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49.地下空洞

 聞こえてくる靴音に、緊張感が高まる。かつかつと石でできた通路を駆け抜けてくる音。通路に反響して、どんどんその音が大きくなって来た。

『ごめん、術式、かかってた!』

 小声で言うと、ヴェルは何も言わず周囲に素早く視線を這わせる。

――地上に退避する。急げ、聖騎士だ!

 来た道を走って戻りながら、後ろに視線を向ける。すごく遠くの方で小さな灯りが見えた気がして、慌てて正面に視線を戻した。長い距離を進んで来たわけではない、すぐに梯子の下まで着くはずだ。だが、先導していたニルさんが突然進路を変えた。

――既に回り込まれている。別の道を取る!

 挟み討ちなんて可能なのか。彼らは北の端にいたはずで、ここは南東の端だ。回り込むなんて、そんなこと、できるはずがない。

『っ、くそっ!』

 エルの背中にしがみついていたリュゼが、後ろで悪態を吐く。すぐに目の前の背中が、走るのをやめて剣を抜いた。

『……駄目か』

 ヴェルが正面を見据えて、私を背後に庇った。空気が張り詰めて、唾を飲み込むのすら躊躇われる。後ろでリュゼも抜剣したのか、金属の擦れる音がした。

 かつ、かつ、と静かな足音が正面から聞こえる。薄ぼんやりと、その輪郭が露わになってきた。

 背の高い、体格の良い影。灰色の髪を後ろに撫で付けた顔は、おそらく30代後半から40代前半くらい。高い鼻が印象的な、鋭い気配の男だった。白い軍服のような服を着ていて、水路内の僅かな光源を反射してシルエットがぼんやりと浮かび上がる。右手に下げられた片刃の剣がぎらりと光った。

『何があっても動くな。いいな』

 小さな声に頷いて、無意識のうちに掴んでいたヴェルのシャツから指を外した。背後からも足音が聞こえてきて、リュゼが緊張しているのが分かった。

『なんだ、賊かと思ったが…見知った顔だな』

 正面の男が、離れた所から声をかけた。低い、よく通る声だ。数メートル先で立ち止まった男は、くつくつと喉の奥で笑う。

『なんだ、その髪。似合ってないぞ』

『……フェルステル、副団長』

 ヴェルが掠れた声を漏らす。彼が…聖騎士団の副団長か。ヴェルの緊張した背中で、彼が手練れだということが何となくわかる。

『死んだと報告を受けたんだが。…お前、自分が何をしたか分かっているのか』

 ドスの効いた低い声に震える。思わず縮こまると、鋭い金の目がこちらを見据えた。

『…その娘は何だ?』

『……彼女は、関係ありません』

『ほう…』

 小さく呟いて、男は微かに笑う。瞬間――男から目を放していなかったはずなのに、一瞬で姿が消えた。

『…っ!』

 真横でぞくりと術式が起動するのを感じる。身体が反応できずに視線だけ向けると、先程まで数メートル先にいたはずの男の姿がそこにある。がきん、という激しい音ともに、目の前で火花が散った。衝撃にバランスを崩して、壁にぶつかる。頬にずきりと痛みを感じて、手を触れると、指に血がついた。…今、斬り付けられた?

『関係ないという割には随分と大事そうに隠すな、お前』

『……』

 ヴェルの空気がビリビリと空間を圧迫する。息を飲んで壁に背中をつけると、遅れてぞくりと鳥肌がたった。

『…お前、激情に任せて剣を振るう男じゃなかっただろう。お前相手だと本気でやらんときついと思っていたんだが、そうでもないか?』

『……試してみますか』

『私相手に守る闘いはやり辛いぞ』

 息苦しいほどの圧迫感に、息が詰まる。会話が頭に入ってこない。だが、その圧迫感と同じくらい…たまたま手をついた、この壁に、強烈な違和感を覚えていた。違う、もっと細かく言えば…この、石の塊。そう、今手をついている、この石塊に。何かこの状況を切り開くきっかけにはならないだろうか。

 半ば好奇心に駆られて、血の流れる頬を、その石塊に軽く付けてみた。びりっとした衝撃で、そこの術式が解除されたことに気がつく。

 地面が微かに揺れる。ぱらぱらと、頭上から土が降ってきた。地響きが聞こえてきて、地下空間を埋め尽くしていた淀んだ空気が、より一層強まったような気がする。がこん、と頭上に走っていた管が外れて、そこから水がごうごうと流れ出した。剣を構えたまま、皆一様に周囲に視線を巡らせる。

『…何だ…?』

――優、お前、何かしたか…?

(…ちょっと)

 ほんの少し気まずさを感じながら頷く。動くなと言われていたのに動いてしまった。

 何が起きるかなど想像もしていなかった訳だが…まさか、手をついていた壁が、消え去るとは思っていなかった。

『っ、え』

 喉から声が漏れる。こちらに剣を突きつけていた男の金色の目が大きく見開かれた。

 体重を幾分か支えていた壁がなくなって、そちらへと身体が傾く。はっと振り向いたヴェルの腕がこちらに伸びたのが見えて、慌てて手を伸ばしたが、それは空を掻いて――私はそのまま、突如開いた穴の中へと転落した。



「っあああああああああああ!!!!」

 死ぬ、死ぬ、死ぬ!

 勢い良く身体が穴を滑り落ちる。勢い良すぎてどこかに捕まるとかもできないし、そもそも掴む場所もないし、無駄にツルツルしてるし、どこか掴もうものなら指の骨折れる、絶対折れる。というかスピード感がやばい、このままでは確実に死ぬ!!

 頭から落ちたので、目を開けているのが怖すぎる。というか灯りがないからめちゃくちゃ暗い、ほとんど何も見えない!だが先程から身体が右に行ったり左に行ったりして、なんだかよくわからない分岐路を通過しているような気がする。

 喉の奥から意味をなさない絶叫を上げながらどんどん滑り落ちる。不意に、ふっと身体が浮上するような感覚とともに、周囲が一瞬で明るくなって――自分が、何もない空間に投げ出されたと悟る。

 あ、これは…死んだかもしれない。

 頭の中を、過去の色んな思い出が通り過ぎていく。お母さんが弾いていたピアノ、お父さんが焼いてくれたアップルパイ。庭で、お母さんのピアノを聴きながら、紅茶と一緒に食べたっけ。お父さんは料理上手だったけど、お母さんは酷かった。それから、学校のみんなと行った修学旅行、楽しかったなあ。八ツ橋が美味しくて、色んな味試食してまわったっけ。あれ、なんか食べ物の記憶ばっかり蘇る。あーあ、まだ誰とも付き合ってないし、誰からも告白されたこともないし、一回くらい誰かとちゅーくらいしてみたかったなあ。初恋の味はレモンの味、とか言うけど、友達は直前に食べたお好み焼きの味がしたって言ってたから、きっとアレはデマだったんだなあ。でも自分で試してないもん、まだ分からない。出来ることなら、初めてのちゅーは、好きな人と、例えば、そう――

ざぱーん!!

 訪れると思っていた衝撃とは違う、周りに満ちた液体の感触に驚いて口から息が漏れた。いや、まずい、それは――!

 必死で水面を目指して腕を動かす。目を開けると、微かに光が見えた。まだこんな所で死にたくない、それこそ死ぬ気で泳いで、水面まで辿り着く。

「ぷはあっ!」

 目一杯空気を吸い込んで、必死に酸素を取り入れる。

「はあ、っ、はあっ、死ぬかと、思った、走馬灯、見えた…」

 ぜえぜえ息をしながら、泳いで岸まで行って、身体を落ち着かせる。ほんと、死ぬかと思った。

 涙目で周囲を確認する。どうやらここは水路の続きらしい。円形のホールのような丸い空間になっているのが確認できた。天井がとんでもなく高い位置にあるようで、上を見上げても天井が見えない。壁には穴が空いていて、自分がそこから落ちてきたのだと何となく理解した。そして、その下の巨大な水槽に落ちたのだということも。この位置にこの水槽が無かったら、確実に死んでいたと思う。

 反対側に視線を向けると、壁にいくつか通路への入り口が並んでいる。明るいと思っていたのは、壁に取り付けられた照明の光だったらしい。緑みを帯びた光は、どことなく不気味だ。

 息を整えて、水槽から身体を出す。床を這うように移動して、壁まで行って大きく息を吐き出した。かつらが重たくて被っているのが億劫になり、ピンを引き抜いて頭から引き剥がす。

『――おい』

 唐突に掛けられた声に、身体が固まる。恐る恐る顔を上げると、血のように真っ赤な瞳がこちらを見下ろしていた。

『お前、先程口にしていた言葉は何だ?』

「っ!」

 まずい、思わず口を突いて出てしまった。眼前の人物は、茶色い外套を身につけている。たしか、リュゼが、研究員がいると――もしかして、この人物だろうか。金色の長い髪を背中で結わえた、凄く綺麗な顔の男性だ。まだ若いように見える…歳はヴェルとそう変わらないかもしれない。

『なんでも、ない、です』

『何だ、と質問したのだが』

 異様なほど威圧的な気配にたじろぐ。偉い人なのかもしれない。こんなに若いのに、研究員の中では地位が高いのかも。

『あの、自分でも、わからなくて。溺れてたから、出てきたのかなあ…』

 酷いすっとぼけ方だとは思うのだが、眼前の男は目を細めて、その件についてはそれ以上追及はしなかった。

『何処から来た?』

『ええと、上の水路から…』

『どうやって』

『壁に、いきなり穴が空いて…』

『穴を通る時、転移術式がかかっていただろう。どうやってそれを通過した?』

『えっ?』

 そんなものかかってたのか。発動せずに自分はすり抜けたらしい。困惑して見上げていると、男は質問を変えた。

『何の目的で水路に入った?』

『……』

『答えろ』

 別に刃物を突きつけられているわけでも無いのだが、嘘をつくのが妙に恐ろしい。答えあぐねていると、相手の醸し出す空気が更に重くなる。重圧に耐えきれず、正直に言葉を返すことにした。

『…最初に出た魔獣が、どこから来たのか、調べるために』

『…フェルステルの話だと、他にも何人か仲間がいるのだろう?何人だ』

『2人、あとは騎獣…』

 フェルステル、というのは、確か聖騎士団の副団長だ。面子で考えると、聖騎士団はこの眼前の男を警護していたのだろう。

 男はふうむ、と唸って少しの間黙り込む。金色の髪がさらりと揺れた。

『…その髪は何だ』

『えっ』

 かつら、脱いだのを忘れてた。慌てて抱き寄せて誤魔化すように笑うが、男の目は凄まじく冷徹だ。

『…あの、その、髪、短いの、隠したくて』

『何故金髪にする必要がある』

『……憧れてて』

『……』

 怪しいものを見るような目つきに、苦笑いして顔を背ける。そういえばこの男、身体が全く濡れていない。一体どこから来たのだろうか。それとも、同じ道を通ったが水槽に落ちなかったか。

『お前、名は』

『…ユウ』

 一応、偽名で答えておく。

『随分短い名だな。愛称か何かか』

『…いいえ』

『ほう…』

 男はふと何かに気が付いたように、こちらに顔を寄せる。驚く程綺麗な顔にたじろぐと、男は愉快そうに赤い目を細めた。

『お前…混じっているな』

『え』

 何が…?

 きょとんとして見上げると、男は微かに笑って膝をついた。

『まあいい。俺はクラウスだ。…お前、随分とたどたどしい喋り方をするな』

『……ほっといて』

 クラウス、と名乗った男はニヤリと笑うと、私の手首を掴んで立たせた。

『歳はいくつだ』

『……10歳』

 面倒なので、かなりサバを読んでみる。

『ふうむ…』

 ぞわりと身体を這う術式の感覚に、不快感で眉間に皺が寄る。

『武器の類は持っていないか。…まあいい、お前からは邪気を感じない。外に出してやりたいが、俺も先程ここに辿り着いたばかりでな、ここがどういう空間なのか分からん』

 なんだ、この男も出口を知らないのか。周囲に視線を巡らせて、もっとよく神経を研ぎ澄ませてみる。

 ふらふらと歩きながら、気配を辿っていく。流石に元来たところから這い上がるのは無理だろうし、別の出入り口を探すしかない。

『何をしている?』

『…探してる』

『何を』

 それには答えず、注意深く通路を確認していく。ここへと落ちるきっかけが術式だったのだから、出口もきっと術式に関連している…と思う。通路からはなんの気配も感じなかったが、壁に手を這わせると、妙な気配を感じる部分があった。切れた頬を、壁に軽く付けてみる。

『お』

 術式が崩壊して、ガラガラと石の壁が崩れていく。ここが正解かもしれない。もう一本現れた新しい通路に、男――クラウスは愕然とした顔をこちらに向けた。

『お前…何をした』

『ひみつ』

 どうせ聖騎士に見つかった時点で、色々詰んでいる。逃げるのは難しいだろう。…ヴェルが全員皆殺しにすれば話は別かもしれないが。それにニルさんがどう判断するかにもよるが…彼らとは協力した方が良いのではないかと感じた。

 魔獣の出現に関わっているのが、個人なのか団体なのか、はたまた国家レベルなのか、全て不明だ。

 そしてそれは――聖帝国にも当てはまる。

 世界の秩序を守るために存在する国家が、必ずしも悪ではないとは限らない。

 だから、ここに調査に来ているという彼らのことも、そういう意味での警戒はしていた。それはおそらく、ヴェルもリュゼも、ニルさんも、同じように考えていたと思う。勿論、死を偽っている手前、彼らに会うわけにはいかないというのはあったけど。

 だが、先程…穴に落ちる直前に見せた、フェルステルの驚愕の表情を見て、直感的にだが、彼らはこの件には関わってはいないのではないかと感じた。運は悪くとも勘で生き長らえてきたので、自分の勘は信じたい。

 自分の血のことも、この状況では隠すこともできない。まあ、なるべく隠しはするけど。何より、手掛かりを見つけて外に出ることが先決だ。

 現れた通路の先に視線を向ける。これは、…なんの気配だろう。術式のようで、魔獣のようで、どちらとも取れない。近くに行かないと判断がつきにくい。

 ちらりと背後を振り向いて、自分が落ちてきた、壁にぽっかり空いた穴を一応確認する。先程クラウスが『転移陣』と言っていたので、追いかけて来たとしてもここに辿り着くとは限らない。

 リュゼの目があればこちらと合流することも可能だろうが、そうでなければなかなか合流も難しいだろう。みんなここから出ようと動くだろうし、出口まで行ければ…多分合流出来るはず。

『クラウス、こっち、行ってみよう』

 クラウスはこちらに観察するような視線を向けていたが、何も言わずに頷くと、私の後ろについた。

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