37.3人と2匹
それから3日後の朝。リュゼが動けるようになったので、出発することになった。自分の荷物は整え終えたので、リュゼの部屋で、彼が準備を終えるのを待つ。ヴェルとニルさんは買い出しに行くと言って、外に出ていってしまった。リュゼの分の毛布も無いし、これから旅が始まると言うのなら水や食料も必要になる。
『やー、ニル君の血はすんごいね。回復が早いや』
笑いながら腰に剣を差したリュゼは、まだ少し顔色が悪い。
『大丈夫?』
『うん、へいき。ありがと、スグル』
視線を合わせるように、少し屈んで頷く。こういう所に元来の人の良さが出ているような気がする。聖騎士の第8部隊というのは、間諜を主な生業とする特殊部隊なのだという。人を裏切ったり、人に裏切られたりする…そういう仕事は、優しい彼には、あまり向いていなかったのかもしれない。
『なんで、話したの?』
ずっと疑問に思っていた問いを投げかけてみた。
『何を?』
きょとん、と首を傾げる彼に、言葉を続ける。
『本当の、話』
『…ああ、』
リュゼは困ったように笑って、身を起こした。
彼が、こちらの様子を伺っていたのなら…黙っていた方が、都合が良かったはずだ。適当に理由をつけて、付いてくるもよし、離れたところから尾行するもよし。リュゼは『遠くを見通す』目を持っているという。それならば、多少離れていようと、こちらの動向を探るくらい、簡単だろう。まあ…こちらにはニルさんがいるから、嘘などは通じなかったかもしれないけど。集中して、相手の思考の中枢まで意識をつなげたニルさんには、嘘は通用しない。リュゼの話を踏まえて、ニルさんが『話す』と決めたのなら、彼は嘘をついていないということになる。
『嘘をつくのって、コツがいるんだ。何だと思う?』
リュゼはベッドに腰を下ろして、穏やかな視線をこちらに向ける。
『…?』
わからない、と首を振ると、リュゼは自分の足に両肘をついて、組んだ指に顎を乗せた。『俺なりのコツだけど…』と前置きして、静かに語り出す。
『自分にも嘘をつくこと。自分に先に、嘘を信じ込ませるんだ。そうするとね、言葉が真に迫ったものになる。相手も、嘘を本当だと…そう信じるようになる。俺も、罪悪感をあまり感じないで済む』
『ざいあくかん…?』
『ああ…ええと、『悪いことしたなあ』って思うこと…かな』
ゆっくり目を閉じて、リュゼは続ける。
『ずっと、そうやってると、自分にとって、何が本当で、何が嘘なのか、わかんなくなってきちゃうんだ でも俺、そうしないと、うまく嘘がつけなくてさ。そういうのに疲れちゃったっていうのもあるけど…』
ふうっと大きく息を吐き出す。
『一生懸命、俺のこと、助けようってしてくれてるスグル見てたら、申し訳なくて。俺、嘘ついてたのにって。なんかさ、嘘ついてるの、もっとしんどくなっちゃって』
少し間を開けて、目を開けた彼は、こちらを見上げて小さく笑う。
『向いてないよね、ほんと』
ベッドに腰掛けて笑う彼は、初めて会った時より、ずっとーー晴れやかに、笑っているように見えた。
◇ ◇ ◇
『今後の話だがーー』
買い出しを終えて帰ってきたヴェルは、リュゼの向かいのベッドに腰掛けて、サイドテーブルに地図を広げて続ける。
『東に向けて移動する。日数で言えば…そうだな、1ヶ月半は覚悟しておいた方がいいだろう』
ヴェルはそう言いながら、北アメリカ大陸の、真ん中よりも少し右上のところを指差した。流石に都市で例えるとどの辺なのか分からないが…アメリカとカナダの国境あたり、なんじゃないだろうか。いや、地理は弱いのでよくわからないが。
ふと気になって、静かな目で地図を見ているヴェルの顔を見上げる。
『なんだ』
『1ヶ月って、何日?』
『30日だ』
『…ぜんぶ?』
『…?そうだが』
『1年は?』
『365日だ』
『…?』
計算が合わない。
『ああ…1年は12ヶ月と、5日間の祭日…という形を取っている』
面白い数え方だ。でも、1ヶ月の日数がずっと同じなのは分かりやすい気がする。
『じゃあ1週間は…?』
『6日間』
じゃあ、1ヶ月は必ず5週間になるわけか。分かりやすい。
てことは、一月半かかる移動ということは…約45日間の移動か。アメリカ大陸、広大過ぎる。それって、日本何周できるんだろう。
ふうん、とヴェルの言葉に頷いていると、ニルさんがこちらに問いかけてきた。
――そちらは、どうなんだ?
「1ヶ月は短くて28日、長くて31日。月によって違くて、例えば…1月なら31日、2月は28日、もしくは29日。3月は31日で、4月は30日。1週間は7日間」
――ふうむ、…わかりにくいな…。
「なんだったかなあ、由来があったはずだけど、あんまりよく覚えてないなあ…。太陽暦?太陰暦?…太陽暦、だったかな。昔は日本は太陰暦だったんだけど、太陽暦になったって、授業で習ったような…」
――太陰暦?太陽暦?
「ええと…詳しくはわかんない…太陽暦は地球の公転…?かな」
『…なんか、スグルが知らない言葉すらすら喋ってると、ほんとに違うところから来た人なんだなあって感じするなあ。勉強、大変じゃない?』
しみじみと呟くリュゼに、首を振ってみせる。
『今は、そんなに。少しは喋れるようになったから』
『そっかあ…』
『でも、まだ、ちゃんと言葉出てこないから、もっと勉強しないと。難しい言葉とか、聞いたことない言葉が多いから。ニルさんがいないと、かんぺきには分からない』
『あー、まあ、そっか…』
リュゼはふむふむと頷きながら、ニルさんに視線を向ける。ニルさんは鼻を鳴らして顔を背けた。まだあまり、仲良しではないらしい。
『…そういえば、試験をする、と言ってしていなかったな』
『……』
地図から顔を上げてこちらを見たヴェルに、思わず黙り込む。ふいっと顔を背けると、ヴェルは苦笑した。
『…本も無いし、もうするつもりはない。色々ごたついていたのもあるが、以前よりは随分と言葉がわかるようになっているからな。試験する必要も無いだろう』
『…!』
やった、苦しみから解放された!ぐっと拳を握ると、ヴェルがふっと小さく笑う。リュゼがそれを見て、ぽかんと口を開けた。
『…俺、ヴェルフリードって、笑わない生き物だと思ってた』
『……』
元の無表情に戻って、普段より幾分か鋭くなった冷たい視線がリュゼに注がれる。リュゼはひいっと悲鳴を上げて仰け反った。心中お察しする。
『…話を戻す。途中いくつかの街や村を経由するが、野宿が増えるだろう。リュザフィールや私は訓練を積んでいるから問題はないが、スグルにとっては辛いものになるかもしれない。…辛くなったら言え、なんとかする』
『うん、大丈夫、頑張る』
『…そうか』
頷いてみせると、少しだけ困ったような顔をして、ヴェルは地図に視線を落とした。
『暫く進むと大きな山脈にぶち当たる。高い山では無いから、そう越えるのが難しいということはないが――基本的に、移動時はお前はグレイプニルの背に乗っていた方がいいだろう。我々とは移動速度が違いすぎる』
『わかった』
『それとは別に…この人数だと、いざという時に素早く移動ができない。騎獣を一頭、増やそうと思うのだが』
ああ、そうか。もう一頭いれば、荷物も分散させられるから、移動も早くなりそうだ。それにリュゼもまだ貧血気味で本調子じゃなさそうだし、騎乗して移動、がいいかも。ニルさんもそれには賛成だったようで、こくりと頷く。
――そうだな。流石に私も3人乗せては移動できない。荷もあまり持てないしな。…金の方は用意できるのか?
『問題ない。多少値は張るが、ここで金を惜しんでも仕方がない。どこかで一度金を稼ぐことにはなるだろうが』
落ち着いたヴェルの言葉に、リュゼがぺこりと頭を下げた。
『お世話になります…』
『その分働いてもらう、気にするな』
『うう…』
ヴェルのそれは、多分言葉通り、馬車馬のように働かせるということなんだろう。気の毒には思うが、自分にはヴェルは止められない。ぽん、とリュゼの肩に手を乗せると、彼は大きく溜息をついた。
◇ ◇ ◇
宿から出て、街中を3人と1匹、並んで歩く。先に騎獣を扱っている店に行くと言うので、少しばかり楽しみである。
『騎獣、どういうの、いるの?』
『…様々、だな。見てみるのが早いだろう』
ヴェルの足が、どこかに向かって歩き出す。追いかけていくと、小さな小屋に、大きな厩のようなものがくっついた建物が見えてきた。
『わあ…』
ヴェルが『様々』と言った理由がわかった。本当に、いろんな種類の動物がいる。虎みたいなのに、色が白と赤の縞々だったり(保護色としてはどうかと思う、毒とかありそう)、馬みたいなのに紺色の毛並みをしていたり(よく見ると頭の鬣が針みたいで、もし騎乗している時に当たったら痛そうだ)、大きな犬みたいな…ドーベルマンをもっと大きくしたみたいな見た目なのに、首の周りにライオンみたいな鬣が生えていたり(これはふかふかして柔らかそう)。
『すごい』
近くまで駆け寄ってキラキラした目で見ていると、隣に立ったヴェルに肩を軽く制された。
『噛む獣もいるから気をつけろ』
木の柵はあるが、獣によっては頭くらいは出せるだろう。慌てて一歩引くと、ヴェルの硬い胸板にこつんと後頭部が当たった。ふっと笑う気配がしたが、見上げた時にはいつもの無表情に戻っていて、なんだか少し悔しい。
ヴェルはそのまま小屋の扉を開けて、中へと踏み込んで行く。ここが、騎獣を買える店、のようだ。狭い店内には簡易的なカウンターがあって、比較的小柄な茶髪のおじさんが座っていた。
『騎獣が欲しい。見せてもらえるか』
『どういうのがいい?』
『足が速いものを。よく躾けられているのがいい』
『うちのはみんなよく躾けてるよ。うちで足の速いのだとアルフェやウルドだな。見るか?』
『是非』
何かやり取りをした後、奥の扉へと進むヴェルの背中を追いかける。扉を抜けると、裏の厩に出られるようになっているみたいで、色々な獣が柵の隙間から顔を覗かせた。結構牙がしっかりしていて、少し怖い。でもみんな大人しくて、こちらに向かって吠えることはなかった。
『ふお!?』
お利口さんだねえ、とニルさんと騎獣を眺めていると、背後から妙な悲鳴が聞こえた。
『!?』
びっくりして振り向くと、リュゼが一匹の獣にうつ伏せに押し倒されている。
一瞬ぽかんとして、『リュっ、リュゼ!?』慌てて助け起こしに駆け寄った。
獣はリュゼのことがムカついたのか、気に入ったのかわからないが…息を荒げてリュゼの後頭部の真上でで唸り声をあげている。
『ス…スグルぅ…たすけて…』
潰れたカエルみたい。ちょっと面白くなってしまって、へらっと笑うと、リュゼが恨めしげな視線をこちらに向けた。
『お客さーん!』
駆け寄ってきた店主のおじさんが、獣の手綱を引く。獣は黒い毛の、猫を大きくしたみたいな生き物で、おじさんに逆らって酷く暴れている。大きな耳が可愛らしい。サイズ感はあまり可愛くはないが。尾の先と足先のところだけ白く色が抜けていて、まるで靴下を履いているみたいだ。店主が獣を宥めている隙に、震えるリュゼを助け起こす。
『大丈夫?』
『な、なんとか…てか、さっき俺見て笑ったでしょ』
『笑ってないよ』
『…まだニヤついてるけど?』
『にやついてる…?』
『それ、言葉わかってないの?それとも分かんないふりしてんの?』
むっとした顔のリュゼに笑みを向けると、更にむすっとした顔になった。
『お客さん、すいません、こいつ気性が荒くて…!』
店主が慌てたように言うが、獣はまだ興奮しているのか、地面を掻いてリュゼに向かっていこうとする。相当リュゼのことが気に食わないらしい。
『気に入られたのではないか』
ヴェルは特に慌てた風もなく、こちらにゆっくり歩いてきて言う。
『そうなの?』
首を傾げて、ちらりとニルさんに視線を向けて見る。
――これは…嫌われているようにしか見えないが…。
(騎獣の言ってることとか、わからない?)
――興奮状態にあるのでな、上手く汲み取れない。
『えっ、俺なんかした…?』
戸惑った視線を獣に向けたリュゼに、店主の手から逃れた獣が飛びかかる。
『ひえっ』
『…!』
危うく巻き添えになりそうだったところを、ヴェルに助け出された。…リュゼは放置だが。
『ちょっ、俺は!?』
悲鳴を上げたリュゼに、獣が飛びついて――顔を、ベロベロと舐め出した。
『やはり、気に入られているじゃないか』
『えっ、ちょっ、え!?』
『ラグナルか、足の速さは申し分ないだろう。それに賢い獣だ。この騎獣にしよう。いくらだ』
『え!?なんで!?』
『元々お前を乗せるための騎獣だ。好かれているなら問題ないだろう』
『そう言う問題じゃなくない!?』
『店主、いくらだ』
『ええと、しかし…!いいんですか、お客さん…?』
『俺の意見は!?』
…リュゼがいると、なんだか賑やかだ。静かなのも良いけど、こういうのも良い。
リュゼの顔をベロベロ舐めている獣――ラグナルの前にしゃがみ込んで、頭を撫でる。猫のような、縦長の瞳孔を持つ金色の目が、ぱちくりと瞬きをした。尖った耳が、ピンと立つ。本当に、猫みたい。
『かわいい』
優しく撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らして、頬を擦り寄せてきた。幸せな気分になって、両手で首の周りをわしわしと撫でる。
――スグルのことは気に入ったらしいな。
そうだったら嬉しい。少しチクチクする艶やかな黒い毛が頬を撫でて、心地良い。
『名前は?』
戸惑っている店主の顔を見上げて、尋ねてみる。
『エルネスク、と言います。若い雄です』
エルネスク、か、それなら――、
『エルさんだ。エル』
ニルさんと、エル。なんだか兄弟みたいでおもしろい。白い獣と黒い獣、姿は正反対だけど。よろしくね、と頬を寄せると、がう、と小さく鳴いた。賢そうな瞳が微かに細められる。
『ラグナルは足の速い獣ですが、気性が荒く、躾が難しいと言われています。実際、お恥ずかしい話ですが、私も手を焼いておりまして、売り物にするにはまだ早いかと思っておりました。…ここまで穏やかなのは、私もあまり見たことがありませんね』
『まあ、リュザフィールのことは気に入らないようだがな』
『やっぱりそうだよね!?てかそろそろ退いてくんないかな!』
そういえば、エルはリュゼの上に乗ったままだった。おいで、と優しく声をかけると、素直にリュゼの身体から降りて、お座りをした。
『病み上がりなんだけど…』
死にそうな顔で身を起こして溜息をつく。リュゼがゴシゴシ顔を拭きながらちらっとエルを見上げると、さっきまで大人しかった獣が唸り声を上げる。
――ふむ、顔が気に入らんそうだ。
『………』
…ちょっと可哀想になってきた。憐れみの目を向けると、悲しげな緑の瞳と目が合って、なんとも言えない気持ちになる。
何はともあれ、2人と1匹から3人と2匹の旅になったわけだ。目的地まで、最低でも、約45日。長ければ60日くらいかかるかもしれない。これから、長い旅が始まる。旅の理由を考えると、楽しむものでは無い…とは思うのだが、そんな思いとは別に、少しだけ気分が高揚してきているのは否定できない。また顔面をベロベロ舐められて悲鳴を上げているリュゼを、笑いを堪えながら眺める。ふと視線を感じて顔を上げると、ヴェルの静かな眼差しと目が合った。本当に微かな笑みを浮かべた彼が、少しでも、この旅を楽しいと感じてくれたなら――そう感じてくれたら、とても幸せだ。




