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36.花祭り

 あの後、ヴェルが私の分の服と、リュゼの分の服を買って来てくれた。ヴェルの匂いのするシャツを少し名残惜しい気持ちで脱いで、新しいシャツに袖を通す。厚手の生地で、肌寒かったのでありがたい。

 今いる位置は、もしかしたら北のほうなのかも。そういえば、屋敷に囚われていた時は、結構肌寒かった。多分、季節的にはこれから暑くなって行く時期だと思うのだが…北アメリカ大陸の気候とか全くわからないし、完全に未知の領域だ。広大すぎるほどに広大だから、様々な気候区分に分かれてはいるのだろうけど。

 ベッドに腰掛けて、ふうっと息を吐き出す。ぽふんと後ろに倒れこんで、天井をぼんやり眺めた。

 ヴェルとニルさんは、リュゼの部屋にいる。多分監視の意味もあるんだろうけど、ヴェルはあちらで寝泊まりするようだ。この部屋にもベッドは2つあるのだが、向かいのベッドには誰かが寝たような痕跡はない。

 なんか、ちょっと寂しいなあ…。ニルさんもいないから、話す相手もいない。

 こんこん、と扉がノックされて、慌てて身を起こす。

『はい』

 返事をすると、ヴェルが部屋に入って来た。手にはお盆を持っている。

『着替えたか』

『うん』

 借りていたシャツを渡すと、ヴェルは受け取って、隣に腰掛ける。お盆はサイドテーブルに置かれて、上に乗せられていた茶器が小さく音を立てた。

『…今後の話だが、数日はここに泊まる。リュザフィールもあまり動けないようだしな。山越えも控えている、身体は休めるうちに休めておいた方がいい』

『わかった』

 まだ私もあまり本調子ではないので有り難い。山越え、というのは…あちらでいうところのロッキー山脈、だろうか。なんとなくだが、凄く高い山というイメージがある。

『茶を持って来たが、飲むか』

『うん』

 ヴェルは慣れた手つきで茶葉をポットに入れて、ゆっくりお湯を注ぐ。ガラスの茶器なので中身が見えた。赤茶色のそれは、紅茶のようだ。こちらで緑茶以外のお茶を見るのは初めてである。ふわりと花のようないい香りが漂う。

『いいにおい』

 ほっこりして呟く。主張の激しくない、柔らかい香りだ。ヴェルがこちらを見下ろして、ふっと笑った。

『花の茶だそうだ。今は外で花祭りが催されているらしくてな、下でもらってきた』

『はなまつり?』

『皆で空から花を降らすらしい。一年の無病息災を願う祭りだそうだ。色々祭りの由来はあるそうだが、今では花を降らす定例行事みたいなものらしい』

『…?』

『ああ…まあ、元気でいられますように、と言う祭りだな』

『ふ、ふむ…』

 渡されたお茶を一口飲む。ふわりと華やかな香りが鼻に抜けた。色は紅茶みたいな鮮やかな赤茶色だけど、ハーブティみたいな、すっきりとした味わい。結構好きかもしれない。

『おいしい』

 ほわっと笑うと、ヴェルも微かに笑った。

『外に、出てみるか?』

『?』

『祭りだ。行ってみるか?』


◇ ◇ ◇


 ヴェルに促されるまま外に出ると、音が溢れてきてびっくりした。沢山人が歩いていて、女の人はみんな頭に花飾りを乗せている。むせ返るような花の匂いに、立ちくらみを起こしそうだ。『まつり』の意味が分からなかったのだが、もしかしてお祭りか。通りには沢山露店が並んでいて、花の匂いに負けないくらい、美味しそうな匂いを漂わせている。いや、団扇で扇いで、いい匂いを通りに撒き散らしている。くっ、それは卑怯というものだ。お腹が空いてしまうではないか!

 まだ比較的高い位置にある太陽は、ぎらぎらと地上を照らしていた。白っぽい色の煉瓦が地面に敷き詰められていて、太陽の光を反射してより眩しく感じる。室内は結構寒かったんだが、太陽が出てるとちょっと暑いみたいだ。

 お祭りなんて、ここ数年行ってなかったから、こう言う空気は忘れていた。人が沢山いる煩わしさと、汗の匂いと、近くを歩く他人の熱気と、それから、身体の内側から沸き起こる不思議な高揚感。

『おおー…』

 時折、ひらひらと花弁が空から降ってくる。誰かが降らしているのかな、と思って見上げると、ひらひらと動く四角い影が見えた。も、も、もしや、あれは、魔法の絨毯…!?夢が!夢が広がる!是非乗りたい!

私のテンションが上がってきたのを感じ取ったのか、背後で微かにふっと笑う声がした。

『楽しいか』

『たのしい!』

『それはよかった』

 ヴェルがふらりと通りに足を踏み出した。当たり前のように手を繋がれて、ちょっとびっくりして見上げる。

『お前、興味がある方にふらふら歩いて行くだろう。はぐれたら困る』

『うっ…』

 否定できずに押し黙る。まあ、その、そうやっていつも道に迷うけど、なんで付き合いの浅いヴェルが知ってるんだ。そんなにわかりやすいか。

『あと、目を離すとまた攫われそうだ』

 呆れたように溜息をつきながらそう言われる。

『攫われない!』

 流石に2度目は無いだろう。…無いと信じたい。

 結局手を繋いだまま、人混みの中を歩く。ヴェルの手は大きくて、温かくて、心地いいけど緊張する。手汗やばくないかな、大丈夫かな。握る力ってどれくらいが正解なんだろう。

 2人で街中を並んで歩きながら、気の向くままに露店を冷やかしたり、道の真ん中で芸をする人に拍手を送ってみたり。誰かと一緒に祭りに行くのは楽しいものだ。

『腹は、空いているか』

 ちらっとこちらを見下ろしたヴェルが問いかける。いい匂いですっかり食欲を刺激されていた私は、ちょっと食い気味で頷いてしまった。

『何が食べたい?』

 建ち並ぶ露店の前を、2人で並んで歩く。その中で、クレープ屋さんのようなものを見つけて立ち止まる。薄い生地に、果物やクリームが挟まっていて、凄く美味しそう。見たことのない形の果実は、どんな味がするのか。そわそわ見ていると、隣でヴェルが笑った。

『お前は、本当にわかりやすいな』

『ぐっ…』

 露店の方に近付いて、ヴェルがクレープのようなものを1つ買う。

『ほら』

『…ありがとう』

 お礼を言って受け取った。甘い香りに、思わず頬が緩む。小さな広場のベンチが空いていたので、そこに並んで座った。食べたくてうずうずしていた甘味を、ぱくっと口に入れる。

『…!』

 お、お、おいしい。超絶甘味には飢えていたのだ、こちらでは甘い食べ物にありつけたことがなかったから。クリームは生クリームなのかな、と思っていたのだが、ちょっと違いそうだ。食感が少しざらっとしていて、ほんのり柑橘系の香りがする。果物は甘酸っぱいベリー系で、クリームと良く合っていた。

『お、おいしいぃ…』

 なんか、感動のあまり泣きそうになってきた。

 この感動を分かち合いたい…!ヴェルを見上げると、笑いを堪えているような、変な顔をしていた。ちょっと、人の顔を見て笑うもんじゃないぞ!

『頬に、ついてるぞ』

『む!?』

 お、お恥ずかしい限りだ、気がつかなかった。

『ど、どこ?』

 あわあわしていると、ヴェルの親指が私の頬をなぞっていった。そのまま、指についたクリームをぺろりと舐める。

『甘いな』

 ぴしっと、脳みそがフリーズした。

 固まって、ヴェルの顔を凝視していると、不思議そうな視線が返ってくる。

『なんだ』

 なんだじゃないだろ、そ、そういうのは、こここここいびととか、そういうのにしろよ!わざとやってんのか!一周回ってむしゃくしゃしてきた!

『なんでもない!』

 もぐもぐ残りを食べる。なんでこの男は!そういうことするかな!そういうのが勘違いの元なんだぞ!普段は鋭いくせに、こういうのはほんっと鈍いな!

 ヴェルは不思議そうにこちらを見下ろしていたが、不意に視線を上に向けた。ちょうど真上を、あの絨毯らしきものが通っていったところだったようで、ひらひら花が落ちてくる。

『綺麗だな』

『…うん』

 ピンクや、白や、黄色や、赤。いろんな色の花が宙をくるくると舞う。ささくれ立っていた心が、少し落ち着いてきた。

 ヴェルには、祖国に残してきた恋人とか、奥さんとか、そういうのはいないんだろうか。なんとなく聞き出しづらくて、聞けずにいた。鼻筋の通った綺麗な横顔をぼんやり眺める。全部終わったら、お別れ、なのかな。それは、なんだか、凄く寂しい気がする。

 空の色が、少しずつオレンジ色に染まってきた。もうすぐ日が沈むというのに、街はどんどん活気付いて行く。夜が本番なんだろうか。

 残りをぺろりと平らげて、ベンチの背凭れに寄りかかる。肩が触れるか触れないかの距離。ほんの少し、温もりを感じる距離。これくらいの距離がちょうどいい、近過ぎると緊張してしまうから。

『甘いものが、好きか』

『ん?うん。…ヴェルは?』

『甘過ぎるのは苦手だな』

『甘過ぎなければ、よい?』

『まあ…そうだな』

 意外だ、甘いものは全く受け付けなさそうな顔なのに。

 ちょっとビターなガトーショコラとかなら、食べられるのかもしれない。レシピがわからないから作れないけど…そもそもこちらに、チョコレートってあるんだろうか。製造方法が謎だから、自分で作るのは無理だろうなあ。食べさせてあげたかった。

『どうした』

 思わず考え込んでしまっていたので、ヴェルが不思議そうに尋ねてきた。

『甘くない、の、考えてた…』

『…お前の国は、菓子が沢山あるのか?』

『うん!たくさん、ある。すごくおいしい。いつか、甘くないの、作ってあげる』

 クッキーくらいなら、多分作れるぞ!息巻いてヴェルを見上げると、少しだけきょとんとした顔をして、穏やかに微笑んだ。

 空が、少しずつ赤みを増して行く。夕方の空の色はヴェルの髪の色みたい。空に視線をやりながら、ヴェルは足を組み直した。

『夜は広場で、花酒が振舞われるらしい。それから、皆で花をかけあって踊るんだそうだ。毎年怪我人が出て酷い騒ぎになるらしい。不思議な祭りだな』

『…怪我人…』

 こんな可憐な祭りなのに、酷い騒ぎとは一体。花をかけあうって、もしかして、海辺でカップルがやる、水をかけあってきゃっきゃうふふ、というアレみたいな感じなんだろうか。それで怪我人が出るって、どんなレベルなんだろう。もはや合戦なのでは。雪合戦ならぬ、花合戦。華やかな祭りかと思いきや、意外と激しい祭りだったらしい。

『見てみたい…』

 遠くから眺める感じで。野次馬的な感じで。あと、花酒というのがとても気になる。

『あまり近くに行かないならいいが…』

 渋い顔をしたが、ヴェルは頷いてくれた。



 人でごった返す大通りを、はぐれてしまわないように手を繋いで歩く。手を繋がれるのにも慣れてきて、緊張も弱まってきた。

 広場というのはどうやら街のど真ん中にあるらしい。人々の隙間からなんとか見えたのは、花弁の絨毯。広場全体に、カラフルな花弁が巻かれていて、なんだかとても幻想的だ。

『よく見えないか』

 ぴょんぴょん跳んでなんとか隙間から覗こうとしているこちらをちらっと見下ろしたヴェルが、別の方向に歩き出す。人の少ない路地裏まで引っ張られたかと思うと、突然抱き上げられて、周囲の景色が消し飛んだ。

『!?』

 足が地面につかなくて、混乱する。一瞬後、すとんと地面に下されて、衝撃が抜け切らずにふらついてしまう。あれ、なんか、視界が…高い。

『屋上だ』

 ぽかん、と突っ立っていると、ヴェルがしれっと言う。どこかの民家の屋上の上、しかも縁の、足場の危ういところ。思わず小さく悲鳴をあげて、隣のヴェルにしがみつく。ヴェルは平然と、屋上の縁に私を座らせて、隣に腰を下ろした。

『ここからなら見えるだろう』

『っ、ひ、ひとこと…!言って…!』

 高いところは苦手だ。隣に座るヴェルの腕にしがみついて抗議の声を上げると、片眉をくいっとあげて、鼻で笑われた。お、おのれ…!今日は随分と表情豊かだな!

 空は徐々に暗くなってきて、星が見えそうだ。地平線に、僅かに夕焼けの名残が残る。広場は術式の光でライトアップされて、異様な熱気に包まれ出した。あれ?ちょっと待ってくれ、あそこでスカートはいて、頭に花冠をつけている筋肉質な人影は、…男性では…?

『飲み物をもらってくる、少し待っていろ』

 ヴェルはそう言ってひらりと身を投じた。掴むところがなくなって、ぷるぷる震えながら屋上の縁を握りしめる。程なくして、コップらしきものを2つ持ったヴェルが、屋上まで跳び上がってきた。どういう身体能力をしているのだろう。何かしら術式を使ってはいるだろうけど。

 渡された木製のコップには、赤茶色の液体が入っていた。綺麗な白い花が浮かべられている。花茶かもしれない。一口飲むと、ふわりと広がる花の香り。祭りの前に貰ったのとは少し違う味で、どちらかと言えば紅茶に似ている。これもまた美味しい。ほわっと心が安らいで、高いところにいる恐怖も少し紛れた気がした。

 隣に座ったヴェルのガラスのコップの中には、黄味がかった透明な液体が入っている。

『ヴェル、それ、なに?』

『花酒だ』

 ヴェルはそう言って、コップに口をつける。

『おいしい?』

『ああ、まあ、うまいな』

 気になる、こちらのお酒ってどんな味なんだろう。

『…ひとくち』

 ちらっと顔を見上げると、眉間にきゅっと皺が寄った。

『…飲めるのか』

『いちおう』

 成人しているのだ、こう見えても。一応元社会人、付き合いで酒を飲む機会も多かった。強くはないが、弱くもない。

 躊躇いがちに渡されたコップに、口をつける。味はどこか白ワインに似ていて、すっきりとしたフルーティな香りが鼻に抜けた。じわっと身体に熱いものが染み渡るような感覚が心地いい。

『おいしい』

 たまに飲む酒はいい。にこにこしながらもうひとくちいただく前に、コップが取り上げられてしまった。

『一口だろう』

『うっ…』

 もう少し飲みたかったが、ヴェルの鋭い眼差しが『駄目』ときっぱり言っていたので諦める。

『こっち、お酒飲めるの、何歳から?』

『特に決まりはないが、だいたい16からだな』

『へえ、はやいね』

『そちらでは?』

『場所によって、違う。私の国では、20歳から』

『身体が小さいからか?』

『わかんない』

 元々、種族的な特徴として、日本人はあまりお酒に強くない。

『お前は酒に弱そうだな』

『弱くは、ない』

 むっとして言うと、ヴェルはふっと笑った。ヴェルは逆に凄く強そうだ。酔っ払ったりするんだろうか。酔ってる姿がうまく想像できない。

 ふと、地上の方からわあっと大きな声が上がる。明らかに女装しているマッチョな男性と、同じくマッチョな男性が、広場で花にまみれながら踊り出した。なんだ、あれ。

『うわあ…』

 若干引いて見ていると、もう一組マッチョが現れ、腕を組んで踊り出した。そして、唐突に、先に踊っていたマッチョに花をかけだす。マッチョがゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。

『うおおおおおお!』

 物凄い怒号だが、やっていることは花のかけあい、しかも女装だ。なんだこれ、意味がわからない。そして彼らは、物凄く真剣だ。

『っ、ぷふっ』

 思わず吹き出してしまった。

『こっちの、まつり、全部こんなの?』

『ここが異常だ』

 観客も、げらげら笑っている。これ、怪我するのか?と思っていたのだが、最終的に取っ組み合いが始まった。

『倒して上から花をかけて、全身を覆った方が勝ちなんだと』

『なにそれ』

 笑いが止まらなくてしんどい。最終的に、先に踊っていた組が、後から来た組を地面に引き倒し、上から大量の花をかけて埋めた。勝利の雄叫びを上げる男性は、身体中に花弁をつけながら、広場を走り回る。ひらひらのスカートが舞い上がった。

『本来男女一組で戦う祭りだったらしいんだが、勝利を求めるあまりああなったと聞いた。勝利した者の家族は、一年健康でいられる、と言われているな。これが終わると、皆で普通に踊るらしい』

『へえ…』

 そこで女装を選ぶあたり、なんというか…微妙に律儀だ。それから何組かの合戦があって、その戦いが終わると、広場に楽器を持った人たちが集まり、音楽を奏でだした。どことなくケルト音楽っぽい感じのその曲は、舞踏曲らしい。広場で、人々が思い思いに踊り出した。

 ふわっと風が吹いて、遠くから花が運ばれてくる。その中の1つを、ヴェルの指がそっと掴んだ。丸みを帯びた、白い花弁の小さな花。苺の花によく似ている。

『まあ、楽しむ分には良い祭りだな』

 小さく微笑んで、その花を私の髪に刺した。固まっている私の手を引いて、ゆっくり立ち上がる。

『花祭りの最後は、皆で踊って、1年間の無病息災を願うらしい』

『むびょ…』

『無病息災』

『むびょうそくさい…?』

『そうだ。健康で、元気でいられますように、と』

 ヴェルはそう言って、屋上の真ん中あたりまで移動する。

『踊ってみるか?』

『へ?』

『踊りだ』

 それはわかるけど、

『踊り、知らない…』

 中学の運動会でフォークダンスを踊ったきり、そういうものとは無縁だ。当時片想いだった同級生の男の子と踊る時緊張しすぎて千鳥足になり、相手をすっ転ばせた苦い記憶が脳裏を過る。

 少し俯いて言うと、ヴェルは私の両手を掴んで軽く引いた。

『正しく踊る必要はない、ただの祭りだ』

『でも、下手だし…』

『誰も見ていない、気にする必要はないだろう』

 迷いながら小さく頷く。ヴェルは、地上から微かに聞こえる音楽に合わせて、ゆっくり足を動かした。

『なんとなく合わせるだけでいい』

 つられるように足を動かしているだけで、たどたどしいが、なんとか踊れているから不思議だ。ヴェルが上手、なんだろうか。騎士なら、今までにも踊る機会もあったのかもしれない。

『踊れるじゃないか』

『…っ』

 いっぱいいっぱいで、返事をする余裕がない。ふと一生懸命追いかけていた彼の足から目を離して、顔をちらりと伺う。こちらを見下ろしていた静かな紺色の瞳と目があって、動揺してすぐ目をそらした。ちょうど下から聞こえていた音楽が途切れて、ヴェルの足も止まる。

『…そろそろ、戻るか。監視もグレイプニルに任せきりだ』

 結構な時間、お祭りを楽しんでしまった。名残惜しいが、そろそろ戻らないと。離れたところから聞こえてくる喧騒に耳を傾けながら、こくんと頷く。まだ露店も出ているし、ニルさんにはお土産に、何か美味しいお肉を買って帰ろう。リュゼには何がいいだろう…血が足りないなら、やっぱりお肉かな?それとも野菜?鉄分豊富な食材って、こちらではどういうのがあるんだろう。ぼんやり考えていると、ヴェルが目の前にすとんと片膝をついた。普段見上げている頭を僅かに見下ろす形になって、首を傾げる。

『ヴェル?』

 戸惑う私の指先を軽く持ち上げて、手の甲にこつんとおでこを当てる。

『…この先、1年、息災でいられますように』

 顔を上げて、少しだけ悪戯っぽく笑った。いつもは見せない表情に、ぶわっと顔に熱が集まって、目が泳いでしまう。

『…ヴェルも』

 ヴェルも、この1年、元気でいられますように。

 照れを誤魔化すように俯きがちに返すと、ヴェルは一度瞬きをして、ふっと優しく微笑んだ。

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