第127話:漆黒の過労竜と、ヘッドハンティング
ズズンッ……!
アビスの空間を引き裂いて現れたのは、山のように巨大な『漆黒の過労竜』だった。
だが、その姿はかつての威厳など欠片もない。
「……グゥォォ……」
覇気のない鳴き声。
全身の鱗は睡眠不足でボロボロに剥がれ落ち、巨大な瞳の下には真っ黒で深いクマが刻まれている。
「行け、漆黒の竜よ! 忌まわしい境界線を越え、奴らを消し飛ばせ!」
姉コアの冷酷な命令が響く。
過労竜は虚ろな目のまま、フラフラと首をもたげた。
「……消し、飛べ……」
ズドォォォォンッ!!
巨大な口から、全てを腐食させる『闇のブレス』が放たれた。
「ひぃぃっ!? ケントさん、ヤバいのが来ますぅーっ!」
ルミナがドローンカメラを抱えて悲鳴を上げる。
だが。
「……困ったな」
ケントはマイルドな笑顔を崩さず、おや、と困惑したように眉を下げた。
腰のポーチから、特大の『石膏ボード(耐火仕様)』を取り出す。
ピンク色の境界線(水糸)の前にズンッと立てると、愛用の金槌で木枠に向かって軽く打ち付けた。
コンッ……。
直後、直撃した闇のブレスが、耐火ボードの前でシュゥゥゥッと無害な水蒸気へと変わって消滅する。
《『過労の闇ブレス(極大魔力)』を『最高級・無煙備長炭(S級熱源)』へ変換・取得しました》
「ヨシ、消火完了」
ケントはマイルドな笑顔を浮かべると、バインダーを片手にぜぇぜぇと息を切らす過労竜を見上げた。
(おいおい、近くで見たら顔色が土気色じゃないか。爪も手入れされてないし、完全に過労死ラインを越えてるぞ)
「ちょっと君。顔色が悪いぞ。ちゃんと休日は取れてるのか?」
「……きゅう、じつ……?」
過労竜が、ピクッと反応する。
虚ろな目が、信じられない言葉を聞いたように揺れた。
「400年……休みなど、ない……。毎日……」
『400年連勤www』
『労基案件すぎるだろ!』
『ブラック企業(物理)』
『ドラゴンのサビ残は草』
「完全なブラック企業じゃないか」
ケントは過労竜を労うように、優しく目を細めた。
(こんな劣悪な環境じゃ、まともなパフォーマンスなんか出せるわけないだろ。何よりも十分な休息と栄養が必要なんだ)
「おい、何をしている! さっさとブレスの二発目を撃て!」
背後から姉コアがヒステリックに叫ぶ。
ケントはその声を完全に無視し、取得したばかりのS級備長炭を七輪に放り込んだ。
カンッ! カンッ!
瞬く間に単管パイプを組み上げ、現場の片隅に『仮設食堂』をDIYで完成させる。
極厚の鉄板を熱し、インベントリから『極上ミノタウロスの特大リブロース』を取り出した。
「まあ、まずは飯でも食って休め。腹が減っては現場の仕事はできないからね」
ジューゥゥゥゥッ!!
分厚いステーキ肉が、鉄板の上で暴力的な音を立てて焼き上がる。
たっぷりのガーリックバターを乗せ、特製の醤油ダレを豪快に回しかけた。
ジュワァァァァァッ!!
香ばしいニンニクと焦がし醤油の匂いが、爆発的にアビスの空間へと広がっていく。
「……ッ!?」
過労竜の鼻がピクピクと動く。
虚ろだった瞳孔が限界までカッ!と見開き、巨大な口の端から、滝のようなヨダレがボタボタとこぼれ落ちた。
「な、なにを誘惑されている! 敵の飯を食うな! 働け!」
姉コアが血相を変えて叫ぶ。
だが、400年間まともな飯を食っていない過労竜の耳に、ブラック社長の声など届かない。
「あ……あぁ……にく……」
極上のガーリックステーキの匂いに釣られ、山のように巨大な漆黒の竜が、フラフラとケントの仮設食堂に向かって歩き出した!
『社長(コア后)の命令より肉を優先したww』
『ブラック企業VS極上まかない飯』
『社畜ドラゴン、胃袋を掴まれて完全陥落の予感ww』
絶望の闇ブレスを石膏ボードの結晶水で防ぎ、現場の片隅に即席の食堂をオープンした一級建築士。
絶対的な支配者である姉コアの命令すらも、ホワイト現場監督が振る舞う「極上のまかない飯」の匂いの前には、完全に無力だった――!




