第108話:絶景の露天風呂と、労働契約書
チャプン……。
酸性雨が降りしきる死の世界に、極上の溜息が響き渡った。
ケントが先ほど【超速クラフト】で組み上げた、鏡面仕上げのステンレス浴槽。
磨き上げたステンレス鋼を、金槌で『コンコンッ』と優しく叩いて曲げ、水漏れしないようにスライムパッキンで隙間を塞いだだけの特貫工事だ
その中には、遠心分離機で錬成された無尽蔵のピュアウォーターがたっぷりと張られている。
(こんなに荒んだ現場でシャワーも浴びられないんじゃ、みんなの疲れが取れなくて作業効率が落ちちゃうじゃないか)
ケントは「構造把握」を発動させた。
機将の動力コアの熱量を利用したお湯の循環システムに必要な設計。
すべてが瞬時に計算され、ひとつの「図面」として展開された。
ケントは愛用の金槌を取り出し、配管のジョイント部分に向かって軽く振り下ろした。
コンッ……。
絶妙な力加減による優しい一撃。
パズルのように噛み合った配管から、適温に沸かされた極上のお湯がドバドバと注ぎ込まれていく。
《『配管のスクラップ』を『完全温度制御の循環システム(A級設備)』へ変換・取得しました》
お湯が注ぎ込まれていくのを見ると、湯船に浸かっていた女性陣から歓喜の声が上がった。
「極楽ですぅ〜っ! まさか異世界でこんな絶景の露天風呂に入れるなんて!」
「ふん、人間の分際で気が利くのじゃ! 湯加減も完璧じゃぞ!」
ルミナとコア公が、広々とした湯船で手足を伸ばしてくつろいでいる。
その横で、機械令嬢のリーゼロッテは、頭にタオルを乗せたまま硬直していた。
「……信じられない。機将のコアを、ただのお湯沸かし器にするなんて……」
「ああ、リーゼロッテ。君には特別に、この入浴剤を入れてあげるよ」
ケントは、残っていた『スライム油』から精製した特製のバスオイルを湯船に数滴垂らした。
瞬間、お湯がトロリとした極上のローションへと変化する。
「ひゃんっ!? な、なにこれ、お湯がすごく滑らかに……っ!」
「機械の体はデリケートだからな。お湯でサビないように、関節のメンテナンス効果を高めておいたよ。ゆっくり温まってくれ」
ケントが優しく微笑むと、リーゼロッテの全身のギアに極上のスライム油が浸透していく。
熱と潤滑。機械にとってこれ以上ない至福のオーバーホール。
「はふぅぅ……。関節の奥まで、油が染み込んで……摩擦が……消えるぅ……」
「……ふにゃぁぁっ♡ わたしゅ、もうこのお風呂から出られましぇぇん……っ」
世界の命運など完全に忘れ去り、悲劇の機械令嬢はとろけた顔で湯船に沈んでいった。
『またポンコツが増えたww』
『親方のメンテ風呂、機械特効すぎるだろ』
『完全に極楽浄土じゃねえかww』
***
数十分後。
湯上がりのポカポカとした体で、三人はプレハブのソファでくつろいでいた。
ケントが用意した、キンキンに冷えた『魔獣のフルーツ牛乳』を腰に手を当てて飲み干す。
「ぷはーっ! 湯上がりのフルーツ牛乳、最高ですね!」
「うむ! ここは、本当に極楽なのじゃ!」
ルミナとコア公が、ドヤ顔でリーゼロッテにマウントを取る。
リーゼロッテは、空になった牛乳瓶を握りしめ、ワナワナと震えていた。
過酷な酸性雨。恐るべき機将。死のナノマシン。
そんな地獄のような外の世界と、この快適すぎるプレハブの中の落差。
「あの……親方様っ!」
リーゼロッテは勢いよく立ち上がり、ケントの前に土下座の勢いでひれ伏した。
「どうか、私を親方様の専属重機として雇ってください! どんな過酷な資材回収でもやります! だから、この福利厚生を手放したくありませんっ!」
ボロボロと大粒の涙を流しながら、必死に懇願する機械令嬢。
『動機が不純すぎるww』
『重機扱いされてもいいから風呂と飯を取りにいったww』
「……困ったな」
ケントは少しだけ困ったように笑うと、インベントリから一枚の羊皮紙を取り出した。
「うちはホワイトな現場だから。働くなら、ちゃんと労使協定を結ばないと。はい、これ」
ケントが差し出したのは、就業規則や休憩時間がびっしりと書かれた『労働契約書』だった。
「あ、ありがとうございますぅぅっ!」
リーゼロッテは泣きながらペンを握り、物凄いスピードでサインを書き殴った。
『チョロイン誕生の瞬間である』
『これで一生おっさんの現場でこき使われるぞww』
「よしよし。それじゃあ、明日からも安全第一で……」
ケントがマイルドに微笑みかけた、その時だった。
ズズズズズズズズッ……!!!
突如として、プレハブ全体が激しい地震に見舞われた。
テーブルの上のフルーツ牛乳の瓶がガタガタと揺れ、ルミナが短い悲鳴を上げる。
「きゃあっ!? じ、地震!?」
『親方、外の様子がおかしいです!』
インカム越しに、霞の切羽詰まった声が響く。
ケントが防音ペアガラスの窓を開け、酸性雨の降る外を見た。
機械都市の地平線。
そこを覆い尽くすほどの『超巨大な影』が、地鳴りを響かせながら、こちらへ向かってゆっくりと接近してくるのが見えた!
『うわああああ!? なんかヤバいサイズのが来たぞ!!』
『山が動いてるのか!?』
『おっさん、風呂上がりで寛いでる場合じゃない!!』
完全ホワイトな極楽プレハブに迫る、過去最大級の規格外な脅威。
だが、フルーツ牛乳を飲み干した一級建築士のおっさんの目に、焦りの色は微塵もなかった――!




