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22.探検

 こんこん、と扉を叩く音で意識が浮上した。

 ああ、あまりの気持ちよさに眠ってしまっていたらしい。ふああ、と欠伸をしてベッドから降りる。特にプレートもかけていなかったので、そのままガチャリと扉が開いた。金髪がドアの隙間から覗いて、弾むような声がかけられる。

『スグル、船が出る!窓から外が見えるよ』

 ニルさんがまだ起きていないので通訳は無かったが、なんとなく意味はわかった。上機嫌なエリクが室内に入ってきて、嬉しそうに声を上げる。

『こっち側の部屋、浴室には窓がついてるんだよ。こっち』

 ちらっと壁に掛けられている時計を見ると、時間は午後12時ごろを指していた。昼頃に出港すると言っていたのを思い出す。エリクは床でぐうぐう眠っているニルさんを跨いで、部屋の奥にある浴室の扉を開けた。

 浴室は全面真っ白で、鏡のついた洗面台のようなものがくっついている。トイレもあって、ちょうどユニットバスのような形状だ。奥側に小さいが窓がついていて、船に手を振る人々の姿が見えた。私の部屋は、どうやら港の方向に向いていたようだ。

 程なくして、船がゆっくりと動き出す。私のよく知る汽笛のような音もなく、静かな出航だった。船底から響く僅かな振動と揺れで、浴槽がカタカタと音を立てる。

『動いた!』

 隣でエリクがはしゃいでいる。私もこれからの船旅に、少しだけ胸が踊るのを感じた。



『ね、そろそろお昼の時間だから、一緒に食堂いこう』

 反応する前にぐいぐい腕を引っ張られ、そのまま廊下へと連れ出された。エリクの手が伸びて、壁にかかっていた黒いプレートを取り、ドアノブに引っ掛ける。彼はどうも自分の方が年上だと思っているからか、それとももともとの性格のせいか、少々強引なところがあるようだ。ニルさんを起こす暇もなかったので、二人きりでの移動になる。

 廊下は、突き当りが最初に入った倉庫、逆側の突き当たりは、確か防音室が2部屋並んでいた筈だ。薄暗い廊下は白熱灯のようなオレンジがかった色の灯りで照らされていて、船が揺れると一緒に光も揺らぐ。廊下は広くて、二人で手を繋いで並んで歩いても、左右の空間には余裕があった。うろ覚えだが、地図を見た感じだと、この階は長い廊下は二つ平行に走っていて、両側が宿泊用の小部屋、真ん中の空間が食堂だったはず。エリクは部屋から出て廊下の反対側にあった、両開きの大きな扉を開く。

 食堂は、木製の長机が並べられている広い空間だった。奥の方にはカウンターらしきものがあって、そこに列ができている。大学とかの食堂みたいだ。室内はすでに人でいっぱいで、席も結構埋まっている。見覚えのある顔がちらほら見えたが、多くは知らない顔だ。そういえば音楽団とか演劇団とかも乗ってると言っていたし、そっちの方なんだろう。エリクに手を引かれるがまま、カウンターに出来ている列の最後尾に並ぶ。エリクに倣って盆を手にとって進むと、とん、とん、とスープの入った皿とパンが置かれた。

『こっちで食べよう』

 エリクの後ろをついて行くと、テンガロンハットさんの姿が見えた。ちょうど周囲の席も空いている。というか若干避けられてないか、大丈夫か。

『オリバー、隣いい?』

『んもう、やだわあ、オリビアって呼んでよ!』

 頬に手を添えて、唇を突き出して言う。可愛らしい仕草に思わず頬が緩んだ。オリバー、というのは多分男性名で、オリビアというのが女性名なんだろう。テンガロンハットさんの名前がやっと分かった。オリビアは隣の椅子を軽く引いて、座るのを促してくれた。

 エリクとオリビアの間に挟まれて、パンを手に取る。スープは白色だから、多分牛乳が入ってるんだろうと思う。ぱっと見はシチューのようだ。15日間の航行ということもあるんだろうが、あんまり具沢山という感じはしない。野菜と魚のスープで、少しどろっとしている。魚の色は赤みを帯びていて、見た目は鮭みたいだが、味はずっと淡白で食感は鱈っぽい。スープ自体の味は、意外とピリッとした辛みがあって、見た目とのギャップが激しい。香辛料がけっこう入っているみたいだ。でもやっぱり美味しい。

 パンの方はデニッシュパンのような芳醇さがあって、それだけでも結構おいしい。スープと合わせるとより美味だった。こちらに来て、スープとパンの組み合わせばかりだったのだが、けっこうバリエーションが豊富だから飽きは来ない。

 離れたところでは、食事を終えた人たちが数人でゲームに興じているようだった。トランプくらいの大きさのカードをそれぞれ持っている。絵が大きく書かれているが、絵柄は全部で多分…5種類だと思う。数字が四隅に書かれていて、どうやら彼らは、その数字が同じものを集めようとしているらしい。ポーカーみたいなものだろうか。

『興味あるの?』

 ゲームの様子をぼんやり眺めながらスープをすすっていると、オリビアが話しかけてきた。

『…?』

『やったことある?』

 首を振ると、ふふっと微笑んだ。

『それならこのあと一緒に遊ばない?船の上だと娯楽が少ないのよねえ』

 そう言われて少し迷う。ニルさんがいないと、おそらくルールもいまいちわからないだろう。返事を躊躇っていると、隣からぐっと腕をひかれた。

『スグルとはこの後一緒に船の中探検するから、ダメ!』

『…?』

『たんけん』の意味が分からなくて、きょとんとする。

『あらあら、すっかりなついちゃって。うちの奇術団、小さい子いないから、仲良くしてあげてね』

 うん、と頷いて見せる。よくわからないが、キラキラした目でエリクがこちらを見ているので『たんけん』なるものに付き合わなければ。

『でも船員さんの邪魔になるようなことはしちゃだめよ』

『わかってるよ』

 むうっとした顔でエリクが頷く。食後は一緒に盆を下げに行って、またエリクに手を引かれながら食堂を出た。



『まず防音室見に行こうよ』

 手を繋いだまま廊下を歩く。ヴェルとは違う、ふっくらと柔らかい手のひら。ふと彼の手を恋しく思って、頬に熱が集まった。

 廊下は奥の方で直角に曲がって、もう一本の廊下と繋がっている。突き当たりの左右の扉は防音部屋で、右側が我々の奇術団のものだ。右側の扉を二人でそっと開けると、中は思ったより広かった。奥の方で、座って弦楽器を鳴らしている人がいる。彼は確か…私と同じ臨時団員の、名前はメイソンだったか。

 彼はこちらに気が付いて、微笑みながら弦を指で爪弾いた。形はギターのようだが弦の数がずっと多くて、音はハープの柔らかい音色に似ている。

『やあ、君達も練習かい?』

『違うよ、探検!』

『探検?』

 一瞬きょとんとした顔をして、ははっと声を上げて笑った。

『そっか、楽しんで』

 そういう彼に手を振って、扉を閉める。反対側の扉は、別の…音楽団と演劇団が使っているはずだ。そっとエリクが扉を開けて、僅かな隙間から中を覗き込んだ。好奇心に負けて、自分もその隙間から中を覗く。

 中は我々の練習部屋と同じような感じで、広さも同等だった。沢山の見たことのない形の楽器が並んでいて、ちらほらと人がいる。弦楽器、木管楽器、打楽器らしきものはあるが、金管楽器の類は見えない。こちらの世界には、もしかしたらそういうものは無いのかもしれない。チューニングをしているのか、途切れ途切れの音が聞こえてきた。

『へえ、あんな感じなんだ。今日はさ、音楽団の演奏なんだって。ちょっと楽しみだよね。演劇団の方は、毎回違う劇するらしいよ。僕らは客席側からは見れないけど』

 半分くらいしか意味がわからなかったが、ふむ、と頷いておいた。エリクがそっと扉を閉じたので、首を引っ込める。

『上の階も見てみようよ』

 防音室の扉のすぐ近くに、上の階へ続く階段がある。緊張気味に彼の後ろをついて行くと、そこには1階部分と似たような廊下が続いていた。ただ、扉の間隔は1階よりも広い。人影は全く無いので、見咎められる心配はなさそうだ。

『確か、奥が操舵室で、こっちが貨物室だよ。この階は船員の部屋があるはずだけど』

 手を引かれながら、廊下をゆっくり歩く。地図はちらっと見ただけなので、記憶はかなりおぼろげだ。突き当たりの両開きの大きな扉を、またこっそりと開ける。中は真っ暗で、沢山の荷物がぎゅうぎゅうに詰められていた。豪華な品も沢山あるようで、入口からの光を反射して、荷物の中の金の装飾がきらりと光る。貨物室のようだ。

 人影は無いが、豪華な品が多いのもあって、室内に入るのは躊躇われる。エリクもそう思ったのか、室内には入らず扉を閉めた。

『流石に操舵室は邪魔になっちゃうからやめようか。あんまり探検できるとこ無いなあ。上まで行けたら楽しそうなのに』

 ちぇ、と小さく声を漏らすエリクの後ろをついて歩きながら、きょろきょろ辺りを見渡す。等間隔に並んだ扉は紺色、登り階段が至る所に設置されている。この上は甲板のはずだから、これだけ多ければ直ぐに上がれるだろう。ずらりと並んだ紺色の扉の中で、一つだけ真っ白な扉があった。あれはなんだろう、と思っていたら、エリクもそれが気になったのか、ずんずん歩いて行って扉を開けた。好奇心旺盛すぎる。

 扉を開けると、つんとした消毒液のようなにおいがした。室内には簡易的なベッドがふたつ並べられていて、液体の入った小瓶が棚に並べられている。どうやらここは医務室のようだ。

 緑色のジャケットを羽織った長い茶色の髪の男性が、机に向かって何か書き物をしていた。そこから顔を上げて、こちらに目を向ける。優し気な瞳が一度瞬きをして、首を少し傾げた。

『どうした?怪我でもしたかい?』

 落ち着いた低い声に緊張が少し溶かされる。お医者さん、なんだろう。こちらでは白衣は存在しないのかもしれない。小瓶はおそらく薬だろうから、この人はもしかしたら、治癒の術式は使えないのではないだろうか。少し前に、ニルさんが「使える人間は多くは無い」と言っていたのを思い出した。

『ううん、探検!』

 エリクが堂々と答える。いっそ清々しい。

『はは、そうか。怪我したり、船に酔ったりしたらおいで。薬を出してあげるから』

『うん!』

 答えて、エリクは扉を閉じる。エリクはまだ歩き回りたいのか、来た道とは反対側にずんずん歩を進める。

 廊下の反対側まで歩くと、突き当たりには下層へ続く階段があった。位置的には一階の倉庫に続く位置なのだが…あそこ、階段なんてあっただろうか。

 興味本位で覗いてみると、ふわりと生暖かい風が頬を撫でた。ごうごうと微かなエンジン音のような音が聞こえる。

『降りてみようよ』

 ニヤッと笑ってエリクが手を引く。階段は木製なので、体重がかかるとギシギシと音が鳴った。慎重に降りて行くが、随分と長い階段のようで、終わりが見えない。明らかに1階層下の倉庫は通り過ぎていると思う。それどころか、この感じは…その更に2階分くらい下まで降りているのではないだろうか。怖くなってきて、エリクの手を引っ張る。なんだか嫌な予感がしてきた。

『なんだよ』

 なおも降りようとする彼の手を強く引く。首を振って、行きたくない、と意思を示す。この嫌な感じは前にどこかで感じたことがあるような…そんな気がする。周囲の大きくなったごうごうと言う低い音が体の内側を震わせて、ぞわりと背中を冷や汗が伝った。

『怖いのか?』

 ふん、と鼻で笑う彼に、必死に頷いてみせる。彼はむっと眉根を寄せて、数秒黙り込んだ。大きな碧い目をじっと見つめていると、根負けしたように溜息をつく。

『…わかったよ。また今度にしよう。今日はもう戻るか』

 ほっとして肩の力を抜く。ふたりで階段を上って、おとなしく部屋まで戻った。



 自室に入ると、怒ったような青い瞳に射抜かれた。

――心配した。

(ごめん!引っ張って連れてかれちゃった)

 ニルさんの頭をいっぱいなでなでして謝る。『夜の演奏会は一緒に行こう、迎えに行くから』と言って、エリクは彼の自室に戻っていった。夜どうやら彼が迎えに来るらしいと言うのはなんとなくわかって、うん、と頷いておいた。『たんけん』は多分「探検」だったんだな、とその頃になって理解した。結果的に船内のざっくりとした作りはわかったので、良かったのかもしれない。

(ニルさん、お腹は空いてない?大丈夫?)

――問題ない。

 ふあ、と大欠伸をしながらニルさんは伸びをする。横目でそれを見ながら、鞄から昨日の夜勉強した本の中の1冊を取り出した。

――勉強か。

(うん。夜までけっこう時間があるから)

 文字を眺めて、小声で発音しながら、意味を頭に入れて行く。ニルさんも私の手元を覗き込んで一緒に読んでいた。

 ニルさんはとても頭がいい。私よりも習得するスピードが速いので、こちらも少々焦る。本を読みながら、片手間にタイムテーブルを取り出す。

――お前が出るのは6日目と15日目だったか。他の日は、お前は何をするんだ?

(何もしないよ。結構暇かも)

――それなら、『勉強』がたっぷりできるな。

(ヴェルみたいなこと言わないで)

 げんなりとしてニルさんを見返すと、ニヤッと笑われた。

(…ヴェルは大丈夫かな)

 まだ別れてから数時間しか経っていないのだが、なんとなく心配になる。

――我々が心配しなくてもちゃんとやっているだろう。

 ニルさんもなんだかんだ彼のことは信用しているらしい。ふっと笑ってタイムテーブルに目を落とす。

 6日目の公演は2時間、出順は4番目で真ん中より少し後ろ、持ち時間は20分間だ。大勢の人前で演奏をするのはあまりやったことがないから緊張する。貴族相手となると、下手な演奏はできない。

 今までたくさんの曲を弾いてきたから、具体的に何曲弾けるのかというのは考えたことがなかった。何度か弾いたけどうろ覚えの曲もあるし、クラシックに限らずアニメやドラマの曲もよく弾いていた。持ち時間20分で、どういう構成で何を弾くか、当日までに考えておかなくてはならないだろう。

 本の方に視線を戻して、ページをめくる。こちらの文字の下にはびっしりと日本語で意味を書き連ねてある。昨日ヴェルに手伝ってもらって書いたものだ。ページをめくる右手の手首には、今朝巻き直してもらった包帯が白く浮いている。綺麗にまかれているそれを、夜お風呂に入るときには外して、また巻き直さないといけない。できればこのままでいたかったな、とぼんやり頭の片隅で考えた。

 ゆらゆらと船はゆったり揺れている。波は穏やかなんだろう。壁にかけてある時計を見るが、演奏団の公演まではまだ時間がある。ニルさんと一緒に本を覗き込みながら、ゆっくりと時間を潰していった。

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