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48.始まりの街

 それから東に向けてひたすら進み、18日目の夕方――目的地に到着した。カスケードから襲われることもなく、比較的順調に進んできたのだが…逆に順調すぎてちょっと怖い。


 ニルさんの背中で揺られながら、閑散とした大通りを歩く。ここが…魔獣が初めて現れたという街。

 大きな山の中腹を削り取るように広がった街は、あまり大きくはない。全く人の気配のない街は、酷く不気味だった。きっと魔獣に襲われた当時のまま放置されているのだろう。半壊状態の民家がいくつかあるし、割れた食器がそこら中に転がっている。壁には大きな爪で引っ掻いたような傷跡、血が飛び散った痕跡。気持ち悪くなって唾を飲み込む。

――何か、感じるか。

 ニルさんの問いかけに首を振る。

『何も』

 静かな街には何も感じない。聖騎士が討伐した後ならば、おそらく土地の浄化も終わらせている筈だ。強いて言うなら…濃厚な死の気配が、恐ろしい。

 少し進むと、地面に大きな血の跡が広がっているのが見える。それが魔獣のものだと直感的に理解した。そこからは何の気配も感じないが…ニルさんから伝わる強い悲しみの気配に、目を閉じて息を吐く。

――出現位置は?

『報告によれば、確か街の北、と』

 ヴェルが、静かな面持ちで通りを見据えて言う。

――突如現れたのか?

『うん。いきなり、転移してきたみたいに現れたって』

――…案内してくれ。

『こっち』

 リュゼが先導して歩く。大きな通りは街を十字に横切って、東西南北に真っ直ぐ伸びていた。街の北の端まで行くと、リュゼは歩みを止めた。

『ここだよ。聖都の研究員が調べ切った後だから、何も出ないと思うけど…』

――ふうむ…。

 ニルさんはそこを見下ろして、小さく唸る。

――何か感じるか。

『何も…』

 やはり、何も感じない。通りはそこで途切れて、森へと続いている。周囲の薙ぎ倒された木々が、当時の衝撃を物語っているようだった。

『私も先程から探知をかけているが、何も出ないな』

『君、探知もできたのか…、万能過ぎじゃない?』

『そうでもない。専門外だ』

『ほんっと、恐ろしいな…敵じゃなくて良かった…』

『そんな事はどうでもいいだろう。…そこから、地下へ行けるのか?』

 通りの端に、四角い扉が取り付けられている。…カスケードに襲われた時の、あの街でも、同じように扉が付いていたのを覚えている。

『そうだね、地下水路がある。こないだの噴水の街みたいに、地下に水道を作って、そこから汲み上げて使ってたみたい』

――そうか。一応、地下も確認しよう。…スグル、大丈夫か?

『…大丈夫』

 地下はどうにも嫌な記憶が蘇って気が向かないが、そんなことも言っていられない。

『…感覚的なものなのだが、地下に複数の気配を感じる。探知をかけると勘付かれるかもしれん。リュザフィール、お前の『目』は、相手に気付かれる可能性があるものか』

『いや、絶対気付かれない。純粋に、見るだけだからね』

『それなら、地下を確認してほしい。いけるか』

『いいよ』

 リュゼが『目』を使うのは初めて見る。ドキドキしながら様子を伺っていると、彼は地面に膝をついて、じっと石畳の…おそらくその先の地下に向けて注視するように目を細めた。緑色の瞳が微かにその色を強めたような気がする。だが、それ以外特に変わったところは見られない。

『あー、だいぶ入り組んでるなあ…あ、でも人影がある…探知使ってないのに気配がわかるとか、おかしすぎだろ…』

『何人だ』

『見える範囲では5人。散らばってたらちょっと分からないな…』

 更に目を細めて、遠くを見るような眼差しになる。しかし何かに気付いた様子で目を見開くと、『うわ』と小さく呟いて顔を上げた。

『…最悪』

 眉間にぎゅっと皺を寄せて溜息をつくと、リュゼは苦笑してヴェルの方を見た。

『聖騎士だ』



 地下に今踏み入る訳にもいかないので、一旦別の場所に腰を落ち着けて話し合おうと言うことになった。形を残していた小さな宿の一室を借りて、3人で顔を突き合わせる。

――聖騎士か、ここにきてかち合ったか…。

『予想はしていたが、運が悪いな』

 それって私のせいではない、よな?自分が不運すぎてちょっと心配になる。

『どうしようか、いついなくなるかも分からないし…』

『正確な人数は?』

『全部で6人、聖騎士らしき人影は5人。甲冑は着てなかった』

『誰がいた?』

『…俺、隊に入って1年くらいしか経ってないし、すぐ国外に出たから、実はあんまり隊員の顔と名前が一致してないんだ。それでも分かった顔が一人』

『誰だ』

『…フェルステル』

『………』

 ヴェルが重い溜息をついて椅子の背にもたれた。

『…誰?』

 小さくリュゼに尋ねると、リュゼは眉を寄せて低い声で言う。

『聖騎士団の、副団長だよ』

 聖騎士団の、副団長…その響きに緊張する。

『強い…?』

『強いよ。すっごく。聖騎士団の切れ者』

『ヴェルより…?』

『純粋な力勝負ならヴェルフリードの方が強いだろうけどね…』

『……』

 ヴェルってそんなに強いのか。腕を組んで目を閉じて考え込んでいるヴェルにちらりと視線を向けると、『どうだろうな』と呟いて目を開けた。

『しかし、何故ここに…そうそう国を空ける人間ではないだろうに』

『そうだよね…』

『……彼等を躱して調査をするのは難しいな。だがこちらも急いでいる。もう一度覗いてくれ、リュザフィール』

『何を見るのさ』

『全てだ。地下全体の構造』

『…俺、そこまでやるとしばらく使い物にならなくなるかもしれないんだけど』

『使い物にならなくなればエルネスクの背に縛り付けておく』

『…』

 リュゼは一瞬絶望した顔をしたが、椅子に座りなおして、前かがみになってじっと動かなくなった。

『…地下は一層のみ、出入り口は全部で9つだ。水路が張り巡らされてて、中央に浄化術式装置が置かれてる。小部屋が複数…全部で、ええと……25。そのうちの北の端の一室の外に5人、中に1人。外の聖騎士の1人がフェルステル副団長殿だ。中にいる1人は…聖騎士の服を着てないな。多分研究員だと思う。茶色い外套を着てるなあ…俯いてて顔は見えない』

『…なるほど』

『暫くはそこから動くつもりはなさそうだな。なんか紙広げてる…地下水路の地図、かな。転写しようか』

『できるのか』

『一応それくらいなら。見えるだけ、じゃ困るだろ』

『助かる。紙を探してくる』

 ヴェルはそう言って席を立つと、宿の一階へと降りていった。程なくして、大きめの白い紙とインクを持ってきて、机に広げる。

 リュゼは茫洋とした視線を虚空に向けたまま、紙に手をついて、インクを手の上にぽたぽたと落としていく。

『…すごい』

 思わず感嘆の声が漏れる。リュゼの手の上に落とされたインクが、じわじわと紙の上を滑り、線を描いていく。

『…こんなもんかな』

 手を上げて、リュゼは疲れたように椅子の背もたれに体重を預けた。目頭を指で押さえている。

 浮かび上がった地図は、綺麗な円形をしていた。中央から等間隔に外側に向かって水路が16本伸びている。四角い線は、リュゼが言っていた『小部屋』だろう。互い違いに水路と水路を繋ぐ線が描かれていて、ぱっと見の印象は『蜘蛛の巣みたい』だ。真ん中は丸く空洞になっている。

『見事だな』

『…初めて褒められた気がする…』

 へらりとヴェルの言葉に笑うと、リュゼは身体を起こして、地図の一点を指で指し示す。

『ここが、聖騎士がいるとこ。俺は音は聞こえないから、なんの話をしてるのかは分からなかった』

『……』

 ヴェルは腕を組んでその一点を見下ろしている。北の端にある小さな四角い部屋。

『…南東の端から、調査を進めるか。ここに手掛かりが有るか無いかで今後の進路も考えなくてはならない。相手側の様子を伺いながら、こちらも動く。リュザフィール、侵入の際は相手側を常に観察してくれ。動きがあれば直ぐに地上に戻るぞ』

『分かった。…多分まともな戦力にならなくなるから、俺はずっとエルネスクに乗ってるよ』

――相手側から探知される危険性があるだろう。そちらはどうする。

『地下に入ったら、術式の遮断結界を張る。…撹乱くらいは出来るだろう。その隙に逃走する』

――珍しく、あまり計画性のないことを言うな。

『相手が相手だ、緻密な計画を立ててもあまり意味をなさないだろう。それに…こちらも急ぎだ。相手がいなくなるのを待ってはいられない。あちらの人員が増える可能性も無い訳ではないしな』

 確かに、それもそうか。相手が増えればこちらがどんどん不利になる。それに、ここが重要なポイントだ、何か得られないとこの先どうするか決めようもない。

『それなら、行こう。私、頑張る』

 今度はあんまり無茶はしないように。不運はどうしようもないけど、…というか今回の不運も自分のせいなのではと思わずにはいられないけど、危ないと思ったらすぐに逃げよう。

 ぐっと握りこぶしを作って見せると、ヴェルは眉間に皺を寄せて、なんとも言えない顔でこちらを見下ろした。

『……地下に入ったら、必ず指示に従って動け。いいな』

『うん!』


◇ ◇ ◇


 街の南東の端にある、金属製の扉をゆっくりとヴェルが持ち上げた。整備ももうされていないからか、パラパラと錆が地面に落ちる。覗き込むと、階段ではなく梯子が地下に向かって伸びていて、暗闇へと続いていた。恐る恐る真っ暗な地下を覗き込むと、ごうごうと水の流れる音が響いてくる。

『水流の音で多少の音は誤魔化せるかもしれんが、なるべく音は立てないで欲しい。声は出さず、グレイプニルを経由して連絡し合う。ただし、緊急の際はその限りではない。わかったな』

 ヴェルの声にみんなで頷いて、1人ずつ地下への梯子を降りる。最初はヴェル、次に私、次がリュゼ、その後ろをニルさんとエル。梯子って、どうにも体重のかかる範囲が狭すぎて苦手だ。足を踏み外してしまいそうで、じわりとした恐怖感が込み上げてくる。

 しっかりとした地面に足先が触れて、ほっとして溜息が漏れた。梯子の下から移動してリュゼが降りてくるのを待ちながら、暗闇に目を慣らす。

 以前見た水路とよく似ているが、それよりもなんだか空気がどんよりとしているような…流れが滞っているような感じがする。フードを被ったヴェルの顔をちらりと見上げると、金髪の隙間から紺色の瞳がちらりと覗く。彼は静かで鋭い視線を水路の奥へと向けていた。

 リュゼも地下に降りて、若干ふらつきながら梯子から離れて壁にもたれる。目を使うと、どうやら疲労がかなり溜まるらしい。その上から、ニルさんとエルがひらりと音もなく地面に飛び降りた。

――移動するぞ。

 ニルさんの指示で、音を立てないよう細心の注意を払いながら移動を始める。地図によれば、たしかすぐ近くに小部屋があるはずだ。

――何か、感じるか。

(よく、分からないけど、空気が澱んでいるような…全体的になんとなく気持ち悪い)

 それが、ただ換気がうまくできていないせいなのか、術式のせいなのかはわからない。

 壁に手を這わせると、じっとりとしていて気持ち悪い。所々苔が生えていて、足元が少しぬるつく。気をつけないと滑りそうだ。

 水路は、中央の…なんと言ったか、浄化術式装置、だったか…それに向かって真っ直ぐ伸びている。浄化された水はどこへ向かって流れているのだろう。

 ぽたぽたと頭上から落ちてくる水滴にふと顔を上げると、管のようなものが無数に張り巡らされているのに気がついた。あそこから、水が地上に流れているのかもしれない。もう誰も使ってはいないから、今はその装置と仕組みだけが残って、ただ綺麗な水を循環させているだけなのだろう。

 注意深く道を進むと、少し先に扉があるのが見えた。ヴェルが扉の前で立ち止まって、こちらに目配せする。

――確認しろと、ヴェルフリードが言っている。術式がかかっていればわかるかもしれん。

(わかった)

 扉の前まで忍び足で近寄って、金属でできたノブをじっと見る。…多分、術式はかかっていないと思う。多分だが。どうにもこの空間、全体的に気持ち悪くて判断がつかない。

 そろりとドアノブに指を伸ばして、軽く触れてみる。ビリっと微かに電気の流れるような感触に、思わず『あ』と声を漏らしてしまった。

『…ごめん』

 声を漏らしたことではなく、不用意にドアノブに触れてしまったことに。

 今のは…何かの術式が、発動した時の感覚だった。

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