97.断罪の舞台
帰国後、ヴィクトルはとても忙しかった。
玄蒼国視察の最終報告書、交易関係の取りまとめ、出張中にあったことの引き継ぎなどなど。目が回るほど忙しそう。一日の時間も限られる中、それでもヴィクトルは私のために時間をとってくれた。
私もまた、社交界シーズンが終わる前にと精力的に動いた。忙しいヴィクトルの代わりにできることは全部やる。
そうして、舞台は整った。
社交界シーズンが閉幕する直前、自領に帰ろうとする人たちを少しだけ引き止めて、私たちはエリツィン伯爵邸で婚約お披露目会を開いた。
婚約自体は去年からでしたが、大々的なお披露目会をしていなかったもので。ちょうどよい口実があってよかったと思う。
「それではヴィクトル様、あとは手筈通りに」
「分かっているけれど……本当にこれで良かったのかい? 祝いの席を台無しにして」
招待客で賑わうエントランスホールを階段の上から見下ろして、私とヴィクトルはこそこそと話し合う。
今はお父様が主催として挨拶をしているところ。お父様の合図で私たちは入場し、階段を降りて行くことになっている。
「それならヴィクトル様は、他の方の主催パーティでやれば良かったと?」
「そうは言っていないよ。でも、他にも方法はあったんじゃないかと」
「良いんです。長引かせることのほうが嫌ですから。ここで白黒きっちりさせます」
融通の利かない私にヴィクトルは苦笑する。今日まで何回も話し合った。バラクシナ子爵夫人の嫌がらせを止める別の方法はないかと考えた。でも、個別に話し合って聞いてもらえるならとっくの昔に解決している。
だから私は、なんとしてもバラクシナ子爵夫人が私の仕立てた舞台へあがらざるを得ない方法を考えた。それが私とヴィクトルの婚約お披露目会。今日はそのための舞台なのです。
「それにもし印章偽造の証拠が手に入らなくても、私とヴィクトル様の婚姻がいよいよ決定的になれば、バラクシナ子爵夫人も諦めがつくはずです。……そう願っています」
バラクシナ子爵夫人の身の上を聞いて同情はしたけれど、だからといって人の幸せを奪おうとするのは違うと思う。それをどうか、彼女自身で理解してほしい。理解してくれたら、彼女はこれ以上不幸になることもないはずだもの。
大きく深呼吸。もうすぐお父様の挨拶が終わる。今さらながら緊張してきたかもしれない。
「あっ、お父様のお話、終わったようです! 行きますよ!」
「あぁ、そうだね。行こうか」
ヴィクトルが手を差し伸べる。
私はその手に自分の手を重ねた。
お父様からの合図で、ヴィクトルと私はエントランスホールへと続く階段を降りて行く。裾の長いドレスを踏まないように、慎重に。ゆっくりと。
階段の踊り場で立ち止まる。招待客の顔を見ようと顔を上げれば、ライザと目が合った。その隣にはイェオリ。リリアーヌも近くにいて、入り口のそばにはティモとトゥロ。双子は手をふりふりしてる。
もっと視線を広げれば、ヴィクトルを養子に引き取ったミシリエ子爵夫妻も見つけれた。入婿の親族として、お父様のそばにいる。さらに端のほうには、シーリン商会から代表者……という名目で、エルモライさんを筆頭にヴィクトルの実の両親もいらっしゃる。
他にも、私とヴィクトルの婚約を祝うために駆けつけてくれた人たちが、エントランスホールに集っている。皆、私たちを見て祝福をしてくれている。
そんな中、くっきりと浮かび上がる憎悪の視線。
それが私へと向けられている。
「あの髪飾り……」
「ヴィクトル様?」
「いや、何でもない」
何かに気がついたヴィクトルから小さな囁きがこぼれた。聞いても何でもないと頭を振るので、私も視線をエントランスホールへともどす。
「さて、皆様。改めて紹介しよう。エリツィン家が長姫フェリシアと婿のヴィクトル・ミシリエ男爵だ」
お父様の紹介で、盛大な拍手が沸き起こる。
想像以上に大きく響いた拍手に、私は嬉しくなる。
「皆様、娘と婚約者に、盛大な拍手をありがとうございます。皆様を証人とし、この拍手をもって、二人の婚約が相成りましたことをここに宣言……」
「お待ちになってください!」
ざわりとエントランスホールがざわつく。女性の声がお父様の宣言を遮り、声の主へと視線が集中する。
ほんの少しだけ、大人しく諦めてくれることを期待していたけれど。やっぱり彼女は我慢ができなくなったらしい。
バラクシナ子爵夫人ジャンナ様が、私を睨みつけながらつかつかと階段の下まで歩み出る。
「この婚礼に異議を申し立てます! エリツィン伯爵令嬢は、ヴィクトル様に相応しくはないッ!」
力強い声がまっすぐ私に届く。
以前、私に物申してきた時と同じ。自分の言葉は絶対に間違っていないという意思の強さが滲むような声。実際の事実なんて関係ない。自分が思うことが絶対であるという、過剰な自信からくる張りのある声に、エントランスホールは静まり返った。
こうなることは予測済み。招待客にも、万が一に備えて伝達済み。私は大きく息を吸って、吐いた。
さぁ、始めましょうか。
「バラクシナ子爵夫人、ジャンナ様ですね。私がヴィクトル様に相応しくないとは、どういったご了見でしょうか」
「そのままの意味ですわ。これまでの数々の愚行……今、私が白日のもとにさらしてみせましょう!」
ジャンナ様はそう言うと――私の断罪を始めた。
「フェリシア様は外交官になったあと、男性をはべらせて多くの夜会に出向いたと聞きます。なんてふしだらな方なのでしょうか」
「それ、外交官の女性起用率が低いのが原因じゃないか? フェリシアは仕事熱心で、その姿に憧れてライザが来てくれた。節度を守っていたからこそ、ライザみたいに外交官になろうと思ってくれる女性が現れたと思う」
夜会に出席する外交官がエスコートする女性がいない問題は、独身外交官あるあるだ。最近ではライザがそれで夜会に出ずっぱり。イェオリもそのうちの一人なので、反論にも熱がこもっている。
真正面から論破されたジャンナ様は一瞬ひるんだものの、すかさず次の主張。
「フェリシア様は神樹の神子と詐称し、アニマソラ神樹国との外交問題にも発展しましたわ!」
「フェリシアちゃんを神樹の神子と判断したのはアニマソラだしー」
「むしろ命に関わる事故にも巻き込まれたことを、ハルウェスタ側から抗議したくらいだし〜」
神子騒動を一番そばで見ていた双子が断言してくれる。ジャンナ様は顔を真っ赤にさせて双子を睨みつけると、憤慨しながら大きく一歩を踏み出して。
「玄蒼国への出張だって、そんな危険な仕事、左遷にも等しいではありませんか! ヴィクトル様の出世を妨げているのは、身分差のあるフェリシア様と婚約したからでしょう!?」
「何を言っているのかね」
ジャンナ様の言葉を否定したのは、ミシリエ子爵。
「今の外交官で玄蒼国語が堪能な人員はたったの三名だ。第一外交室に一人、第三外交室に二人。そのうちの一人がヴィクトルだっただけだ。まだ内々のことではあるが、外務省長官が彼のこれまでの努力とこれからを期待し、陞爵を推薦している。いずれ彼の有能さは国王陛下もお認めになられることだろう。左遷だなんてとんでもない誤解だ」
外務省第一外交室の室長でもあるミシリエ子爵は、私もよく知る人物。ヴィクトルとジャンナ様の婚約を決めた当人でもある。ジャンナ様も彼のことをよく知っているはず。
ジャンナ様が忌々しそうにミシリエ子爵を睨みつける。そんな元婚約者の姿を見たヴィクトルが、悲しそうに視線を伏せた。
「何か誤解があるようだけれど。フェリシアは君が思うような女性じゃない。僕が自分の意思で彼女を望んだんだ。玄蒼国に関しても、言うほど悪い国ではなかったよ。どうか、祝福してくれないかい」
私たちからの、最終通告。
ヴィクトルの言葉を聞いてここで諦めてくれたら、私たちだって必要以上に事を大きくしようとは思わない。だから本当は、ここで折れてほしかった。
でも、私とヴィクトルの思いは、届かない。
「どうして……そんな女を……その女の、何が、良いのよ……っ」
表情を歪めたジャンナ様は、感情が振り切れたかのように叫んだ。
「私、がんばったじゃない! お父様の決めた婚姻を受け入れた! 夫の尻ぬぐいに奔走した! なのにどうして、こんな目に……っ! ずるいじゃないっ、どうしてあなただけが幸せになるのよ……っ、本当だったら、ヴィクトル様の隣にいたのは、私だったのに……っ! あんな男じゃなかったのにぃ……っ」
わぁっと泣き崩れたジャンナ様。この慟哭だけを聞けば、彼女はとても可哀想な人。そうやって泣くことができたら、声を上げることができていたら、今、彼女は苦しんでいなかったかもしれない。
そう思わせる慟哭だった、けれど。
「だが君は、過ちを犯した。そのことは、認めなくてはいけないよ」
「私が何を犯したというのです!? 私はただ、見聞きしたフェリシア様の本当のお姿を皆様に代わって代弁しただけですわ!」
「そっちじゃない。これに見覚えは?」
まだ過ちを認めないジャンナ様に、ヴィクトルがとうとう証拠をつきつける。指を鳴らす合図で、エルモライさんが前に進み出た。
その手には、二通の便箋。
私たちを婚約破棄させるために仕込まれた偽の手紙を見て、ジャンナ様の表情が強張る。
「私とヴィクトル様の名前を騙って、お互いに婚約破棄する旨の手紙を送ったのは、あなたですね」
ジャンナ様はぎろりと私を睨む。憤怒にまみれた瞳。そこには紛れもない悪意があった。
でもそれも一瞬だけ。
「手紙を送るだけだったらまだ言い逃れはできたかもしれませんが……貴族が使う印章の偽造は、犯罪です」
伝えた瞬間、びくりと身体が震えた。だんだんと血の気が引いていき、顔色も青ざめていく。カタカタと震えながら、それでもジャンナ様は首を大きく振って否定した。
「陰謀だわ! 偽造なんて、そんなつもりは……!」
「そんなつもりはなくても、偽装するために貴族の印章を作ったのなら、それは犯罪です。エリツィン家は偽造印章の流出を防ぐため、貴族院に証拠を提出しました。その意味が、分かりますね」
格下であるミシリエ男爵の印章を偽造しただけなら、貴族院に証拠を提出したところで示談交渉や罰金という逃げ道があったかもしれない。でも格上のエリツィン伯爵家の印章を偽造したのはまずかった。
ヴィクトルが帰国したその日、私は即座にお父様へ報告した。エリツィン伯爵の名前で捜査した結果、なんとか印章を偽造した人物を見つけ出すことができた。その人物がバラクシナ子爵夫人の屋敷に偽造した印章があると証言したので、今頃騎士たちが屋敷捜索に乗り出していると思う。
身分が絶対の貴族社会ではもう、彼女の立場はひっくり返らない。
ジャンナ様は喚くのも、震えるのも、泣くのも、やめた。ぴたりとやめた。すべてが終わっているのだと、彼女はようやく理解したのかもしれない。
「警備をここへ」
お父様がすかさず使用人たちを呼びつけ指示を出す。あっという間にジャンナ様は取り押さえられた。
「これは陰謀よ……そうよ、きっと、八年前のあの日から、仕組まれていたのよ……どうして、私ばかり……どうして……」
去り際、何事かをぶつぶつと呟くジャンナ様。見送っていると、彼女は急に立ち止まって。
「……お前さえ、いなければ……っ!」
瞬間、警備の手を振り切った。驚いた警備が再度取り押さえようとする手をすり抜け、鬼気迫る形相で階段を駆け上がってくる。
ジャンナ様は髪から飾りを引き抜いて、振りかぶった。さすがの私もぎょっとする。先端の尖っている金属製の髪飾りは、たちまち凶器となる。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。
でも、それが私に届くことはなかった。
「……これは、僕が君に贈ったものだね」
私の前に出たヴィクトルがジャンナ様の腕を掴んでいた。その手にある凶器を見て、苦笑する。
「婚約をしてすぐの頃、君に贈ったことを覚えている。仕事ばかりで君と向き合う時間が少なかったのは僕の罪だ」
「あ……っ、あぁ……! 違うのです! ヴィクトル様は悪くないのです、悪いのは、その女で……っ」
「いいや、違う。君の憎悪は本来、僕に向けられるべきだったはずだ。どうかそんな感情をフェリシアに向けないでくれ」
ジャンナ様の表情がくしゃりと崩れた。追いかけてきた警備が彼女に縄をかける。うつむいた彼女からは気力が感じられない。ようやくすべてを理解したのか、受け入れたのか。私にはジャンナ様の心境は分からないけれど。
そんな彼女へ、私は最後にひと言だけ声をかける。
「一人で抱え込まないで、あなたも誰かに相談するべきだったのよ」
ジャンナ様と私は、ちょっとだけ似ている。何かをしようとして、一人で抱え込む。そんな自分を支えてくれる人がいることに気がつかずに。
私はヴィクトルに出会えて良かった。彼のおかげで、私は誰かを頼ることができるようになったから。ヴィクトルは頼ってきた人を突き放さない優しい人。もし婚約していた頃からやり直したいと思ったのなら、こじれる前に素直に言うべきだったの。
助けて、と。
バラクシナ子爵夫人が退場し、姿が見えなくなると、私は人知れず大きく嘆息した。これで一連の嫌がらせにも終止符が打たれることでしょう。
アクシデントが起きたものの、その後も私とヴィクトルのお披露目会はつつがなく進行した。招待客も今季の社交界での噂を知っていたからか、今回のバラクシナ子爵夫人の件にも理解を示してくれた。ほっとひと安心。
「おそらくだけど……バラクシナ子爵夫人は事件となった香を、今もまだ使っていたのかもしれないね」
ジャンナ様からふわりと漂った甘い香り。ヴィクトル曰く、それが中毒事件を引き起こした香りに類似するそう。今後の取り調べではっきりするだろうけれど、追い詰められたジャンナ様自身がお香の過剰使用をしているのでは、というのがヴィクトルの見解だった。
ジャンナ様は不幸と依存と執着が重なって、壊れてしまった人だった。ヴィクトルも、エルモライさんも、ジャンナ様のことを「そんな人じゃなかった」と話してくれていた。話を聞くだけでも、ジャンナ様の人生は壮絶だった。
壊れてしまったジャンナ様が、いつか救われる日が来ると良いなと思う。




