41.生誕祭
翌日。
夕方、6時ごろに馬車で迎えに来た男は、慇懃に礼を取る。
『お嬢さん、お迎えにあがりました』
非常に胡散臭い笑みは変わらない。ニルさんには先に説明はしておいたので、食堂でお留守番だ。心配そうにぐるぐる回るエルの身体を、ニルさんが押し留めている。
――気をつけてな。何かあれば逃げてこい。エルを屋敷の壁につけておく。エルの方が耳が良い。
(うん、わかった)
ニルさんは過保護気味だが、よく私は事件に巻き込まれるし、気持ちもまあ理解できる。なんでこんなに不運なんだろう。あんまり考えすぎるとフラグが立ちそうだ。
心配そうなエルの頭を撫でると、頬に擦り寄ってくる。離れるのが少し寂しい。
『それでは奥様、お嬢さんを少しお借りしますね』
『ええ』
にこやかに微笑んだおかみさんは、こちらに向かって軽く手を振った。それに手を振り返して、馬車に乗り込む。特に荷物はいらないので手ぶらだ。男は私の隣に乗り込んで、行者の男に『出発してください』と声を掛けた。
街道を走る馬車は、石畳を跳ねながら進んでいく。時折硬い椅子にお尻が打ち付けられて痛みが走った。…馬車に乗っている人って、こんな痛みに耐えていたのか。前馬車に乗せられた時は横たえられた状態で、しかも殆ど意識もなかったから、こんなにしんどいと思ってなかった。歯を食いしばりながら、小窓から外を眺めて、気を紛らわせる。
『屋敷に着きましたら、直ぐに衣装部屋にお通ししますので、そちらでお着替えをお願いします。女性用の衣装も男性用の衣装もございますので、お好きな方を』
『…っ』
こんなに振動している馬車の中だというのに、男はすらすらと喋る。私の方は喋ったら舌を噛みそうなので、こくこくと頷いてみせる。
『お名前をまだ聞いていませんでしたね。伺っても?』
『す、ぐる』
『スグルさん、ですか。本日はよろしくお願い致しますね』
『…っよ、ろしく、おねがい、します…っ』
頼むから喋らせないでほしい。こんな振動、長くは耐えられない。この男、お尻に鉄板でも付いているんだろうか。
早く到着してくれ、という悲鳴にも似た祈りが通じたのか、5分ほどで馬車は止まった。
震える足で馬車から降りようとすると、先に降りていた男に手を差し出される。
『どうぞ』
一瞬迷って、手を取る。少しだけゴツゴツしている手は、ヴェルやリュゼに似ている。意外だ、剣を握りそうには見えないし、帯剣すらしていないのに。
馬車から降りて、眼前の石造りの大きな建物に言葉を失う。屋敷というよりはもはや城だ。大きな円柱状の塔のような建物が四方に4つあって、その間を埋めるように壁が作られている。至る所に細かな装飾が施されていて、金やら銀やら、斜陽を反射して輝いている。建造にかかった歳月はかなりのものだっただろう。
『こちらです』
巨大な庭を、男の後ろについて歩く。装飾過多な玄関の扉を開くと、眼前には煌びやかな玄関ホールが広がっている。深い臙脂色のカーペットと、ダークブラウンの壁。天井には巨大なシャンデリア。透明な…ガラスか宝石かわならないが、キラキラ光っていて、美しい。船の金ぴか具合に比べると落ち着いた印象ではあるが、品が良かった。
ホールの脇に4人のメイドさんが立って、こちらに頭を下げて声をかけてきた。
『おかえりなさいませ、カスケード様』
中の1人が、顔を上げて男に言う。そういえば、この男の名前はカスケードと言うんだった。『そちらの方は…?』
『今夜の生誕祭で、演奏をしていただきます。スグルさんです』
『左様でございますか。とても可愛らしいお坊ちゃんですこと』
『素晴らしい演奏をされる方ですよ。衣装室にお連れしてもよろしいですか?』
『衣装の用意でしたら、こちらでいたしますが』
『いいえ、これからお客様もいらっしゃるでしょうから。そちらの対応をお願い致します』
『承知いたしました』
メイドさんは深く頭を下げて、動かなくなった。
『それでは、行きましょうか』
『…』
カスケードに促されて、ホール右側の廊下へと足を踏み入れる。少し薄暗い廊下には、壁に小さな燭台が取り付けられていて、あたりを柔らかく照らしていた。燭台にも精緻な装飾が施されていて、どこもかしこも豪華だ。…領主って、そんなにお金持ちなのか。県知事みたいなもんかと思っていたのだが。
カスケードは廊下をすたすたと歩き、金で縁取りされた大きな扉を開ける。
『こちらが衣装室です。わたくしは外でお待ちしておりますので、ごゆっくり、お選びください。出演は午後7時を予定しております』
『…はい』
室内に入ると、カスケードはゆっくりと扉を閉める。室内が暗闇に包まれる前に、自動的に室内の照明がついた。
『…すごい』
奇術団とは比べ物にならないほどの衣装の数に、思わず感嘆の声が漏れる。様々な色や形のドレス、カスケードが着ていたようなローブの類、船で見たような軍服みたいな衣装。
元々、胸元や肩が出るようなドレスは着るつもりはない。着るつもりはないが、ここまで沢山あると、ついついあてがってみたくなる。
『……』
ううむ、悲しいくらい似合わない。興味本位で赤いドレスを出してみたのだが、大人っぽいデザインは、自分の体には合わない。なんというか…「着られている」感が強すぎて、辛い。リディアさんは、私に似合うドレスを探すのに苦労したんじゃないだろうか。多分暫く女物の服すら着る機会はないので、記念に何か着ておきたい…が、時間もあまりないので諦める。
ふと、ヴェルは何色が好きなんだろう、と考える。普段着ている服の色は、黒とか紺とか臙脂とか、暗い色ばかりだ。そもそもヴェルは色の好き嫌いで服は選んでいなさそうだけど。
まあいいか、衣装を探そう。少年用の衣装が並ぶところまで行って、物色してみる。身体がちゃんと隠れる服を探さねばならない。長袖のシャツとジャケットを見つけて、クローゼットから引っ張り出す。シャツはシンプルな白、ジャケットは黒で、シンプルだが襟と袖に銀で刺繍が入っている。これなら着やすそうだし、これでいいか。着替えてみると、身体にぴったりで袖も余らない。
扉の外に出ると、カスケードがにこやかな笑みで私を出迎えた。
『ああ、男性用の衣装を選ばれたのですね。よくお似合いですよ。ドレスもお似合いかと思ったのですが、やはりそちらの方も素敵です』
あまりに笑みが薄っぺらくて嘘くさい。
『少々早いですが、舞台裏の控え室にご案内いたします』
『…はい』
『お洋服は、こちらでお預かりしておきましょうか』
差し出された腕に、服を置く。また淀みなく歩き出すカスケードの後ろについて廊下を歩きながら、ぼんやり窓から外を眺める。早く終わらせて、みんなのいる宿に戻りたい。赤く染まる城壁を眺めながら、小さく溜息をついた。
控え室、と言われて通された部屋の椅子に腰掛けて、呼び出されるのを待つ。ざわざわとホール側から話し声が聞こえるので、おそらくそれなりに人がいるんだろう。
カスケードは、領主の生誕祭なのだと言っていたが…あちらでも、有名人や権力者の誕生日は盛大に祝う。これだけ広大な土地を治めているのだから、祝いに来ている人も多いんだろう。
ここまで、ヴェルとリュゼには内緒にして来てしまった手前、問題なく終わらせ
て、何事もなかったかのように食堂に戻りたい。予定では9時には帰してくれると言うが、出来るだけ長引かないようにしてもらわないと。
テーブルの上には、紅茶とお茶菓子が置かれている。こちらでもクッキーはあるらしい。一口かじると、ほんのり紅茶の味がした。
こんこん、と扉をノックする音が響いて、カスケードが室内に入る。
『お嬢さん、そろそろ時間です。準備の方はお済みですか』
『はい』
紅茶を一口飲んで、席を立つ。案内されるがままホール側の扉を開けると、ふわりと香る、何かの匂い。香水、だろうか。なんとなく居心地の悪くなるような匂いだ。
『あちらへどうぞ』
舞台中央に置かれた、装飾過多気味のディルネを示される。舞台を歩きながら、横目でホールに視線を向けると、船の中で見たのとよく似た光景が広がっていた。貴族の男女と、お酒と、食事。違うところといえば…、ホールのど真ん中に設置されている、随分とキラキラと目立つ大きな椅子か。普通あんなところに置いたりしないんじゃないかと思うが。金色のその椅子には、初老の男が踏ん反り返っていた。あれが領主なのだろう。
視線を正面に戻して、ディルネの前に座る。これが終われば、よくわからないが2000だか3000だかのお金が貰えるんだし、頑張らなくては。皆の為である。
カスケードはこちらに頭を下げて、舞台袖から退出していった。それを確認して、指を鍵盤の上に乗せる。一度、深く深呼吸して、ゆっくりと力を込めていく。
リストの、『メフィスト・ワルツ第1番』。リストの曲はどれも難易度が高くて、お母さんに教わりながら、何度もつっかえながら演奏したのを思い出す。悪魔メフィストフェレスが狂ったようにヴァイオリンを弾く…というシーンの曲だ。激しい音の奔流が、その狂気を表している。この激しい曲がリストの曲の中でも好きで、自分も悪魔に魅入られてしまったのだろうかと考え込んでしまう。
指がもつれそうになりながら、集中して鍵盤を叩く。無意識に浅くなっていく呼吸と、延髄から脳へと駆け上る熱さ。最後の音を鳴らして手を上げるのと、息を吸うのは同時だった。
『ふう…』
大きく息を吐く。時々食堂で思い出しながら練習しておいて良かった。ぶっつけ本番では弾けなかっただろう。拍手に一度ホールに視線を向けると、領主らしき男の横でカスケードが屈んで何か口を動かしているのが見えた。
提示された時間は30分、残り20分程度。一曲弾き終えて脱力してしまった身体に鞭打って、鍵盤にまた手を乗せる。後は弾き慣れた曲の方がいい。ショパンを数曲とドビュッシーを数曲。船の上で時間を計りながら演奏していたので、だいたいの曲の長さは分かる。特にショパンとドビュッシーは船の上でも演奏したから、タイムキープはほぼ完璧だと思う。30分は経ったかな、というところで席を立っ
て、ホールに向かって頭を下げた。やはり、強い香水のような匂いが苦手だ。早くここから離れたい。舞台袖に戻って、控え室で深呼吸する。このあたりは何の匂いもしないから、息がしやすい。カスケードが帰ってこないと、動きようがない。というか、今はまだ8時にもなっていないはずだ。残り1時間、何をするというのか。こんこん、というノックの音がして、カスケードが控え室の扉を開けた。
『素晴らしかったです、お嬢さん。領主様が、是非あなたにお礼を言いたいと』
『…』
あまり気は乗らないが、断るのもどうかと思ったので頷く。
『それでは、こちらへ』
カスケードに案内されて、今度は正面からホールに足を踏み入れる。舞台にいた時よりも強烈な匂いに、嫌悪感が込み上げる。きらきらした衣装に身を包んだ男女の間を抜けて、椅子に座る領主の前へと進む。
『閣下、お連れいたしました』
『ああ…』
非常に、ゆったりとした動作で、こちらを向く。白髪混じりの黒髪を後ろに撫で付けた皺だらけの男は、柔和そうな顔に鋭い眼光を持っていた。どこかアンバランスなその光にたじろぐ。
『実に、素晴らしかった。良い才能を持っているな』
『…ありがとうございます』
気怠そうに肘掛に手をついて、領主は穏やかに笑う。だが目は鋭く、真っ直ぐ正面に向けられていた。
『実に、素晴らしい…素晴らしい、生誕祭になった。そしてこの後は祝賀会かな、カスケード?』
『ええ、そうですね』
『このような才能ある子供を失うのは、後ろめたいものがあるなあ』
『しかし、一人でも数は多い方が良いでしょう、閣下』
『ああ、勿論だ』
…今、彼らは、何の話をしている?失うだの、後ろめたいだの。私の聞き違いだろうか?
困惑してカスケードの顔を見上げるが、彼は全く表情を変えず、領主に向かって、『それでは』と声をかける。
『術式を発動しても、よろしいですか?』
『ああ、やってくれ』
『かしこまりました』
ぞくりと鳥肌が立つ。匂いが濃厚になった気がして、思わず後ろによろめいてたたらを踏む。
一瞬光の帯が足の下を通って、背筋を冷や汗が伝った。不快感に目をぎゅっと瞑
る。遠くの方で、誰かの悲鳴が複数――まるで折り重なるように響き渡る。
……暫くして、周囲から完全に音が消えているのに気がついて、目を開けた。あれほど人のいたホールは、無人になっていた。まるで夢でも見ていたかのようで、呆然と立ち尽くす。だが、床に散らばったガラスや陶器の破片、料理の数々が、確かにそこに人が居たのだと示していた。
『……これはこれは』
ふと、がらんとしたホールに小さな声が響く。はっとしてそちらに視線を向けると、驚いた表情の領主と、笑みを顔に張り付けたカスケードがいた。
『どういうことでしょうか』
カスケードはそう呟いて、初めて…薄っぺらい笑みを消して、にたりと気味の悪い笑みを浮かべた。




