第75話:見えない蜘蛛の巣と「神の目」の勘違い
「……ああ、今日のケント様も素晴らしいわ。木の板を見つめるあの真剣な眼差し……どんな機密情報よりも、私を見つめてほしい……♡」
地下遊園地の中央監視テント。
すっかりヤンデレ現場警備員と化したマリア(元・世界最強の暗殺者)が、ケントから支給されたダボダボの作業着姿のまま、今日も物陰から自撮り棒で『親方様観察配信』を行っていた。
そのカメラの先で、ケントは手元の木の板を指でなぞり、ふむとあくび交じりに頷いた。
「よし、第4区画のジェットコースター支柱、上から3番目のボルトだな。ちょっと締めてくるか」
ケントはレンチを片手に、フルーツ牛乳を飲みながらマイルドな笑顔でテントを出る。
「あ、親方様! どこへ行かれるんですか! 泥棒猫が近づかないよう、私がお供しますぅ!」
マリアが尻尾を振る犬のように飛び出し、後ろからは元・エリート軍人の筋肉たちも「親方の背中から安全第一を学ぶぞ!」とぞろぞろついていく。
ケントが向かったのは、巨大なジェットコースターの支柱だった。
彼はヒョイと足場に登ると、無数にあるボルトのうちの『たった一つ』にレンチを当て、適当にグッと締め直した。
「よし、これで安全ヨシ」
ケントが足場から降りた、まさにその直後だった。
――ヒュオォォォォッ!! ドゴォォォォンッ!!
「なっ!?」
突如、はるか上空のアビスの暗闇から、巨大な質量の塊が落下してきたのだ。
それは前話の『大崩落(異常地震)』の際に天井に引っかかっていた、超巨大なAランク魔獣の残骸(硬い甲殻)だった。
数トンの残骸が、先ほどケントがボルトを締めたばかりの支柱にピンポイントで激突する。
凄まじい衝撃音が響き渡るが――前話でパズルみたいにナナメに組んだ三角形の骨組みと、完璧に締め直されたボルトによって、支柱は1ミリも歪むことなく、大砲を弾くはずの魔獣の残骸を『ただの小石』のように粉々に砕き散らした。
「ヒィィッ!? い、いまの直撃、もしあのボルトが緩んでいたら支柱ごと倒壊して、下にいた私たちがペチャンコに……ッ!」
筋肉の隊長が真っ青になってへたり込む。
「親方様……。まさか、あの巨大な残骸が『今、ここに落ちてくる』ことが分かっていて、私たちの命を救うためにわざわざ補強に来たんですか……!?」
マリアが頬をピンク色に染めて震える声で尋ねると、ケントは首のタオルで汗を拭きながら、キョトンとした顔をした。
「いや? 石ころ(残骸)が落ちてくるなんて知らなかったぞ。ただ、手元の板に『ボルトが緩みそうだから直してね』って合図が来たから、メンテしに来ただけだ」
「「「……は?」」」
「いいか?」
ケントは、絶句するマリアたちに向けて呑気に種明かしを始めた。
「現場中に、こないだ解体した『特Sランクの蜘蛛の糸』をピンと張ってあるんだ。蜘蛛の巣と同じで、建物のどこかでネジが緩んで『いつもと違う小さな震え』が起きると、手元の糸がビリッと震えて教えてくれる。医者が聴診器で心音を聞くようなもんだな。壊れる前に直す、現場の『安全点検』ってやつさ。……まあ、たまたま直した直後に小石が落ちてきたのはラッキーだったな!」
ケントはガハハとマイルドに笑い、レンチを肩に担いだ。
「見えない蜘蛛の糸を張り巡らせて、国家の最新鋭インフラでも不可能な『完全な異常予測』をただのDIYでやってるの!?」
現場監督補佐の東雲霞が、相変わらずの的確なツッコミを入れる。
だが、その『安全点検(ただの物理的な震えの感知)』の説明は、ファンタジーの住人であるスパイや軍人たちには、全く違う意味に変換されていた。
「建物の声を聞き、数時間後の未来(異常)を的確に予測する……。それってつまり、『未来予知』じゃないですか!」
隊長がボロボロと涙を流して叫ぶ。
「親方は、我々が死ぬ運命(未来)を見通して、その因果をパズル感覚で断ち切ってくださったんだ! まさに神の目だァァッ!」
「ああ……ケント様っ……!」
マリアは自撮り棒を握りしめ、配信カメラに向かって狂喜の涙を流して叫んだ。
「全世界のリスナーよ、見たかしら! これが私の愛する親方様よ! 未来の死の運命すら見通し、万物を支配する神の目……ッ! ああっ、尊い……尊すぎますぅぅ♡」
『おっさん、ついに未来予知まで習得してて草』
『蜘蛛の糸の安全点検を「神の目」と勘違いするスパイww』
『ただのメンテだっつってんだろ!』
『聴診器と蜘蛛の巣の例え、めちゃくちゃ分かりやすくて凄い』
『マリアちゃん(暗殺者)が完全に限界オタク』
『泥水ススル:親方ァ! 俺のタワマンにも蜘蛛の糸張ってくれぇ! 壁のヒビ割れが怖ええ!!』
ルミナのドローンが映し出す光景に、タワマンから実況するススルのツッコミも加わり、同接600万のコメント欄が「大雑把な現場の知恵」と「ファンタジー的勘違い」のすれ違いに大爆笑する中。
命を救われた(と勘違いした)マリアと筋肉たちは、熱い涙を流しながらケントを取り囲んだ。
「おのれ、こんな尊いケント様にタダ働きさせるわけにはいかないわ! 筋肉ども、金と資材を集めなさい! 親方様の偉大なる『黄金の銅像』を、この遊園地の中央に自腹で建造するのよッ!!」
「うおおおおッ! 喜んでぇぇぇッ!! 俺たちの軍の給料を全額ぶち込みます!!」
「現場にそんな邪魔なもの建てるんじゃないよ! 俺はただ自分の現場の安全を守っただけなんだ!」
ケントは呆れたように笑うと、足元にドンッと巨大な木箱を置いた。
「銅像なんか作る金と体力があるなら、今日の『特別安全手当』として、全員このSランク魔獣の極上カルビ食って、極楽温泉にでも浸かってこい!」
ケントが何十億円もの価値がある高級肉と温泉手形(現物支給)を無造作にばら撒くと、筋肉たちとマリアは「親方ァァァッ! どこまでもホワイトすぎるゥゥッ!」と白目を剥いてアヘ顔で昇天し、歓喜の社畜へと完全に堕落していくのだった。
完璧な安全管理テクノロジーが引き起こした奇跡の勘違いにより、アビス最下層のホワイト現場は今日も圧倒的なカタルシスと爆笑に包まれている――!
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