51.反転
『ほんと、なんてこと、してくれたの!馬鹿馬鹿馬鹿!ばーか!ばーか!』
こちらの言葉での罵り言葉は『馬鹿』しか知らないので、クラウスに向かって連発する。くそ、あちらの言葉ならいくらでも出てくるのだが!上司に対する呪詛を吐き過ぎて鍛えられたからな!
しかし彼は面倒そうにこちらを見下ろして、軽く片耳を塞いだ。
『煩い、それ以上は不敬罪にする』
『はあ?なにそれ!分かる言葉で言って!』
『お前、面倒だな。騒ぐな、気が散るだろうが』
『――っ!』
なんて自己中なんだ!半ば殺意を込めて赤い目を見上げると、彼は片眉を軽く上げて、何事も無かったかのようにまた術式に膝をつく。魔獣はまだ混乱しているのか、涎を垂らしながら周囲を睥睨していた。
『いい機会だ、召喚術式を反転させてみる。理論を構築し直してみたはいいが、機会に恵まれなくてな』
彼が何を言っているのかわからないが、眼前の獣はこちらに気付いたようで、殺気の籠った眼差しを向けてきた。このままではやばい、死ぬ!
『スグル!!』
声とともに、魔獣を挟んで反対側の扉が蹴破られた。聞き慣れた声に、一瞬安堵する。
『ヴェル!』
凄く、凄く良いタイミングだ。剣を片手に荒い息をする彼の背後から、ニルさんも飛び出てきた。ふたりとも身体中埃まみれだが、何かあったのだろうか。
それに続いて、3人の聖騎士と、エルにしがみついて死にそうになっているリュゼが姿を現す。聖騎士の中には副団長もいて、こちらに向かって焦った声で叫んだ。
『――陛下!』
それは、クラウスに向けて言われた言葉だろうか。今まで聞いたことのない響きに首を傾げる。
フェルステル副団長は焦ったようにこちらに駆け寄ろうとするが、魔獣の唸り声で足を止める。
『陛下!!何をしているのです!お逃げください!!』
『煩い、気が散る。フェルステル、少々その獣を足止めしてくれ』
『陛下…!!』
『そこにいるのは…ん?もしや、ヴェルフリードか?っは、死んだと聞いていたが、まあ今は好都合だ。俺が術式を組み上げるまで、フェルステルと共に獣の足止めをしろ。いいか、殺すなよ!』
『っ、承知、いたしました』
絞り出すような声で了承して、ヴェルが剣を構える。色々なことが起こりすぎて処理しきれない。
『お前、本名はスグルか?』
『う』
小声で問いかけられて小さく唸ると、ニヤリと笑ってこちらを振り向いた。
『お前は嘘が下手だな。歳も偽っているだろう。まあいい、ここから出てから問い詰める』
『うう…』
問い詰めると宣言されると、逃げたくなるが…今はそんなことも言っていられない。
聖騎士のうちの1人がこちらに向かって走ってきて、クラウスの近くで剣を構える。珍しい青色の髪の、若い男だった。
『陛下は本当に無茶が過ぎますね。お世継ぎがいらっしゃらないのですから、もう少し自重していただかなくては』
『おい、気が散ると言っただろうが』
『失礼致しました』
冷静に言葉を紡いだ男は、剣を構えたままこちらをちらりと見下ろす。
『スグルさん、でしたか』
『は、はあ…』
『ヴェルと副団長なら、こちらに魔獣をやるようなヘマはしないでしょうが…念の為私の背中に隠れていてください』
『はい…』
少し前まで一触即発の雰囲気だったのだが、なにやら共闘の空気だ。ついていけなくて混乱する。目の前に立っている20代半ばに見える青い髪の男は、ヴェル、と愛称で呼んだ。彼とは元々知り合いだったのかもしれない。
魔獣は剣を構える複数の男に視線を巡らせて、低く唸り声を上げている。
ふいに、ヴェルが剣を構えて魔獣に飛びかかった。魔獣の爪とヴェルの剣が、激しい音を立ててぶち当たる。
『…っ』
彼の剣の腕を信頼していないわけではないのだが、心配で息を呑む。ぎゅうっと胸の前で手を握りしめていると、前に立っていた男がふっと笑った。
『ご安心を。彼はあなたが思っているよりずっと強いので。手加減もしていますし』
手加減、しているのか、ヴェルは。恐々様子を伺うが、たしかに…カスケードと戦っていた時よりも、動きも遅いし、力も入っていないような…。というか、あの時は相当キレていたような気がする。
フェルステル副団長はその合間を縫うような形で、魔獣に攻撃を仕掛けたり、するりと攻撃を躱したりしていた。攻撃を躱すとき、身体が僅かにブレているような気がして、違和感を覚える。残像だろうか、と思って凝視して見たのだが、それがごく短い距離の転移だと気がついた。そうか、あの時私に斬りかかった時、何もない空間から突然現れたように見えたのは気のせいではなかったのか。
戦闘が始まってからそう長い時間は経っていないと思うのだが、心配やら不安やらで気が気じゃなくて、凄く長い時間が経っているように感じる。魔獣の相手をしている2人は、魔獣の身体を傷つけないように最新の注意を払っているように見える。血が流れると、甲冑に身を包んでいない彼らでは、血を浴びてしまう可能性があるから、だろうか。
ちらりとクラウスを見下ろすと、じっと術式に手をつけたまま固まっていた。ずる、ずる、と光の蔦のようなものが術式を書き換えていく。術式を反転させる、と言っていたが、つまりはどうしようとしているのだろう。もしかして、魔獣を元の階層に送り返すことができるということだろうか。
もしそれが出来るなら――彼等を元の世界に返せるのなら。彼等をもう苦しめずに済む。
『スグル…』
背後から声をかけられて振り向くと、死にそうな顔のリュゼが、エルの背中にしがみついたままこちらに近付いてきた。その後ろを、埃まみれのニルさんが付いてくる。ニルさんもリュゼもエルも、よく見ると身体が濡れていた。
『…大丈夫?』
そう声を掛けられて、思わず苦笑する。
『…リュゼの方が大丈夫じゃなさそう…』
『あー、そうだね、ちょっともう動けない…』
暗くてよく見えないが、顔が真っ青だ。ここに辿り着いたということは、おそらくリュゼの目に頼ってここまで来たのだろう。
『もう、ほんと、いきなりなんだから、何かする時は先に言ってよ…』
『ごめん…』
『いきなり壁は無くなるし、ヴェルフリードは全部ほっぽり出してスグル追っかけるし、水路は所々崩れるし、容赦なくあいつ壁壊すし、もうさあ、大変だったんだから…』
『う、ごめんなさい…』
悲壮感が漂っている。エルの背中に顔を埋めたまま、リュゼは大きなため息をついた。
――お前が消えた後、直ぐにヴェルフリードと追ったんだが、滑り落ちている途中で転移されてな、お前が落ちたところとは別の場所に落とされた。お前、素通りしたんだろう?
(多分…)
――その後、聖騎士も降りてきてな。一悶着あったんだが…そこの男と合流する為にはリュザフィールの目が必要だろう、と説き伏せて、強引に行動を共にした。少々壁を破壊して無理矢理道を作ったのでな、この有様だ。
(なるほど……)
埃まみれなのはそのせいか…。時折感じていた振動の正体は、壁を破壊したものだったらしい。
――それから先ずっと目を使っていたせいか、目を回したらしい。軽く使える代物ではないと言っていたが、その通りだったな。
(……)
『…リュゼ、ありがとう』
ぽんぽんと頭を撫でると、ぐぬう、と呻き声を上げてエルの背中に顔をこすりつけた。
『…こんなもんか。おい、フェルステル!陣の中へ魔獣を誘導しろ!』
クラウスが大きな声を上げて、陣から手を離した。陣の線が僅かに浮かび上がって、じわりと光る。どうやら完成したらしい。
『はっ!』
遠くの方で、フェルステル副団長が陣に向かって魔獣を押し出す。
『失敗したらすまんが、殺してやれ。正直未知の領域だ』
『っ、承知!』
固唾を飲んで見守る中、フェルステル副長とヴェルの手によって、陣の中へと魔獣が追いやられていく。
『陣から離れろ、起動する!』
クラウスの掛け声で全員が陣から離れる。ぞわっと肌を駆け上がる感触に、強力な術式が発動したのを感じた。陣の真ん中に追いやられた魔獣は、狂気に満ちた視線をクラウスの方に向けると、大きく吠えた。こちらに向かって駆けてくる――しかし、その爪がクラウスに届く前に、光に包まれた魔獣は形を失って、消えた。信じられなくて、呆然と、そのまま陣を見下ろす。
――これは…!
ニルさんの呟きで、我に帰る。
『成功、した…?』
目の前の長い金髪の背中に声をかけてみると、微妙な唸り声を出して、彼は立ち上がった。
『なんとも言えんな、確認する手段がない。だがまあ、消えたということは、失敗ではないとは思うが』
『…っ』
腰が抜けて、ぺたりと床にへたり込む。
そうか、よかった、あの魔獣は、あちらに帰れたんだ。
『よかった…』
小さく呟いて、震える手で顔を覆う。もう、溶けて形を失っていく彼等を、見届けなくて済む。
『…フェルステル、研究員をここに派遣しろ。まさか地下にこんな空間があったとはな…探査術式でも見つけられない空洞だった。何か特殊な術式が使われた可能性が高い。そちらの出所も調べろ』
『承知いたしました』
『それから、…ヴェルフリード。お前達のことは詳しく聞く必要がある。処罰はその後だな』
『…は』
『スグル、お前、転移術式が使えんだろう』
『…!』
その言葉に、ぴくりとヴェルの眉が上がる。
『…使えない』
今更嘘をついても仕方ないので、正直に答える。
『そうか、想定内だ。…天馬を要請する。聖都まで空路を行くぞ。外に出たら直ぐに用意させろ』
『はっ』
近くに立っていた青い髪の男が返事をした。…そういえば、皆一様に、クラウスに対して礼を取っている。ヴェルが緊張する相手だ、相当偉いに違いない。
『…クラウス、偉い人?』
首を傾げて問いかけると、空気がぴしりと凍った。…不味い問いかけだったろうか。
『…スグル、この方は、聖帝陛下であらせられる』
絞り出すような低いヴェルの声に、きょとんとクラウスの顔を見上げる。せいてい、せいてい…聖帝!?
目玉が落ちるかというほど目を見開いてクラウスの顔をガン見すると、目の前の男は、ニヤリと――あの、人の悪そうな笑みを浮かべた。




