92.あぁ、愛しのTKG
リリアーヌとのお茶会からしばらくすると、あれだけ社交界を席巻していた「エリツィン伯爵令嬢は悪女」の噂が下火になってきた、らしい。
「おはようございます、フェリシア様!」
「おはよう、ライザ。どうしたの? 朝から元気ね」
「それがですね! 昨日の夜会! とうとう世論はお姉様に傾きまして、いよいよバラクシナ子爵夫人の地位も失墜間近なところまできましたの!」
出勤して開口一番、大興奮しているライザに私は目をぱちくり。相変わらず夜会禁止令が出ている私には、どうしてそんなことになっているのか伝わらない。
「どういうこと? 私、夜会に出席していないのに……?」
「お前の噂、いろいろ混ざってもうしっちゃかめっちゃかだぞ」
「えぇ……?」
イェオリも自分の机に置かれている資料の山の仕分けを始めながら、会話に混ざってきた。一体何があったというの。
「少し前までフェリシア様悪女説が流れていたじゃないですか。でも今は一周回って、バラクシナ子爵夫人のほうが悪女説に変わったんです。今のフェリシア様は室長と熱愛婚約ともっぱらの噂です」
ね、ねねね熱愛……!?
私がいないのに噂はくるくる巡っているようで、訳が分からない。身分差をたてにした悪女説はどこにいったの!?
「熱愛ってどういうこと!? 私、ヴィクトル様からお手紙の一つももらえていない駄目婚約者ですけど!?」
「え、フェリシア、手紙きてないのか?」
私の抗議にイェオリが目を丸くする。ライザもそれまでの大興奮はどこへやら、ぴたりと動きが止まった。
「下着の……いや、なんでもないわ」
「下着? ちょっと待ってください、婚姻前になんですか!? 破廉恥なことされてるんですか!? どういうことですかー!?」
「ライザ、落ち着いて」
下着の注文書を最後に、以降何もないことは黙っておいたほうがいいかもしれない。さすがにヴィクトルの沽券に関わりますので。身内の笑い話ではあるけれど!
「てっきり手紙が届いて浮かれたフェリシアの様子がどこかに漏れていたのかと思ったんだけど」
「私のこと、脳内お花畑令嬢とでも思っているのかしら」
「そこまでは思ってねぇけど」
ちょっとは思ったってこと? イェオリったら、私がそんな恋愛脳の女だと思ってたのね。心外だわ。
「ここ最近の様子、おかしかったじゃないか」
「最近?」
はて、と首を傾げる。私は普段通りの生活をしていたと思うけれど……?
「ちょっとうわの空だったり、そわそわしていたり。熱愛の噂もあって、てっきり室長からのお手紙に浮かれているのかと思ってました」
「ライザも!? 違うわよ!?」
「じゃあ何に気を取られていたんだよ」
まさか私の態度がそんな誤解を生んでいたなんて。さすがにこれは想定外。
私はしぶしぶ、原因を話す。
「オストロリーチから本を取り寄せていたのよ……届いたのだけれど、翻訳が難航していて……訳し方とか、文法とか。ヴィクトル様がいたら教えてもらえたのになって思って……」
ウミアユについて調べたくて、玄蒼国と小大陸オストロリーチから関連しそうな本を取り寄せたのです。発音が〝海〟と〝鮎〟から来ているなら、転生者の可能性が高いと思って……。ガムラン連合王国に流通している図鑑があったのでそれが早くに届いたのだけれど、図鑑の短い文でも翻訳に四苦八苦。玄蒼国はともかく、小大陸オストロリーチの言語は私も未履修なので。
「結局、室長のこと考えてんじゃねぇか」
「無理無理無理無理そんなお姉様解釈違い! でもとても勉強熱心なのすごくて尊敬するぅ……!」
イェオリは白けた顔をするし、ライザは相変わらず情緒が不安定。別に私、恋愛脳っていうわけじゃないのですが……?
「でもそれだけで熱愛報道になるのはおかしくない?」
「それはたしかに。噂を誰かが意図的に広めたのか?」
「そんなことする人、いるんですか……?」
三人で顔を見合わせる。さっぱり分からない。
このまま顔を突き合わせているのも時間の無駄なので、私たちは頷きあうと仕事を始める。今日も一日長いですよー。
「おはよー、熱々の恋文をお届けだよー」
「フェリシアちゃんの愛する人から報告書が届いたよ〜」
ばぁんっ! と音を立てて扉を開いたのは双子のティモとトゥロ。入室と同時にかけられた言葉に、私の頬はじんわり熱を持つ。
「愛する人って……からかわないでください」
「何言ってるの、本当のことじゃーん」
「二人の愛を目覚めさせたアニマソラでの出来事、忘れたとは言わせないよ〜」
紙の束を差し出しながら、双子が妙なことを言い出した。二人の愛を目覚めさせたとは……?
「あ、私それ知ってます! アニマソラ神樹国で、神子としてのつらいお役目を課されたお姉様を室長が救ったと! 天から舞い降りたお姉様を室長が抱きとめ、愛しさのあまりにお姉様は涙を流したとか。これどこまでが本当でどこまでが創作ですか!?」
「ちょっと待って何の話!?」
ライザが恐ろしいことを言い出して、私は戦慄する。天から舞い降りた私をヴィクトルが抱きとめる? 愛しさのあまりに泣く? 本当になんのお話ですか!?
「ちなみに出処はー」
「僕たち〜」
双子でしたかー!?
彼らが出処で、アニマソラ神樹国での神子騒動で思い出すのは……たぶん、神樹の枝を採取する出来事のこと? 事故で落下した私を受け止めたのはヴィクトルではなくてカズミヤさんだし、愛しさのあまりに泣いたんじゃなくて落下の衝撃で泣いてしまったんですが、全部ひっくるめて恥ずかしすぎてなんか色々と無理――!
でもこれで私とヴィクトルの熱愛説の出処は分かった。なるほど、双子。双子が原因でしたか。
「あの、ティモさん、トゥロさん……? どうしてそんな話を……?」
「だってこのままフェリシアちゃんが悪く言われるのが可哀想だと思ってー?」
「ヴィクトルが知らないうちに二度目の婚約破棄されるのも可哀想だと思って〜?」
双子なりの気遣いらしい。現状、私からヴィクトルと婚約破棄する予定はありませんけどね……?
「で、フェリシア。ティモさんとトゥロさんの話、どこまで本当なんだ?」
「聞かないでよ、私に」
「はぐらかすってことは全部事実なんですか……!?」
「ライザ、落ち着いて」
本日二回目の落ち着いてコール。恨めしそうに私に迫るライザはまるで浮気現場を押さえたかのような鬼気迫る表情をしていた。おかしい。ライザの心酔具合がこの一年を通して日増しに強くなっている気がするぅ……!
私は現実から目をそらすように双子から紙の束を受け取った。表紙に目を通す。トゥロの言う通り、ヴィクトルからの報告書。第二弾だ。
「どうやら視察は順調のようですね。玄蒼国の文化は……〝tamahagane〟? えっ、玉鋼!? 〝joukikikansya〟って蒸気機関車!?」
「フェリシアが一人で盛り上がってる」
「何か気になるものがあるんですか?」
お、おぉ……! そんな、玉鋼と蒸気機関車があるなんて聞いていない。私が前にヴィクトルから頼まれて翻訳した玄蒼国の資料の中に記載はなかったから、ここ数年のものなのだろうけれど……いや、玉鋼は金属だから、あの資料に含まれていなかっただけかもしれない。載っていたら絶対に分かるもの!
「これはちょっとどころか、かなりすごいわ。玄蒼国、今すぐ国交を開いて技術者を招致するべきよ!」
「そんな言うほどか……?」
困惑するイェオリは分かっていない。蒸気機関車が通ったらどれほど文明が発展するのか。たぶんこれから数年で、数十年で、玄蒼国は他の国々の追随を許さないような科学力を得るに違いないもの。
(この蒸気機関車、クーヤくんが噛んでいるのかしら)
そうじゃないと、この世界の文明力では蒸気機関車はまだ少し速いと思う。クーヤくんはお米が好きなイメージだったけれど、実は前世は科学者とか? そういうすごい人だったのかも?
私はわくわくしながら報告書を読み進める。
皇都玄昌に到着したものの皇帝との謁見は不可で、神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤの化身である第十三皇子クーヤとの面会をすることに。クーヤくん、皇子様って聞いていたけど本当だったんだ。
それからヴィクトルは、言われた通りに神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤの畔にある神京蒼璃にしばらく滞在。その後、あとから到着した第二皇子と国交について話し合ったのね。
「あぁっ!?」
「わ、なんですお姉様っ?」
「た、〝tamagokakegohan〟……! 卵かけご飯をヴィクトル様食べたの……!? そんな、今世では衛生的にもう無理だと思っていた卵かけご飯を……!? そんな……っ」
クーヤくんから卵かけご飯をご馳走されている! これはずるい! むしろクーヤくんがずるい! お米のために生卵の衛生問題を解決する技術を手に入れたというのですか……! なんというお米への愛……!
「タマゴカケゴハン……? うわ、生の卵を米にかけるのか? 生の卵って食べるとお腹を壊すだろ」
「想像ができないです……」
私の横から報告書を覗いたイェオリとライザがドン引きしている。ヴィクトルは食べてるのに。日本だったら当たり前のように食べていた卵かけご飯。こっちの世界ではご馳走なのに……!
あぁ、ずるい。玄蒼国ずるい。こっちの大陸よりよっぽどたくさん転生者の痕跡があるのでは? 何よりヤマト伝説から始まる醤油や米などの日本の文化……!
玄蒼国に出張しているヴィクトルが羨ましいです。
【ヴィクトルの出張日誌15】
クーヤ殿から玄蒼国の政治的な話をたくさん聞いた。その中で、今回の出張の要因となった玄蒼国産の香についても詳細が聞けた。玄蒼国では一般的な香らしいが、これによく似た紛い物の香も存在するらしい。香りはよく似ているのに、成分が違うせいでひどい中毒症状を起こすのだとか。アニマソラ神樹国でも儀式時に使われることがあるらしい。だから流通経路は玄蒼国だけに限らないとも。これは本国へ報告しなければならない。
本日夕食:コンニャクのデンガク。これは、いったい何だろうか……初めて食べたこのコンニャクというものを、僕は表現することができない。噛むたびに弾力があるのだが、この弾力と似ているものを僕は思いつかない。芋からできるというのだが、僕の知る芋の食感ではない。製法を聞いてみたところ、そのままでは芋として食べれないため、手間暇をかけてこのような食感ものを形成するらしい。玄蒼国の食への探求心に驚かされた。




