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47.彼女の下着事情〈side:ヴェルフリード〉

 昼食が楽しみなのか、目の前の女は軽い足取りで階段を降りる。ひらりと翻るスカート、長い金髪、少し高くなった背。普段の彼女からはかけ離れた姿に慣れず、複雑な気分になる。だが本来、女性である彼女はこういう服装をするべきだったか。彼女には苦労ばかりかけている。

『走るな』

 深かった傷はまだ治っていない。体表の皮膚を塞いだだけの傷は、激しく動けば、傷口が開いてしまう可能性もある。

 注意すると、スグルはうっと小さく呻いてこちらを見上げて、今度はゆっくりと階段を降りだした。背中で揺れる長い金髪に強く違和感を感じて、やはり黒い髪の方がいいな、と改めて思った。



 先に階下で待っていた妙にだらしない顔のリュザフィールと合流して、宿から外に出る。昼を少し過ぎた時間だ、人通りは多い。スグルはきょろきょろと物珍しそうな視線を周囲に巡らせている。放っておくと何処かへ行きそうで怖い。

 先に宿のすぐ横にある厩舎に顔を出して、遠くで欠伸をしている白い獣を呼びつける。

『グレイプニル』

 ぴくりと耳を動かして、グレイプニルがこちらに向かって歩いてきた。外に出してやって、スグルに声を掛ける。

『スグル、背中に乗れ。あまり歩かせたくはない』

『うん』

 スグルはこくりと頷くと、スカートをたくし上げて――グレイプニルの背中に跨がろうとした。

『ス――』

 思わず、膝を掴んで動きを阻んだのと、リュザフィールがスグルの肩を掴んだのは同時だった。

『…っ、』

 リュザフィールと目が合って、同じことを考えているのだと分かる。動揺を隠して、スグルの膝から手を離した。

『……一応、今は女の子の格好なんだから、おしとやかに、ね?』

 リュザフィールの言葉にぱちぱちと瞬きをすると、『おしとやか?』と首を傾げた。

――おしとやか、だ。

 グレイプニルの言葉を受けて、スグルは少し頬を赤らめて横向きに座って膝を揃えた。

『…それでいい』

 息を吐き出して、眉間の皺を指で解す。これは少々…苦労しそうだ。



 近くにあった食堂に入り、丸いテーブルを囲んで腰掛ける。ついでに騎獣の食事も済ませてしまおうと思い、エルネスクも連れてきておいた。エルネスクはスグルを見て訝しげにくんくんと匂いを嗅いでいたが、今ではいつものように頭を擦り付けて甘えている。

 膝の上に頭を乗せてゴロゴロと喉を鳴らすエルネスクの頭を、スグルの白い手が撫でる。袖は長く、傷跡は見えない。リュザフィールが気を遣ったのだろう。

 騒がしい店内は、聞かれたくない話をするのに都合がいい。周囲に軽めの防音結界を張ってから、グラスを軽く持ち上げる。

『ここから目的地まで、あと20日ほどかかるだろう。やむを得ず少し遠回りしたからな。ここで荷を整えて、明日の早朝には出発する』

『うん』

 スグルは緊張した面持ちで頷く。ふとあることを思い出して、彼女の灰色の目を見る。

『偽名を用意しよう。何か思いつくものはあるか』

『…うーん』

 彼女は顎に手を当てて深く考え込む。暫くそのまま悩んでいたが、諦めたようにこちらを見上げて笑った。

『ヴェルが決めて』

『…私がか』

『うん。なんでもいい』

『……』

 それはそれで困る。何か取っ掛かりはないかと少し考え、昔の会話を思い出した。

『…確か、お前の名前、別の読み方があると言っていたな』

『「漢字」での読み方のこと?…よく覚えてたね』

 柔らかく笑って、スグルはグラスについた水滴を指で掬い、彼女の国の言葉を机に描いた。不思議な線の集合体は、文字と呼ぶにはあまりに複雑だ。

『ユウ、かな。色々あるけど』

『短いが、まあいいか。それにしよう』

『うん』

『ユウちゃんか、いいね、かわいい』

 リュザフィールは笑って頷いて、スグルの書いたテーブルの文字を見る。

『それ、君のいたところの文字?』

『うん、そうだよ』

『すっごい複雑。なんかかっこいい』

『そう?』

 嬉しそうに笑うスグルに、リュザフィールはだらしない笑み更にだらしなく蕩けさせる。非常にわかりやすいことだが、今のスグルの格好が気に入っているらしい。気持ちはわからないでもないが。



 食事を終え、茶を飲んで休んだ後、店の外に出る。スグルは帽子の下から眩しそうに街に目をやると、ふう、と満足そうに軽く息を吐いた。今日もよく食べていたので、満腹なのかもしれない。こんな細い身体のどこにあれ程の量の料理が入っていくのか、謎だ。

『宿に戻るか。早めに身体を休めておこう』

『うん』

『そうだね、…残念だけど、明日も早いから。着替えてゆっくり休みなよ』

 リュザフィールのその言葉に、スグルが困ったように笑う。

『リュゼ、かわいい服、ありが――』

 その時、強い風が吹いて、スグルのスカートがふわりと舞い上がった。

『わっ』

 慌ててスカートを押さえつけるスグルから反射的に目を逸らして、しかし、一瞬視界に入ったものに硬直する。

『…おい』

 同じく横で硬直するリュザフィールの胸ぐらを片手で掴んで顔を寄せる。スグルには聞こえないよう、ギリギリまで抑えた声量で、荒くなりそうな声を意志の力で押さえ込みながら声を絞り出す。

『……あれはなんだ』

『……それは俺の台詞なんだけど』

 リュザフィールもリュザフィールで、眉間に深い皺を寄せながら、低い声を出した。

『…まずはこちらからだ』

 それに、こちらも眉根を寄せて答える。

『…ガーターベルトについては、そりゃあちょっと下心があったことは否定しないよ、否定しないけど、アレがないと靴下ズリ落ちちゃうんでしょ?傷見えちゃうじゃん』

『長いスカートにすれば良かっただろうが』

『やだよ、短い方がかわいいし似合うだろ!?』

 否定はしない。

『ていうかさあ、普通見えないやつじゃん、だからいいかなあって思ったし、洋服屋の店員さんに滅茶苦茶勧められたから、なんか必須なものなのかなって思って買ったんだよ』

『…あれは必須なのか』

『知らないよ、男に聞くなよ!』

『……』

『それよりアレなに、なんでスグル男物の下着履いてんの…!?』

『むしろ何故お前は下着を買ってこなかったんだ』

『いやいやむしろなんで俺が買ってくると思ってんの!?なんで普通に男物の下着履いてんの!普段アレなの!?』

『…知らなかったのか』

『知らないよ!なんでまた男物の下着買い与えたかな…!』

『流石に私でも女物の下着の店に入るのは憚られる』

『気持ちはわかるけど!女の子なんだからさ!』

『それならお前が買ってきたらいいだろうが』

『流石に俺も無理!』

『お前も無理なんじゃないか』

『偉そうに言うなよ、君だって無理だったんだろ!』

『…ヴェル?リュゼ?』

 小声で押し問答を続けていると、スグルが不思議そうにこちらを振り向いたので、ぎこちなく微笑んで誤魔化す。彼女は不思議そうに首を傾げて、グレイプニルの背に腰掛けた。ゆっくりとグレイプニルが歩き出し、彼女がこちらから目を離したのを確認して、リュザフィールに小さく声をかける。

『…やはり、アレはどうにかした方がいいな…』

『…俺もそう思う』

『何かいい手はないか…』

『自分で買ってもらうしかないんじゃない…?』

『…そうか、そうすれば良かった』

 …何故今までそんな簡単なことに気がつかなかったのだろう。出会って初めの頃は言葉をまともに話せなかったが、今ならある程度言葉は話せるし、しかも都合がいいことに女の格好をしている。

『しかし、どう伝えるべきか…』

『そのまま言うのは流石にちょっときついよね…』

『……さりげなく、欲しいかどうか尋ねてみるのはどうだ』

『…それ、さりげないって、無理じゃない…?』

『………』

 ため息をついてリュザフィールの襟から手を離す。眉間をぐりぐり押さえて彼女の後ろについて歩く。

『…ス……ユウ、何か欲しいものはないか』

『欲しいもの?』

 彼女はきょとんとした顔でこちらを見上げると、ううむと唸りながら首を傾げる。

『お腹いっぱい』

 違う、そうじゃない。

『そっ、そうじゃなくてさ、何か、モノで、そういうのはない…?』

 リュザフィールが助け舟を出したが、スグルは更に首を傾げて、ふるふると首を振った。

『特に、ない』

『うっ…!』

 リュザフィールが頭を抱えた。

『だめだ、食欲以外無欲過ぎる!』

 こちらにだけ聞こえる小さな声で叫ぶ彼に、思わず顔を覆って頷いてしまう。またリュザフィールと顔を近づけて、『何かいい手はないか』と相談する。しかしどうにも良い方法が見つからない。

『ねえ、やっぱダメだよ、男から言うことじゃないって…!』

『だが今を逃したらずっとこのままな気がする』

『それは…っ全面的に同意するけど…!』

――騒がしいぞ。

 唐突にグレイプニルに声をかけられて固まる。

――今はスグルの意識に繋いでいない。下着がどうのと言っていたが、何の話だ…?

 はっとした表情でこちらを見たリュザフィールと顔を見合わせる。

『ねえ、思ったんだけどさ…』

『奇遇だな、私も思いついたことがある』

 こちらを不思議そうに見上げるグレイプニルの青い目を見下ろして、二人でこくりと頷いた。



 その後グレイプニルがどういう伝え方をしたのかは知らないが、欲しいものがあると気まずそうにこちらを見上げるスグルに財布を預けて買いに行かせて、リュザフィールと顔を見合わせて溜息をついた。

 洋服屋から紙袋を抱えて恥ずかしそうに出てきたスグルを促して、宿に戻る。…長い1日だったように思う。まだ夕方なのだが。

『ごめん、ちょっと疲れたから寝るね…晩御飯までには起きるから…』

 部屋の前で疲れた顔で手を振るリュゼに頷いて、自室の扉を開き、スグルを中に入れる。スグルは室内に入るとすぐにこそこそと自分の荷物に紙袋を押し込んで、ふう、と息をついた。ずっと頭の片隅では気になっていたが対応できていなかった一件が片付いて、こちらも心が軽くなる。

 ベッドに腰掛けた彼女は、帽子を脱いで、もぞもぞとかつらを脱ごうとして、固まった。

『むう…』

『…どうした』

『ひっかかった』

 髪を弄ってかつらと格闘するスグルの隣に腰掛けて、後ろから、彼女の髪とかつらを繋いでいたピンを数本慎重に引き抜く。

『随分と沢山つけているんだな』

『外れたら困るから…』

 絡まるかつらを外して、ついでに乱れた彼女の髪を整えてやる。さらさらとした黒い髪を指で梳りながら、そろそろ櫛でも買ってやろうかとぼんやり思った。

 普段彼女はシャツの裾を出している。それが身体のラインを出さないためだと漠然と察してはいたが、こうして女性らしい服を着ていると、細い腰や、筋肉のあまりついていないすらりとした脚が表に出て、見ていて落ち着かない。女だと意識しろと言われているようで居心地が悪くなる。

 髪から手を降ろすと、スグルはこちらに向き直って小さく笑った。

『ありがとう』

『いや…』

 呟いて、反応に困って目を逸らす。どうにも彼女には、自分の弱いところばかり見せている気がして複雑だ。ふと、彼女の右手に巻かれた包帯が視界に入る。

『…傷は、痛むか』

『ううん』

 首を振るスグルの手を取って、包帯を外していく。手のひらの深い傷は既に塞いであるが、まだ赤みを帯びて引きつっている。傷に軽く触れると、肩が少し動いた。

『まだ痛むんだろう』

『触らなければ、痛くない』

 拗ねたように唇を突き出す。頼むからこれ以上怪我はしないで欲しい。溜息をつきながら、おそらくあまり効果はないと思いながらも治癒の術式をかけて、包帯を巻き直していく。

『足は』

『…痛くない』

『嘘をつくと為にならないぞ』

『………ちょっと痛い』

『見せろ』

『うん…』

 彼女は小さく呻くように呟くと、するりとスカートの中に指を滑らせた。

『っ』

 思わず手首を掴んで、それを止める。

『お前は、本当に…、…っ、心臓に悪いな』

『しんぞうにわるい?』

 きょとんとこちらを見上げるスグルに、上手く説明する言葉が思い付かずに言葉に詰まる。僅かに覗いた白い太腿と頼りないレースの紐から慌てて目を逸らして、手首から手を離した。

『…なんでもない、脱いでくれ』

 目を閉じて、背を向ける。衣摺れの音がした後、背中がつつかれたので振り返ると、スグルが困ったような顔で足を差し出していた。

 微かに血が滲む包帯に、溜息が漏れる。

『…走るなと言っただろう』

『う…ごめんなさい』

 包帯を外して、傷口に指を這わせた。血は乾いている。鞄から薬を出して傷口に塗り、術式で再度塞ぎ直した。

『今日はもう動くな。夕食は部屋に運んでやる』

『うん…』

 包帯を巻きながら言うと、スグルは肩を落としながらベッドに座り直した。その肩を見下ろしながら、先日の騒ぎを思い出して、眉間に皺が寄るのを感じた。


 何故こうも、彼女は生傷が絶えないのだろうか。

 カスケードに背中を踏みつけられて、足首に剣先を突きつけられているのを見たときは、心臓が止まるかと思った。大抵彼女は何もしていないのだが、気が付いた時には何かに巻き込まれている。

 もっと早く見つけていれば、もっと早く気付いていれば。今更後悔しても仕方がないことは重々承知の上だが、そう考えずにはいられない。今回は運良く大怪我をする前に助け出せたが、次もそうとは限らないのだ。命に係るような怪我をすれば、私には助けられない。少しでも離れれば、何か起こるのではないかと不安に駆られる。

 大切なものは持つなと教えられてきた。即ちそれは弱みに繋がるからだ。騎士団の同僚に対しても、信頼は無かったとは言わないが、心の何処かで一線を引いていた。我々は一個人の為にいるのでは無く、国の為に、世界の為に存在するからだ。もしもの時に判断が鈍れば、国が、世界が滅ぶかもしれない。大きな危機に直面した時、そういう感情は障害になる。

 だから、父とも呼べる男の首を落とす時も、躊躇わなかった。躊躇ってはならなかったからだ。それが国の為に必要なことだった。

 自分の手は血に塗れている。助けた人間の数と殺した人間の数、果たしてどちらの方が多いのだろうか。だが、怨嗟の声には耳を傾けない。恐怖するな、悲嘆するな、同情するな。多数を救う為なら少数を切り捨てろ。我々は世界を救う為の歯車の一部だ。

 そう、考えて生きてきた筈だった。それが、スグルと出会って変わった。

 純粋で、素直で、他者のために傷を負うことに躊躇いがない。今まで見てきた人間と、あまりに違う。柔らかく微笑むのも、照れくさそうに頬を染めるのも、辛そうに涙を流すのも。感情豊かな彼女の顔を見ているのは、不思議と不快ではなく…好ましいとすら思う。

 離れるのが恐ろしい、傷を負うのが恐ろしい、――死なれるのが恐ろしい。ただただ、笑顔で…幸せになってほしいと祈る。

 自分はきっと、例えそれが世界の為であろうと、彼女を殺すことだけはできない。

 自分にとって彼女はもう、大切なものになってしまったから。

 その激しさを伴うような強い感情に名前をつけることはできず、本日何度目かわからぬ溜息を吐き出した。

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