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23.衣装

 それからの数日間は穏やかに過ぎていった。

 船旅は初めてなので、船酔いをするんじゃないかと思っていたのだが、案外殆ど気持ち悪くなることはなかった。ニルさんも別段体調が悪そうということもなかったので、意外と快適に過ごせていると言えるだろう。

 だいたいは部屋にこもって本を読みながら勉強していたのだが、頻繁にエリクが遊びに来るので、結果的にあまり勉強できていない気がする。ヴェルに怒られそうだから、できるだけ時間は取っておきたいのだが。それ以外の時間は――結果的に夜遅い時間になることが多かったが、防音部屋に行ってピアノの練習をした。徐々に何を演奏するか自分の中で固まってきた、感じがする。ヴェルにもらった懐中時計を横に置いて時間を計りながら演奏して、だいたい20分くらいに収まるようになってきた。

 それから、エリクに毎晩誘われて、他の音楽団や演劇団の公演を観に行ってみた。演奏は金管楽器が無いせいか全体的にとても柔らかくて穏やかな音で、ほわっとあったかい気分になる。いつも舞台袖から見るので、演劇に関しては内容はちょっとよくわからなかったけど、衣装が凄く綺麗だったし、時々入る歌や踊りが素敵で、観ていて楽しかった。お客さんは公演を基本的には立って観ていて、そのまま食事をしたり飲み物を飲んだりしている。立食パーティーのようだった。美しいドレスに着飾った女性と、おそらくこちらの世界での正装に身を包んだ男性が見えた。映画で見た海軍の軍服に似ている。そういった人の近くには、帯剣した人が1、2人くらい控えていて、そっちの人は少し簡素な正装に身を包んでいた。ヴェルも何処かにいるのかな、と思って視線を彷徨わせたのだが、暗いホールでは何処にいるのか全くわからなかった。

 3日目には我々の奇術団の初公演で、舞台セットがこの時だけは変わるようだった。他の音楽団や演劇団の時は普通にステージでの公演だったのだが、奇術団の公演では、ホールのど真ん中に特設の円形ステージを設営するのだ。入場の時は最初からある舞台から特設ステージまで歩き、退場の時はホールの外へ出て行く。ホールを縦断するように臙脂色のカーペットが敷かれていて、お客さんはこの両側からそれを見る、ということらしい。そこそこの距離を歩いて入場するので、なんともいえない緊張感があった。

リハーサルから緊張して観ていたのだが、この日はエリクとリディアさんが出演する日のようだ。エリクは、白が基調の、金の装飾が煌びやかな衣装に身を包んで、高い位置に用意された綱をすいすいと渡る。時折落ちそうなふりをしたり、綱の上で側転をして見せたり。身軽な動きは全く危なげないものだった。リハーサルが終わって拍手を送ると、高いところからにこっと笑って手を振ってきた。

 リディアさんは何をするんだろう、と思っていたのだが、どうやら歌を歌うらしい。うちの奇術団は、上演項目がかなり幅広くて、芸もやるけど歌も歌うしダンスも踊るし楽器も演奏する。その幅広さのおかげで私もここに居られるというわけだ。

 リディアさんは深い緑のドレスに身を包んで、ステージの真ん中に立つ。髪はまだ結い上げていないが、薄っすらと化粧をしていて、いつもより美人度が増している。彼女の歌声は、ホール全体に響き渡るような美しい高い声で、ぞくぞくと鳥肌が立った。身体の内側から熱いものが込み上げて来る。きっと本番はもっと凄いんだろう。

 そんなこんなで本番を迎え、ホール側から見ることはできないので、遠く離れた常設舞台側の垂れ幕の隙間から特設ステージを覗いた。エリクは遠くからでもやっぱり可愛いし、リディアさんはすんごい美人だ。リディアさんが登場したときは空気が一瞬で変わって、お客さんの息をのむ音が聞こえるようだった。公演は大成功だったみたいで、大きな拍手が送られた。これはプレッシャー大である。

 そうこうしているうちに、自分の初公演になる6日目を迎えてしまった。


◇ ◇ ◇


(ニルさん、どうしよう…)

 緊張して、狭い室内をそわそわ歩き回る。朝食とミーティングも終わって、手持ち無沙汰に本を開いてみたり、ニルさんの毛皮を撫でてみたり、タイムテーブルを凝視したり、なかなか落ち着かない。ニルさんはそんな私を時々迷惑そうに眺めていたが、我関せずといった体でさっきから無言になっている。もう少ししたら衣装の準備をする、らしい。エリクは可愛いからキラキラした衣装も似合うけど、自分のようなちんちくりんではあんな煌びやかな服は着こなせない。絶対「着られてる」感が出る。色々不安しかなくてベッドの布団に顔を埋めた。

 こんこん、と扉を叩く音がして顔を上げた。

『入るわよ』

 リディアさんだ。ガチャリと扉を開けて、ベッドで蹲るこちらを訝しげに見つめる。

『…どうしたの』

『!』

 慌てて起き上がって扉の方へ行く。

『衣装見に行きましょ。良いのがあるといいわね』

 リディアさんはふわっと微笑んで出迎えて、廊下を歩き出す。プレートをドアノブに引っ掛けて、その背中を追いかける。ニルさんが後ろをついて来るが、ここ数日殆どニルさんを後ろに引き連れて移動していたので、流石にもう見咎められることはなくなっていた。仲がいいのね、みたいな感じなんだろう、きっと。

 衣装部屋は、居室の2つを使っていた。片方が男性用、もう片方が女性用。エリクが衣装を選ぶときに一度中に入ったのだが、室内の壁には棒がつっかえ棒のように取り付けてあって、そこに大量の衣装が引っ掛けられていた。奥の浴室が更衣室代わりで、ついでにそこの洗面台で化粧もできる。

 リディアさんは男性用の衣装部屋の扉をノックした。

『はーい』

 中からオリビアが出てきた。どうやら衣装は彼によって選ばれる、らしい。

『私がスグルちゃんに似合う服、見つけてあげるっ』

 ムキムキの大胸筋の前で指を組んで、にこっとこちらを見下ろして来る。借りっぱなしの黒いボードに『よろしくお願いします』と書いて見せると、彼は更に破顔して、扉の中に招き入れた。

『私は隣にいるから、終わったら呼んで。こっちで化粧するから』

 リディアさんの声に、はーい、と明るく返事をして、オリビアは室内の衣装を物色する。

 見るのは二度目だが、さまざまな色の衣装が大量に用意されているのは圧巻の一言だ。すごいね、と心中でニルさんに声を掛けると、ふむ、と返事が返って来る。ちらっと見下ろすと、キラキラした目で衣装を見ていた。そうかそうか、ニルさんにもこの凄さがわかるか。

 エリクがこの間の公演で来ていた服も引っ掛けてある。私は一体どんな衣装を着ることになるんだろう、とオリビアに視線を向けると、ああでもないこうでもないと衣装を引っ掻き回していた。

『スグルちゃんはね、白が似合うと思うのよお!髪が黒いからきっと映えるわ!派手なのじゃなくて、シンプルめの衣装にしましょう』

 よ、よかった、取り敢えず派手な衣装は避けてくれるらしい。自分でも衣装をなんとなく探してみるが、こちら側にあるのは派手なものばかりだ。赤と白のストライプのものとか、黒と金の市松模様とか。これは着こなせないし、着こなせる人っているんだろうか。ああでも、オリビアは似合いそう。

『これ!これにしましょ!』

 オリビアが何か見つけたらしい。彼が手に持っているのは、白いシャツだった。首のところには銀色で刺繍が入っていて、シンプルだが品がいい。

『宝飾品で飾ればいい感じだと思うの。下はこれね。エリクもちょっと前の公演で着てたやつよ。こないだの公演の時はかっちりした白のズボンにしたけど、あれも似合ってたわねえ~』

 そう言って、黒に近い灰色のズボンを持ち上げる。それとサスペンダーのようなものを取り出して、私にそれを押し付けた。

『着て見て!絶対似合うわあ』

 うきうきした顔で渡して来るそれを受け取って、浴室に移動する。ニルさんは外でお留守番だ。オリビアがおすわりするニルさんの頭を楽しそうに撫でているのがドアの隙間から見える。手の下に若干辟易とした顔が見えて、ちょっと吹き出してしまった。

 浴室の扉を閉めて、服を脱いで衣装を着て行く。シャツは袖が余ってしまったが、ピアノを弾くのに支障が出るほどではない。ズボンを履いて、ボタンを閉め…ようとしたのだが、閉まらない。え、嘘、マジか、とひとりで動揺して、声なき悲鳴をあげていると、扉を隔てた向こうから、

――大丈夫か。

と、ニルさんの心配する声がした。

(ズボンがはいらない…!)

 お尻に力を入れて引っ込めたり、息を止めたりしながらニルさんに言うと、半笑いで「食べ過ぎだ」と言う返事が返って来た。だって!スープとパンが!美味しいから!!

 というか、食べ過ぎは否定しないけど、そもそも入らないデザインなのではないか、という気がして来る。少年の体型に寄せて作られているようだし、成人女性の私にはそもそも入らないものなのではないだろうか。別に太っているわけでもなければ痩せているわけでもないのだが、いかんせんお尻が突っかかる。

 諦めて脱いで、取り敢えず普段着のズボンを履き直す。扉を開けると、オリビアがうきうきした表情でこちらを見て、直後悲しげな顔になった。違う、気に入らないとかじゃなくて、入らないんだ!とあわあわしながらボードに『入らない』『すみません』と書いて見せる。

『え?入らないの?体型エリクとそんなに変わらないと思ったんだけど…』

 オリビアはきょとん、としてこちらを見下ろして、そのまま数秒固まってしまった。化粧をした、くりっとした丸い瞳が見開かれて行く。

『ねえ、スグルちゃん、あなたもしかして…女の子…?』

『!』

 慌ててぶんぶん首を振る。ニルさんもどこか焦ったように身じろぎした。しかしオリビアは納得していないようで、こちらを探るようにじっと見下ろしている。

『…男の子だって思い込んで見てたけど、疑って見ると…』

 彼は頬に手を当てて、ううん、と唸る。

 …髪が短いというのもあって、なし崩し的に男のふりをしていたが、別段隠し通さなければならない程のものではない。諦めて頷くと、『やっぱり…』とオリビアが呟いた。

『なんで早く言ってくれなかったの!女の子ならもっとおしゃれできるじゃない!』

 肩をぎゅっと掴んで、オリビアが力説しだした。

『いつもそんな男の子の格好なの?可愛いのにもったいないわ!せっかくの大舞台よ、もっと可愛い格好しなきゃ!』

 鬼気迫る表情に驚いて体を硬直させていると、オリビアは私の手を引っ張り、部屋を出て隣室へ飛び込んだ。



『リディア!』

『なによ、うるさいわよ』

 ベッドに腰掛けて化粧道具を用意していたらしい。リディアさんはこちらをちらっと一瞥して、『まだ着替えてないの?』と困ったように言った。

『リディア、この子に似合う最高の衣装を用意してあげてちょうだい!』

『は?』

『この子、女の子だわ!』

 リディアさんはその美しい顔に驚愕の表情を乗せて、こちらを凝視した。眉間にぎゅっとしわが寄っていく。

『…たしかに、言われてみれば…。え、ていうか、もしかしてあなた、この子の裸を見たの!?最低!』

 傲然と立ち上がって、怒りを滲ませた口調でこちらに詰め寄る。オリビアはたじたじと言った様子で首を振る。このままではオリビアに濡れ衣が!と思って、私も合わせて必死に首を振ったら、リディアさんはそれを見て納得したようで、複雑そうな顔で溜息をついた。

『…わかったわ。取り敢えずあなたは出て行ってちょうだい』

 オリビアを部屋から追い出して、リディアさんは私を室内へと招き入れた。

『…何故性別を隠してるかは聞かないわ。答えられないでしょうし。髪もこんな短くして…』

 リディアさんはこちらを見下ろして、困ったように呟く。私の短い髪に触れて、辛そうに息を吐いた。

『まあいいわ。せっかく女の子に生まれたんだから、精一杯お洒落しなきゃ。そうでしょう?』

 銀髪をかき上げながら美しい微笑みを浮かべたリディアさんに、思わず陶然として頷く。

『ドレス、子供用のはちょっと少ないのよね。この中で好きな色はある?』

 ハンガーに引っ掛けられた、サイズの小さいドレスが並んでいるところを指してリディアさんが問いかけた。パステルカラーが殆どで、どれもふりふりの可愛らしいデザインだ。12歳の自分なら喜んでいただろうが、ふりっふりのドレスなんか着る歳じゃないし、仕事を始めて地味な服しか着ていなかったので、どれも尻込みしてしまう。淡い色の衣装を掻き分けて悩んでいると、奥の方に紺色の地味目な服を見つけた。ヴェルの瞳の色みたいな、夜の闇を溶かしたような深い青色。これなら、と思って引っ張り出すと、リディアさんが不満そうに『地味じゃない』と取り上げた。

 デザインをよく見ずに、色だけ気に入って引っ張り出してしまったので、その服がノースリーブだということに気づいていなかった。肩の出る服…というか、少しでも袖が短くなってしまうと、傷跡が見えてしまう。それに、ここのドレスはどれも襟ぐりが広い。全部着れない気がする。断って、男の子の衣装を着た方がいいかもしれない。まだ上は衣装のシャツを着たままだし。

『地味だけど…あなた雰囲気落ち着いてるから、似合うかもしれないわね。着てみなさいよ』

 ふっと微笑んでドレスを押し付けられる。ボードわかる単語でに『服、男』と書いて「衣装は男性用がいいです」と主張するが、リディアさんは無視して、私の手からボードを取り上げてベッドに放り投げた。

『いいから、試しに着てみなさい。絶対に合うわ』

 ドレスを抱きしめたまま押し黙っていると、『着方がわからないの?なら着せてあげるわ』と、リディアさんの手が私の服にかけられた。

 慌ててその手を振り払おうとしたが、その前にリディアさんの指が、シャツの一番上のボタンを外して、そのまま固まった。

『なに、これ』

 愕然としたその声に、見られてしまった、と気がついて頭が真っ白になる。ニルさんが緊張したように尾を揺らした。リディアさんは服の袖に手を伸ばして、そのまま二の腕辺りまでめくりあげる。びっしりと体表を覆う傷跡に、息を呑んだ。

『…これ、どうしたの』

 リディアさんの問いかける声に、ぎゅっと目を瞑って首を振る。

『スグル!』

 詰問する声に、びくっと体が震える。

 そのまま少しの間沈黙が流れて、はあっと正面から大きな溜息が聞こえた。

 恐る恐る目を開けると、眉間にぎゅっと皺を寄せたリディアさんと目が合う。

『…いいからこれに着替えなさい。傷跡が気になるなら、見えなくなるように私が化粧してあげる。大丈夫、誰にも言わないわ。私を信じて任せてくれる?』

 眉間に皺を寄せたまま、変な顔で微笑んだリディアさんに頷きを返して、浴室へ入った。



 紺色のそのドレスは、あまり装飾が華美ではない、シンプルなものだ。スクエアネックで、ドレスと同じ色の大きなリボンが胸元についている。足首まである長い裾は、階段とか登る時踏んづけてしまいそう。ところどころ銀の刺繍が入っていて、光を反射して時々キラキラ光る。それに、着るまで気がつかなかったけど、背中もけっこう開いている。背中のホックを留めて行って、鏡台のほうをちらっと見ると、酷い傷だらけの腕と首が露わになった。浴室から出るのが躊躇われて、その場で立ち尽くしてしまう。

『ちょっと、まだ?』

 リディアさんが遠慮なく扉を開ける。慌てて振り向くと、きょとんとした顔のリディアさんと目が合った。

『なによ、もう着てるじゃない』

 手を引っ張られて、その場でリディアさんにくるっと回された。

『よく似合ってるわ。可愛いわよ』

 ふわりと輝かんばかりの笑顔を向けられて、思わずこちらも微笑む。ほっそりとした手が伸びて、頭を撫でた。

『さあ、ここからが私の腕の見せ所ね。全部隠してあげる』

 きらっと、水色の瞳が鋭く輝く。手を引かれて浴室から出て、ベッドに座らされた。

『腕を出して』

 言われた通りに両腕を前に出す。リディアさんは、肌色の液体を手にとって、私の腕に塗り込んでいく。リキッドファンデーションみたいだ。 みるみるうちに傷跡が隠れていく。首から胸元にかけてと、背中にもしっかりその液体を塗り込んで、そのあとは同じ色の粉末これはパウダーファンデーションみたいを、ぽんぽんと腕にまぶしていく。その工程を3回繰り返して、最後にリディアさんの指先が光った。何かの術式が行使される気配がして、皮膚の表面にぞわりと光が伝う。暫くすると、傷跡は完璧に隠れてしまった。

 …隠せるものだとは思っていなかったので、感動して自分の腕を眺める。見慣れてしまった傷跡が無いのはなんだか不思議な気分だ。

『随分あなた術式がかかりにくいわね、体質かしら。さ、今度は顔にお化粧しましょうか』

 リディアさんはパレットみたいなものを取り出して言う。ひとに化粧をしてもらうのって、なんだかくすぐったい。

『髪は短いからどうしようもないわね…リボンにしましょうか』

 彼女は今度はキャリーケースのようなものをベッドの下から引っ張り出して、中をごそごそと漁る。どうやら装飾品の類が入っているようだ。彼女はそこから紺色の…ドレスと似た色の幅広のリボンを取り出して、器用に私の頭の上で結び目を作った。魔女の宅急便のキキみたい。それを斜めにずらして、結び目が耳の上に来るように動かされる。

『とってもかわいいわ。自信作よ』

 花がほころぶような笑みを浮かべて、リディアさんは浴室の扉を開けた。鏡に映ったのは、紺色のドレスを着た、きょとんとした顔の女の子。リボンのせいか、幼く見える。こちらに来て、初めて女の子の格好をした。鏡の前で、くるっと回って見せると、長いスカートがふわりと翻った。なんだか気持ちが高揚してくるようだ。

 ちらっとニルさんを見て、似合う?と聞いてみると、ちょっと間が空いて、

――よく似合っている。

と返事が返って来た。瞳が大きく見開かれていて、丸い瞳がいつもよりも真ん丸だ。感極まったようなその様子は、娘のはじめてのピアノの発表会を観に来た時の父親のようで、照れくさくて笑ってしまう。

 ベッドに置きっ放しだったボードを取り上げて、『ありがとう』とリディアさんに伝えると、ぎゅっと抱きしめられた。

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