54.お食事会
『スグルさん、スグルさん』
肩を揺すられて、ゆっくりと意識が浮上する。何か、嫌な夢を見ていたような気がするのだが…記憶は朧げで、思い出そうと手を伸ばすと、煙みたいに霧散して消えていく。
ゆっくりと身体を起こすと、青い髪が視界に入る。落ち着いた深い緑の目が、ゆっくりと瞬きした。白ではなく、黒の騎士服に戸惑う。
『お休みのところすみません、陛下からお声がかかりましたので、移動をして頂きたいのですが』
『…?』
寝ぼけた頭で思考を巡らせて、自分がどこにいるのか、何があったか思い出す。慌てて頷いてベッドから床へと降りると、ふかふかのベッドがぽふんと揺れた。スカートを確認するが、皺は全くついていなかった。形状記憶合金みたいだ。すごい便利だな、術式。
『失礼ですが、そちらは――』
アレクシスさんの声に振り向いて、彼が私の腕を見ていることに気がつく。びっしりと傷跡の這う腕を。
『あっ』
いつも長袖だったから、完全に意識の外にあった。慌ててベッドに転がっていたストールを拾って、肩に巻きつける。
『…上着を、お貸ししましょうか』
静かな声にびっくりして顔を見上げると、険しい顔をしたアレクシスさんと目が合う。
『いいんですか…?』
『まだ時間はありますから。侍女に持って来させますので、少々お待ちを』
そう言って、アレクシスは部屋から退出する。…先に相談しておけばよかった、お手数をおかけしてしまって申し訳ない。
今は何時頃か分からないが、窓の外はまだ明るい。あまり長い時間は寝ていなかったということだろうか。
大きなドレッサーの前に座って、ぼんやりと傷跡を眺める。めんどくさいな、全部消せたらいいのに。この傷が全部なくなるまで、一体何年かかるんだろう。というか、消えるんだろうか。
ノックと扉の開く音とともに、腕に何枚か上着を抱えたアレクシスさんが室内に入ってきた。
『いくつか用意させましたので、こちらからお選びください』
ベッドに広げられた上着の中から、黒い上着を拝借する。着てみると少し袖が余ったが、まあ見られないほどでは無いだろう。
『ありがとう、ございます』
『いいえ。配慮が足りず、申し訳ありません』
『いえ、あの、伝えていなかったので…』
首を振ってペコペコ頭を下げる。日本人の性というかなんというか。
『それでは、行きましょうか。食事の席になりますが、まあ…ご存知かと思いますが、陛下は気さくな方ですので。あまり畏まらず』
うわあ、聖帝陛下と食事とは…これ以上無礼を働かないようにせねば。緊張気味に頷くと、アレクシスさんは少しだけ笑った。
廊下をずんずん進んで、階段を上へ上へと上がっていく。
『広いので、通常は転移陣を使うのですが…苦労をかけてしまいすみません』
『いえ』
そりゃあこれだけ広ければ、転移陣を使わないとやってられないだろう。なるほど、と頷いて周囲に視線を巡らせる。たくさん階段を上ったので、多分今はかなり高いところにいるのだろう。
『そういえば、服が黒いのは…』
『ああ、近衛は黒いんです。昨日はそれを隠して出向いておりましたので。基本的には白です』
『へえ…そうだったんですか』
今いる廊下には殆ど扉がなくて、縦長の青い旗が壁に並んでいる。外からの光が差し込んで、妙に神秘的だ。
『こちらです』
両開きの大きな扉の前で立ち止まると、アレクシスさんはノックを4回した。かちゃりと、メイドさんらしき綺麗な女性が扉を開ける。青い髪が印象的な――アレクシスさんによく似た色。
『どうぞ』
中は広い空間になっていて、奥の壁には大きな旗がかけられていた。細長い大きな机と、並べられた椅子がまず目に入る。それから、一番奥の大きくて豪華な椅子にふんぞり返って肘をついている男。髪を結んでいないから、長い髪が腕にまとわりついている。妙な威厳があって、居心地が悪い。
『遅かったな』
『色々ありまして』
さらっと言って、アレクシスさんは私を中へと軽く押しやる。そのままクラウスの隣まで歩かされて、アレクシスさんはクラウスの斜め前の席の椅子を引いた。
『腰掛けてください』
促されて、ゆっくり腰掛ける。畏怖でクラウスにばかり意識が向いてしまっていたのだが…、正面に座っているヴェルに気がついて、一瞬固まる。彼は髪の色を元に戻してオールバックにして、黒い騎士服に身を包んでいた。
『……』
かっこいい。よく似合っている。頬に熱が集まりそうになるのを、脳内で素数を数え続けることで落ち着かせる。数字が大きくなるにつれて考えないと数字が出てこないので、妙に頭が冷静になってくるのだ。
あれ、そう言えばリュゼがいない。席に座っているのは、クラウスとヴェルと私だけだ。まだ、体調が回復していないんだろうか。
そのまま何となくヴェルから視線を外して無心で素数を数えていると、クラウスの合図で料理が運ばれてきた。
料理はフルコースのように、一品ずつテーブルに置かれていく。緊張で味はよく分からない。何か失礼な所作でもしようものなら殺されるんじゃないかとヒヤヒヤする。前菜、スープ、メインの料理。彩り美しく、見ていても楽しい…いつもなら。美しい所作で食事を進めるヴェルを参考にしながら、慎重にナイフでお肉を切り分けて口に入れる。袖が長いのが少し邪魔をして、ぎこちない動作になってしまう。
なんとか料理を平らげて、食後に運ばれたデザートにフォークを刺す。ミルクレープみたいな、生地が何層も重ねられたケーキは、甘さ控え目で美味しい。やっと緊張が解れてきたが、解れたら解れたで正面のヴェルに目が行って、なんとも言えない気持ちになる。
『さて――』
食事を終え、お茶が運ばれてから、クラウスが軽く手を叩く。すると部屋にいた全ての人間が退出して、代わりにニルさんが入ってきた。ぶわりと空間を圧迫する、何かの気配。あの街で、防音結界を張られた時と似ている。
『話の続きをしようか』
ニタリと笑うクラウスに、ニルさんが目を細めた。
『現在調査員を派遣して、目下あの空間については調査中だ。…今まで何故見つけられなかったのか、甚だ疑問だ。だが、昨日初めてあの場に足を踏み入れたが…俺も何も感じなかった』
『…リュザフィールの目をもってしても、空間自体把握できなかったようです。スグルが術式を破壊するまで、私の探知にも反応はありませんでした』
『空間丸ごと、術式で隠していたとしか思えんな』
『ええ、かなり大掛かりな術式ですが』
『…スグル』
唐突に声を掛けられて、肩が跳ねる。お茶を取り落としそうになって、慌ててテーブルに戻した。
『お前、何故気付いた?』
『…強い術式の気配は、わかるから』
『それは、ただ気配を感じるという意味か?』
『…はい』
『どう感じる』
『気持ち悪い、感じ』
『ほう…この防音術式は、感知しているか?』
『はい』
『ふうむ、使えそうだな』
ニヤリと笑ってテーブルに肘をつく。
『…へーか』
クラウスに声を掛けると、彼は片方の眉を軽く上げる。
『その呼び方はしなくていい。お前は俺の国の者ではないだろうが』
『…じゃあ、クラウス。ここから先は、ニルさんに、通訳してもらってもいい、ですか?』
『構わん』
「…あの空間と、似たものを見たことがあります。3週間くらい前、です」
『…何?』
ワンテンポ遅れて、クラウスが目を見開く。
「私はそこで、カスケードと名乗る男に拘束され、地下空間で魔獣が召喚される所を見ています。陣の上に大量の…人間の血肉を、撒いていました。昨日確認した陣にも、血痕と、骨のような破片がありましたので、同じ事をしたのではないかと。その行為には何かしらの理由があるのではないかと思います」
――その件については私も把握しているが、関連性については正直わからん。本来召喚することはできないはずだ、何らかの条件をいくつかクリアした上でやっと使えるのだろう。
おそらくアレが、その条件の一つだ。
ニルさんが言葉を付け加えた。あれから随分時間が経っているので、私も落ち着いて話せる。一度深呼吸を挟んで言葉を続ける。
「クラウスは、あの光景を初めて確認したような反応をしていたので。あの噴水の街の地下空間が、同じように隠されたのか、それともカスケードによって痕跡が消されたのかは分かりませんが…あなたは、それを把握していないのではありませんか」
咀嚼するような時間を置いて、クラウスは静かに言葉を返す。
『把握していないな。…カスケード、か。どんな男だ』
「背の高さは平均的、体格は細身。茶髪で金色の瞳の、どこか印象の薄い男でした」
『ほう…』
『…手練れです。私も一度殺されかけています。…スグルがいなければ、そのまま死んでいました。カスケードは剣身に魔獣の血を塗っていましたので。また、何もない空間から転移術式を展開させるだけの強力な術式も使います』
『…お前がそう言うのなら、かなり危険な相手だな』
『ええ。深手は負わせましたので、暫くは両手で剣は振れないと思いますが』
『ふうむ…そうか。どこにいるかは不明か』
『ええ、手掛かりは掴めていません。…また、スグルの血が、術式を遠ざけるものであるということは知られてしまっています』
『まずいな』
クラウスは目をすっと細めて気配を鋭くさせた。
『…世界に喧嘩を売ったということは、俺に喧嘩を売ったということだ。後悔させてやる』
ふっと隣から感じていたギスギスした空気が弱まって、息を吐き出す。クラウスは薄く笑って、こちらに視線を向けた。
『次はお前について聞こうか。どうやってここへ来た』
「…あちらで普通に生活していたのですが、突然足元に穴が空いて、落ちました」
『落ちた?下の階層から、上の階層へ?』
――階層に上下の空間的概念は無い。
『なるほど』
「…その後、空間の移動の衝撃で、一度死んでいます」
『死んだ?』
――身体が衝撃に耐えきれずバラバラになった。それを私の血で繋いでいる。
ニルさんの言葉に困惑の表情を浮かべたので、立ち上がって上着を脱いで見せる。アレクシスさんに見られたから、どうせ黙っていてもそのうち報告が行くだろう。
『…そういうことか。しかしお前、本来術式が効かんのだろう?』
――死んでいる間は効果があったな。肉体を繋いで、心臓が動き始めてから効かなくなった。その為に中途半端に傷跡が残ってしまった。
『死んでいる間は術式が効くのか。…身体から血が離れれば、スグルの血の効果は失われるか?』
――そうだな。
『ふうむ、万能では無いな、厄介だ。それで、お前の血の効力は何だ?』
――繋ぐことに特化した力だ。傷口を繋いで塞ぐこと、こうやって相手の意識へ繋ぐこともできる。
『それは、身体から離れても効果があるのか?』
――ある。ヴェルフリードにも血を流している、おそらく傷の治りは早くなるとは思うが。他は未知数だな。
『ヴェルフリード、肉体に変化は?』
『傷は負っていませんので治りが早くなったかは不明ですが…身体が以前より動きやすくなったような感覚はあります』
『ふうむ…』
クラウスはお茶を一口飲んで、考え事をするように視線を彷徨わせる。上着を羽織って椅子に座りなおした私に視線を向けると、彼は僅かに目を細めた。
『グレイプニルとスグルは、明日から研究員に血を提供してもらう。特に…グレイプニルの血は、戦闘においてはかなり使えるだろうな。無理の無いよう血を抜くが、身体に変調をきたしたら報告しろ、やり方を変える』
――いいだろう。
『わかりました』
『ヴェルフリードが戻った時点で、ここにスグルがいると、相手には勘付かれているだろう。スグルの警護を増やした方がいいな。悪いが、この後窓の無い部屋に移動してもらう。ヴェルフリード、スグルの部屋の隣を用意させよう。アレクシスと共に警護に当たれ』
『承知いたしました』
『スグルの存在は暫く機密扱いにする。お前、部屋から出るなよ』
『はい』
『幸いなのは、スグルに術式が使えんことか。転移で攫われることはない訳だしな…』
『あの…』
ずっと疑問に思っていた事を思い出して、ちらりとニルさんに視線を向ける。きっと同じ疑問を持っている筈だ。青い目が真っ直ぐにこちらを見て、こくりと頷く。
――魔獣をあちらに帰す術式についてだが…。
『ん?ああ…』
ふう、と息を吐き出して、クラウスは体重を後ろにかける。
『あの時初めて試した。あれはどちらかというと単純な術式だな。ただ、行使されたものを反転する、というものだ。過去の記憶…記録から引き出して俺なりに改良した』
――過去の記録、というのは…管理者の記録か?
『ああ、そうだ。俺の頭の中にある。まあ、魔獣の召喚術式で試したのは初めてだがな…あんなものは初めて見た』
眉間に皺を寄せて息を吐き出したクラウスに、意を決して声をかける。
『あの、それは、私も、かえせますか』
『帰すとは?ビルレストとかいう…お前が居た場所にか』
こくりと頷くと、クラウスは小さく唸った。
『元の術式が分からんことには反転のしようもない。そもそもお前、何の力でここに落ちた?術式が効かんのではないのか』
その言葉で、はっと気付く。そうだ、そもそも術式が効かない筈だ。じゃあ何故私はここにいるのだ。返す言葉が見つからずに黙り込むと、ニルさんが静かな視線をこちらに向けた。
――帰りたいか。
『えっ?』
――お前がこちらへ来た時の手掛かりが掴めれば、お前を帰すことができるかもしれん。
「わたし、私は…」
その言葉の先を上手く形にすることが出来ない。正面から向けられた真っ直ぐな視線を受け止められずに俯くと、ニルさんが「ゆっくり決めれば良い」と小さく囁いた。
それからはクラウスにこちらの話を聞き出されて、へとへとになるくらい喋らされた。疲れてきて早く休みたいなあと思っていると、ふとクラウスがこちらを目を細めて見た。
『それにしても、お前…あちらの言葉だと、随分とまともな喋り方になるな』
面白がるような口調に、思わず顔が険しくなるのを感じる。
『…こちらの、言葉、まだちゃんとは喋れないので』
『本当はいくつだ、お前』
『21』
『おい、今更嘘はいらんぞ』
『…虚偽ではありません、陛下』
『…』
ヴェルの冷静な言葉に、クラウスが妙な顔で固まる。
『…随分と貧相な身体だな』
『……』
がつっと机の下で足を蹴り上げる。
『おい、お前――』
『何か!』
キレ気味で返事をすると、クラウスは押し黙る。
『申し訳ありません、陛下。異界人の奇行として、寛大なご判断を。…スグル、二度とするな。いいな』
眉間に手を当てて、苦渋の表情をするヴェルを睨み上げる。平手打ちしなかっただけマシだと思え。
『…俺の失言だな、今の行為は無かったことにしてやる』
椅子に座りなおして、クラウスが呆れたように言う。
ふいに部屋を覆っていた圧迫感が無くなり、クラウスの合図で部屋に人が戻って来た。
『部屋に戻って荷を整理しておけ、直ぐに移動してもらう。アレクシス、ヴェルフリードが合流するまで、ルーカスと共にスグルの警護に当たれ』
『承知いたしました』
『フライとゲーゼをここへ。…ああ、お前らはもう退出していい。騎獣はここに残せ』
『…は、それでは』
席を立つヴェルに倣って、椅子から腰を上げる。ぺこりと頭を下げて部屋から外に出ると、どっと緊張が解けて力が抜けた。ふう、と息を吐き出す。
『スグル、では後程』
ヴェルは感情の見えない顔でそう口にすると、さらりと私の頬に…傷に一瞬触れて、廊下を歩いて行った。ピリッとした感覚で、治癒の術式が使われたのだとわかる。
『昔から、感情の読めない男でしたが…多少人間には近付きましたかね』
ふっと横で笑ったアレクシスさんが、小さくそう呟いた。




