13.情報〈side:ヴェルフリード〉
まさか、大人だとは…しかも女だとは思わなかった。
顔を真っ赤にして怒るのも無理はない。時々、なんとも言えない複雑な表情をしてこちらを見てきたのにも納得がいく。大人なのだ、子供扱いされれば困るだろう。年の割に賢い、ではなく、年の割に背が低くて顔が幼いだけだった。言語についてすらすらと難解な言葉を口にする姿は、年相応のものだったらしい。
…女だと言われて、あまりの衝撃に胸元を凝視してしまった。叩かれた頬に触れる。動揺していたとはいえ、申し訳ないことをした。
一応、年頃の男女となると、同室というのはよろしくない。
部屋を別にしようと主張したのだが、先のことを考えるなら同室にして節約しておいた方がいいという彼女の冷静な言葉に押し切られる形で、結局は部屋もそのままだ。それはそうなのだが…過去の非礼を考えると、複雑な気持ちになる。
こちらでは女は髪を伸ばすのが通例だ。スグルは身長もかなり低い。このまま、少年の振りをして旅をするしかなさそうだ。
衝撃から立ち直れないまま街中を歩く。いっそのこと酒でも飲んで数々の無礼を頭から抹消したいくらいだったが、昼から酒を飲む気にはなれないし、そもそも酔えない。街の中心部にある広場の椅子に腰かけて大きなため息をつく。
…魔獣がどこから来るのか。その答えは未だ見つからないままだ。近衛として聖帝の近くに仕えていたので情報は入りやすかったが、どんな学者も首をひねっていた。酷く苛立っていた聖帝の姿を思い出す。
魔獣は、夜のうちしか行動しない。
闇夜にその黒い身体を溶かし、音もなく移動する。その多くが酷く狂気をまとった眼差しをしており、目に入った動く物を見境なく襲う。そして、その血に侵されると、「体が溶けてなくなる」。それ故、魔獣を狩るときは術で動きを封じ、強力な聖術を施した剣で心臓を貫いて殺す。
魔獣が初めて現れたのは、この地から東にある大きな大陸。そちらに元凶があるのでは、と聖帝が隅々まで手を尽くして調べ上げさせたが、どうにもそこには何も出ない。魔獣は徐々に強力なものになっていくが、根源を断つことができずに、我々は苦戦していた。
階層の乱れだと、グレイプニルは言っていた。階層の乱れによって魔獣が出現していると。話によると、本来、魔獣がこちらに現れることは決してあり得ない。階層が乱れたことによって魔獣がこちらに現れているのか、それとも魔獣が現れたことによって階層が乱れているのか。初めて出現した魔獣は、自然的なものだったのか。それとも果たして…人為的なものだったのか。
まずは情報を仕入れなけばならないが、最初の魔獣について調べた方がいいだろう。聖帝があれほど調べて何も出なかったのだから、何も出ない可能性が高いが…今は、グレイプニルがいる。あの聖獣ならば、聖帝が見つけられなかった「何か」を見つけられるかもしれない。
となると、海を渡ることになる。転移陣が使えればいいが、聖帝国の審査が入らねば使えぬ代物だ。死んだことにしておきたいので、使わずに移動したい。そしておそらく…転移陣を、スグルは使えない。術の干渉を拒むからだ。かなり強力だと自負している治癒の術式で治せたのは、手のひらの薄い皮膚だけだった。もし使ったとしても、そもそも転移自体ができないか、できたとしても意図しない場所に投げ出されるか。
まずはここから陸路で東の港を目指し、その後は船で東の大陸へ渡るしかない。
先のことを整理していると、乱れていた心が落ち着いてきた。この街では、旅の準備をしながら金を稼いでおくのがいいだろう。
自分のような武器を扱う人間は、傭兵として斡旋所に登録して、金を稼ぐ。腕が良ければ報酬も良くなるし、実績が良ければいい仕事がまわる。宿の主人に場所は聞いていたので、重い腰を上げて斡旋所を目指す。
大通りから少し裏道に入ったところに、石造りの無骨な建物と、青い旗が見える。こちらでは、文字が読めなくとも色や形で判断できるように看板や旗に工夫が凝らされる。赤いなら食事処、緑なら宿屋、茶色なら雑貨屋や服屋など。青い旗は斡旋所である。
古ぼけた木の扉を押し開く。室内は閑散としており、受付に女が座っている他には、剣を腰に下げた男が壁の受注リストを眺めているだけだった。
『登録をしたいのだが』
声を掛けると、書類に目を落としていた女が顔を上げた。年の頃はスグルと同じくらいだろうか。黒い長い髪を結い上げている。
『過去に登録していたことは?』
『いや…ない』
『では、名前を登録します。お名前は?』
『ショーン・ヴェルディ』
受付の女が、手元の用紙に書き綴る。ヴェル、とどことなく舌足らずに呼ぶ彼女を思い出す。愛称が同じになるようにしておいた方が、何かと都合が良い。
『実績の無い方には、高い報酬が出るものや、難しい依頼はあまり斡旋できませんが、かまいませんか?』
『かまわない。どういったものがある?』
『あちらに』
壁一面に貼られた受注リストを指差して女が続ける。
『左側のものが、報酬の低いもの。右側のものが、報酬の高いものです。受けたいものの依頼票を壁から取ってください。こちらで受付します』
頷いて、真ん中から左側の壁を見る。その中の、比較的すぐ終わりそうな、獣の討伐依頼を壁から剥がした。
『こちらですね。受理します。依頼の完了後、依頼主に印を貰ってください』
受付はそう言って木製の、紐がついた小さな板を差し出してきた。
『印を貰ったら、こちらにお戻りを。報酬をお渡しします』
ああ、と頷いてそれを受け取る。…あとは、僅かであっても情報が得られればこの先の予定を立てやすい。
『…ここらに、酒の美味い店は無いか?』
『それでしたら、東に二つ通りを跨いだ先に。よく皆さん伺うそうですわ』
◇ ◇ ◇
街はずれにある畑で、畑を荒らす獣が出たという。まさか魔獣ということは無いだろうが、と若干危惧していたが、杞憂に終わった。大きなツノが生えた、この辺りではしばしば見かける茶色い獣は、鍋にすると美味い。『お兄ちゃん、小さいのに腕は立つねえ!』と、褒めているのか貶しているのかよくわからないことを言う、麦わら帽子の似合う赤ら顔の依頼主に印を貰う。
『…この辺りは、獣は良く出るのか?』
『いんや、あんまり出ねえな。こんなでかいのは久々だな』
『…そうか。魔獣は?』
『それこそ全く聞かねえなあ。ああでも…そういやこないだ、こっから近い森で出たって聞いたなあ。聖騎士さまがやっつけてくれたんだが、全滅だったんだと。おっかねえな』
『…そうだな、こちらまで来なくて良かった』
男は『ほんとになあ』と嘆息しながら続ける。
『大陸の方から来るんだってえな、一体どうなっちまったのかねえ』
『…東の?』
『いんや、西だよ。西の大陸。噂だけどなあ。まあ、あんたも気をつけな!』
『ああ』
西の大陸?西の大陸には…聖都がある。
斡旋所に戻って報酬を受け取り、思案しながら歩く。確かにここは西の大陸の方がずっと近い。だから西から来るのだと言っているのかもしれないが、そうではなかったとしたら。夕日で赤く染まった石畳を歩きながら考える。さて、東と西、どちらに向かうべきか。
思案しながら、斡旋所の受付に紹介された場所に向かうと、少々小汚い酒場があった。既にかなり騒がしい店内を抜け、カウンターに座って酒を一杯頼むと、どんっとすぐにグラスが置かれた。美味い店というよりは、早く酒が出る店といった印象だ。強面で背の高い壮年の男は、黙って厨房の方に戻っていった。
傭兵や用心棒といったことをしている者は、情報が集まりやすい。このような小さな島国で、魔獣についてとなるとあまり期待できないが、少し探ってみてもいいだろう。
店内を見渡す。どこかのテーブルに適当に混ざろうかと思っていたが、少し離れたカウンターに、見覚えのある顔を見つけた。
『お前、昼に斡旋所にいたやつか?』
声をかけると、んん?と首を捻って、少し考えるような仕草をする。茶色い髪の、年の頃は40くらいの男である。柔らかそうな口髭をたっぷり蓄えていた。
『んん~?おお、あの時の新人か!』
間延びした口調の男は、『奇遇だなあ』とグラスをこちらに傾けた。こちらのグラスを差し出されたグラスにカツンと当てると、男はにっと笑って、酒をぐいっと煽り、幸せそうな息をついた。
『お前さん、ここに住んでるやつじゃねえだろ。旅人か?』
『ああ、弟と旅をしている。少し金が要りようになったから、幾らか足しになればと思ってな』
『はあ~、そいつは大変だなぁ』
『お前は、ここに住んでるのか?』
『ん?まあな。街はずれで畑やってんだがよ、今の時期は収穫しねえから暇なんだ。それこそ家計の足しに~ってな』
顎をぽりぽりかきながらいう。
『何を育ててるんだ?』
『カンドラ。うちのはうめえ』
にっと笑って言う。カンドラは紫色の、拳くらいの大きさの野菜だ。瑞々しく、そのまま食べても美味しいが、加熱すると甘みが増す。ふっと笑い返しながら酒を飲む。スグルなら美味い、美味いと喜んで食べそうだ。
『この辺の畑は、獣はあまり出ないのか?街はずれだとあぶないだろう』
さりげなく本題を切り出す。
『いんや、あんまり出ねえな。森の方からたまに出てくるくらいかな』
『魔獣も出るのか?この辺に出たって聞いたが』
『ああ、ついこないだな、出たらしい。あいつら、西の方から来るんだ。大陸から来てんじゃねえかって、ここらじゃもっぱらの噂よ。俺んちは街から東のはずれだからな、うちが襲われるときは街が襲われた後よ』
がっはっは、と声を上げて笑う男に、『能天気だな』と笑って返しておいた。やはり、西という言葉が出る。
『大陸から来るってことは、飛んで来てるのか?』
『さあなあ、いやな、俺見たことねえんだよ。よく知らねえんだあ。そうそう出るもんじゃねえしなあ。でも泳いでるっつーのはなんかピンと来ねえよな』
今度はボリボリ頭をかく。
『おめえは魔獣は見たことあるのか?』
『いや、ないな。時々噂を聞くくらいだ』
面倒だったので嘘をついておく。そういえば、先日森の中で対峙した魔獣は、翼を持って居た。あながち、ただの噂話と切り捨てるべきものではないのかもしれない。
『じゃあ、西の方に向かう商団の方が、用心棒の依頼が多いのか?』
『ああ、そうだな!そんで割りがいい』
にやっと男は笑う。だいぶ顔が赤くなって来た。グラスはすっかり空になっている。
『でもその分危ねえからな、東の方がいいんじゃねえか。どっか目指してるところでもあるのか?』
『いや…特にない。まだ決めてないんだ』
『もし西の方に行くんなら、ついでに依頼受けとくといい。用心棒が多いから、旅人もよく後ろについて行くんだ。安全だからな。弟もその方が安心かもしれねえぞ。なあ、親父!もう一杯!』
がはは、と破顔する男に付き合わされ、その後3杯目でいびきを立て始めた男を成り行きで介抱し、気がついた時にはすっかり辺りは暗くなっていた。
◇ ◇ ◇
足早に街を歩く。すっかり遅くなってしまった。スグルはお腹を空かせているかもしれない。こちらの食事が珍しいのか、時々不思議そうに匂いを嗅いで見たり、にこにこと顔を輝かせて頬張ったり。食事を取っているときは、彼女は特に幼く見える。
宿の前まで来ると、微かにディルネの音色が聞こえて来た。扉を開けると、音が大きくなる。店はほぼ満席で、皆一様に赤ら顔をうっとりとディルネの方へ向けていた。
彼女はディルネを弾いていた。小さな背中が僅かに揺れ動くのが見える。昨日弾いていたのとは違う曲のようだが、今日弾いているのもとても美しい旋律だ。時折激しくなる音は、彼女の細い腕から奏でられているとは思えない程力強い。横で座る獣も、心なしかうっとりとした表情をしているように見える。初めから聞けなかったのを残念に思いながら、空いていたカウンターに座って頬杖をつく。彼女の真剣な横顔がちらりと見えた。
ディルネの表面をなぞるように指が滑って行く。最後の音を鳴らし、スグルはディルネから手を下ろした。
わっと拍手がわき起こり、ディルネの近くに置かれた器に投げ込まれる。照れ臭そうに笑う彼女は幸せそうで、彼女がここでこうやってディルネを弾きながら幸せに暮らせるのなら、ここに置いていった方が彼女のためになるのではないか、と少しだけ逡巡した。
店内を見ていたスグルの目がこちらを向く。あ、と口が開いた。灰色の目がぱちぱちと瞬きをして、ふっと笑顔を向けながら人差し指を一本立てた。もう一曲、という意味だろうか。
くるりとディルネの方に向き直り、徐に弾き始める。今度も違う曲だ。聞いてみれば自分で作曲しているわけではないというし、彼女は一体どれくらいの曲を覚えているのだろう。
指が素早く動く。正直なところ、あんなに指とは動くものなのかと感嘆する。どの鍵盤を叩いているのか目で追えない。
激しく低音が響く。力強い旋律は今まで聞いたもののどれとも異なる。どこかまがまがしさを感じる旋律だ。そう思って聞いていたら、今度は一転してとても穏やかな曲調になった。優しい音は心に染み入る。疲労が溶けていくようだ。徐々にまた曲調は激しいものになっていき、彼女の体に力が入っていくのがわかる。叩きつけるような激しい和音を奏で、彼女はぱっと腕を振り上げる。
指が鍵盤から降りるまで、曲が終わったことに気が付かなかった。余韻を噛み締めながら、拍手を送る。
彼女は立ち上がってこちらにぺこりと頭を下げた。わあっとまた拍手がわき起こる。はにかむような笑顔を浮かべて、ぱっとこちらへ駆けてきた。なんだ、と見おろすと、にこにこしながらポンポンとお腹を叩いた。空腹らしい。子供のような姿に笑いそうになったが、ぐっとこらえる。
『最後の曲は何というのだ?』
ワンテンポ遅れて、グレイプニルが返答する。
――怒りをこめて、だそうだ。
それに合わせて彼女はくいっと片方の眉を上げた。通訳したグレイプニルも半笑いである。
『…謝っただろう』
困ってそういうと、ぷふっとスグルは吹き出した。からかわれたらしい。
『まあいい。…部屋で食事を取るか』
彼女は少し遅れてこくんと頷いて、にっと微笑んだ。




