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46.変装

 夜明けと共に、次の街に向けて出発した。足を怪我した私は、ずっとニルさんの背中で揺られている。歩を進めながら、昨日の出来事を余すところ無くニルさんに伝えた。まだこちらの言葉では全て説明するのが難しかったので、本当にニルさんがいて助かる。

――なるほど、ヴェルフリードが急いで移動をしたがったのは、その為か。

 その言葉に、ヴェルが小さく頷く。

『ああ。スグルの血が有用なものだと、カスケードは認識していた。それがどういうものかは正しく理解してはいないだろうが。あの街から出来るだけ遠くに移動しておきたい』

 今日の出発も、かなり急いだものだった。ちょっと睡眠不足で、目をごしごしこする。それとは別に、隣で眠るヴェルの顔が近すぎて、緊張して眠れなかった。…床で寝れば良かった。

――スグル、今の話で確認しておきたいことがあるのだが…お前、もしや、強力な術式の気配や、魔獣の気配がわかるのか?

『…?そうだけど、普通、わかるんじゃないの?』

『…普通、わからない。探知でやっと分かるくらいだ』

 ヴェルが呆れたように呟く。

――…どういう風に感じられる?

『…うまく言葉にできないけど、どっちも、気持ち悪い感じがする』

――違いはあるのか?

『うーん、術式の方は、色々…「びりびり」するのとか、「ぞわぞわ」するのとか』

 上手い表現が見つからなくて、日本語混じりに伝えると、ニルさんはううむと唸った。

『魔獣の方は、…難しい。「違和感」みたいな…嫌な感じ』

――それは、以前、馬車で見たときにも感じたか?

『…そういえば、変な感じした。たしか、船でも…』

 記憶を漁って呟く。乗船初日にエリクに引っ張られて、船の下層に連れていかれそうになったとき、すごく嫌な感じがした。

――もっとはやく分かっていればと思わずにはいられないが…。次、妙な気配を感じたらすぐに伝えてくれ。

「うん」

 そうか、あの感覚は、普通は感じないものだったのか。

『ねえ、魔獣って、召喚できるものなの…?』

 リュゼが首を傾げて、ニルさんに問いかける。

――本来召喚など出来ないはずだが…既に階層が乱れているからな…。実際召喚されていると考えると、可能なんだろう。

 ニルさんはちらりとこちらを見上げて、言葉を続ける。

――地下は血の海だったと言っていたな。敢えてそこに召喚したということは、その行為自体に理由がありそうだ。それに、あの街の特性を理解した上で、魔獣を噴水近くに転移させたのなら…まるで、世界を乱すのが目的のようだ。あの街の水には、暫く魔獣の血が流れ続けるだろう。他の土地の比じゃ無く、魔獣が出現する確率が跳ね上がっている筈だ。その男に詳しく話を聞く必要がありそうだな…。

『カスケードか』

 低い声で呟いたヴェルの顔を見上げる。そういえば…ヴェルは、私がカスケードの名前を呼んでいないのに、彼の名前を口にした。それに、カスケードもヴェルのことを知っているようだった。

『…知り合い?』

 小さく問いかけると、ヴェルは真っ直ぐ正面を見据えて、苦々しげに顔をしかめた。

『…私を、一度殺した男だ』

『……!』

 2ヶ月くらい前のことだ、今でも覚えている。魔獣の死体の前で、剣を交わす2人の影と、森に響き渡る剣戟の音。胸に開いた深い傷、そこから溢れ出る血と、皮膚を侵食する黒い液体。ぞくりと鳥肌が立つ。

『奴は手練れだ。傷を負わせられたのは運が良かった。暫く両手ではまともに剣は握れないだろう』

『…ヴェルフリードがそこまで言う相手なら、俺、出会ったら逃げた方がいい気がする…』

『十中八九死ぬぞ。対峙する前に逃げておけ。無駄に命は散らすな』

『はい…』

『足跡が辿られないように、変装した方がいいな。…リュザフィールは姿を見られていないから、そのままでいいか。スグルをどうにかしないと…取り敢えず今からはかけ離れた姿に…偽名もあった方がいいか…』

 顎に手を当てて考え込む姿に、なんとなく嫌な予感を感じて、助けを求めてリュゼを見上げたが…へらりと笑って首を振られて、ちょっと絶望した。



 次の街までは、ニルさんとエルの脚でも2日を要した。ふくらはぎの傷も一旦はヴェルに塞いでもらったので歩けるようにはなったが、歩くなと怒られたので未だにニルさんの背中の上だ。

 マントについているフードを目深に被って、到着したばかりの街を見渡す。明るい時間だし、人も多い。この賑やかな街には、もしかしたら魔獣騒ぎのことはまだ伝わっていないのかもしれない。

 ここも木造の建物が多くて、ダークブラウンの木枠と白い壁が並んでいる。外国の街の画像で、こういうのを昔見たことがある気がする…何処だったか覚えてないけど、確かヨーロッパの方。素敵な町並みに、いつか旅行で行きたいね、とよく友人と話をしていたのを思い出す。

 並んだプランターにはピンク色の可愛らしい花が咲いていて、何となく、いい街だなあと思った。

『カスケードがいつ襲ってくるかわからない。暫くは宿も同室にする。構わないか』

『…うん』

『可能な限り近くにいるようにするが、私が近くにいられない時はリュザフィールの近くにいてくれ』

『うん、わかった』

 通りを歩きながら、リュゼと頷き合う。いつ現れるか分からない脅威に備えるというのは、結構大変なものだ。

『リュザフィール、スグルの変装道具を揃えてきてくれないか』

『えっ、俺!?』

『今からかけ離れた姿になればそれでいい。この人数でぞろぞろ行くと目立つしな。顔の割れていないお前に行って欲しい。それに元々第8部隊の人間だろうが。変装くらいしただろう』

『うっ、そうでした…』

『宿は先に取っておく。荷は運んで置いてやる』

『ありがと。じゃあ行ってくる』

 通りを走るリュゼに軽く手を振って、ヴェルと二人で宿を目指す。大通りから一本中に入った通りに見つけた小さな宿に入って、リュゼの分の荷物と、自分達の分の荷物を部屋に運ぶ。二人部屋の方に私とヴェル、一人部屋の方にリュゼ。三人部屋は見たことがないから、相当大きな宿じゃないと無いのかもしれない。

『先に湯を浴びてこい。私が浴びている間は、リュザフィールに近くにいてもらわないといけない』

 ああ、そうか、お風呂に入っている間は少々無防備だし、剣を持ってお風呂に入るわけにもいかないし。こくりと頷いて、有り難く先に浴びさせてもらうことにした。



 お風呂から上がって少しすると、リュゼが大きな袋を抱えて帰ってきた。

『スグルに似合う服考えてたら、時間かかっちゃった!ごめん』

 リュゼはそう言って、袋を私に渡す。

『着てみて』

『う、うん』

妙に晴れやかな顔のリュゼにたじろぎながら、それを受け取る。

『あ、あと、ヴェルフリードにはこっち』

ちいさな小瓶を手渡して、リュゼはニッと笑う。

『その髪の色でカスケードに会ったんなら、一応変えた方がいいでしょ』

『…まあ、そうだな』

『一応スグルとお揃いね、兄弟設定だし。俺の部屋の浴室使っていいから、身体流すついでに染めてきて』

『ああ』

 あれ、ヴェル、また髪染めるのか。今度は何色なんだろう。首を傾げていると、リュゼはこちらに向き直って、『早く着替えて!』と浴室に私を押し込んだ。

 若干の不安を感じながら、浴室の脱衣所で袋を開ける。まず目に飛び込んできたのは、金髪のかつら。……正気か、リュゼ…!まあ、でも、これは…絶対私だってバレないだろうな…。

 袋の中には、白い長袖のシャツと、薄い水色のスカート。腰のところが編み上げになっていて可愛らしい。紺色のリボンは、胸元で結ぶものだろうか。黒に近い茶色のニーハイソックスと、そして…これは…ガーターベルトでしょうか…生で見たのは初めてです、リュゼ…。白いレースでできた頼りない布切れに思わずたじろぎ、心中の呟きも敬語になる。これ、リュゼは一体どんな顔で買ったんだ…。

 あとは薄い茶色のショートブーツ。よくよく見ると靴底が分からないようにかなり底上げされていて、シークレットブーツになっているようだ。10センチちょっとありそう。なるほど、身長もこれで多少誤魔化せるわけだな。

 シャツを着て、スカートを履いて、腰の編み上げ紐を結んで行く。こういう女の子っぽい服を着るのって、いつぶりだろう。膝丈のスカートの下には薄いレースがついていて、脚を動かすと裾からちらりと見えた。襟に紺のリボンを通して、首元で蝶々結びにする。

 さて、ここからが問題だ。傷跡が見えないように、リュゼはこれを用意してくれたんだろう。用意してくれたのはわかるが…困って固まる。ガーターベルトなんて装着したことがないので勝手が分からない。まずこれ、下着の上につけるのか下着の下につけるのか、どっちなんだ。というか、あの、私、未だに下着、男性物なんですけど。

 ショートパンツタイプの下着の上からつけると、全然安定しない。一度下着を脱いで、先にガーターベルトをつけてから下着を身につける。ぐ、ぐぬぬ、恥ずかしすぎて死にそう。ここから出たら一発リュゼを殴ってやらないと気が済まない。

 用意されていたショートブーツを履くと、普段よりぐっと視線が高くなってたじろぐ。鏡を見ながら金髪のかつらをかぶって、あまりの違和感にぷふっと吹き出してしまった。黒髪が出てこないようにピンで留めて隠して、かつらも固定する。生え際のあたりが擦れて凄く痒い。

 ガーターベルトと長時間格闘していたので、着替えにかなり手間取ってしまった。鏡の前でくるりと回ると、長い金髪がふわりと揺れる。うん、これは別人だ。あのカスケードでも一瞬では判断つかないんじゃなかろうか。なんだか、変装ってちょっと楽しいな。

 化粧も終えて、改めて自分の姿を見下ろす。ここ2ヶ月、というかそれ以前から、ズボンばかり履いていたので、どうにも足の上の方がスースーして落ち着かない。ここまでやっておいて何だが、浴室の扉を開けるのが躊躇われる。

 暫くドアノブを握りしめたまま逡巡して、いやしかしずっとここにいるわけにもいかないと決意を固めて扉を開ける。

『あ、スグ――』

 こちらを見て固まったリュゼに、思わず眉を顰める。お前が買って着たんだろうが。そのまま黙って動かないリュゼの目の前まで歩いて行って、顔をじっと見上げると、リュゼはぶわっと顔を赤くした。

『あっ、いや、その』

『…?』

『いやー、俺凄いや、別人にしか見えない!』

 慌てたように早口で言って、私の手を握ってぶんぶん上下に振った。ちょっと行動の意味がわからない。

『あー、このままデートしたいなあ、でもそんなことしたら殺されるよなあ』

『でーと?』

『それに合わせて帽子も買ってみたんだけど、どうかな!』

 白い帽子を私の頭に乗せて、リュゼはへらりと笑う。

『似合うよ、スグル!いい感じ!散財したけど後悔はないよ!ねえ、くるって回って見せて!』

『おい、騒がしいぞ』

 タオルでがしがし頭を拭きながら部屋の扉を開けたヴェルは、私の姿を見て固まって――同時に、金髪になった彼の姿に、私も固まった。



 そう、かつて私は、頭の中でヴェルの髪色を変えて遊――いや、どれが似合うか検証した際、『金髪は王子様みたいで色々考えた結果気持ち悪いから無いな』という結論を出した。出したわけだが。

 正面に立つ無表情のヴェルは、なんとも金髪が似合っていて、しかし…空気が鋭すぎてどちらかというと王様だった。なるほど、こうなるのか…。

 風呂に入れ、とヴェルが部屋からリュゼをつまみ出したので、今は静まり返った部屋に二人きりだ。

『…まるで別人だな』

 感心したようにこちらを見下ろすヴェルに、引きつった笑みを向ける。高いヒールの靴を履いているから、いつもより少し顔が近い。

『ヴェルも、別人、みたい』

 緊張気味に言うと、ヴェルは髪を触りながら、『髪を染めただけだが』と呟く。なんだか、知らない人みたいでちょっと落ち着かない。おどおど見上げていると、ヴェルはベッドに腰掛けた。

『まだ足が治っていないだろう。座れ』

 促されて、隣に腰を下ろす。スカートがふわりと揺れて、下のレースが覗いた。おでこをぽりぽり掻いていると、ヴェルが不思議そうにこちらを見下ろす。

『どうした』

『かゆい…』

『今は別に外に出ないのだから、脱げばいいだろう』

『うん』

 帽子を外し、ごそごそ頭をまさぐって、留めていたピンを引き抜いていく。すぽっとかつらを脱ぐと、壮絶な痒みから解放されてほっとした。

『ボサボサだ』

 ヴェルがくすりと笑って、私の髪を撫でていく。笑うとなんだか、顔がキラキラして見えて、変な感じがする。あんまり笑わないでほしい…!心臓に悪い!

『やはり、こちらの方がいいな』

『…?』

『髪の色だ』

 優しく髪を梳っていた手が、するりと頬を撫でて離れる。

『…ヴェルの髪も、元の色の方が、好き』

 なんだか眩しいから(物理的にも)。小さく呟くと、軽く眉を寄せて、ヴェルは困ったように笑った。

『…あまり、好ましいと言われたことは無い』

『どうして…?』

『乾いた血の色に似ていると』

 ヴェルは苦笑して、溜息を吐く。乾いた血の色、確かに言われてみればそんな気もするけど。

『ヴェルの、髪の色は…夕方と、夜の間の空の色みたいで、綺麗だよ』

『…そうか』

 目を伏せて微かに笑うヴェルの髪に手を伸ばす。脱色したようには見えない。こちらの髪染めって、どういうものなんだろう。不思議に思って髪をさらりと触って見る。もしかしたら術式も使っているのかも…弱い術式の気配は私は感じられないので、確信は持てないが。それよりも凄くさらさらで羨ましい。ずっと一緒にいるから同じ洗髪剤を使っている筈なのに、私よりさらさらだ。

 思わず撫でるように髪を触っていると、ヴェルは変な顔で撫でていた私の手を取って膝に下ろした。

『?』

『…あやされているみたいで、複雑だ』

『あやされている…?』

『…子供扱い、されているみたいで』

『っふ』

 あれだけ私を子供扱いしておきながら、何を言っているのだ。吹き出して肩を揺らして笑うと、怖い顔でこちらを見下ろす。何故か金髪の分普段より凄まじく迫力があって、ひっと声を上げてしまった。

『…まあ、いい。街にいる間はその服を着ていろ。移動中はそれでは動きにくいだろうから、今まで通りの服装でいいが…かつらだけ被って、身体はマントで隠してくれ』

『わかった』

 あの痒みとはお友達にならなくてはならないようだ。気合いを入れて頷く。ヴェルはちらりと隣室に視線を向けて、目を細めた。

『そろそろリュゼが戻るな。食事に行くか』

『うん!』

 今日のご飯はなんだろう。時間はお昼時を少し過ぎた頃で、正直かなりお腹が空いていた。楽しみで頬が緩んでいたらしく、ヴェルがこちらを見下ろして鼻で笑う。

『そうしていると幼女のようだな』

 非常に腹立たしかったので、お腹を殴っておいた。どうせ効いていないだろうけど。

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