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53.聖都

 ドスン、という衝撃で目が覚めた。

『ふわ』

 びっくりして、寝ぼけ眼で目の前の何かにしがみつく。

『目が覚めたか。よく眠っていたな』

 低い声と、高い位置にあるフェルステルさんの顔で二重にびっくりして、ぴしりと硬直する。

『あ、う、すみません』

 慌てて身体から手を離して、ぺこりと頭を下げる。天馬は既に足を止めていて、身体は安定していた。

 フェルステルさんのマントの隙間から顔を出すと、日差しで目が眩む。今はお昼頃らしい。アルネイアにいた時よりも低い気温に、ぞわっと鳥肌がたった。光に慣れてくると、白い、大きな城が目に飛び込んでくる。

『ここが――』

 ここが、聖都。崖を背にして聳え立つ荘厳な白い宮殿に、開いた口が塞がらない。昔テレビで見た、外国のお城…ヴェルサイユ宮殿とか、あれくらいの大きさはあるのでは無いだろうか。壁も屋根も、どこもかしこも真っ白。陽光を浴びて美しく輝いている。塔が複数建ち並んでいて、なんだか…シンデレラ城みたい。至る所に設置されている旗には、紺色に白抜きで十字と円が描かれている。十字架という感じではなくて、左右上下対称の十字。その真ん中あたりに、丸く、円が入っている。こういうの、なんて言うんだっけ…ケルト十字、だっただろうか。聖帝国のシンボルみたいなものなのかもしれない。

 呆然と宮殿を眺めていると、フェルステルさんが天馬から私を抱えて降りた。マントが無くなると、ひんやりとした空気にぶるっと身体が震える。

『へぷしっ』

 くしゃみをすると、少し離れたところに降り立ったヴェルがこちらに近付いて、無言で肩にかけていたマントを私にかけた。

『…過保護だな』

 フェルステルさんの呟きにヴェルは答えず、黙ってマントのフードを被せた。…眩しそうにしていたのを見られていたのかもしれない。

『らしくねえ』

『…そうですね』

 小さく呟く声は、いつもの、あまり感情の見えない冷静な声だ。その言葉にフェルステルさんは軽く片方の眉を上げたが、何も言わなかった。

 離れたところで天馬から降りたクラウスが、肩を回しながら息を吐く。

『身体を少し休めるか…話はその後だ。娘には部屋を用意させろ』

『…承知いたしました』

 アレクシスさんは返事をすると、懐から通信板を出して、何処かへと連絡をかける。

『俺は先に戻る。面倒だが先にこの件は正式に話しておいてやる』

 ばさりと外套を脱ぎ捨てて、クラウスはそれを横に立っていた黒い髪の聖騎士に押し付けた。スタスタと宮殿に向かって歩く背中を、フェルステルさんと2人の聖騎士が追いかける。

『…部屋を用意させたので、移動しましょうか』

 アレクシスさんは懐に通信板を戻して、こちらに視線を向ける。

『リュザフィール君は歩けますか?』

『なんとか……』

『そうですか。…2人はこのまま、宿舎へ向かってください。好奇の目に晒されるでしょうが、陛下がああ仰ったのですから、直ぐにそれも収まるでしょう。…ルーカス』

『はい』

 隣に立っていた、若い男が返事をする。茶髪に焦げ茶色の目の、身体の大きな人だ。どことなく大型犬っぽくて、空気が柔らかい。

『監視役として付いてください。それから、簡易的にでいいので、団長に話も通しておいてもらえますか?私はスグルさんの方に付きますので』

『…アレクシス』

 何か言おうとしたヴェルの言葉を手を挙げて遮って、アレクシスさんが言葉を続ける。

『ヴェル、一応私、怒っていますので。何があったのか知りませんし、聞く気もありませんが…後で一発殴らせろ』

 最後の一言は低くドスの効いた声だった。ヴェルは眉間に皺を寄せたまま動かなかったが、横でルーカスという茶髪の男がひっと悲鳴を上げる。ヴェルに怯えてる時のリュゼみたいだ。

『…ああ』

 応えたヴェルに笑みを向けて、アレクシスさんは私の背中に手を回した。

『さて、行きましょうか』

『…はい』

 何となく逆らえない空気にこくこく頷いて、促されるまま、城の中へと足を踏み入れた。…ヴェルとリュゼ、大丈夫だろうか。



 宮殿の中は外壁と同じく真っ白で、床は紺色のタイルが敷き詰められていた。どことなく高貴な印象がある。とんでもなく高い天井と、ステンドグラス越しのキラキラした光。感嘆の声を漏らして立ち止まると、アレクシスさんも歩みを止める。

『美しいでしょう』

『…はい』

『申し訳ありませんが、今は少々急いでいますので、お部屋まで直ぐにご案内いたします。暫くこちらに滞在することになるかと思いますので、後程ゆっくりご覧になってください』

『あ、すみません…』

『いいえ』

 歩き出したアレクシスさんの後ろを小走りで追いかける。…ヴェルはきっと、私と歩く時、ゆっくり歩いてくれていたのだと気付かされる。早足で歩かなくても、ヴェルの横を歩けたから。

 アレクシスさんは階段をいくつか上がり、迷路のような宮殿内を右へ左へ、ずんずん進んでいく。初めは覚えようとしていたのだが、途中から訳が分からなくなって諦めた。床の色も壁の色も一定で、扉のデザインが時々変わることはあったが、そこまで覚えられない。意図的に分かりにくくしているのかもしれない。

 結構階段も上がったので、少し息が荒くなってきた頃、アレクシスさんの足が扉の前で止まった。

『こちらです。クローゼットにお洋服をいくつか用意してございますので、お好きなものを着用してください。後程お呼びしますので、それまではごゆっくり。ただし、部屋の外へは出ないようお願いします』

『わかりました』

 頷いて、アレクシスが開けた扉の中へと入る。…直後、立ち竦んで絶句した。

 物凄く、豪華なお部屋である。部屋のど真ん中に置かれているベッドは、とんでもなく、とんでもなくでかい。ダブルベッドよりひとまわり、いやふたまわり大きい。私なら4人くらい余裕持って並んで眠れそうだ。それに天蓋が付いている。すごい、お姫様みたい!ではなく、ベッドがでかすぎて、すごい、王様みたい!である。

 部屋の絨毯は深い紺色で、幾何学模様が白い線で描かれている。壁には大きなクローゼット、ドレッサー。テーブルと椅子が2つ。扉が2つあるから、恐らくどちらかが浴室なんだろう。

 背後でぱたんと扉が閉じられて、広い部屋にひとりぼっちになる。なんだか、色々一気に話が進みすぎて、頭が働かない。それに、ずっとヴェルと話してない。

 ううー、と伸びをして、服を脱いでいく。コート掛けみたいなものがあったので、マントはそこにかけておいた。扉の片方はトイレ、もう片方は浴室だった。お風呂はすっごく広い。これは心踊る。お金持ちな御宅の、1人用の温泉、みたいな感じ。服をさっさと脱ぎ捨てて、脱衣籠の中に放り込む。

 身体を湯で流して、ゴシゴシ洗って、楽しみにしていた湯船に浸かる。

『っ、あー』

 おじさんみたいな声が出てしまった。いやしかし、凄く気持ちいい。それになんか、いい匂いがする。お花みたいな。

 湯船の縁に頭を乗せて、全身を湯に浸からせると、体の下の方から疲労が溶け出していくようだ。馬の上で爆睡したので、身体がぎしぎし痛んでいたのだが、それも無くなっていく。というか私、かなり長い時間眠りこけていたのではないだろうか。フェルステルさんにあとでお礼を言っておこう。…騎士服によだれ垂らしてなかったかな。大丈夫かな。

 ぽたぽたと髪から落ちる水滴が、波紋を作っていくのをぼんやりと眺める。取り敢えずは、良かった…といってもいいのかもしれない。聖帝が、この件に関わっていないということが――そして、管理者だということがわかった。そう考えると、途轍もなく大きなバックを得られたと言えるのでは。きっと、あの街にあった痕跡の調査もしてくれるだろうし、大きな一歩だ。

 それに、クラウスはあの地下のホールで、魔獣を元の世界に返す術式を組み上げた。それなら、魔獣を殺さず、世界を元に戻していくことが出来るはずだ。本当に、よかった。

『…あ』

 ふと、気がつく。何故今まで気が付かなかったのだろう。

 魔獣をあちらに返す術式が作れるのなら、私が、元いた場所に帰るための術式も作ることができるのでは――?



 身体を拭いて、バスタオルを巻いただけの格好でベッドに飛び込む。誰かと一緒だとできないことだ、今のうちにやれないことはやっておきたい。というかバスタオルがとんでもなくふっかふかで、もうなんか天国にいるみたい。ベッドもふわふわだし、びっくりするくらい身体が沈むし、ほんと幸せだ。

 ベッドから起き上がって、髪をゴシゴシ拭いて乾かす。それなりに伸びはしたが、髪が短いとこういう時楽でいい。

 クローゼットを開けてみると、中にはドレスがずらりと並んでいた。

『………』

 豪華でふりふりでキラキラでもうなんか、これは無い。そりゃあ美少女が着たら素敵でしょうけど。

 ごそごそ漁っていると、シンプルな白いワンピースを発掘することに成功した。タートルネックで、スカートの裾は膝丈くらい。裾のところに青の刺繍が入っている。腰にはリボンが付いていて、背中で結ぶようだ。スッキリとしたデザインで着やすそう。だがしかし肩口から先の袖が無い。

 何か羽織れるものは無いだろうか。うんうん唸りながら漁って、青いレースのストールのようなものを発掘する。これならなんとか傷を隠せるかもしれない。

 あとは膝下…引き出しを開けてみると、下着とソックスが入っていたので、黒いニーハイソックスを拝借する。何も考えず習慣でガーターベルトを出して、いや待て、着けなくてもいいのでは、と思い直し、そっと戻しておいた。

 クローゼットの下の方にあった靴を片っ端から履いて見て、足に合うものを選ぶ。黒いハイヒールは、正直ちょっと歩きにくそうだが、背に腹はかえられぬ。

 鏡の前で服を着て、くるりと回ってみる。ううむ、似合っていないということはないので、多分大丈夫だろう。

 ベッドに腰を下ろして、ぼんやりと窓から外を見る。まだ外は明るい。窓から見えるのは澄み切った青い空だけ。ここは、どの辺りなんだろう。

 目を閉じて、そのままころんとベッドに横になる。たくさん寝たはずなのに、まだ少し眠たい。このまま横になったら服に皺がついてしまう、一度脱がないと。そう思っているのに、身体がうまく動かなくて、そのまますとんと意識を失ってしまった。


◇ ◇ ◇


 夢を見た。

 夢の中で私は、沢山の人間に取り囲まれていた。自分を庇うように前に立って手を広げる少女は、何事か叫びながら首を振る。長い黒髪が背中で揺れた。

 彼女は男に押し退けられて、地面に転がる。頬が石に擦れて、じわりと血が滲んだ。

 それを見ると、どうしようもなく怒りが込み上げて、その男に飛びかかる。男が腕を振り回すより先に、男の腕に噛み付いてやった。悲鳴を上げて男が飛び退く。

 少女に駆け寄って、その前に立ち、背後に庇う。自分を傷つけるのは構わないが、彼女を傷つけるのは許さない。美しい歌声の彼女を。優しい彼女を。

 逆上した男が、こちらに向かって刃を振り下ろす。ざくりと肩口を斬り付けられて、血が飛び散る。あつい、あつい、あつい。どくどくと溢れる血が、池に流れ込んで黒く染める。人間たちは怯えたような表情で、こちらに刃を向ける。それに向かって大声で吠えると、人間たちは悲鳴を上げて逃げていった。

 背後の少女が、泣きそうな顔でこちらに手を伸ばす。青い瞳が涙を湛えて、それが宝石みたいで綺麗だと思った。それが、一瞬の隙になった。

 一本の矢が、彼女の胸に突き刺さった。彼女は驚いたような表情で、背後の池へと転がり落ちる。

 なんてことを、なんてことを、なんてことを!喉の奥から悲痛な声が迸る。振り向くと、いつか、我々を見ていた少年が、震える手で弓を握りしめていた。すぐに駆けて逃げ出したその影は追わず、彼女の元へと身を投じる。

 彼女はまだ、息をしていた。呼吸と一緒に、口から血が溢れ出る。彼女は血の混じった咳をして、しかしこちらに向かって微笑みを向ける。安心させるみたいに。しかし、すぐにその微笑みから力が失われて、ゆっくりと池の中へ身体が沈んでいく。自分から流れた血と、彼女の血が混ざり合って、水の色が黒く黒く変容する。ずるり、と空間が歪んで、彼女の姿が溶けていく。その、遠くなっていく彼女の、大好きだった青い目が――灰色に染まって、消えた。

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