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29.誘拐※

※注意※

主人公が暴行を受けるくだりがあります。苦手な方は「◇ ◇ ◇」以降は飛ばしてください。読まなくても問題ないよう続きは書きます。

 次に目が覚めた時には、もう床は動いていなかった。

 ひんやりとした床は、おそらく板張り。馬車の中なのかそれとも別の場所なのかは分からない。…同じ体勢でずっといたせいか、身体が強張って節々が痛い。まだひどい頭痛もする。頭にはまだ目隠しの布が被せられたままで、後ろ手に手首も縛られたまま。足首の縄だけ解かれているようで、なんとか動かすことができそうだった。

 起きているとバレたら、また薬を嗅がされるかもしれない。意識が無くなる直前に蹴られた腹部がずきずき痛む。身動きせず、そのまま息を殺した。

 少しすると、離れたところから靴音が聞こえてきた。靴音は徐々にこちらに近付いてくる。じっとしていると、扉の開く、ギイっという音が聞こえた。ここは、どこかの部屋なのかもしれない。足音は一直線にこちらに向かって、私の前で止まると、床板がみしっと微かに軋む音を立てた。

 次の瞬間、頭に手が伸びて、袋が取り払われた。首で一瞬布が引っかかって、呼吸が止まってむせる。辺りは明るく、ずっと真っ暗闇にいたので目が眩んだ。

『なんだ、起きてるじゃねえか』

 その声は、馬車の中で薬を嗅がせた男の声。

 逆光で殆ど見えない男の顔を見上げる。本能的な恐怖に、身体ががくがくと震えた。

『スグルくん!』

 名前を呼ばれて、はっとそちらに目をやる。メイソンさんは、手首を前で縛られたまま、ベッドに転がされていた。どこかでぶつけたのか、それとも殴られたのか、口の端が切れて血が滲んでいる。

 ここはどうやら、狭いが居室のようだ。ベッドが1つと、机と椅子が1つずつ。…少しだけ、拍子抜けした。檻にでも入れられて売られるんじゃないかと思っていたから。古ぼけてはいるが、調度品は装飾が綺麗で、品がいい。よく掃除されているように見える。…なにがどうなっている?

『お前ら、どういう関係だ?』

 目の前の男が立ち上がった。横を向いたので、逆光の中顔が微かに浮かび上がる。黒い口髭を蓄えた、3、40代くらいの男。肩あたりまであるボサボサの髪を結わえている。腰に下げられた剣の持ち手は、随分と使い込んでいるのか、つるりとしていて黒く汚れていた。鋭い目がメイソンさんに向けられる。

『ど、どういう、って…』

 メイソンさんの目が泳ぐ。名前をつけるほどの関係でもない、強いて言うなら元同僚みたいなものだ。ただ、ヴェルを待つまでの間、心配だからと言って隣に立って、一緒に待っていただけ。困ったように固まってしまったメイソンさんに業を煮やしたのか、男が腰の剣を抜いた。それを私の首に突きつけて、先程と同じ質問をする。

『どういう、関係だ?』

 両刃の剣が、室内の灯りを反射してぎらぎら光る。現実味のないその輝きに、ただ呆然と、切っ先を見つめていると、メイソンさんが慌てて『やめろ!』とこちらに身を乗り出す。切っ先が少しずつこちらに傾いて、首に微かに触れた。冷たい感触に、身体が固まる。

『…!』

 男が唐突に剣を腰に戻した。遠くの方で、ばたばたと騒がしい音がして、すぐに扉が開かれる。

『ちょっと、乱暴しないでって言ったじゃないの』

 扉を開けたのは、この場に似つかわしくない、豪奢な黄色いドレスの、金髪の女性。少し気の強そうな美しいその顔には、見覚えがあった。

『…!』

 ヴェルが、手に口付けをしていた女性。その光景が脳裏を過って、どろりとした嫌な感情が首をもたげた。女性は、きらきらした髪を揺らしながら、狭い室内へと踏み込んだ。

『お嬢様!このような汚い所に…!』

 彼女を追ってきたのか、若い茶髪の男性が慌てて彼女を押しとどめようとする。丁寧な口調から、どうやら彼女の方が彼よりも地位が高いらしいというのがわかった。彼女は全く気にも留めない様子で、メイソンさんの横たわるベッドに近付き、彼の方にずいっと顔を寄せた。メイソンさんの肩がびくりと跳ねた。

『ああ、素敵な顔が台無し。怪我させないでって言いましたのに。言うことの聞けない駄犬は、首を刎ねるわよ』

 鋭い視線を、横に立っていた口髭の男に向ける。細められた、金にも見える薄い茶色の瞳が不穏な色を灯した。

『…ま、いいわ。言われた通り連れてきてくれたんだし。早く腕の縄を解いて』

 言われた通りに、男がメイソンさんの腕の縄を解く。かなりきつく縛り上げられていたようで、手首には酷い痣と擦り傷ができていた。眉間に皺を寄せて手首をなぞるメイソンさんの顎に指先を当てて、ドレスの女性は自分の方に顔を向けさせる。

『あなた、とっても素敵。綺麗なお顔だわ。それに楽士と言うところもとてもいいわ。船の中でひと目見たときから、欲しくて欲しくてたまりませんでしたの。お気に入りの護衛に逃げられて、傷心の私を癒してくれるのは貴方だけだわあ…』

うっとりと語られる言葉に、メイソンさんの表情が強張っていく。

『よろしいかしら。貴方はこれから、この先ずーっと、わたくしの為だけにソリューシャを弾くの。逃げたら殺すわ。おわかり?』

 高圧的な言葉は、ゆっくりと、相手に刻み付けるようにして紡がれる。私もそうだが、それ以上に困惑した顔をしているメイソンさんに、彼女は花が開くような美しい笑みを向けた。

『おわかり?』

 ゆるく弧を描く、赤い唇が、同じ言葉を口にする。メイソンさんは目を泳がせながら、『…はい』と、震える声で小さく呟くように了承した。満足そうに笑みを深めて、彼女はメイソンさんの顎から指を離して身を起こす。

『レディントン・アスキス・カトリーナ。覚えなさい、貴方の主人の名前よ。これからは私の言うことには決して逆らわず、歯向かわず、従い続けること。私に忠誠を誓いなさい』

 彼女の流れるような言葉は聞き取りづらい。カトリーナ、と言うのがおそらく名前なんだろう。メイソンさんは困惑した顔のまま、カトリーナと名乗った女性を見上げる。不意に、彼女は特に関心なさそうに、ちらりとこちらを見下ろした。

『それで?その子は何かしら。子供は嫌いなんだけど?』

『すみません、その男と一緒に居たので』

『関係無いなら処分なさい。邪魔よ。死体は外の堀にでも投げておいてちょうだい』

 言葉がわからず、困惑した目で彼女を見るが、彼女はこちらに視線を向けず、周囲に厳しい視線を向ける。慌てたように、メイソンさんが大きな声を上げる。

『ま、待ってくれ、待ってください!彼は、僕の弟で!』

『弟?全然似てないのねえ。本当かしら』

 彼女は微笑みをこちらに向ける。

『そうだ、それなら貴方は人質にしましょう。ね、坊や。もしお兄さんが逃げたら、貴方は死ぬことになるわ。逆に貴方が逃げても、お兄さんは殺すわ。綺麗な顔の男が死ぬのは可哀想だけど、代わりはたくさんいるんだもの。しょうがないわ。…おわかり?』

『…っ』

 『死』の言葉に怯えて頷く。泣きそうにってメイソンさんを見上げると、メイソンさんも泣きそうな顔でこちらを見た。茶色の瞳と目があって、お互いどちらともなく目を逸らす。…私が逃げれば彼が死に、彼が逃げれば私が死ぬ。そんなこと言われて、逃げ出せるはずがない。間接的に人を殺すのと同じじゃないか。

 …私は、ずっと、この女の人が彼に飽きるまで、ここに囚われ続けるのかもしれない。

 ああ、また…私は、巻き込まれたのか。


 ◇ ◇ ◇

 

『彼の方は湯に入れて綺麗にしてちょうだい。子供の方はどうでもいいわ。死なない程度に好きにしていいわよ』

『…承知しました』

 カトリーナはそう言って、こちらには一瞥もくれず、踵を返す。緩やかなウェーブをつくる金髪が、勢いよく揺れた。そのまま室内からスタスタと出て行くのを、呆然と眺める。

 彼女と一緒に入ってきた茶髪の男の人が、俯いたメイソンさんの手を取る。メイソンさんは、身体を支えられながら、引きずられるようにして部屋の外に連れ出された。一瞬男の人がこちらを憐れむように見た、気がした。

 硬い床にこめかみを押し付けて、身体を丸める。絶望しかない。部屋にはさっき私の首に剣先を突きつけてきた柄の悪い男がいるだけで、しんと静まりかえっている。…嵐のような女性だった。カトリーナ、か。ほんと、ハリケーンみたい。

 ぼんやり現実逃避しながら、冷たい床板を眺めていると、男が無言のまま、剣を抜いた。人質の意味がなくなるので殺されるということは無いだろうが、先程首に当てられた冷たい感触を思い出して身体が震える。既に解放されていた足で床を蹴って何とか後退りするが、すぐに壁にぶつかってしまう。目をぎゅっと瞑って身体を縮こまらせていると、後ろ手に縛られていた腕を掴まれて、縄を切られた。…逃げ出す心配がない、からだろうか。

 男は無言で立ち上がり、ベッドに腰掛けた。身体が大きいからか、ぎしっと大きく軋んだ音が鳴って、思わず身体がびくっと跳ねる。

 手首には酷い痣と擦り傷が残っている。空気に触れてひりつく傷をそのままにして、膝を抱えて座り込む。部屋の窓から、馬鹿みたいに燦々と太陽の光が降り注いでいた。多分、お昼なんだろう。船を下りたのが夜の9時ごろだった筈だから、半日以上薬で眠らされていたことになる。時計が無いから正確な時間がわからない。鞄の中に、懐中時計が入っていたのに。

 …不運なことに、通信板も鞄の中だ。どうにかして入手しなければ。私では起動できないが、何かあれば…チャンスがあれば、起動できるかもしれないし、ヴェルからの通信も受けられるかもしれない。ニルさんとヴェルが居れば、メイソンさんも連れて外へ逃げられるかも。

 目の前の男は金属の筒のようなものを取り出して、それに火をつけた。こちらの世界の煙草か何かかもしれない。

『…別にとって食ったりしねえ。男に興味はねえ』

 …あの時、咄嗟のことだったんだろうが、メイソンさんが『弟』と言ったことに感謝する。女だとバレていたら、何をされていたかわからない。そして、おそらく全くの無関係だったら、さっさと殺されていただろう。男が関係を問いただしたのは、ただ殺すか殺さないか判断するためだけだったのでは無いだろうか。

『ちっ、めんどくせえ。関係あろうが無かろうが、さっさと殺しちまえばいいんだ。お前、あの男と兄弟でも何でもねえんだろ?』

『……』

 無言でいると、また男は舌打ちをした。

『何とか言えよ!!』

 ガンッ!

飛んできた椅子が、すぐ隣の壁に当たって砕けた。破片が頬をかすめていく。ゾッとしてガタガタ震えて頭を抱えると、ぎしっとベッドの軋む音とともに、こちらへ近付く靴音。

 不意に、右側から強い衝撃を受けて、身体が飛んだ。背中を壁に強かにぶつけて、息が止まる。

『っ、げほっ、ごほっ!』

 思わず咳き込んで、上手く呼吸ができなくて涙が滲む。蹴られたと気がつくまで、時間がかかった。

『死なない程度、に好きにしていいって言ってたしなあ』

 胸ぐらを掴まれて、男の目の高さまで持ち上げられる。足が床につかなくなり、体重のかかったシャツの襟が首を圧迫する。息が出来なくて、徐々に目の前が霞み出す。意識が飛ぶ前に、ベッドに向かって放り投げられた。背中がベッドの縁に当たって、激しい痛みにに身体がこわばる。

『お前、悲鳴全然上げねえな。面白くねえ』

『…っ』

 嗜虐趣味でも、あるのか。不規則な呼気が喉を通り、ひゅ、ひゅ、と小刻みに音を立てる。男はゆらりとこちらに近づいて、私の腹に足を乗せる。体重のかかっていく足に、喉から掠れた声が漏れた。身体の奥で、みしみしと嫌な音がする。

『うっ、あ…!』

 自由になる腕で、必死に足を取り払おうとするが、びくともしない。爪を立てて引っ掻いて、外そうとするが、押さえつける力は強くなっていく。

『2、3本、骨が折れても死なねえだろ』

『…っ!』

 もがく指が、硬い何かに触れる。思わず握りしめて男の足へと振り下ろした。

『っ、があっ!』

 叫んで男が飛びのく。私の手が握っていたのは、先程砕かれた椅子の脚だった。尖っている折れた先端の先には、赤い血がべっとりとついている。

『っ、はあっ、はあっ…』

 踏みつけられた腹部がずきずきと痛む。痛みを逃すように息を吐きながら、身体を起こして、ベッドの縁に寄りかかった。力の入らない震える指が、握っていた椅子の脚を落とす。男は歯を食いしばって、怒りに満ちた目でこちらを見た。

『縛んねえ方が面白そうだと思ったんだが。縛っておけばよかったか。それとも腕を切り落とすか?』

 細められた目に身体が震える。金属の擦れる嫌な音とともに、剣が引き抜かれた。男は脚を引きずりながら、こちらへと脚を踏み出す。ガリガリと剣先が床板を削り、深い傷を作った。

「っ、いやっ」

 這うようにして、扉の方へと逃げる。ドアノブに手がかかる前に、背後からから襟ぐりを掴まれて床に倒された。背中に足が乗り、動きを封じられる。切っ先が二の腕に触れて、血の気が引いた。

「いやっ、やだ、ごめんなさい、ごめんなさい!」

『あ?何言ってんだ、お前』

「っ、たすけて、だれかたすけて!」

 もがく手には何も触れない。叫ぶ声には誰も応えない。恐怖でぼろぼろと涙がこぼれた。

 切っ先が当てられた腕には、ずきずきとした痛みと、じわりと熱いものが広がる感覚。逆光になってよく見えない男の顔が、にたりと笑うのが微かに見えた。

「もう暴れないから!!おねがいだから!!やめて、やめてよ!!」

 掠れた悲鳴に、男が舌舐めずりをした。剣に力がこもっていく――。

『ちょっと!何してるんです!』

 目の前の扉が突然開いて、男の身体が引き剥がされる。涙で掠れた視界で、誰かが私を背に庇うように膝をついたのがわかった。

『そんなことしたら、運が悪ければ死んでしまうんですよ!?一応人質なんです、扱いには気をつけてください!!』

 振り向いた顔は、先程メイソンさんを室外に連れ出した男のもの。

『…彼の身柄は、こちらで引き取ります。…まったく、こんな状況じゃなかったら、あなたみたいな男雇ったりしないんですが。あなたは外の警備にでも回ってください』

 口髭の男は、剣を鞘に納めて、床に唾を吐く。

『誘拐の代金は別でもらうからな。チッ、…お楽しみの邪魔しやがって』

『かまいません。…はやく、出て行ってください』

 男はこちらをちらりと一瞥して、不快そうに顔をゆがめて部屋から出て行った。

 先ほど男に切り付けられた腕が、酷く傷む。傷口から溢れた血が、床にゆっくりとシミを作っていく。うつ伏せになったまま身体を動かすことができず、ただぼろぼろと涙が流れた。私が一体何をしたというのか。あまりに理不尽じゃないか。

 酷く、頭が痛む。急激に頭に上っていた血が降りていくような感覚。床に頬を押し付けたまま、ゆっくりと意識が飛んで行った。

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