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【8/6書籍発売】転生令嬢は旅する編纂者  作者: 采火
第三部

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89/103

89.天然初恋キラーの犠牲者

 バラクシナ子爵といえば数年前に交易で成功し、一躍有名になった人だ。それこそ今ヴィクトルが出張に行っている玄蒼国産の商品を取り扱っていた。


 それが問題になったのは一昨年のこと。

 バラクシナ子爵の取り扱っていた玄蒼国のお香に強い中毒性があった。


 同じお香を買い続ける客が増える中、中毒症状の出た一部の客が暴徒化し殺傷事件にまで発展。原因となるお香を売ったバラクシナ子爵は知らぬ存ぜぬで責任追及をかわしたものの、国としてはそんな危険なものがあるのなら規制をかけねばならない。とはいえ、近年流通が増えた玄蒼国の特産品を大々的に規制するのもいかがなものか。ということで今回のヴィクトルを含めた使節団の派遣になったわけです。


 その後のバラクシナ子爵は信用が失墜してしまったのか、社交界でのはみ出し者……というのを、同僚たちから聞いた。それが去年の話。ヴィクトルの出張が決まった頃に話題になったのよね。世間話の一つで、すぐに流れていったけれど。


 そのバラクシナ子爵の夫人がヴィクトルの元婚約者、ジャンナ様。


 ヴィクトルってばそんなこと、ひと言も言わなかったじゃない!


 元婚約者の家が没落していくのをどう思っていたのかしら。さすがに何も思っていないわけじゃないでしょう。それともたった一年の婚約期間で、あまり会ってもいなかったから、ヴィクトルの中ではただの知り合い程度だったの?


 んもぅ、ここに本人がいればいいのに。

 悶々とした気持ちを抱えながら、私はいつもの日々を過ごす。


 気がつけば季節は進み、社交界シーズンを迎えていた。


 シーリン商会は「エリツィン伯爵家を引っ張り出すぞ」の言葉が効いたのか、バラクシナ子爵夫人の来訪はなくなったらしい。その代わりに、開幕した社交界で私を迎えたのは。


――あの方がエリツィン伯爵令嬢ですわ。

――平民出の外交官を脅して婚約しているそうよ。

――身分違いを笠に着て金のある婚約者に貢がせているとか。

――昨年の神子騒動も多額の寄付金による自作自演とか。

――やぁねぇ。


 昨年は神子騒動もあったのでおよそ二年ぶりの社交界に復帰したら、とんでもない洗礼を受けてしまった。歩くたびに、ご夫人方の視線が刺さる、刺さる。


「……すごい言われようね」

「あの阿婆擦れどものワインに激辛香辛料をひと匙入れてきましょうか」

「こらこら」


 今にも突進していきそうなライザを止めて、私はじっくりと周囲を見渡す。


 社交界シーズンの開幕を告げる、王家主催の舞踏会。デビューをひかえた貴族のご令息やご令嬢たちのお披露目を待つ中で、こうもあからさまに悪口を言われるなんて。


「去年の神子騒動はもうすっかり下火になったんだと思ってたけどー」

「ヴィクトルとの婚約がやり玉に挙がってるね〜」


 参加者をかきわけ、そばに寄ってきたティモとトゥロも噂話を聞いて不快そうな表情になっている。


「適当なところで早々に退場するわ」

「そのほうがいいかもしれませんね」


 久々の社交界。やむを得ない事情のあった去年とは違い、国王主催のこの舞踏会は貴族の義務に等しいもの。出席しておかないと、と思っていたんだけれど……居心地が悪い。


 両親も私の噂を聞いているのか、ちらちらと遠くのほうから視線が送られてきている。婚約者のことで話題にあがっているのに、当の本人であるヴィクトルがいないから、噂は留まるところを知らずに加速していく。


「フェリシア、大丈夫か」

「イェオリは自分のこと心配したほうがいいんじゃないかしら。私のそばにいると、優良物件のご令嬢を逃さない?」

「噂話に踊らされるご令嬢は俺だって嫌だよ」


 しれっと私を婚活の物差しにしないでくれませんか?


 いつもなら仕事でつぶれる夜会や舞踏会。でもデビューをひかえた貴族のご令息やご令嬢のいる今日ばかりは、ほぼ国内の貴族だけなので通訳の仕事も基本なし。ついついいつもの流れで外交官の面子でたむろしていると、ようやくデビューする子女たちのお披露目が始まった。


 白い衣装に身を包んだ、貴族のご令息やご令嬢たち。大人の仲間入りをして緊張するその表情はなんとも初々しい。


「懐かしいわね。お披露目の時、イェオリはどのご令嬢をダンスに誘ったの?」

「やめてくれ俺の古傷をえぐるな」


 遠い目になるイェオリを意外に思う。何々、デビューしたてのイェオリは誰かにダンスを申し込んで振られてしまったとか?


 私とライザで顔を見合わせていると、ティモとトゥロがイェオリを両脇からはさみこんで。


「デビューしたばかりのイェオリくんはー」

「フェリシアちゃんにダンスの申し込みをして〜」

「「見事玉砕」」


 わなわなとイェオリの肩が震える。

 私はといえばそんなこと全然覚えていなくて、記憶の中をぐるりと巡る。


「たしか私、親戚のお兄様にエスコートしてもらった気が……」

「えぇい、うるさい双子! 先輩だからって後輩いじめしないでください! フェリシアも当時と変わらない断り文句で俺の心に大打撃! ここは地獄!」


 どうやらデビューしたての私は、親戚のお兄様を理由にイェオリとのダンスを断ったらしい。全然記憶にない。あの頃は確か、サンドイッチ伯爵のことで頭がいっぱいだったから、お披露目会の間もずっと家に帰って取り寄せた資料を読みたいとばかり思っていたっけ。


「イェオリが入ったあとさー、すぐあとにフェリシアちゃんもうちに入ったでしょー」

「イェオリってば、フラれた気まずさで最初気まずかったらしいよ〜」

「でもフェリシアちゃんは意外なことにヴィクトルに懐いててー」

「イェオリもそのうち失恋から立ち直ったんだよね〜」

「ティモさんトゥロさんでたらめ言うのやめてくれませんか!?」


 イェオリの必死の形相に私はびっくり。


「え、イェオリ、それ本当……? 気づかなくてごめんなさい……?」

「フェリシア、それ本気で謝ってるなら怒るけど。本気で怒るけど。やめてくれ。古傷えぐるなって言ってるだろ……!?」


 とうとうイェオリの額に青筋が浮かんでしまった。これはまずい。怒らせるつもりはないのでお口はチャック。この世界にチャックはないけど。


「お姉様と室長とイェオリ先輩の三角関係……泥沼の人間関係……男性職場の紅一点……あぁ……勝っても負けても地獄と化す恋と仕事の修羅場……!」

「ライザちゃん楽しそー」

「イェオリの当て馬感〜」

「だから黙ってくださいって本当に頼むから」


 実際のところ、ライザが妄想するような修羅場が起きるようなこともなく今日まで来たのですが……もし本当にイェオリが私に気が合って、そういう関係になろうとしていたら、今のような同僚としての関係は築けてなかったと思う。イェオリの態度から、たぶんお披露目の時に私へダンスを申し込んだのも、同じ家格の同じ年齢の女子だったから程度でしょうね。


「……なんか自分は関係ありませんって顔してるの、腹が立つな……」

「え、私に言ってる?」

「フェリシア以外に誰がいるんだよ」


 イェオリにジト目で見られた。恨めしそうにされても、からかわれてるのは私じゃないし、としか……?


 雑談に興じているうちに、今年デビューとなったご令息やご令嬢のファーストダンスが終わってしまった。


 おしゃべりをするのは楽しいけれど、このあとは一回だけ適当にダンスをして、予定を早めて早々に退出しましょう。噂のこともあるし。


 そう思った矢先のこと。

 ふわりと既視感のある甘い香りが、鼻腔をくすぐった。


「お話中失礼いたします。フェリシア・エリツィン伯爵令嬢でしょうか」


 不意に名前を呼ばれて振り返る。

 視線の先には、銀にも近い薄い金髪の髪色をした女性。見知らぬ顔に、私はこてりと首を傾げた。


「申し訳ありませんが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。私、貴女とご挨拶した記憶がなくて……」

「不躾に申し訳ありません。私はジャンナ・バラクシナと申します」


 名前を聞いた瞬間、胸の奥がざらりとした。

 この人、ヴィクトルの元婚約者の人だ。


 まるで噂が噂を呼ぶように、渦中の人が向こうからやってきた。これを喜べばいいのか、面倒だと思えばいいのか。兎にも角にも、場所が悪いとしか思わないけれど。


 なぜ今、わざわざ話しかけてきたのかと怪訝に思っていれば。


「私、回りくどいことは嫌いですので、本題だけお話させてくださいませ」


 高圧的な態度。徐々に子爵夫人が伯爵令嬢につっかかっていることに気がついた周囲から、視線が集まりだす。せっかくの国王主催の舞踏会で変に目立ちたくはないのですが……!?


「こみいったお話があるのなら別室でいかがでしょうか。この場は、新たに芽吹いた社交界の蕾たちを祝う場ですし」

「いいえ、そう言って有耶無耶にされるまえに、お尋ねしたいのです」

「有耶無耶だなんて」


 むしろシーリン商会で私の名前を出したらすごすごと引き下がっていったと報告を受けているのですが……?


 バラクシナ子爵夫人との接点なんてそれくらいしかない。それなのに、有耶無耶だと言われても。そのままそっくりお言葉を返したいのですが。


 そう思っているのが顔に出ていたのか、バラクシナ子爵夫人の眦がキッと吊り上がる。


「とぼけないでくださいませ。私がお伝えしたいことはただ一つ。――ヴィクトル・ミシリエ男爵を脅迫するのはやめていただきたい。婚約を撤回なさいませ」


 言われたことが一瞬、耳から滑り抜けていった。


 脅迫? 撤回?

 誰が? 私が?

 誰を? ヴィクトルを?


「……どういうことですか?」



【ヴィクトルの出張日誌12】

玄蒼国の皇都玄昌に到着した。人の往来があまりにも多く、同行者とはぐれそうになること複数回。なんとか宿を取り、今回の視察の目的を果たす。玄蒼国の特産品や、禁止されているような薬物、輸出入に制限がかけられているものなど、市場調査から始める。それと並行し、皇城へ国交に関する書簡を提出。ここからしばらく、忙しくなりそうだ。


本日夕食:肉の甘だれ焼きと卵の味噌汁。玄蒼国には〝シシ〟という獣がいるらしい。それを家畜化した〝ヤシシ〟の肩肉を薄く切って、醤油を甘く味付けしたソースで焼いた料理がとても米に合っていて美味しかった。味噌汁も変わっていて、卵を丸ごと落としていた。ほどよく固まった卵が味噌の風味と合わせて口に広がるのは少し贅沢な味がする。


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