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42.血の宴※

『これはこれは、どういうことでしょう』

 気味の悪い笑みを浮かべてこちらに近付いてくる男に、血の気が引く。本能的な恐怖に身体を突き動かされて、背を向けて逃げようと駆け出す。しかしすぐに腕を掴まれ、つんのめって前に倒れそうになった。

『術式が失敗したのか』

『いいえ、失敗はしていません。おかしいですね、閣下とわたくし以外の人間は全て転移されるはずなのですが』

 ふいに、ぞわりと腕を駆け上がってくる不快感に顔をしかめる。何か術式でも使われたのだろうか。カスケードは私の顔を覗き込んで、ほう、と呟く。

『精神干渉も跳ね除けますか。これは面白い』

『…っ』

 腕を掴む力は強い。振り解こうともがくが、力は強くなるばかりで外れる気配がない。

 笑みを深めたカスケードは、領主の方を振り向いて声を上げる。

『閣下、この子供、いただいてもよろしいですか?良い実験材料になりそうです』

『構わん』『ありがとうございます』

 じっけんざいりょう、とはなんだろう。ただ、嫌な予感しかしない。カスケードは更に腕を握る手に力を込める。

『先に、地下に降りているぞ』

『ええ、すぐにわたくしも向かいます。どうやら術式が効かないだけで、身体の方は普通の子供のようですし』

 カスケードは目を細めて掴んでいる腕を見下ろした。腕を強く引かれて、身体がぐらりと傾ぐ。

『手荒な真似はしたくは無かったのですが、術式で眠ってくれないのなら仕方ありませんね』

 首の後ろに強い衝撃を受けて、膝から力が抜け――ふわりと意識が飛んだ。



 目が覚めると、冷たい石の床の感触。…再びこの感触を感じることになるとは。もう二度と味わいたくは無かった。

 あまり身体は重くない。長時間、意識を失っていた訳ではないのかもしれない。身動きしないよう注意しながら目を開けると、ぼやけた視界に石の床が映る。正面には鉄格子がはまっていて、どうやらここが牢屋らしいということに気がつく。等間隔に並んだ金属の柱の隙間から、遠くに机と椅子が見えた。机の上は散らかっていて、沢山の紙で埋め尽くされている。横に置かれた術式で光る円柱状のライトが、それを薄ぼんやりと照らしていた。

 人影は、確認できる範囲にはない。周囲を伺いながらゆっくりと身を起こす。また牢屋か、しかも前回よりもより牢屋感が強まった。こんな所に縁など感じたくない。

 …ヴェルに、なんと言えばいいだろう。弁明する言葉が思いつかない。結果的に言えば、相談せずに勝手に決めて、巻き込まれて捕まってしまったという状況だ。可能なら、ヴェルに勘付かれる前に、何事もなかったかのように食堂に戻っていたいのだが。こんな状況ではそれも不可能だろう。

 今、一体何時だろう。室内には窓はなく、あれからどれくらい時間が経ったかわからない。

 じめじめとした空気は、かつて閉じ込められた地下牢を思い起こさせる。もしかしたらここもまた地下なのかもしれない。領主が確か、地下に行くとか何とか言っていた気もするし。

 石の壁に手をついて立ち上がって、牢の中を観察する。殴られた後頭部がずきりと痛んだ。鉄格子の幅はあまり広くないが、一本でも外れれば何とか外に出られそうだ。手近な柱を掴んで、軽く揺する。連動して、鉄格子全体が揺れた。全て溶接されて繋がっているらしい。これでは容易には脱出できないだろう。

 ふと、等間隔に並び過ぎている格子に違和感を感じる。出入り口がない。普通こういうのって、小さな出入り口がつけられているものでは無いのだろうか。それが無いのなら、何かの術式がかけられている可能性が高い。一本一本触っていくと、なんとなく気持ち悪く感じる柱が数本ある。…このあたりに、術式がかけられているのだろう。

 カスケードは、多分まだ…血の特性まではわかっていない筈だ。多分、外からかけられる術式を跳ね除けるようなものだと思っている。だから、術式で閉まる鉄格子に私を入れた。それに、この牢屋内は奇妙な気配がする。こういう牢屋なら、中に入った囚人が術式を使えないようにしないと意味もないだろう。この気配は、術式を封じるといった類の術式、だろうか。

 私の血は、基本的に術式を遮断する。正直、非干渉、というものがどれ程の力なのかはいまいちわからない。しかし簡単な話、自分から意図的に干渉すれば、それを破壊できる筈だ。普段は不便なこの全てゼロにしてしまうという血も、ようは使いようだ。

 伸びた親指の爪を噛んで、ギザギザに尖らせる。腕に爪を這わせて力を込め、何度か往復させると、じんわりと血が滲んできた。傷口を鉄格子に触れさせると、ぴりっと電気が流れるような感覚とともに、触れていた格子が、がこんと外れて落ちる。

 武器がわりになりそうなその鉄の棒を拾って、周囲に意識を張り巡らせながら、ゆっくりと室内を進んだ。机の上に散らばった紙は何の資料か知らないが、円と記号を組み合わせたようなものが沢山書き込まれている。それは、術式の図か何かに見えた。ランプの近くには、試験管のようなものと、小瓶が複数、乱雑に置かれている。実験でもしていたのだろうか。

 部屋にある扉は一つ。木製の扉には小窓も何もついていないので、外の様子は窺い知れない。ドアノブに手をかけて、手前に軽く引く。隙間から見える範囲には誰もいない。音を立てないように静かに扉を引いて、身体を滑らせるように外に出た。

 石造りの通路は、想像していたものと違う。真ん中に水路のようなものが通っていて、ごうごうと水音を立てていた。地下水路のようだ。ここは屋敷の地下なのか…?壁に手をついて、暗い通路を進む。通路は緩くカーブを描いていて、どうやら円形になっているらしい。どこに地上へ上がる階段があるか分からなくて、見つけた扉は片っ端からそっと開いてみる。だが、どれも私が閉じ込められていたような部屋で、階段は見つからない。

 焦りで、歩みも速くなる。水路はどうやら分岐しているらしく、所々で細く脇道のようなものが円の外側に向かって伸びていた。そちらへ進むには水路を渡るしかないが、どこにも橋がない。泳いで渡るには、水流は激しい。

 空気はひんやりとしているし、水飛沫が身体に触れて冷たい。上着は気付いたら無くなっていたので、寒さで身体が震える。

 5分ほど進んだ所で、今までとは違う、両開きの大きな扉を見つけた。取っ手を、緊張しながら掴む。扉の陰に隠れるようにして、ゆっくりとノブを回した。集中して耳をすますと、微かに誰かの話し声が聞こえる気がした。水音で何を話しているかは全くわからない。だが、なんとなく…嫌な気配がする。ここにいてはならないと、本能が警鐘を鳴らす。微かに嗅ぎ慣れた臭いが鼻をくすぐって、全身に鳥肌が立った。むせ返るような、血の匂い。

 震える腕を意志の力で抑え込んで、必死に、音を立てないように扉を閉める。ここは、きっと、入っちゃいけない場所だ。水路を渡ってでも、違う道を探すべきだ。扉を閉めて、まだおさまらない震えを、身体を抱きしめて抑え込もうとする。しかし、さっき閉じたはずの扉が、何事もなかったかのように開かれた。

『おやおや』

 呆然と見上げると、薄っぺらい笑みを顔に張り付けた男の、薄い金色の瞳がこちらを見下ろしていた。

『もう目が覚めたのですか。それにしても、どうやって逃げ出したんです?かなり強力な術式を組んでいたのですが、あなたにはそれも通用しないようですね』

 私が握りしめている金属の棒を見て、くつくつと喉の奥で嗤う。

『丁度いい、実験してみましょう』

『…っ!』

衝撃に固まってしまっていた私の両腕を、カスケードが掴んで、後ろ手にねじり上げる。指から力が抜けて、棒がからんと石畳に転がった。そのまま室内へと押し込まれて、がくがくと膝が震える。

『なんだ、どうした、カスケード』

『すみません、実験材料が起きてしまっていたようで』

 奥に、杖をついて立つ初老の男。領主は、こちらを値踏みするような視線を向けたが、面倒そうに視線を正面に戻す。

『一緒にここで肉塊にしてしまえばいいだろう』

『それも良いですが、少し考えがございます。お任せいただいてもよろしいでしょうか』

『構わんが…』

 カスケードに引きずられて、広いホールのような空間へと足を踏み入れる。どんどん濃くなる、酷い匂い。初めは暗くてわからなかったが、床に何かの塊のようなものが散らばっているのが見えた。ぱちゃっと、足元で液体が跳ねる音がする。ぼんやりと視線を下にやると、自分が黒っぽい液体を踏んでいることに気がつく。

 カスケードが指を向けると、壁に取り付けられていた燭台に火が灯っていく。少しだけ明るくなった空間に一瞬たじろいで、…目の前に広がっている惨状に、吐き気が込み上げる。

『っ、う』

 思わず後退りして、カスケードにぶつかる。がくがく震えながら見下ろすと、靴は血で赤く染まっていた。何かの塊だと思っていたものは、人間――人間だったもの、だった。

 真っ赤な空間には、一体何人分の血が飛び散っているのか想像もつかないし、想像したくない。細切れにされて、腕や、足や、首や、臓物が、まるでモノみたいに転がっている。空虚に見開かれた瞳と目が合った気がして、必死にソレから目を背ける。一緒に散らばっている布切れで、それがホールにいた人々なのだと察した。

『っ、やっ』

 カスケードの手を必死に振り解こうとするが、腕は抜けない。ぼろぼろと生理的な涙が頬を伝う。

『さて、術式を起動しようと思いますが、閣下、よろしいですか?』

『ああ、勿論だ。この時をどんなに待ち望んだことか!』

 視界の端で、領主が腕を広げるのが見える。こんな惨状を目の前にしているのに、何故こんなにも平静にしていられるのか理解できない。歯の根が合わず、かちかちと音が鳴る。

『それでは』

 光の輪がカスケードの指先から生まれて、地面へと落ちる。ぶわりと、まるで水滴が水面に落ちた時の波紋のように広がって、ばちばちと火花を散らした。胃液が逆流するような不快感に、目を瞑って耐える。ぞくりと背筋を駆け抜ける、嫌な感覚。この感覚は、どこかで…。

『ああ――』

 領主が、恍惚とした溜息を漏らす。恐怖を押し殺してゆっくりと目を開けると――そこには、一匹の魔獣が立っていた。


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