第118話:悲劇の記憶喪失と、悪質な『隠しレイヤー』
カシャッ。
軽量アルミ脚立の上。
神の代行者の背後を取ったケントは、腰のツールポーチから手早く結束バンドを取り出した。
(暴れられて足場から落ちたら、労災になっちゃうからね)
「ひっ!? き、貴様、いつの間に私の後ろに……ッ!」
ジジジジッ!
有無を言わさず、セリスの両手首を背中に回して素早く拘束する。
《『神の威圧(余剰魔力)』を『高強度・絶縁ケーブルタイ(S級拘束具)』へ変換・取得しました》
「はい、安全確保。高所作業中は大人しくしててね」
そのままヒョイと彼女を担ぎ上げ、アヴァロンのフカフカなウッドデッキへと下ろす。
絶対不可侵の結界をカッターで破られた上に、ただの結束バンドで転がされた神の使い。
『神様、ケーブルタイで秒殺ww』
『親方、手際が完全にプロのそれ』
『余ったオーラで拘束具作ってて草』
「……くっ。殺せ」
デッキに倒れ込んだセリスは、唇を噛む。
屈辱に身を震わせながらも、どこか諦めたような瞳で夕暮れの空を見上げた。
「どうせ私は、過去の黒騎士との戦闘で記憶を失った、空っぽの器……。神の意志を遂行するだけの、ただの哀れな道具だ」
デッキに倒れ込んだセリスは儚げな横顔を見せ、悲劇のヒロインを思わせる哀愁漂うセリフを口にした。
「……えっ?」
痛ましそうな視線を向けていたリーゼロッテが、不意に間の抜けた声を上げる。
「黒騎士との戦闘で、記憶喪失……? ちょっと待ってください、それ、私の過去と全く同じ設定なんですけど……っ!?」
「は……? な、何を言っている。これは私だけの過酷な運命で……」
困惑するセリス。
二人のやり取りを聞いていたケントは、マイルドな笑顔を崩さず、少しだけ困ったように眉を下げた。
(おやおや、まさかとは思うけど……)
ケントが優しくセリスの頭部に『構造把握』のスキルを発動させると、青いワイヤーフレームで構築された彼女の脳内のシステム図が空間に浮かび上がった。
ケントは手で画面を拡大し、配線図をじっくりと眺める。
(なるほど。記憶データが消えてるわけじゃない。不都合な本来の記憶レイヤーを見えないように非表示にして、その上から監視用の『ダミーデータ』を被せているんだ)
さらに、そのダミーデータのファイル名を見た瞬間。
一級建築士のおっさんは、マイルドに微笑みながらも心の中でそっと首を振った。
(いくらなんでも酷すぎる。神様め、キャラクターごとの個別データをちゃんと作らずに、全員にデフォルトの『悲劇の過去.zip』をコピペして使い回してるじゃないか。モノ作り(クリエイター)としてのプライドがないのかい?)
空中に浮かぶシステム図面を、指でサッサッとスワイプする。
ケントは一番上に被せられた『ダミーデータ』のレイヤーを選択し、二人の少女へ向かってマイルドに告げた。
「君たち、騙されてるよ。記憶なんて失ってない」
「「……えっ?」」
「おたくの社長(神)が、君たちの本当の記憶レイヤーを見えないように隠して、上から全く同じ『監視用のダミーデータ』をコピペして被せてるだけだ。
君たち、悲劇のヒロインでもなんでもなく、ただの都合のいい量産型監視カメラにされてるぞ」
静寂。
信じていた神(社長)からの裏切りと、己のアイデンティティの崩壊。
「う、嘘でしょ……私たちの唯一無二の悲劇が、ただの工場出荷時設定だったの……?」
「わ、私が……量産型の監視カメラ……? いやぁぁぁっ! 恥ずかしいぃぃっ!」
ガタガタと震え出し、顔を真っ赤にして頭を抱える二人。
悲劇のヒロインとしてのプライドは完全にへし折られ、ただの「設定を使い回された哀れなポンコツ」へと成り下がっていた。
『ええええええ!?』
『悲劇のヒロイン設定、ただのアセットの使い回しだったwww』
『悪徳業者の手抜き工事エグすぎだろ!』
『神様、設定考えるの面倒くさくてコピペしてて草』
『親方の前では全ての謎がCADデータのレイヤー扱いww』
『……ザァッ。親方、労働者の同意を得ない監視カメラの設置と、経歴の不当な改ざんは、明らかなコンプライアンス違反です』
インカム越しに、霞が淡々と事実を突きつける。
(本当に最悪な現場だ。従業員の頭に勝手に細工してパシリに使うなんて、ブラック企業も青ざめるレベルの違法労働じゃないか)
「心配しなくていいよ。ちょっと頭の中のバグ(違法データ)を直してあげるからね」
ケントはマイルドな笑顔を浮かべると、腰のツールポーチから愛用の『金槌』をスッと取り出した。
そして、顔を覆ってしゃがみ込むセリスの頭頂部の『急所』に向かって、軽く金槌を振り下ろす。
コンッ……。
絶妙な力加減による、優しい一撃。
その瞬間、空中に浮かんでいたシステム図面の『ダミーデータ』がガラスのように砕け散り、奥底に隠されていた膨大な本来の記憶データが一気に復元された。
《『監視用ダミーデータ(コピペ版)』を削除し、本来の記憶データを完全復旧しました》
「あ……あれ……?」
セリスはポカンと口を開け、ゆっくりと顔を上げた。
偽りの使命と悲劇の重圧から解放された彼女の脳内に、アヴァロンの完璧な空調システムがもたらす極上のそよ風が吹き抜ける。
「私……なんであんなブラック企業(神)のために、タダ働きなんてしてたんだっけ……? この現場の風、最高に気持ちいい……ふにゃぁぁっ♡」
神の代行者に仕組まれた、手抜き工事による悪質なデータ改ざん。
だが、現場の酸いも甘いも噛み分けた一級建築士のおっさんにとって、それは金槌ひとつで復旧できる「いつもの日常メンテ」に過ぎなかった――!




