124.船旅の思い出
クーヤくんとカズミヤさんとの別れはあっけなかった。
山河を迂回する蒸気機関車に比べて、蒸気船が港へ着くのは早かった。港にはまだエイガや女神を祀る一族の手は回っておらず、私たちハルウェスタ王国使節団はコトヨリ様を連れ、神樹の大陸へ向けて無事出航することができた。
海の上で、私は別れ際のクーヤくんの言葉を何度となく思い出す。
『三年でコトヨリを迎えに行く。それまでよろしくな』
これから激化していくだろう玄蒼国の皇位継承争い。爆弾という兵器を使うエイガが相手だからこそ、心配は尽きない。どうか無事でいてほしい。クーヤくんのように技術的な知識のない私は、そう願うことしかできなかった。
無事出国できたコトヨリ様は、最初こそ後悔のあまりに海へと身投げしそうなほどだったけれども、神樹の大陸へと着く頃にはなんとか落ち着かれた。落ち込むことはあるけれど、それでも玄蒼国を出国してすぐの頃のような危うい感じはなくなった。とりあえず使節団一行の面々もほっとひと息。
そんなエリシン国交樹立使節団ですが、行きはガムラン連合王国経由だったのが、蒸気船での移動をはさんだことにより、エルパダ王国を経由する帰路となった。
そう、エルパダ王国!
エイガの追っ手のこともあるのであまり長居はできないものの、帰路の旅支度もあるのでエルパダ王国に数日ほど滞在した。その間、ヴィクトルにお願いして、私はある街へと立ち寄った。
エルパダ王国の東にあるイーギャ。
そう、ここにはパン屋〝トーキョー〟があるのです……!
幸運なことに港からそう離れていない街だったので、私はヴィクトルとともに使節団から一日だけ離れて、視察の名目でイーギャの街へと繰り出した。ヴィクトルが報告書のため真面目に視察をしている中、私はエルパダの外交官ソイニさんとコンタクトをとり、かの〝異世界のサンドイッチ伯爵〟ことベルナベウ氏のお墓参りをするなどしました。
そうして港に戻ると使節団の支度が整っていたので、翌日から私たちは再び海上の人となった。
せっかく海に出たのに、ゆったりと潮騒を感じる間もなく移動続き。しかもコトヨリ様はこれからのハルウェスタ王国での生活に向けて、ハルウェスタ語を勉強しなければならず引きこもりがち。これではコトヨリ様も気が滅入るばかりでしょう。
何か気分転換ができないかと考えていた私はふと閃いた。
そういえば今日あたり、あの絶景が見れるはず。
さっそく私は、コトヨリ様へ提案することに。
「コトヨリ様、休憩しませんか。そろそろ〝白花の釣殿〟が見えますよ」
「びゃっかのつりどの……?」
ハルウェスタ語の本から顔をあげたコトヨリ様に、私はにっこりと微笑みかける。
「白い花が咲く崖があるのです。船からでしか見ることのできない場所なので、ぜひ見てみませんか?」
「……はい」
実践を兼ねてゆっくりとハルウェスタ語で話しかければ、詰めていた息を吐き出すようにコトヨリ様は頷いた。私はさっそく彼女を連れ出して甲板に上がる。
船は海岸沿いを伝うように進んでいく。遠目ではあるものの、浜辺から徐々に岩肌が見え始め、切り立った崖へと変わっていく。二人で日光浴をしながら、海岸を眺めた。
「コトヨリ姫、フェリシア様、椅子を持ってきましょうか」
「暑いでしょうから、お飲み物をお持ちしますね」
「日傘もどうぞ。良い天気ですからね!」
私たちに気がついた護衛騎士たちが次々と声をかけてくれた。コトヨリ様は人見知りが出てしまったのか、固まって立ち尽くしてしまう。私は笑いながら、騎士たちが整えてくれた簡易休憩所に腰を下ろした。
「コトヨリ様もお座りください」
「は、い……」
簡単なハルウェスタ語を使いながら、コトヨリ様を誘う。亡命する以上、コトヨリ様もハルウェスタ語に慣れてもらわないといけないので。
しばらく私たちは潮騒の音を聞きながら、切り立った崖を眺めた。玄蒼国での脱出劇とは違い、今は船員が見張りやらなんやらをしてくれているので、騎士たちもめいめい好きに過ごしていたり。身体がなまるからと、隊長であるニエストルさんと手合わせしている騎士を定期的に見る。今もおもむろに集まった騎士たちが休憩中の船員たちに囲まれてわぁわぁと手合わせしはじめた。にぎやかですねぇ。
ゆったりと変わりゆく景色を眺めつつ、ふとコトヨリ様のほうを見ると、彼女の真白の額に黒の前髪が張り付いていた。うっすらと汗をかいていらっしゃるみたい。玄蒼国に比べてこの辺りは温暖な地域なので、旅衣装とはいえ玄蒼国の衣装では少し暑いかもしれない。
「コトヨリ様、この辺りは玄蒼国に比べて少し暑いでしょう。果実水、美味しいですよ」
汗をかいたら水分補給。大事なことなので果実水をすすめる。コトヨリ様はひと口だけ果実水を口に含んでくれたけれど、浮かない表情になってしまった。
「コトヨリ様、苦手な味でしたか?」
「いいえ……えぇと……熱くて……」
熱い? 暑い、ではなくて?
コトヨリ様からカップを預かるけれど、カップの温度は私と変わらない。氷なんてないから温度的にはぬるい程度のもの。私は少し考える。
『コトヨリ様、伝えたかったのは〝ぬるい〟〝温かい〟のような意味でしょうか』
『あ……ごめんなさい……』
『謝罪は不要ですよ。伝えたい言葉を正しく伝えるために、私がついておりますので』
学び始めたばかりのコトヨリ様がハルウェスタ語の単語を多く知らないのは当然だもの。知っている語彙の中から、伝えようとしてくれたことを褒めこそすれ、謝られる謂れはないわ。
コトヨリ様にハルウェスタ語での〝ぬるい〟という言葉を教えつつ、ふととある転生者を思い出した。
『コトヨリ様には申し訳ないと思いますが、ぬるい果実水に慣れていただかないといけませんね。玄昌や蒼璃には〝himuro〟がありましたが、こちらの大陸では南部にあるユールラッズのような寒冷地域でもなければ、この季節に氷は手に入りにくいですから』
話しながら思い出すのは、玄蒼国の転生者〝ヘキジ〟。
玄蒼国滞在時に調べたことによれば、彼は〝氷式冷蔵庫〟をこの世界で発明した人だった。私の想像する冷蔵庫は箱型でクローゼットのようなサイズ感だけれど、実際の氷式冷蔵庫は貯蔵室として地下に作られていたりする。そのせいか、いつの間にか玄蒼国では〝氷式冷蔵庫〟のことを〝himuro〟——日本語の〝氷室〟と呼ぶようになったとか。
ここで気になるのが〝himuro〟という名称。
古い資料を紐解くと、もともとヘキジは氷式冷蔵庫を〝isskapur〟と呼んでいたとか。それがいつしか〝himuro〟と呼ばれるようになったそう。
この話の興味深いところは——と、だめだめ。思考が脱線してしまったわ。氷室の名付けのことは今関係なし!
神樹の大陸でも玄蒼国の氷室のように、食糧を保存する貯蔵庫というものは結構ある。ちょっとしたお金持ちの家であれば、貯蔵庫は完備されているものだけれど、さすがに氷室のように年中冷蔵庫や冷凍庫のように冷えているような場所は滅多にない。そのため、冷えた飲み物や氷なんて手軽に飲めないのです。
とはいえ、そこには生活の知恵というものがあるのですが。
手軽に飲めないけれど、果物を川や井戸水で冷やしておいてから果汁を絞ることで、冷たい飲み物が飲めたりもする。船の上でもそういった手法が使えたら冷えた飲み物が飲めるのだけれど……この地域の海流は暖かいようで、海水を汲んで果物を冷やしてもそれほど冷えなかったりする。
そういったことをコトヨリ様にハルウェスタ語で説明すれば、分からない単語を聞き返しながらもコトヨリ様は私のハルウェスタ語を聞き取った。勤勉な彼女の姿に私の頬も自然とゆるむ。そうやっておしゃべりをしながらハルウェスタ語の勉強をしていれば、不意にコトヨリ様の視線が上がった。
「わぁ……」
「ちょうど見頃のようですね。コトヨリ様、あちらが〝白花の釣殿〟です」
「きれい……」
コトヨリ様の視線の先に、崖を覆う白い花が見えた。船の上からも鮮明に見える白い花畑の岬。蔦植物が崖にまでその蔦を伸ばして、ぶら下がるように白い花が咲いていた。かつてあの岬が〝白花の釣殿〟と呼ばれ、あの花の咲く崖の下にはたくさんの魚が集まることを教えてくれたのは、ヴィクトルだった。サピエンス合衆国からの出張の帰りに、私を甲板に連れ出してくれて。それが今でも印象に残っているの。
そんな思い出を胸に秘めながら、私は再び〝白花の釣殿〟を眺める。
コトヨリ様もこの光景に心を奪われたようで、岬が遠く見えなくなるまで、熱心にそちらのほうを眺めていた。
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