35.リュザフィール
『あ、スグル、お兄さん』
ベッドで身を起こしたリュゼが、部屋に入った私たちに声を掛けた。室内に置かれていた質素な木製の椅子をリュゼの近くまで引きずり、腰かけて彼の様子を伺う。顔色は悪いが、表情は明るい。
『大丈夫…?』
問いかけると、にこっと笑ってリュゼは頷いた。
『傷は完全に塞がっているはずだ。全快するまではあまり激しく動くなよ』
向かいのベッドに腰掛けて、腕を組んだヴェルがリュゼに言う。リュゼは服をめくって、斬られたあたりを見下ろす。『すごい、こんな完璧に治せるなんて…』驚いたように腹部をなぞりながら呟いた。あんなにすっぱり切れていたのに、そこには傷跡ひとつない。
リュゼはこちらに真っ直ぐ視線を向けて、難しい顔をすると、深々と頭を下げた。
『助けてくれて、ありがとう』
マットに頭がつくんじゃないかってくらい、深く深く下げられた頭に、慌てて胸の前で両手を振る。ぶかぶかの袖が揺れた。
『ううん、私も、ありがとう、ヴェルを呼んでくれて』
『うん。でも、俺、スグルいなかったら死んでたよ…お兄さんも、本当にありがとう。あのままだったら死んでた』
『いや、いい。ついでだ』
ヴェルは静かな表情でそう返す。無愛想だ。リュゼはちょっと困ったような顔をして、ベッドに座り直した。
『さて、…俺も、助けてもらったから。恩に報いて、本当のこと、話そうか』
本当のこと…?きょとん、とリュゼを見た私に彼は小さく微笑んで、ヴェルに向き直る。
『エインヘイル・ヴェルフリード。君は、聖帝国の元近衛騎士だ。そうだろ?』
ぴくりと、ヴェルの片眉が上がる。鋭い視線に、リュゼは困ったように笑った。
『俺は、第8部隊の、デルリーン・リュザフィール。君は有名だったから、顔は知ってたんだ。俺みたいな一介の兵士のことなんか、君は知らないだろうけど』
『…』
ヴェルは無言だが、纏う空気がびりびりとリュゼを威圧する。
『はは、流石、おっかないな。…ほんとはさ、初めに会った時に分かってたんだ。スグルに声を掛けたのも、それが理由。たまたまあの時、俺、あの島にいてね。君らが魔獣の討伐の最中に連絡がつかなくなったってって聞いて、それを確認しに行った。魔獣を仕留め損なってたら大変だからね。…通常、魔獣に噛まれると、身体が溶けて死ぬ。だから、魔獣の死体も無かったけど、騎士の死体も無かったから、相討ちだって判断した。そう、上には報告したよ。みんな、まさか君が死ぬとは思ってなかったから、大騒ぎだったけど』
リュゼはヴェルの鋭い視線を気にした風もなく、つらつらと喋る。
『で、その帰りにさ。君の姿を見たからびっくりした。森に君の甲冑が落ちてたけど、凄い出血量だったし、死んじゃったんだろうなって本気で思ってたから。他人の空似かなって思ったんだけど、腰に下げてる剣は聖騎士のものだった。気になって、一緒にいる子に声を掛けたら、『兄弟』だなんて言うし。これはなんかあるなって思ってさ』
ふふっと笑う声とともに、肩が揺れる。柔らかそうな黒い髪が、笑みを浮かべる頬に影を作った。
『まあ、探る前にはぐれちゃったんだけどね。君らが東に行くって行ってたから、先回りしてみた。そしたら同僚から連絡が入ってさ、別の魔獣が船で運ばれてるから、追っかけろって言われて。魔獣の檻が運ばれた先が、レディントンの屋敷だった』
だんまりを決め込んでいたニルさんの体が、ぴくりと反応する。
『…でも、魔獣はだいぶ弱っててさ。屋敷に着いてすぐ、死んじゃったんだ。あの檻、かなり強力な術式が込められてるから、それで衰弱してったんだろうね。特に手掛かりは掴めなかったし、やることもなくなっちゃってさ。取り敢えずお金なくて困ってたから、屋敷でそのまま警備の仕事してたら――』
リュゼは、こちらを見る。頬に優しく指が触れた。
『スグルが、ボロボロになって、閉じ込められてた。びっくりしたし、助けなきゃって思ったんだけど、それと同時に、これは好機かなって思った。君をおびき寄せる、餌になるって』
ヴェルの纏っていた空気が鋭さを増した。すっと細められた目に、殺気が込められる。
『…ヘマしちゃって、この有様なんだけどね』
肩をすくめ、リュゼは声を上げて、ははっと笑った。
『助けてもらったし、恩は感じてる。君たちのことは報告しない。…報告する手段もないし。通信板、あの時割られちゃって。あの男が勘違いして、スグルの通信板だと思って壊しちゃったんだよね。スグルの通信板は、スグルの荷物と一緒にレディントンの屋敷だ』
あの時、男が投げて割ったのは、私の通信板じゃなかったのか。
『まあ、報告の途中でばっさりやられたから、俺、もう死んでると思われてるんだろうなあ…』
『……』
『スグル、ごめんね。多分俺さ、やろうと思えば君のことすぐに外に出せたんだ。なのに、利用した』
少しだけ泣きそうな顔で、リュゼがぎゅっと私の手を握る。首を振って、リュゼの手を握り返した。
『いい。リュゼがいなかったら、私、きっと、死んでた』
『…スグル』
リュゼは呟いて、くしゃっと顔を歪めた。そういう顔は、実年齢よりもずっと幼く見える。
『……俺のことは、全部正直に話したよ。君たちのことも、教えてくれないかな。流石に、傷がこんなに…何もなかったみたいに消えちゃうのは変だ。普通治癒の術式ってのは、その部位の代謝を早めて治すって荒技だ。短期間でこんな風になるのは、治癒の術式ではない何かが使われたってことだろ?スグルも酷い傷跡だらけだし、なにがあったの?それ、明らかに死んじゃう域だよね』
ヴェルの服は大きくて、普段見えない位置にある傷跡がはっきり露出する。リュゼは私の首元の傷跡に視線を落として呟いた。何も言えなくて俯く。
『何故』
対してヴェルは、鋭い視線をリュゼに向けたまま、短い言葉を発した。
『何故話す必要がある』
『え、いや、気になるっていうか…好奇心っていうか…まあでも、なにか事情があるなら、俺も助けたいっていうか…恩返しで…』
『……』
ヴェルは無言でちらりと横に座っていたニルさんに視線を落とした。
『お前に話すことで、こちらに益は何かあるのか』
『ええっ?えーっと、うーん…第8部隊の隊員の顔ならわかるかな…、あとは、俺、一応腕は立つよ』
にっと笑っているが、彼が剣を振っているのは見たことがないので、それが真実かどうかはよくわからない。斬られて死にかけていたし。
『それに、アルネイアで結構動き回ってたから、地理に詳しい!』
『…』
『あっ、あと俺、術式はからきしなんだけど、目だけはいいんだ。遠くの方まで見える。千里眼ってやつ?あんまりポンポン使える代物じゃないんだけどさ』
『…』
『旅は道連れ、って言うだろ』
何も言わないヴェルに痺れを切らしたのか、リュゼがむうっと唇を突き出した。子供っぽい仕草に、思わずふふっと笑ってしまった。
『話してくれないなら、俺、このままここ逃げ出して、上に報告しちゃおうかなあ』
『その前に殺す』
冷たい一言に、ひえっとリュゼは縮こまる。…ヴェルなら躊躇なくやりかねない。先日警備を蹴散らした時の容赦ない太刀筋を思い出して、こちらまで怖くなって縮こまってしまった。
――まあ、いいだろう。
ニルさんがすっと身を起こして、落ち着いた声を出した。
――遠くまで見通すというのは、役に立ちそうだ。
『…えっ、誰?』
きょとん、とした顔できょろきょろ周りを見渡すリュゼの前に、ニルさんがお座りした。
『いいの…?』
小さく尋ねると、ニルさんはこくりと頷く。ニルさんがいいと判断したなら、異論はないが…大丈夫だろうか。
――さて、『話』をしようか、リュザフィールとやら。
『は?え?』
リュゼはぽかんとニルさんの顔を見下ろして、
『えっ?ええ??ええええ!?!?』
壮絶な叫びをあげながら、壁まで後退りした。
◇ ◇ ◇
椅子にぼんやり座って、ニルさんの話が終わるのを待つ。病み上がりでしんどくなって来たので、椅子をひっくり返し、それを跨いで背もたれに顎を乗せてくつろいだ。ああ、そういえばだが、ちゃんとズボンは履いているので安心してほしい。ヴェルのなのでぶかぶかのずるずるだが。
リュゼは、ニルさんの話を聞きながら、顔を青くしたり、ぽかんと口を開けたり、なんとも言えない顔でこちらを見たり、先程からせわしない。まあ…気持ちは分からないでもない。
ヴェルは腕を組んだまま、目を瞑ってじっとしている。リュゼによると、なにやら有名人らしいので、変装とかしたほうがいいんじゃないだろうか。こっちの術式というのが、どれくらい人の見た目を変えられるものなのかはわからないが…髪を染めるだけで、だいぶ印象が変わりそうだ。こちらでは、ヴェルみたいな赤っぽい髪の色はあまり見ないから、かなり特徴的になっている気がする。黒とか、金とか、茶とか、街でもよく見かける色に染めたらいいのに。目を閉じるヴェルの顔をじっと見ながら、頭の中で髪の色を変えてみる。黒は、意外と結構似合いそうだ。締まった感じがして、かっこよくなりそう。しかし気配もより鋭くなりそう。金は…うわあ、なんか…なんだろう。王子様みたいな…白馬に乗ってそう…。いや、でもこんな目つきの鋭い王子様はいないな。たまに見せる、ちょっと穏やかな笑みとか、ずーっと浮かべてたら、完璧な王子様なのに。でもそれはもはやヴェルではないか。若干そこまでいくとかけ離れすぎて気持ち悪い。茶色は…今とあまり変わらない気がする。今の髪の色から、赤だけ引っこ抜いた、という感じだ。
ううむ、と悩んでいると、閉じられていた目がふっと開いて、こちらを見た。
『…なんだ』
『…なんでもない』
いつも思うのだが、ヴェルはどうして私が見てるとわかるんだろう。第三の目とかどこかについているのだろうか。それとも私の目から何か光線でも出てるのか。
そんなことをしているうちに、ニルさんの話が終わった。階層の説明とかも入れていたので、リュゼはだいぶ混乱しているらしく、低い唸り声をあげながら固まっている。全部喋ったということは、完全に彼を巻き込むつもりのようだ。
『ちょっと咀嚼しきれないんだけど…』
へらりと笑う顔に力は無い。あんな話突然聞かされても、ピンとこないだろう。ヴェルは一度魔獣の血で死にかけてるところを助けられたから、もしかしたら納得はしやすかったのかもしれない。
『スグル、ここの人じゃないの…?』
『うん…』
『…言葉が時々わかってなかったのは、そういうことか…』
こくりと頷くと、リュゼは困ったような顔をして、『苦労したんだね…』と呟いた。
『まあ、何はともあれ、君らの事情はわかった。…ヴェルフリード、君ほどの男が背信行為に出てるってのは、それなりの事情だとは思ってはいたけど。これは…途方も無いね…』
『…』
ヴェルは無表情で、何も言わない。
――協力するのか、しないのか?
ニルさんが冷たい目をリュゼに向ける。
『協力?するよ、話聞く前からそう言ってたし。それで、まずはどこに行くの?こっちに来たってことは、初めて魔獣が出たところに行くのかな?』
『…察しがいいな』
『まあ、それくらいしか思いつかないってだけ』
リュゼは軽く笑って、ヴェルに向き直った。
『案内してあげるよ。俺、前に一度調査で行ったことがあるから。なーんもなかったけど、もしかしたらなんか見つかるかもね』
軽い口調でへらっと笑う。
『改めて、よろしく。命を救ってくれたお礼に、君たちに協力しよう』
リュゼは悪戯っぽく笑って、私の手を取り、口付けを落とした。…背後で物凄い殺気が膨れ上がるのを感じたのだが、お前もやっていたじゃないか。




