宣言して、相手の胸板に頭突きする。どうせダメージなんて無いんでしょうけど!

『そうか』

 何事もなかったかように返事が返ってきて、優しい力で抱き寄せられる。あたたかくて、心地いい。あんなにムカついていたのに、落ち着いてきてしまった。ゆっくりとした心音に耳を傾ける。

 さっき彼は、手を握ってくれた時…経験が無い、と言っていた。お父さんやお母さんに、手を握られながら、眠ったことは無いんだろうか。彼の家族は、どんな人だったんだろう。ちらりと顔を上げると、静かな眼差しがこちらを見下ろしていた。

『おやすみ』

 穏やかな声に、なんだか少しだけ、泣きそうになった。

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