40.おいしい話
それからの数日間、ヴェルとリュゼはとある豪商の警備の仕事を、私は小さな食堂で楽器の演奏をして、お金を稼いだ。
…こうやって別行動をとっている間は、ヴェルの顔を見なくて済むから、正直助かる。旅に出てしまうと、どうしても四六時中一緒にいることになるので、こうやって離れる時間ができたのは良い機会だった。あれからどうしても意識してしまって、うまく顔が見れない。今の内に、前みたいに普通に話せるようになっておかないと。…一応ちょっとずつ改善はしてきているのだが。
ヴェルは、凄く優しい。優しすぎて困ってしまう。強引なところもあるし、殆ど表情も変わらないのだが――不意打ちみたいに、穏やかな笑みを見せられると、どうにも弱い。ぎゅうっと、心臓が縮んで、息がうまくできなくなる。こ、これがギャップ萌えというやつなのか…そんなのに弱いなんて…!幸いヴェルはこういう色恋事にはかなり鈍い(と思う)し、リュゼはリュゼで未だにショックを引きずっているようで、気付いてはいなさそうだけど。
今は、そんなこと考えてる場合じゃないのに、一度考え込んでしまうと止まらなくなる。自分の中に感情のスイッチがあったらいいのに。普段はスイッチを切っておけば、こんなに苦しまずに済む。
アルネイアは、ディルネを置いている場所が少ない。もともと聖都側発祥の楽器らしく、こちらではそこまで流通していないのだそうだ。やっと見つけたのは小さな小さな食堂で、少々寂れていたのだが――おかみさんが良い人で、好きに演奏していいというのでお言葉に甘えている。机の上におかみさんから借りた帽子を逆さにして置いていると、前みたいにお客さんがお金を投げてくれる。やはり未だに物価がピンときていないので、どれくらいお金がもらえているのかわからない。宿代くらいは払えているといいけど。
夕方から夜まで、殆どディルネの前に座ったままだが、そう苦痛というわけでもなかった。激しい曲は避けて、のんびりと指を動かす。船で弾いていた時はちゃんとしたホールだったし、お客さんも貴族の面々で選曲にも気を遣ったが…こういう場だと、好きに演奏ができるからいい。
夜になると、仕事を終えたリュゼとヴェルがお店に来て、一緒にご飯を食べて帰る。リュゼはショックから徐々に立ち直ってきたようで、初めのうちはぎこちなかった口調も、元の気さくな感じに戻って来た。二日酔いでふらふらになりながら『スグルさん』と言われた時はどうしようかと思ったが。
そんな生活も今日で4日目。予定では、明後日には出発できる見込みだ。楽器を弾いていると、指先から感情が溶けていくみたいで、心が落ち着く。横でニルさんとエルが、身体を重ねて気持ちよさそうに眠っている。サイズはかなり大きいが、すやすや眠る姿が可愛らしくて、思わず笑みがこぼれた。気性が荒いと言っていたが、エルは凄く良い子で、よく言うことを聞いてくれる。リュゼのことは未だにあまり気に入っていないみたいで、隙あらばよく顔面をベロベロなめていたが。
本日3曲目の演奏を終えて、一度椅子から腰を上げ、ぺこりと頭を下げる。拍手と共に、食堂の真ん中に置かれた帽子に向かって、お金が投げ入れられた。
おかみさんが一度それを拾って、こちらに持って来てくれる。
『スグルちゃん、休憩にしましょうか。さっき焼きあがったお菓子があるんだけど、食べる?』
『食べる!』
おかみさんがサービスで焼いてくれるお菓子は大変美味しい。マドレーヌによく似ているが、もっとしっとりしてて、じんわり甘さが染み出す。場所も貸してくれているし、お菓子もくれるし、感謝しかない。
運ばれて来たお菓子を、幸せを噛みしめながら頬張る。今日も美味しい、ほんのりベリー系の味がするから、果物も入っているようだ。 味わって食べていると、ふと、目の前に影が落ちた。
『?』
見上げると、優しそうな笑みを顔に張り付けた、胡散臭い男が立っていた。薄い茶色い髪に、薄い金色の目。背の高さは、リュゼと同じくらい…だろうか。恐らくこちらの平均的な身長。少し細身。どこにでもいそうな、印象の薄い男だ。独特なローブのような紺色の長衣を身に纏っていて、まるで、童話の中に出てくる魔法使いみたい。
『…?』
知り合いではない。横に立っているおかみさんも、不思議そうな眼差しを男に向けている。首を傾げて、言外に『なにか用か』と主張すると、目の前の男は薄っぺらい笑みを崩さずに、『はじめまして』と口にした。
『わたくし、サディアス・ウォーレン・ウィリアム・プレスコット様にお仕えしております、カスケードと申します』
『あら、まあ…領主様の』
領主。なんとなく嫌なフレーズだ。今のところ不快な記憶しかない。おかみさんは頬に手を当てて、驚いた顔をする。
『ええ。急な話で申し訳ございませんが、是非そちらの『お嬢さん』に、明日の領主様の生誕祭にて、演奏をしていただきたいのですが』
…今、この男、なんと言った?
『お嬢さん…?』
きょとんとした顔で、おかみさんが男の顔を見る。
『違いましたか?』
穏やかそうに見える笑みをこちらに向けて、男が問いかける。
『……』
初見で見破られたのは初めてだ。多少髪が伸びたとはいえ、まだ短髪の域を出ない。しかも、男装している。…何故分かったのだろう。答えあぐねていると、男は笑みを深める。
『ああ、申し訳ありません。隠しているのですね』
『……』
反応に困って、胡乱な目を向ける。非常に失礼な男だ。
『失礼、話を戻させていただきますが。明日の生誕祭で、是非お嬢さんに演奏をしていただきたいのです。30分ほどで構いません。一昨日からこちらに足を運んでいたのですが、とても素晴らしい演奏で、わたくし、感銘を受けました』
男は全く表情を変えず、つらつらと喋り続ける。
『勿論、報酬は十分にお支払いします。2000ルスカで如何でしょうか』
『にせっ…!』
おかみさんが、悲鳴を上げて固まった。結構な額が提示されているらしい。私が黙ったままでいると、男は首を傾げた。
『不足ですか?それでは、3000で如何でしょう』
『お、お受けなさいな!滅多にこんな機会は無いわよ!』
おかみさんが、私の肩を掴んでガクガクと揺する。目が回って頭がふらふらする。その頭の動きを都合のいいように解釈したのか、男は笑みを深めて『ありがとうございます』と礼を言った。
『いや、あの――』
『それでは明日、この時間にこちらにお迎えにあがりますので。夜9時ごろにはこちらに送り返しましょう。ああ、衣装はこちらでご用意させていただきますので、ご心配なさらず。それでは失礼いたします』
胡散臭い男は、私の言葉を遮るように言い放つと、薄っぺらい笑みを顔に張り付けたまま店から出て行った。
『……』
どうしよう、勝手に決められてしまった。…ヴェルやリュゼに相談したかったのだが。固まっていると、おかみさんがきらきらした目で向かいに座った。
『よかったじゃない!とても栄誉なことよ。領主様の前で演奏だなんて、素敵!それに、あんなに沢山報酬も貰えるなら、絶対行った方がいいわ!』
きゅっと手を握られて、困惑気味に微笑する。正直言えば面倒ごとは避けたい。だが、沢山お金が手に入ったら…旅がだいぶ楽になるのではないだろうか。ヴェルには迷惑ばかりかけているので、それで恩返し出来るのなら、有難い話ではある。
男は確か、9時にはここに帰すと言っていた。ヴェルとリュゼの仕事が終わるのは大体10時ごろ。黙って行って帰ってきても…まあ、問題はない。後からドヤ顔で大金を見せるというのも一興である。残りのお菓子を頬張りながら、驚くリュゼとヴェルの顔を思い浮かべて――ヴェルの方はあんまり想像できなかったけど――ほくそ笑んだ。




