第133話:脳内のキャッシュクリアと、極上ふわふわパンケーキ
コンッ。
絶妙な力加減による、優しい一撃。
ケントの愛用の金槌が、泣き崩れる姉コアの頭頂部を軽く叩いた。
パシュゥゥゥゥッ……!
彼女の頭から、真っ黒なモヤのようなものが勢いよく吹き出す。
空中に浮かび上がった青いワイヤーフレームのシステム図から、無数のエラーログが綺麗に消去されていった。
《『過労のバグデータ(限界ストレス)』を『超高純度・シリコングリス(S級冷却材)』へ変換・取得しました》
「あ……れ……?」
姉コアの虚ろだった瞳に、すっと理性の光が戻る。
憑き物が落ちたように表情が和らぎ、彼女は呆然と自分の両手を見つめた。
『頭叩いて直すの完全に昭和のテレビww』
『物理キャッシュクリア強すぎ』
『ストレスを冷却グリスにすなww』
『おっさんの前では過労すらDIYの素材』
「姉上……! 正気に戻ったのじゃな!」
ケントの背後からコア公が飛び出し、姉コアの胸にダイブする。
姉コアは戸惑いながらも、妹の小さな背中を震える手で抱きしめた。
「よし、再起動完了。オーバーヒートした後は、糖分補給してしっかり休むんだ」
ケントは腰のインベントリから『カセットコンロ』と『極厚の銅板』を取り出す。
先ほど手に入れた冷却グリスを保冷剤代わりに使い、キンキンに冷やした特製生地を熱した銅板へ流し込んだ。
ジューゥゥゥッ!
甘いバニラビーンズの香りが、緊迫していた社長室に爆発的に広がる。
数分後。
三段重ねの『極上ふわふわパンケーキ』と、淹れたての温かいアールグレイが、姉コアの目の前にコトンと置かれた。
「はい、おやつ休憩。特製メープルシロップをたっぷりかけてね」
「え……? こ、これは……」
姉コアは戸惑いながら、湯気を立てる黄金色の山を見つめる。
分厚いパンケーキの上で、四角いバターがトロトロと溶け出していた。
(ワンオペで疲れ切った頭には、暴力的なまでの甘さが必須だからね。美味しいものを食べて、一息つくのが最高のメンテだ)
「あ、あの……こんなことされても、私は……」
「一人で全部抱え込むからパンクするんだ。これからはうちの現場で、一緒にやろう」
ケントがマイルドな笑顔を向けると、その優しい言葉に、姉コアの瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
恐る恐るフォークを伸ばし、パンケーキを一口かじる。
「っ……!」
ふわふわの生地が、口の中で雪のように溶ける。
メープルシロップの優しい甘さが、冷え切っていた心を芯から温めていく。
「おい、しい……なに、これ……あまくて、あたたかい……」
もう、我慢できなかった。
冷酷なブラック社長の仮面が完全に砕け散り、彼女は子供のように声を上げて泣きじゃくった。
『うわぁぁぁん! 姉コアちゃんよかったね!』
『ラスボスがパンケーキで完全陥落ww』
『親方のご飯は世界を救う』
『またチョロインが増えたぞww』
「わたし、もう、一人で頑張らなくていいの……?」
姉コアがだらしない顔になり、ケントの作業着の袖をギュッと掴む。
極上のスイーツと優しい言葉で、アビスの最強の支配者が完全に骨抜きにされた瞬間だった。
「ああ。これからは適度にサボりながら働けばいいさ」
ケントが彼女の頭をポンポンと撫でる。
感動的な大団円の空気が、コントロールルームを包み込んだ。
だが、その直後。
ピピピピピピピピピピピッ!!!
社長室全体に、けたたましい警告音が鳴り響いた。
ケントがはっとして振り返る。
アビスの崩落する天井を無理やり支えていた『超高圧油圧ジャッキ』のメーターが限界を振り切り、シリンダーから激しくオイルを吹き出していた!
ブラック社長を極上スイーツで救済し、見事な労務環境改善を成し遂げた一級建築士。
しかし、感動の涙を流している間にも、数十万トンの岩盤を支える「現場の仮設支柱」は、物理的な限界を迎えていたのだった。




