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44.血と傷ときっかけ

――優、大丈夫か。…身体中から魔獣の血の匂いがするが。

「大丈夫…」

 少しして、私が落ち着いた頃にニルさんが声を掛けた。ひどく優しい声に、また泣きそうになる。

「心配かけて、ごめんね…」

――いつものことだ、慣れた。

 ニルさんを慣らしてしまうほど、私は心配をかけているのか。落ち込んでニルさんの後頭部を見下ろすと、「冗談だ」と返されて、少しだけ笑みがこぼれる。

――どうせまた、何か良く分からないまま事件に巻き込まれたんだろう。お前は悪くない。

「まあ、今回も…そうだけど…」

 そう言われると、なんかちょっとキツイものがある。遠くの方で聞こえる剣戟の音に、視線をを向ける。

「あっちは、大丈夫…?」

――もうすぐ片がつくだろう。リュザフィールも、あれでも一応は聖騎士だ。二人いれば問題ない。それに、もともと手負いのようだったが…。

「……」

 …かわいそうに。あれは、カスケードの手によって、意図的に召喚された魔獣だ。本来きっと、こちらに現れるはずのない獣。真っ赤な目を思い出して、喉の奥がぎゅっと窄まるような感覚に目を閉じた。遠くの方から聞こえる魔獣の断末魔の叫びに、唇を噛み締めて、涙が溢れそうになるのを我慢する。ニルさんは悲痛な眼差しを街の中心に向けていた。

――それよりも問題なのは、水の方だな。水路に魔獣の血が流れ込んで全滅だ。もはやここは人の住める土地では無くなった。…更に、偶発的に魔獣が現れやすい土地になってしまった可能性が高い。

「…それは」

 カスケードは、魔獣を転移させる時、『都合が良い』と言っていなかっただろうか。これも全て、彼の計画のうちだったのだろうか。

「どうにもならないの…?」

――私の力ではどうにもならん。

「私の血でも?」

――時間がかかりすぎる。それに、下手をしたらお前も死ぬぞ。

「……」

――そろそろ聖都から聖騎士が送り込まれるだろう。それはそちらに任せるしかない。それに、彼らとかち合うわけにもいかないしな…。

 ニルさんは街道を駆け抜けて、街の中心の噴水へと向かう。街は閑散としていて、至る所に誰かの血が飛び散った跡があった。靴や、食器や、紙切れや、家具の類。唐突に現れた災厄に、全てを投げ出して逃げた跡。目を逸らして、ニルさんの背中の毛をぎゅっと握りしめた。



 噴水の前までついて、魔獣の死体と対峙して息を呑む。黒い獣は、どくどくと血を流しながら、真っ赤な目を開いたまま死んでいた。哀れなその姿に思わずニルさんの背中から降りて駆け寄って、身体に触れる。まだ、温かかった。

『スグル!』

 リュゼが慌てたようにこちらに駆けてくる。

『危ないよ!触っちゃダメだ』

『大丈夫』

 制止する手を軽く払って、魔獣の肩口に刺さったままだった、短剣の刃を握る。熱いとさえ感じるずきりとした痛みと共に、真っ赤な血が溢れて、剣を伝って魔獣の身体に流れ込む。魔獣はその身体の形を徐々に失っていき、地面に溶け込むように消えていった。残った短剣をぼんやりと握りしめたまま、地面に広がった血の跡を眺める。指先から落ちていく自分の血が、黒い血溜まりにぽたぽたと落ちる。地面にしゃがみこんで、その血溜まりに手を浸した。赤い血が急速に黒い血を侵食していく。血から立ち上る気配が消えたのを確認して、腰を上げた。

――すまない、スグル。礼を言う。

『ううん。やりたかったから』

 自分が直接的に関わって召喚したわけでは無い。ただ、あまりに哀れだった。

『スグル…?』

 呆然とこちらを見るリュゼに何も言わず、短剣を放る。短剣は乾いた音を立てて、地面を転がった。噴水の水からは嫌な気配がする。遠くの方で、また誰かの悲鳴が聞こえた。

――また、現れたか。

『我々では処理しきれない。聖騎士とかち合うと面倒なことになる。街の外で、微かに転移の気配を感じた、そろそろ現れるだろう』

――そうか…、それでは移動しよう。

『…うん』

 困惑気味で頷いたリュゼは、戸惑いながら離れたところにいたエルの背中に乗る。エルの背中には荷物が沢山括り付けられていた。移動する準備は整っていたらしい。自分もニルさんの背中に乗って、首の近くの毛を掴む。べっとりとニルさんの綺麗な白い毛に自分の血がついて、少し申し訳なく感じた。後ろにヴェルが同乗して、すぐに街の外に出るべく街中を駆け抜ける。門番のいない城門を抜けて、隣町へと移動する間、ヴェルは一言も喋らなかった。


◇ ◇ ◇


 隣街についたのは、夜遅い時間だった。

 街路はあまり舗装されていなくて、殆ど土のままだ。街の真ん中の大きめの通りだけ、石畳になっている。街灯で薄っすら照らされた街は、周囲を木々で囲まれているせいか、建物も木製のものが多く、どこか温かみのある色をした民家が多い。どの家にも一様に小さな庭があって、何かの植物や花を育てているように見受けられた。家庭菜園かもしれない。緑が多く、自然が豊かで、心が休まる街という印象だった。

 小さな街には宿は一つしかなくて、しかも部屋も一つしか取れなかった。おそらく、あの噴水の街から先に逃げてきた住民が宿を取っていたのだろう。騎獣に乗れば早く着く。実際、外の廐は、騎獣で既にいっぱいだった。無理を言って2人部屋に3人で入って、荷物を床にどさどさ置く。ベッドと机と椅子が人数分あるだけの部屋は狭くて、人が多いと圧迫感を感じた。

『先にお風呂はいっていいよ』

 リュゼが、ふうと息を吐きながら言う。酷く疲れた顔をしていた。それはそうか、魔獣との戦闘の後だ。しかも途中、ヴェルがこちらに出向いていたから、恐らく一対一での戦闘になったのだろう。

『いいよ、先に入って』

 首を振って言うと、リュゼは困ったような顔をした。

『こういうのは女の子が先でしょ、いいから!』

 背中を押されて、ふらつきながら浴室に入る。着替えが入っている鞄も一緒に渡されて、問答無用で扉が閉まった。…リュゼは女性には優しいので、もしかしたら育ちがいいのかもしれない、とふと思った。



 まだ濡れていた血塗れのシャツを脱いで、ぐるぐるに丸める。多分このまま捨てたほうがいい。私の血も染み込んでいるから、多分もう害はないとは思うが…燃やして捨てるくらいが丁度いいかも。後でニルさんに相談しよう。ズボンも同じように脱いで、下着も脱ぎ捨て、深く息をつく。全部捨てた方がいいかもしれない。というか、所々裂けてるし、もう二度と着ることもないだろう。

 改めて鏡で確認すると、切り傷だらけで落ち込む。左腕に2箇所(一つは脱獄するとき自分でやった引っ掻き傷だ)、右手のひらに1箇所(これは自分で剣を握った時のもの)、肩、腰、右の太ももと左のふくらはぎに1箇所ずつ。さらに頬に擦り傷。また傷だらけだ。カスケードは多分手加減していたから、ふくらはぎの傷以外はかなり浅い。もうすっかり血は止まっているが、まだ微かに痛む。もともと傷跡だらけだったのに、更に傷が増えて、もうなんていうか…絶対お嫁に行けない。

 浴室に足を踏み入れて、湯船に湯を溜めながら身体を流す。傷に触れるとずきりと激しい痛みが走った。石鹸で体や髪を洗うと、僅かに茶色っぽい色に染まって、ちょっと引く。香油で髪を流して湯船に浸かると、やっと落ち着けて、ふはあと声が漏れた。

 冷えた指先がじんじんする。心臓のどくどくという音が大きくなるような気がして、身体中の血液が巡っていくのを感じた。沢山、血を見た後だ。自分も、一歩間違えれば死んでいたと思う。それに、カスケードに連れて行かれていたかもしれない。一度はどこかに行った筈の不安にまた心を支配されそうになって、湯船の中で膝を抱えた。

 …あまり長湯するのも申し訳ない。さっさと湯から上がって、身体を流す。濡れた肌を白いタオルで拭くと、傷口に触れて少しだけ赤く染まった。身体が温まって、傷が開いたのかもしれない。血の色が目立たない黒いシャツと黒いズボンに着替えて、浴室から出る。後で自分で包帯でも巻いておこう。次はヴェルが湯を浴びるらしく、黙って入れ替わりで浴室へ入っていった。

『…君たち、なんかあったの?』

 椅子に座って机に頬杖をついていたリュゼが、なんとも言えない顔でこちらを見た。それに返す言葉が見つからなくて、黙って向かいの椅子に腰掛ける。

『大丈夫?』

 リュゼの手が伸びて、頬の傷に触れる。俯いてこくりと頷くと、リュゼは訝しがるような表情でこちらに顔を寄せた。

『スグル、…なんか、身体から血の匂いがする。さっきまでと違う匂いだ。頬と手以外に怪我してるの?』

『…!』

 そんなに、血の匂いがしているだろうか。困惑してくんくんとシャツの匂いを嗅いでいると、リュゼはぷっと吹き出した。

『戦闘直後だから、ちょっと感覚が鋭くなっちゃって。香油の匂いに混じってわかりにくいから、普段なら気付かなかったかも。…俺が、治癒の術式使えたらよかったんだけど』

『大丈夫、浅いから。後で、薬、塗ろうと思ってた』

『どうして?…ヴェルフリードに、知られたくない?』

『……』

 言葉に詰まって、押し黙る。

『まあ、多分気付いてると思うけど』

『えっ』

『俺が気付いたんだから、そりゃあ気付くでしょ』

『う…』

『なんで隠すの?ヴェルフリードに治して貰えばいいでしょ』

『………………怒ってるから』

『は?』

 リュゼはぽかんとこちらを見下ろして、ぱちぱちと瞬きする。

『いや、怒ってはいないと思うけど…』

『…』

 さっきまでのヴェルの姿を思い出して縮こまる。気配がいつもより鋭いし、あんまりこちらを見ない。あれはきっと怒ってる。

『スグルってさあ、時々子供みたいなこと言うよね』

『ぐ…』

『かわいいけどね』

『…は?』

『時々歳上だってこと忘れるよね』

『うう…』

リュゼはふふっと笑って、子供にするように私の頭を撫でた。なんとなくムカついて睨み上げるが、リュゼは笑うばかりで手を止めない。

『ほんと、かわいいな、スグル。ヴェルフリードがお風呂から上がったらちゃんと話しして、治療もしてもらうこと。わかった?俺、お風呂後でいいや。今からちょっと外行って、ご飯買ってきてあげるよ。今ならまだ酒場は開いてるからね。適当に時間潰して、1時間くらいは戻らないから、それまでに頑張ってね』

『えっ』

『もしできてなかったら、スグルの分のご飯は抜きです』

『ええっ!?』

 唐突に立ち上がったリュゼは、財布を持って軽く手を振りながら部屋の外に出ていってしまった。そ、そ、そんな、困る!2人きりにしないでくれ!怖いから!リュゼに向かって伸ばした手は、空を掴んで途中で止まった。


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