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18.港町の宿にて〈side:ヴェルフリード〉

 早朝。朝靄の中、港町に到着した。

 初めに想定していたより、結果的には早い到着になった。背中から腕を回してしがみついていたスグルが、ホッとしたように腕の力を抜くのがわかる。

 この島の東の港は大きい。先日の魔獣討伐の際は出現地近くにそのまま転移したので、ここに来るのは初めてだった。白い大きな石造りの建造物が多く、微かな潮の香りが鼻腔をくすぐる。宿を探して大通りを歩くと、早朝だというのに活気にあふれていた。港は様々な種族のものが集まりやすい。獣人、竜人、魚人。後ろで身動ぐ気配がする。彼女の世界にはそういった人型亜種の類はいないらしく、いつもこっそり物珍しそうな視線を向けていたのを思い出す。ちょうどすれ違った男が、羊のようなツノの生えた、白い毛の獣人だった。

 大通りから少し裏に入ったところに宿を見つけて、グレイプニルに指示を出す。長い距離を駆け抜けたので疲れているのではないかと思ったが、流石は高位の獣と言うべきか、足取りは安定している。宿の前で背中から降りようとして、自分の体にまだスグルの腕が回されているのに気が付いた。

『スグル、手を』

『…?』

 きょとん、とした顔でこちらを見上げてくるスグルと目が合う。灰色の瞳に一瞬見惚れて、言葉が途切れた。はっとその瞳が大きく見開かれ、少し顔を赤らめながらスグルがこちらの身体から手を離す。

『…ごめんっ』

『いや』

 グレイプニルの背中から降りて、スグルを抱え上げて降ろしてやる。少しふらついているようだが問題ないだろう。

 宿に入って主を呼び、部屋を用意してもらう。すぐに湯を用意するよう頼んだが、時間がかかると言われた。飲み物だけを先に頼んで、渡された鍵と茶の乗った盆を手に、宛がわれた2階の部屋へ向かう。

 部屋は少し広めで、ベッドのほかに二人掛けと一人掛けのソファーがそれぞれ一脚ずつある。窓はないが、空気はきちんと入れ替えられているらしい。微かな潮の香りがする空気を吸い込んで、肩の力を抜く。テーブルに茶器の乗った盆を置いて、鞄を下ろして二人掛けのソファーに腰を下ろすと、スグルはもう一つの一人掛けの方のソファーに腰を下ろした。

 茶を注ぎながら、ふわりと上がる湯気に心が穏やかになっていくような感覚がする。グレイプニルはやはり疲れていたのか、ベッドの横に寝そべってぐうぐうと寝息を立て始めていた。白い腹部がゆっくりと上下している。

 まだ服が湿っていて、室内のひやりとした空気に身体が冷たくなる。彼女も寒いのか、向かいで小さくくしゃみをした。

『スグル』

 二人掛けのソファーの片側に座りなおして、空いた部分を手で叩く。こちらに来て座れ、という意図だったのだが、伝わっているのかいないのか、戸惑った表情でこちらの顔とソファーを見比べている。

『寒いんだろう?』

 寒い、という言葉は先日教えたので、意味は理解しているはずだが。僅かに逡巡する気配を見せたが、こちらに来て隣に座る。腕に触れた服が冷え切っていて、彼女が微かに震えているのが分かった。このままだと風邪をひいてしまうだろう。自分の背中にかけたままだった毛布を彼女にかけて、肩を寄せる。

 じっとりと肌に張り付くシャツに不快感を感じながら隣を見下ろすと、彼女は思いつめたような表情で床の一点を凝視していた。唇が微かに震えて、「47…、53…、57…?ちがう、59…」とぼそぼそ異国の言葉を呟いている。何か心配事でもあるのだろうか。

 …手首の酷い痣が、服の袖から僅かに覗いている。じわりと嫌悪感が込み上げて、眉間に皺が寄るのが自分でもわかった。長い髭の、猛禽類のようなぎょろぎょろとした目の太った男の姿を思い出し、やはり首を刎ねておけば良かっただろうかと胸中で呟く。

 腕を掴んで高く上げ、抵抗できなくなったスグルに手を伸ばす、下卑た笑みを貼り付けた男に頭が真っ白になり、思わず強化術式を施した腕で殴り飛ばしていた。剣を握っていれば確実に殺せていたものを。がたがた震えて涙を流す身体を抱き締めると、驚く程華奢で、折れてしまいそうで、こんな細い腕をあの男が掴んで痛めつけたのかと思うと、憎悪で脳髄が焼き切れそうだった。

 スグルには、肉体内部に直接干渉するような術は全く通用しない。治癒も、切り傷などの体表面の傷は少しなら塞ぐことができるが、内部の出血となるとどうしようもないようだ。治癒できないのが酷くもどかしい。

 深く呼吸して、意識を落ち着ける。薬や包帯を買っておいた方がいいだろう。手首の痣から目を逸らして、目を閉じた。

『…ヴェル?』

 そのままじっと黙っていると、遠慮がちに声を掛けられて目を開ける。覗き込む心配そうな顔のスグルと目が合った。

『ねむい?』

『…眠くはない』

 白い頬が、まだ汚れている。無意識に手が伸びて、頬の乾いた土を指が落とす。

 膝の上で握られた手が微かに震えていて、寒いのか、と身体を引き寄せると、肩が微かに震えて、顔が俯いた。膝の上の手に力が入るのがわかる。…リュザフィールとかいうあの貧弱そうな男が隣にべったり座っていた時はこんなに緊張していなかった。自分が隣に座るのは不快なのか。

『嫌か』

『…?』

 らしくないことを聞いていると頭の片隅で思いながら、スグルに問いかけていた。何を聞かれているのかわからない、といった顔でこちらを見上げてくるので、回した腕に視線を向ける。意図を理解したのかこちらの顔と肩に回した腕を交互に見比べて、ぶんぶんと激しく首を振った。

『…そうか』

 湯の用意ができるまで、もう少し時間がかかる。思いの外温かい身体に心地よさを感じる自分に戸惑いを隠せず、目を閉じた。

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