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21.乗船

 宿に戻ると、ヴェルは先に帰ってお茶を飲んでいた。ただいま、と声をかけると『ああ』と言って、私の分のお茶を用意してくれる。ちら、と鋭い視線をこちらに向けて、背もたれに体重を預けた。

『そちらは問題なさそうだな』

『ヴェルは?』

『問題ない』

 流石だな…。彼の表情に一切変化は無く、目を伏せてお茶を飲んだ。赤銅色の長い睫毛が微かに揺れる。一体どんな審査だったのか気になるところだが、まずは明日のことだろう。

――スグルの方は、明日の朝9時に来て欲しいということだった。そちらはどうだ?

『同刻だ。ちょうど良かったな』

 カップをテーブルに置いてヴェルが答える。

『時間が分からないと行動しにくいだろう、時計を渡しておく』

 懐中時計のようなものを懐から出して、机に置いた。銀色のシンプルな円形で、私のよく知る時計と同じように、円が12等分されている。ありがとう、と受け取ってポケットに入れておいた。

『護衛の方だが、基本的には交代制で、対象に張り付いている時間の方が長いだろうが…甲板に出て周囲の警戒にも当たる。乗船すれば、降りるまでは暫く会えないだろう』

 完全に別行動になるのか…少し寂しい気持ちになる。

『グレイプニル。お前の…意識を繋げる会話というのは、どのくらいの距離まで届く?』

――厳密な数字は出せないが…そうだな、この宿がある一角の端から端までくらいか。

 ええと、多分…だいたい50メートルくらいだ。思ったより距離が開いても大丈夫らしい。

『なるほど…船は広い、声が届かないこともあるだろう。スグル、これを渡しておく』

 かちゃっと音を立てて、ガラスの板のようなものがテーブルに置かれる。ちょうどスマホくらいの大きさで、鎖が取り付けられていた。ガラスの内側には魔法陣のようなものが彫られている。かなり繊細に描かれているそれは、美術品のようだ。

『通信板だ。高価だから無くすなよ。おそらくお前には起動が出来ないが…持ってみろ』

 言われて、通信板、というそのガラスの板を持ってみる。思ったより軽い。ふうん、とその板の表面を撫でてみたりひっくり返したりしてまじまじ見ていると、ヴェルが懐から同じものを取り出した。特にボタンも何も無いのに、こんこん、と2回表面を叩き、そのまま耳に持って行って、『スグル』と口にする。すると、こちらの持っていたガラス板の縁が赤く光った。なんだこれ、凄い、ここだけ謎の近未来感がある。

『こうやって通信することができる。今後のことを考えて預けておくが、受信にも発信にもグレイプニルの存在が必要だろう。グレイプニル、その通信板に2度触れて、通信を受け入れてくれ』

――こうか?

 ニルさんの肉球が通信板にとんとんと触れると、光が緑色に変わる。

『それでいい。これで受信したことになる』

 ヴェルの声が通信板からも聞こえる。おおー、と声を出すと、ヴェルの持っている通信板からも私の声がする。なんか照れ臭い。

『切断の場合は1度叩けばいい。逆にそちらからこちらに通信をかけたい時も、グレイプニルが通信板に2度触れればこちらに繋がる』

 ヴェルが耳から通信板を離して表面を1度叩くと、私の持っていた通信板から光が消える。

『業務の合間だ、すぐに出られるとは限らないし、お前もそうだろう。あくまでも、非常時の予防線みたいなものだな。首から下げて、服の下に隠しておけ』

 うん、と首にかけて服の下に仕舞う。冷たい感触が肌に触れてくすぐったい。話せないふりをするのなら、言われた通り隠しておくのがいいだろう。

『これは、他の通信板とは通信できない。一番簡易的なものだからな。距離はどんなに離れていようと問題ないが。ただこれは…グレイプニルは通信できない。声を拾うものだからだ』

 確かにそうだ。電話で相手の意識に繋ぐというのは無理があるだろう。コン、と自分の通信板を叩きながら、ヴェルが続ける。

『言っている意味がわかるか?お前がちゃんと話せないと渡した意味がないということだ』

 嫌な予感がする。どさっと、薄い本を3冊テーブルに置いて、その上にポンと手を乗せた。

『日常会話がよく出てくる本を選んだ。今日の残りの時間で取り敢えず内容は分かるようにしておけば、船内で私がいなくても勉強できるだろう?ペンを出せ』

 鋭い眼差しに、彼のスイッチが入ってしまったのがわかって絶望する。教師モードの彼は本当に容赦が無い。肩をがっくり落としながらペンを出すと、彼が僅かに満足そうな表情になる。

 さて、厳しい厳しいお勉強の時間である…。



 翌日。

 幸いにも快晴で、波も穏やかに見える。旅立ち日和という感じだ。

 若干寝不足気味の目をこすりながら、港を二人と一匹で歩く。あたりには人が集まり出していて、出港の準備が進められているようだった。

 3冊分、短いものとはいえ、訳した言葉を全て書き連ねるというのはかなりしんどかった。文字の発音の仕方は大体わかっているので読めはするのだが、意味までは教えてもらわないとどうにもならない。結果的に夜更かししてしまって、頭の方もパンク寸前だ。

『さて、ここからは別行動だが…』

 向き直って、ヴェルがこちらを見下ろした。紺色の瞳が微かに揺れる。

『…何か困ったことがあれば連絡しろ、なるべく都合をつける』

 頷いてみせる。最近ちょっと過保護気味だ。私もこれで一応成人はしているのだ、大丈夫、と笑顔を向けると、眉間にぐっと皺がよった。そんなに心配か。

 軽く手を振って、ヴェルと別れて奇術団のテントへ走り出す。15日間、声を発さず、なるべく女であることは隠し通し、そしてきっちり仕事はこなす。そう考えると結構大変かもしれないが、未体験のことに少しドキドキする気持ちもある。

 後ろを振り返ると、ヴェルはまだこちらを見ていた。昨日は勉強に付き合って遅くまで起きてたのに、その表情に疲れは全くない。小さく手を振ると、彼は微かな笑みを浮かべて、別の方向に歩き出した。


◇ ◇ ◇


『あら!ええと、スグルちゃん、だったかしら?』

 奇術団のテントがあるところに近付くと、テンガロンハットのおじさんがこちらに気付いたようで、にっこり笑って声をかけてきた。うむ、と頷いて、彼の方へ近寄る。ちょうど荷物を積み込んでいたらしい彼は今日は半袖のシャツを着ていて、鍛え上げられた上腕二頭筋がもっこり盛り上がっている。でも化粧もしている。にこにこ笑うその顔はやはり可愛らしいと思ってしまって、そんな自分に複雑な気持ちになった。

『荷物積み終わったら中に案内するから、ちょっと待っててね』

 私は手伝わなくていいんだろうか。何か手伝いましょうか、と声を掛けたいが、声は出せないし、どうしたものかと手持ち無沙汰にキョロキョロ辺りを見回す。皆一様に大きな荷物を抱えて、船内へと運んでいるところだ。残りは少ないので、割とすぐ終わりそうである。変に手伝って、場を引っ掻き回してしまったら申し訳ないし、言われた通りに待っていた方がいいかもしれない。

 テンガロンハットさんの美しい上腕二頭筋をぼんやり眺めていると、『ねえ』と後ろから声を掛けられた。高い声に振り向くと、少し離れたところに金髪の少年が立っている。可愛らしい顔立ちはまだ幼くて、12、3歳くらいだろうか。ちょっと気の強そうな、大きな瞳がこちらをじっと見つめている。

『きみ、新しい子?』

 団員の子供だろうか。うん、と頷くと、少年がこちらに走り寄ってきて、手を軽く引っ張った。目の高さが同じくらいなので、おそらく身長はそう変わらないだろう。大きな瞳は綺麗な碧色で、長い金色の睫毛がそれを縁取っている。雪のような白い肌はきめ細かく、ほのかに赤く色づく頬が可愛らしい。きっと数年後にはすんごいイケメンになっているだろう。ちょっと想像して頬を染めてしまった。

『僕、エリク。きみは?』

 ふっくらとした唇が言葉を紡ぐのを見て、意識を現実に戻す。手を掴まれたままでは文字も書けない。困ったまま見返すと、相手はむっとした顔になった。

『なんだよ。名乗られたら名乗り返すのが礼儀ってもんだろ』

 ええと、取り敢えず手を離してくれないと、どうしようもない。口をパクパクさせていると、背後に人が立つ気配がして、地面に大きな影がかかった。

『エリク、虐めないの』

 振り向くと、テンガロンハットさんが立っていた。

『虐めてないよ。こいつが返事しないから』

『しないんじゃなくて、できないの。スグルちゃんよ、声が出ないの』

 大きな手が肩にどすっと乗っかって、身体が傾いだ。どうやらその上腕二頭筋は飾りではないようだ。

 正面の少年はむっとした顔のまま、こちらの顔をじろじろ見てくる。

『歳、同じくらいかな。いくつ?』

『…』

 指を立てて、12歳、と伝える。正直やはり12歳と伝えるのは未だに抵抗があるし、12歳の少年にしか見えない自分の身体を思うと悲しくなってくるのだが。

『ふうん、じゃあ僕の方が一個上だ。よろしく、スグル。みんなの足引っ張んないでよね』

 エリクは握っていた私の手を離すと、腰に手を当てて踏ん反り返ってこちらを見下ろす。少々高飛車な態度も可愛らしい。

『ツンツンしないの!折角の可愛い顔が台無しよ』

 後ろでテンガロンハットさんが言うが、エリクは表情を変えない。ついっと顔を背けて知らんぷりだ。

『もう…ま、いいわ。荷物はもうすぐ積み終わるから、先に中に入りましょ』

 おいで、と言われたので、テンガロンハットさんの後ろに小走りでついていく。そういえばテンガロンハットさんの名前は知らない。言葉を発せないと、受動的な受け答えはできるのだが、能動的に物事を尋ねるというのが難しい。

 金ぴかの船の横っ腹に折り畳み式の階段がつけられていて、中に入れるようになっているようだ。階段は不安定で、体重をかけると僅かに揺れる。昔から高いところが苦手なので腰が抜けそうになりながら手すりを握りしめていると、後ろから鼻で笑うような声がする。余裕なくちらっと振り返ると、エリクがこちらを見てにやにやと笑っていた。前言撤回、全然可愛くない。

 そろそろと気合いで階段を登りきって、いよいよ船の中だ。船の外装は金ぴかで光をギラギラ反射させているが、船内はそういうわけではなさそうだ。船壁にぽっかりと空いた穴のような入口を抜けると、全体的に地味で茶色っぽい内装が目に入る。中までギラギラしてたら目が疲れるなあ、と思っていたのでほっとした。

 ちょうどここは倉庫に当たるらしい。だだっ広い空間に、大小沢山の木箱が積み上げられている。天井は高く、壁には簡素な灯りが取り付けられていた。まだ荷物を整理している途中なのだろう、人の出入りが激しい。

『ここに荷物を積んでいくの。まだ少しかかるから、エリクと待っててくれる?』

 ちらっとエリクを横目で見ると、ふいっと顔を逸らされた。…あまり好かれていない気がするのだが、いいんだろうか。戸惑いがちにテンガロンハットさんを見上げると、『この子はいつもこんなんだから、気にしないで』と笑われた。

『じゃあ、あとでね』

 大きな背中が船外に出ていくのを見送って、ニルさんと顔を見合わせる。

――取り敢えず中に入れたか。ここからだな、スグル。

(うん)

 じっとりと手にかいた汗を服で拭う。ちょっと緊張しているようだ。

(ニルさんの通訳が早くて助かるよ、あんまり反応が遅れずに済む)

 実際、ニルさんの通訳は最近かなり早くなってきた。二重音声放送みたいに、ほぼ同時に通訳されるので、相手への返事もすぐに返せる。あまり返事が遅いと相手に違和感を感じさせてしまうだろうし。

『ねえ、ちょっと』

 声を掛けられて振り向く。エリクがむっとした顔でこちらを見ていた。

『…』

『…』

 見つめあったまま沈黙が続く。というかこちらは話せないので、あっちが何も言わないと結果的にシーンとしてしまう。

『…きみ、字はかけないの?』

 沈黙に耐えきれなくなったのか、拗ねたような顔で目を逸らして、エリクが呟く。少しなら、とジェスチャーして伝えると、ぱっと表情が明るくなって、倉庫の木箱の闇に駆けて行った。『えっと、たしかこの辺りに…』ごそごそと何かを漁るような音がして、中からA4サイズくらいの板と、ペンを出す。

『貸してあげるから、ここに文字書いて』

 真っ黒なボードは、表面がツルッとしている。渡されたペンは先が丸く、白いインクが入っているようだ。試しにぐるぐると曲線を描いて見ると、滑らかな線が引ける。指で表面をなぞると、するっと線が消えた。手には粉状になった白いインクが付着していて、ちょうどホワイトボードに文字を書いたときのような感じだった。

 『ありがとう』と文字を書き込むと、エリクが頷く。これなら紙を消費しないから経済的だ。

『きみはなにをやるの?』

『ディルネ』

『ふうん、そう。あんまり字はかけないの?下手くそだね』

 うっ、確かに下手だけど、読めるんならいいだろ!

 むっとしてエリクを見ると、ふんと鼻で笑われた。くっそー、年下のくせに!

『僕は綱渡りするんだ。結構うまいんだよ』

 ふふん、とドヤ顔をしてみせる。こんなに小さいのに、芸をするのか。団員の子供かな、と思っていたのだが、ちゃんと手に職を得ていたらしい。私はバランス感覚が非常に残念なので、綱渡りをするというのはとても器用なことのように感じる。

 ほほう、とこくこく頷いていると、背後で荷物の置かれる音がした。振り向くと、男の人がちょうど木箱を置いたところだった。階段の方からどんどん人が上がってくるので、どうやら搬入作業は落ち着いたらしい。各々荷物を物色しながら、がやがや談笑している。なんとなく見渡して人数を確認すると、だいたい40人くらいだった。結構多い気がする。

 船内側の方の扉が開いて、団長さんが出てきた。やはり彼の身長はこちらでも高い方らしく、扉を潜るように屈んで室内に入ってくる。居住まいを正して、パンパン、と二度手を叩くと、すっと静かになって皆が団長さんに視線を向けた。

『さあ、みんな、搬入は終わったかな?』

『ええ、団長』

 テンガロンハットさんがにこにこしながら頬に手を当てて頷く。

『それでは、スケジュールの説明をしよう。今回は15日間の航行だ、かなり長い。我々の公演は3日に1回、計5回になる。他にも音楽団やら演劇団が乗ってるからな、我々の公演は毎日ではなくなった。結構暇だ!』

 明るい団長さんの声に、至る所でははっと笑い声が上がる。

『それぞれ出る日もずらすからな、間違えるなよ。あとで紙渡すから、各自ちゃんと読んでおくように。防音部屋も一室用意してもらったから、練習はそこでやれ。あと新入りの紹介だな、ミルドレッド!メイソン!レヴィ!スグル!前へ!』

 名前を呼ばれて肩が跳ねる。他の人に倣って、団長の横に並んだ。新入りは私も入れて4人みたいだ。術式の輪をくるくる回していた人もいる。あの人も受かってたんだ。

『まず、ミルドレッド。軽業師だ。見ての通り、竜人の混血だな』

 黒い髪を後ろで1つにくくった、褐色の肌の若い女性だ。すらっとした長い手足をしている。首から左腕にかけて、びっしりと鱗で覆われていた。竜人、というのは、あの全身鱗で覆われている人たちのことなんだろう。『よろしく』と言った声はよく通る少し低めの声。もしかしたら、私とそんなに年は変わらないかもしれない。

『つぎ、メイソン。アルネイアまでの臨時団員だ。ソリューシャを演奏する、楽士だな』

『短い間ですが、よろしく』

 茶色の長い髪の男性だ。優男然としていて、柔らかい微笑みを浮かべている。ソリューシャ、というのが何なのかわからないが、背中に弦楽器のようなものを背負っているので、それかもしれない。こちらの音楽は全く知らないので、どういったものなのか是非聴いてみたい。

『つぎ、レヴィ。なかなかの術師だぞ。光の術式で空間装飾ができる』

『どうぞよろしく。裏方に回ることが多いと思うけど』

 術式の輪をくるくるしていた人だ。頭にターバンみたいなものを巻いている。指が空を描くように動いて、その指先からキラキラした火花が散った。おおー、と団員の皆さんが声を上げる。

『最後に、スグルだ。ディルネが弾ける。子供だけどかなり腕がいいぞ!』

 ほ、褒められた。ちょっと照れながらぺこりと頭を下げる。

『スグルもアルネイアまでだ。あと、声が出ないんだってよ。皆気い使ってやってくれ』

 申し訳無くて身を縮こまらせながらぺこぺこ頭を下げる。なるべくはやく、こちらの言葉を覚えなくては。

『新入りの紹介は以上だ。あとは仲良くなりたけりゃ適当にやっててくれ。今回は全室個室だ、部屋割り配るから確認しろ!』

 団長さんが紙を配り出す。どうやら2枚で1組のようだ。回ってきたそれには、1枚目には簡単な船の見取り図、2枚目にはタイムテーブルのようなものがわかりやすく記されていた。見取り図をざっとみた感じ、どうやら船は6階建…という表現でいいのかわからないが、そういう風になっている。3階部分に甲板、ホールがあって、4階以上は貴族の宿泊施設のようだ。2階から下が我々の宿泊する部分で、ここに厨房や操舵室もあるように見える。部屋はかなり細かく分けられているから、結構狭いのかもしれない。どうやら現在いる場所は1階にあたる部分の、船首側の隅っこだ。地図を目を皿にしてよくよく見ていると、自分の名前が書かれた小部屋を発見した。これがあてがわれた部屋、ということだろうか。紙をめくってタイムテーブルの方にも目を通す。どうやら3日目、6日目、9日目、12日目、15日目に我々の奇術団はパフォーマンスをするらしい。6日目と15日目に自分の名前を発見して、ちょっと感動する。

『各自確認したか?毎朝10時に簡単な打ち合わせを食堂でやるからちゃんと起きろよ。公演当日の昼は防音室でリハーサルやるから、出演者は13時に集合。わかったか?よし、じゃあ解散!』

 うーい、と声を上げて団員さんが移動し始める。人が減ってから移動しようかと突っ立って待っていると、団長さんが声を上げる。

『リディア!スグル案内してやれ』

『えっ』

 遠くでリディアさんの声が聞こえた。そんな、絶世の美女に道案内させるなど、恐れ多い!バチが当たる!あわあわしていると、ちょっと困ったような顔のリディアさんが目の前に立った。今日のリディアさんはシンプルな深い緑のワンピース姿だ。そんなシンプルな服なのに何故そんなにもキラキラして見えるのか。

『こっちよ。いらっしゃいな』

 キリッとした瞳がこちらを見下ろして、私が頷くとズンズン歩き出す。リディアさんはおそらくこちらの女性の平均身長…180センチ以上あって、しかも脚が長いので、追いかけると小走りになる。倉庫から廊下に出ると、落ち着いた茶色い木目の扉が、割と狭い間隔で並んでいる。私の部屋は、この階の真ん中よりもう少し奥側だったはずだ。リディアさんは『129』と書かれた金属のプレートが取り付けられている扉を開ける。こちらの数字はローマ数字に似ていた。

『貴方の部屋はここよ。部屋の番号は覚えておきなさい。鍵はないから、中に入ってほしくないときは赤、不在の時は黒のカードをドアノブにかけて。』

 穴の空いた細長いプレートのようなものが、部屋に入ってすぐの壁に引っ掛けられている。なるほど、これを使うのか。寝ている時とか、着替えている時にはプレートをかけたらいいのかもしれない。

 室内はベッドでぎゅうぎゅう、といった感じだ。ベッドとサイドテーブルがあるだけで、他の調度品は無い。壁紙は淡いグリーンで、落ち着いた印象がある。奥の扉はおそらく浴室だ。ヴェルに聞いて知ったのだが、こちらでは大衆浴場の類は一切無いらしい。どんなに安い宿でも、風呂場は必ず室内に取り付けられているのだという。それが船でもこうだと考えると面白い。水は足りるんだろうか…。

『騎獣は別室よ』

 えっ、ニルさんがいないと言葉がわからない!ニルさんの身体にしがみついてリディアを見上げる。申し訳ない、でもここは譲れないのだ、とぶんぶん首を振って意思を伝えると、困ったように眉間に皺を寄せながら『ベッドの上には乗せちゃダメよ』と一応は了承してくれた。な、なんとかなった。

『私は隣だから、何かあったら扉をノックしてちょうだい。舞台衣装はこっちで用意するけど、普段着は自分でなんとかしてね。夜の9時に船員が回収に来るから、その時渡しておけばまとめて洗濯してくれるわ。公演が無い日は日中自由に過ごしてもらって構わないけど、ディルネの練習がしたいのなら、通路を奥まで歩いて、突き当たり右の部屋が防音部屋だから、そこに行ってちょうだい』

 リディアさんは隣なのか!ちょっとドキドキする。変な音を立てないようにせねば。

 さっきエリクが貸してくれたボードにお礼を書いて見せると、リディアさんがふっと微笑んだ。う、うつくしい。

 じゃあね、とリディアさんが出て行ったので、靴を脱ぎ捨ててベッドに飛び込む。ふっかふかだ。こんな下っ端の部屋でもこんなにふかふかとは、上の貴族の方々のベッドなど、これとは比べ物にならないくらいふかふかなんだろう。

 白いシーツはお日様の匂いがする。あまりの気持ちよさにうとうとしてしまう。

(ニルさん、狭くない?)

 この部屋の床は狭いだろう。殆どベッドで占領された空間は、見えている床の面積が少ない。

――…なんとか、寝られる。

 ちょっと窮屈そうな声がした。ヴェルと一緒だったら、きっともっと広い部屋だったろうに…申し訳ない。真っ白な布団に包まれて、心地よさに目を閉じているうちに、ぐっすり眠ってしまった。


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