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28.下船

 ごうっという音とともに、船が一度大きく揺れた。衝撃でコップが揺れて、危うく倒しそうになる。どうやら港に着いたようだ。出航の時と同様、汽笛の音は無く、静かな着港だった。食堂には窓がないので外は見えない。

 …海外旅行などしたことが無いので、日本から外に出るのは初めてだ(異世界はノーカンにしてほしい)。アメリカ大陸である。正直、広大すぎだし、旅行の予定も全く無かったので、地理とかよく分からない。授業で一応習ったけど、高校は日本史と世界史を選んだので、地理はからっきしだ。中学の時に地図帳見て、ロッキー山脈かなりでかいな、って思ったくらい。あとはミシシッピ川凄い広がってるなあ、とか。異界とはいっても、大陸の形が同じである以上、おそらく同じ位置に山や川はあると思うのだが。ロッキー山脈はだいぶ左側にいたので、もしかしてここから見えたりするんだろうか。…そういえば、港の細かい位置は知らない。ここはアメリカなのかカナダなのかはたまたブラジルなのか。

『おおっと、こうしちゃいられねえ!おい、お前ら!下船の準備だ!』

 団長さんの大きな声に、床でぐたっとしていた人も慌てて起き上がる。

『僕らが最初に荷物下ろすから、急がないと!小さい荷物なら僕らでも運べるから、手伝って』

 エリクに手を引かれて、つんのめりそうになりながら立ち上がって追いかける。

 ああ、もうすぐ彼らとはお別れなんだ。寂しくなって、エリクの手を握る手に力を込めると、ぎゅっと握り返された。



 荷物の大半は大きくて、私が持てるものは少なかったが、団員総出で荷を下ろしたので、思いの外直ぐに運び終えてしまった。荷物はそのまま大きな馬車に積み込まれていく。後ろでは、今は演劇団の人たちが荷を下ろしている。この船はアルネイアの貴族の遊覧船なので、暫くはこの港に着けたままになるのだそうだ。

 夜の港は、少し肌寒い。シャツ一枚なので、風が吹いた時に身体がぶるっと震えた。ヴェルが用意してくれていたマントをニルさんの荷から外して羽織ると、驚くほど暖かい。…これにも、何か術がかかっているのかも。フードも付いているので、防水の毛布と同じように、水も弾いてくれるのかもしれない。

(ニルさんは寒くない?)

――問題ない。

(毛皮があるからかなあ)

――まあ、そうだろうな。暑い方が嫌いだ。

 これだけふかふかな体だと夏は辛そうだ。ふうん、と頷いていると、徐々に港に団員が集まりだす。皆、凄く優しくしてくれたし、楽しませてくれた。少し離れたところで、エリクが俯いて立っている。オリビアはいつものにこにこした可愛らしい笑顔で、リディアさんはキラキラした美しい微笑。団長さんの合図で、皆が私とメイソンさんが立っている方に向き直った。

『さ、俺たちはこのまま皆で次の公演予定の隣町まで移動する訳だが。メイソンとスグルはここまでだな。…ふたりとも、素晴らしい演奏家だった。また会ったら、うちで演奏してくれよ』

『また来てねっ』

『他のとこで浮気すんなよ!』

『スグルちゃーん!メイソンちゃーん!またね!』

 色々なところから上がる声に、泣きそうになる。震える手で、借りっぱなしのボードに文字を書く。

『おせわになりました。ありがとうございます』

 ボードを見せると、皆がにっと笑う。メイソンさんも穏やかに笑って、『ありがとうございます』と楽器を軽く鳴らした。

 エリクの方に走って、こちらを見ない彼の腕を軽く引く。少しだけ泣きそうな顔のエリクが、私の目を一瞬だけ見て、すぐに逸らしてしまった。彼の手に、借りていたボードを押し付ける。

『返さなくて、いいよ。それくらいやる』

 むっとした顔で、でもエリクはこちらを見ない。リディアさんが、軽くエリクの背を叩く。

『ほら、しゃんとしなさい。今生の別れじゃあるまいし。また会うこともあるわ、きっと』

『…』

 エリクは顔をくしゃっと歪めて、私の身体に抱きついた。うお、おお…びっくりした。

『また、会いに来て』

 呟く声はひどい鼻声だ。少しだけ吹き出してしまって、エリクに憮然とした顔を向けられる。涙目に息がつまりそうになった。

『…うん』

 彼にしか聞こえないくらい、小さな声で返す。体を離したエリクは、泣きそうな顔で頷いてみせた。

 彼の手から離れて、メイソンさんの隣に戻る。

『それじゃあな!よし、お前ら、移動するぞ!』

 皆、ぞろぞろと馬車の方へ移動していく。乗り込む時に、こちらに軽く手を振ってくれるのが嬉しかった。全員乗り終わると、馬車は港に沿って走り出す。見えなくなるまでメイソンさんと並んで手を振った。



『…そういえばスグルくんは、どっちに行くの?』

『…』

 決めていない、待ち合わせ、とボードに書いて見せる。ああ、と彼は呟いて微笑んだ。

『家族に会うのかな?』

『…』

 ううむ、まあそのようなものか。ヴェルとは兄弟設定だった。うん、と頷くと、彼は笑みを深くした。

『じゃあ、その家族が来るまで一緒に待っていてあげるよ。アルネイアはちょっと物騒だからね』

 それは申し訳ない、ニルさんもいるから大丈夫だ。ぶんぶん首を振ったが、『女の子が1人で立ってちゃ危ないぞ』と彼は動かない。…いい人なんだろう。渋々了承すると、嬉しそうに笑って頷いた。ニルさんは呆れたように隣でため息をつく。

『この辺、潮風が冷たいね。あっちの小屋の壁で凌ごうか』

 言われるがまま、小屋の壁まで移動する。確かに、冷たい風が少し弱まった気がした。

 船の方は、まだ演劇団の人たちが荷を下ろしている最中だ。演劇団と音楽団の荷が下されてから、やっと貴族が降りて来る。結構時間がかかりそうだ。申し訳無くて隣を伺うが、メイソンさんは穏やかな表情で海を見ていた。

『そういえばさ、スグルくん、どこでディルネ習ったんだい?全部聞いたことない曲だったけど』

 一瞬迷って、ボードに『お母さん』と書いて見せる。

『お母さん?お母さん、どこで学んだんだろ。でも、どれも素晴らしい曲だよね。お母さんが作曲したの?』

 ううん、と首を振る。

『違うの?うーん、そうか。そのお母さんに会って見たいよ。迎えに来てくれるのは、お母さん?』

『お兄ちゃん』

『お兄ちゃん?ふうん、こっちに住んでるの?』

『…』

 あんまり会話するとボロが出そうだ。うん、と頷いて、目を逸らす。お互い無言になったまま、10分くらいそのまま立っていると、どうやら音楽団の荷物も下ろし終えたらしく、甲板あたりから別の階段が降ろされて行く。貴族はあちらから降りるようだ。

(ニルさん、ニルさん、ヴェルに事情伝えて、港じゃない方から来てもらって)

 口裏を合わせておいたほうがいいだろう。ここから船までは少々距離が離れている。ニルさんはこくっと頷いて、船の方に歩いて行った。

『あれ、いいの?』

『大丈夫、さんぽ』

『そう…』

 メイソンさんは心配そうにニルさんの様子を眺めていたが、ふとこちらに向き直って、ふわりと穏やかに微笑んだ。

『そういえば、船に乗ってる時、一緒に演奏したの楽しかったね。あれ、なんて曲なんだい?』

 彼とは舞台の上で共演することは無かったが、防音室で一緒になった時、よく一緒に弾いた。私は楽譜がある状態のものしか弾いたことがないから、即興でとなると上手くいかないのだが、彼は即興が得意らしく、私が弾くピアノに合わせて何度か弾いてくれた。確かあの曲は…文字で書くと、どう書くのが正解なんだろう。ジムノペディ、とこちらの文字でなんとなく書いて、彼の方を見上げると――、

 すぽっと、彼の頭に布が被せられた。

『…ん??』

『…??』

 お互い、状況がわからなくて、疑問符を並べて固まる。黒い、おそらく袋状になっているそれは、目隠しみたいだ。なんだこれ、とぽかんと彼の頭を見上げるが、おそらく彼の方が動揺しているんだろう、慌てたように頭に手をやっている。彼の方に気を取られて、背後に忍び寄る人影に全く気がつかなかった。ふと自分の視界が真っ暗になって、彼と同じ状況になったのだと認識する前に、強烈な薬品の匂いで意識が飛びそうになる。

『ヴェ…』

 声はどこにも届かず、膝から力が抜ける。へたり込みそうになる身体を、背後から誰かが支えた。精神力だけで踏ん張っていたが、また何かの薬品を嗅がされて、意識が闇に堕ちて行った。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 ガタガタと激しく地面が揺れる衝撃で意識が浮上する。

 …目を開けたはずなのに、目の前が真っ暗だ。状況が分からなくて、横になったまま数回瞬きする。…酷い頭痛がした。

 ここは、どこだろう。板張りらしい床は硬くて、身を起こそうとすると身体が軋んだ。後ろ手に、腕が縛られている。力を込めるが、外れそうにない。手首に巻かれている、多分縄であろうそれは、ぎっちりと硬く結ばれているようだ。足首も同様縛られている。

 …一体、何が起きている。意味不明すぎる状況に、頭がついていかない。

『ぐえっ』

 がたんっと一度大きく床が揺れて、微かに浮いた身体が床に叩きつけられた。痛みで潰れたカエルみたいな呻き声が口から漏れる。

『んんっ…?あれ、もしかして、スグルくん…?』

 メイソンさんの声だ。同じ空間にいるらしい。ガタガタと揺れるうるさい室内だと上手く聞き取れなくて、ぐうっと唸る。

『大丈夫…!?怪我はない?』

『…大丈夫』

『えっ、誰…?』

 背に腹はかえられない。声を出して答えると、動揺したようなメイソンさんの声がした。

『スグル、です』

『君、喋れたの…?』

『…事情が、あって』

 頭には黒い布が被せられているようだ。自分の声が、閉ざされた空間で大きく聞こえる。…そういえば――、そういえば、私は、いきなり布を被せられて、薬を嗅がされて…。メイソンさんも、同じように布を被せられていたはずだ。つまり、ええと、私達は…人攫いにあっている…?

「……マジか…」

 思わず日本語で呟く。なんでこんなことになっているんだ。

『多分、馬車で運ばれてるんだと思う。君、心当たりある?』

『…ない、です』

 本当に全く心当たりは無い。誘拐しても身代金なんて誰も払えないし、…誘拐って、身代金以外に何の為にするんだ?人身売買?奴隷にするのか?それとも内臓とか取られたりするのか?ぞっとして、背筋に冷たいものが流れる。このまま奴隷として売られて、散々もてあそばれた挙句、内臓取られて死ぬ、という最悪のシナリオが頭の中で組み上がって、首を必死に振ってそれを頭から追い出そうとする。

『僕もちょっと心当たり無いんだよね。うーん、やばいかも…』

 やばい、という単語に、さっきの最悪のシナリオが脳裏を過る。し、しにたくない…!

 そういえば、ニルさんとヴェルは、どうしているんだろう。ちょうどニルさんが離れている時の出来事だったので、彼等も突然いなくなった私を探しているかもしれない。あああ、迷惑をかけてしまう。どうにかして脱出できないだろうか。…しかし、自分がどれくらい意識を失っていたのか分からないし、どれだけの距離を移動したのか見当もつかない。なんとか脱出できても、これではそのまま道の真ん中で野垂れ死ぬ。

 …自分、不運すぎやしないだろうか。階層の歪みでできた穴にたまたま落ちて、死にかけて、今度は誘拐だ。ここまでのことをされる心当たりが全くない。割と清く正しく生きてきたつもりだ。もうこれは、前世が何かしら業の深いことをやらかしたに違いない。大量殺人したサイコパスとか、大量殺戮兵器を作り上げたマッドサイエンティストとか。もしそうだとしたら完全なるとばっちりである。そういう罪はあの世で清算してきてくれ。

『おい、今なんか聞こえなかったか』

『あ?目が覚めたのかもな。めんどくせえ』

 離れたところから微かに話し声が聞こえて、床の振動が徐々に弱まり、止まった。暫くして衣擦れの音と、ぎし、ぎし、と床板を歩く足音。怖くて音がした方から離れるように身動ぐと、足音は目の前で止まった。

『勝手に覚めてんな。まだまだ掛かるんだからよお。静かにしてろや』

 荒っぽい声とともに、また強烈な薬品の匂いがした。意識を失うのが嫌で必死に息を止めていると、腹部を蹴りあげられる。

『ぐぅっ』

 一瞬衝撃で息が止まって、直後思わず大きく息を吸い込んでしまう。薬の匂いで、意識が遠のいていく。体から力が抜けて、頭ががつんと床に当たったが、そのまま目の前がブラックアウトした。


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