90.すべてはサンドイッチから始まった
え、待って、本当に分からない。私がヴィクトルを脅迫してるって? 何を脅迫しているの? 思い当たる節を探してみるけれど。
「え、もしかしてラウレンツ言語の解読の話ですか?」
「らう……? 何を言っているのか分かりませんが……私が言いたいのは、身分と地位を振りかざして彼の出世を妨げていることです」
いや、あの、本当に何を言っているのか分からないのですが……?
バラクシナ子爵夫人が毅然とした態度で言い放つ。私が、ヴィクトルの出世の妨げ……?
謂れのない言いがかりにさすがの私も呆れた。
「妨げどころか。ヴィクトル様はご自身で着実に出世なさってますよ」
「ではどうして中央の役職を離れ、玄蒼国などに。これではまるで左遷ではありませんか。あなたが彼の時間を奪っているからでしょう」
あの、この人、外交官という職務をあまりご存知ではない……?
さすがにヴィクトルの名誉にも関わると思い、バラクシナ子爵夫人に正しいことを伝えようと口を開く。でも、そんな私を押しのけて一歩前へと出た人物がいた。
イェオリだ。
「撤回してください」
イェオリがぎろりとバラクシナ子爵夫人を睨みつける。今の彼は虫の居所が悪いのか、少々人相が悪い。
そんなイェオリの圧に押されたバラクシナ子爵夫人が一歩後ずさった。でも負けじとイェオリを睨み返す。
「何を撤回するのです。事実でしょう」
「室長は……ヴィクトル・ミシリエ男爵は左遷などされておりません。むしろ玄蒼国への派遣は名誉あることです。撤回してください」
イェオリはヴィクトルを尊敬しているから。我慢できなかったのね。
きっぱりと言い返したイェオリに、バラクシナ子爵夫人はぎゅっと唇を引き結ぶ。私も、イェオリの隣に並んだ。
「外交官が他国へと派遣される時、いくつかの権限が付与されます。その権限は国の代表として授けられるもの。それを中央にいないから閑職とでも思いましたか?」
私は知っている。
私と結婚するために、ヴィクトルが自ら玄蒼国への長期出張へ名乗り出たことを。男爵では釣り合わない、借り物の子爵位では格好がつかない。だからこの玄蒼国への視察で成果をあげようとしている。晴れて玄蒼国と国交を結ぶことが決まったら、子爵となって正式に国交を結びに行くことができるから。
そしてそんなヴィクトルの隣に、私が立つの。
私を広い世界へ連れ出してくれるあの人の隣に。
「未知の国へ向かう危険も当然あります。ですがそれを経て無事戻られてきた暁には、きっとヴィクトル様は正しく評価されることでしょう。それを左遷などと……ヴィクトル様への侮辱以外の何ものでもありません。撤回してください」
イェオリと並んで啖呵を切った私の隣にふわっと寄り添ったのはライザ。ティモとトゥロもイェオリの背後でバラクシナ子爵夫人を冷めた目で見ている。
バラクシナ子爵夫人は分が悪いと感じたのか、ふいっとそっぽを向くように踵を返した。
「……そんなにも男性を侍らせて。さすがエリツィン伯爵令嬢ですこと。ミシリエ男爵という婚約者がいながら……」
「は?」
本当にこの人は何をしたいの?
ヴィクトルへの侮辱の次は、私の悪口? 男性どころか隣に立ってるライザ、見えてます?
さすがにこうもあからさまに言われては、私だって腹も立つ。
「バラクシナ子爵夫人、お口が達者ですけれど……そういう夫人はどなたにエスコートしていただきましたの? バラクシナ子爵かしら。あぁ、でも、子爵はたしか心身の疲労から療養中と伺ってますし……まさか」
バラクシナ子爵は例のお香の事件から、社交界に一切顔を出さなくなったらしい。その上で、夫以外と関係があるの? というのを察したふりをしてみる。
すると案の定、バラクシナ子爵夫人は眦を決した。
「お黙りくださる? 邪推は下品な行為でしてよ」
「そっくりそのまま、お言葉を返しましょう。ここにいる彼らは私の頼もしい同僚たちです。邪推は下品な行為、ですものね?」
そこまで言えば、ようやくバラクシナ子爵夫人は見切りをつけて去っていった。きらりと眩い光を反射するアメジストの髪飾りが憎たらしい。
いったい何だったのかしら。面倒な嵐に巻き込まれたような疲労感がどっと両肩にのしかかる。
「すごいな、フェリシア。貴族のご令嬢ぽかったぞ」
「何を言っているのかしらイェオリ。私は伯爵の娘よ? もともと貴族の令嬢よ?」
「……あ、いや、深い意味はなく」
「なによぅ」
私だってちゃんと貴族の淑女教育を受けているんですー。苦手だったけど、ひと通りは履修してるんですー。あれくらいの嫌味を撃退できなければ社交界に出ちゃいけませんって、淑女教育の先生に教わりましたとも。
「それにしてもあの人誰なんですかっ……! お、おおおおお姉様の悪口ばかり……! あっもしかして、今日の噂もあの人が……!?」
「私も会うのは始めてなのよね、バラクシナ子爵夫人。ヴィクトル様の元婚約者らしいけれど、復縁したがってるみたい」
私を目の敵にしているというか、なんというか……自分勝手極まりない行動にしかめっ面。それを聞いた男性陣もざわつく。
「は? 子爵夫人だろ? 離縁するのか?」
「旦那は婿養子だから、追い出したいんじゃないー?」
「事業失敗してお家の顔を潰した面汚し〜」
イェオリが呆れるのに対し、双子の言葉は辛辣。
「ティモさんとトゥロさんは、バラクシナ子爵夫人のことを知っているんですね」
「まぁねー。フェリシアちゃんが入省する一年くらい前かなー」
「ヴィクトルが婚約破棄されたって聞いて大盛り上がり〜」
お、大盛り上がりって……。
人の不幸を肴にするタイプの双子はにこにこ笑顔。きっと当時のヴィクトルは、双子に絡まれまくったんだろうなぁ……。
「でもさ、ヴィクトルってば、婚約破棄されても通常通りでさー」
「す〜ぐ別の女の子捕まえていちゃいちゃしててさ〜」
「し、室長ってば、そんな女たらしな……っ」
「「それがフェリシアちゃん」」
エルモライさんから聞いていたヴィクトルの様子と全然違うな〜、職場ではやっぱり取り繕っていたのかしら〜、と思ったのも一瞬。ライザが双子の言葉を真に受けて、ヴィクトルへの風評被害が増すところだった。でもすぐに双子が私の名前を持ち出したので、ライザの顔がぐるんとこっちを向く。
「そんな……っ、お姉様はそんな昔から室長と関係が……!?」
「誤解しないで? 私の家庭教師としてヴィクトル様がエルパダ語を教えてくれていたのよ」
「エルパダ語ですか?」
ライザの顔がよく分からないという顔になる。ハルウェスタ王国の貴族が学ぶ言語はだいたいクロワゼット語などの隣国のものが多い。少し離れてもアニマソラ神樹国語。エルパダ王国なんて、普通の貴族でも知らない人が多いくらいだもの。
「ちょっと調べごとをしていたのよ。あの時はサンドイッチのレシピを翻訳するために、ヴィクトル様に師事していたわ」
「さ、サンドイッチのレシピ……?」
ライザの頭の上にいっぱい疑問符が浮かんでいる。私もつられて神妙な顔になってしまう。
今考えると、バラクシナ子爵夫人の言葉はある意味的を得ていたかもしれない。レシピの翻訳をするためにヴィクトルを呼びつけて外国語を学んでいた私は、たしかに彼の時間泥棒だもの。
「なんというか、フェリシアらしい理由だな……」
「フェリシアちゃん、入省してからもサンドイッチを調べてたよねー」
「エルパダの外交官と仲がいいのもそれ繋がりだよね〜」
全くもってトゥロの言う通りなんだけれど、当時を知らないライザはピンとこないようで、私の顔を不思議そうに見てくる。まぁ、その、もう七年も前のことですので……。
「ヴィクトル様に感謝ですよ。外交官に誘ってくださったおかげでたくさんの言語が身について、趣味がはかどってますから」
「お姉様の趣味ってなんですの?」
私が外交官になった理由は趣味のため。聞かれたらいつもこう返しているけれど、ふとライザがそれに深く突っ込んできた。イェオリが間髪入れずに答える。
「珍しい食べ物?」
「違うわよ」
たしかに食べ物が多かったけれど!
最近は食べ物以外も調べてるんです!
「私の趣味は名前の由来探し。他国由来の言葉だと由来が調べきれないから、たくさんの言語を学びたかったの」
「「「初耳だ」」」
双子だけじゃなくてイェオリまで異口同音!?
「待って、私の趣味、皆知っていたんじゃないの……!?」
「フェリシアは色んなことに興味持つな、とは思ってたけど……」
「面白いことするなーって」
「ヴィクトルが振り回されてるな〜って」
双子は相変わらずというか、なんというか。イェオリですら、私の趣味を正しく理解していなかったなんて……!
別に誰かに理解してほしいわけじゃないけれど……自分のためにやっていることだし……それでもなんというか、ここまで意外に思われるなんて……。
「す、すごいです、お姉様……! そんな高尚なご趣味があったなんて……!」
「いいのよ、ライザ。無理して褒めなくて。高尚でも何でもないもの。人よりちょっと変わった趣味をしているだけだもの」
「い、いいえ! 十分にすごいですよっ! だって趣味のためにそんなにたくさん言語を学ばれたんですよね……!? うちの部署で二番目に多言語を扱えるのはお姉様ですからっ! すごいです!」
「ライザ〜っ!」
嬉しいわ、嬉しいわ! ライザは本当に良い子! こんなにも私のがんばりを認めてくれるなんて……!
私は後輩に恵まれて幸せです。感激のあまりに涙が出てしまいまそう。代わりにライザをぎゅっと抱きしめる。愛するべき後輩、プライスレス。
「そんなことよりさー」
「バラクシナ子爵夫人〜」
「「あのままでいいの?」」
ティモとトゥロに現実を突きつけられて、私の気分は急転直下。本当にね、どうしましょうね……。
「とりあえず、しばらくは無視します。ヴィクトル様との婚約は既に家同士で承諾も得ているものですから。他人にとやかく言われる筋合いはありません」
「まぁ、俺も今後は意識しとくよ。……室長の侮辱、ぜってぇ許さねぇ」
笑顔だけどイェオリは静かに怒っている。この怒り方、まるでヴィクトルみたい。イェオリは本当にヴィクトルを尊敬しているのね。まぁ、私も負けじと尊敬しているんですけど!
とにもかくにも、今年は外交官としての最後の社交界。
立つ鳥跡を濁さず。真面目に仕事をして退職するつもりが、バラクシナ子爵夫人によって波乱の幕開けとなりそうです。
【ヴィクトルの出張日誌13】
玄蒼国の皇帝陛下はどうやら病床にあるらしい。今は皇位争いの真っ只中とかで、皇城は他国の使者を受け入れる余裕はないと返答があった。今回の訪問ではさすがに駄目だろうかと思ったのも束の間、第二皇子から「貴国との国交について詳細を伺いたい。しかし皇都では横入りがはいるので、神京蒼璃にてしばし待たれよ。蒼璃の社に住まう第十三皇子には先触れをだしておく故」という内容の手紙が届いた。門前払いではここまで来た甲斐もないので、少しでも玄蒼国の事情を得るべく、神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤの畔にあるという神京蒼璃を目指すことしたが……第十三皇子とは、もしかして。僕の記憶違いでなければ、米の好きな彼のことだろうか。
本日夕食:焼き飯と鳥骨のスープ。鳥の唐揚げ。米を具材と一緒に炒めた焼き飯は米特有のねっとりとした感触がなく、パラパラとしていてまた新しい出会いをした気持ちになった。米が黄色い理由を聞いたところ、卵と一緒に炒めることで、米一粒一粒に卵の膜がつくらしい。細かに刻まれた具の中にはヤシシの肉も入っていて、味もしっかりしている。鳥骨のスープはあっさりとしていて、焼き飯とスープでいくらでも食べられそうだった。だけどこぶし大ほどの鳥の唐揚げがそれを阻止する。僕の胃はそれ以上入らなかった。




