第二話
「いらっしゃーい」
こんな気の抜けた挨拶じゃだめだ、と思いつつ、やめられない自分がいる。
声を張るのは、案外面倒なのだ。
「お、お嬢ちゃんじゃないか。また来たのか」
半年くらい前からよく来るようになったこの娘は、この街でいちばん評判の良いパン屋、『A』の店主の娘。
「こんにちは、おじいさん。今日も来ちゃいました」
「いつもありがとなぁ。大体の客は立ち読みだけして帰っていくから、助かってるよ」
客と言っていいのかわからない、立ち読み客。
そんな客ばかりのこの店に、突然現れた彼女はまるで天使様のようだ。
天使様が、静かに本を開く。
入口の方から吹いた生ぬるい風が、彼女の前髪を揺らす。
色々な本に目を通していた天使様が、ある時呟いた。
「へぇ、この物語はすぐに名前を出すんだ」
「名乗る文化がない方が少ないんだよ。3つ先の街では、すぐに名乗っていたりするんだ」
そうなんですね!勉強になります、という彼女の反応は新鮮だった。
「これお願いします」
そう言う彼女の手には、彼女が良く読んでいるシリーズの新刊の他に、
絵本や参考書など、いろいろな本が積まれている。
カウンターに置かれた本たちの値段を見て、手と電卓を動かす。
もうすっかり古くなった電卓が、かちかちと音を鳴らした。
全部で5冊、4500ロア。
その計算結果を見た天使様が、5000ロアを置いた。
お釣りの500ロアを、カウンター越しに返す。
それを取った天使様は、
「ありがとうございました」
そう言って、レジ前に雑然と積まれた本を手に取る。
その様子を眺めていたところで、突然に、明るい声が聞こえた。
「こんにちは!これおねがいします!」
その声の主は、恐竜。
恐竜についての絵本が好きだから恐竜、というのは、あまりに安直だろうか。
そんなことを思っている間に、恐竜は一冊の絵本と650ロアを置いた。
「あと50ロア足りないよ。持ってるかい?」
「これしかもってないんだ……これだけでかえるえほん、ある?」
目の前にあるだけの価格で買える本など、この店にはほとんどない。
あるとしても、それは彼が買ったことがあるものばかりだ。
「……これなら、買えるよ」
そう言って出したのは、本来700ロアの品。
今度恐竜の親から、50ロア貰えばいいだけだ。
机の上にあった、まだ本棚に置けていない新着本のひとつを見せる。
笑顔の恐竜を見て、少し急ぎ目に会計をした。
「わぁい、ありがとう!」
そう言って、去っていく恐竜。
その笑顔が見れただけで、充分だと思えた。
天使様がいなくなったら店を閉めよう、と思って時計を見る。
まだ7の刻か、と思っていると、銀色に光るものが、カウンターに置かれる。
上を向くより早く、天使様の声が聞こえた。
「さっきの絵本、50ロア安く売ってましたよね。そのお代です」
そう言って、颯爽と去る天使様。
その背中は、羨ましくなるほど軽々しかった。




