119.『さすが俺のカズミヤだ』
この外の様子ではこっそりと離宮から出ることは難しそう。どう動くべきかミギワ様と話し合っていると、不意に奥の間に続く襖がスパンッ! と勢いよく開かれた。
『ミギワ兄上、湯をありがとー』
気の抜ける声。
私はびっくりしてそちらを見て、さらにびっくりした。
「ク、クーヤくん!?」
「おう、クーヤだぜー」
湯上がりなのか、髪が湿ってゆったりとした室内着に着替えているクーヤくんがそこにいた。よくよく見れば、カズミヤさんもその後ろについていて、団扇でそよそよとクーヤくんに風を送っている。
私はミギワ様を見た。ミギワ様は少し困ったように目尻を下げていらっしゃる。ヴィクトルを見た。ヴィクトルも私と同じで菫色の目を大きくめいっぱいに開いている。マトヴェイさんは驚きすぎて顎が外れそうなくらい口が開いていた。
『ミギワ殿下、これは……先ほど、クーヤ殿たちの遺体は見つかっていないと』
『はい。この通りですので、遺体は見つかっておりません』
これはとんでもない策士だわ。ミギワ様の言葉を聞きながら、その意図に思いを巡らせる。
ミギワ様はあえて生きているとは言わなかった。それならば、クーヤくんか、コトヨリ様か。もしくは二人ともが死んだことになっていたほうが都合が良い何かがある、ということかしら。
でも今はクーヤくんが生きていたことを喜びたい。本当に本当に、良かった!
「無事で良かったわっ! 大丈夫だろうと思っていたけれど、心配していたのよっ」
「フェリシアさんてば、俺が不死身とでも思ってた感じ?」
「万能忍者のカズミヤさんがいるんだもの! クーヤくんを死なせるわけがないって、思っていたの」
爆発のあったあと、あの人混みの中で私はカズミヤさんを探した。アニマソラ神樹国で、高所から落ちた私をナイスキャッチしたカズミヤさんだもの。彼女なら絶対にクーヤくんを助けてくれるはずと思っていた。やっぱりカズミヤさんすごいわ!
クーヤくんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。それから笑いたいような、泣きそうな顔になって。
『ほんとに……さすが俺のカズミヤだ』
『クーヤ様、もっと大きくお褒めの言葉を頂戴してもよろしゅうございますか』
『ほんとにさすが俺のカズミヤだなぁ!』
堂々と褒め言葉をおねだりするカズミヤさんに、クーヤくんは大きな声で言い直す。そのやりとりが二人らしくて、自然と笑顔が浮かんだ。クーヤくんの無事な姿を見られて本当に嬉しいわ!
『本来なら皆様がジョウキキカンシャに乗りこむ直前に、どさくさに紛れてクーヤたちを逃がしていただこうと思っていたのですが……』
ミギワ様の種明かしに、ヴィクトルがぴくりと反応する。
『……まさか、ハルウェスタへ亡命を?』
『俺はしねーよ? でもまぁ、コトヨリは亡命させるべきだとは思う』
コトヨリ様を?
なぜかしらと思っている間にも、マトヴェイさんがミギワ様に困惑の視線を向けた。
『ミギワ殿下。お二方が生きていらっしゃるのなら、外にいる女神を祀る一族にもすぐに無事を知らせなければ』
『いいや、しない』
マトヴェイさんのもっともな言葉をきっぱりと断ったのは、クーヤくんだった。マトヴェイさんの顔が渋面になる。
『何故、とお聞きしても』
『今回の水社の爆破はクソ野郎の自作自演だからだよ。外には一族以外にもクソ野郎の一派もいるだろうからな』
吐き捨てるかのように言うクーヤに、私たちは訝しむ。クソ野郎の自作自演?
『どういうことです。自作自演とは』
『俺を殺すためにコトヨリへ禁術を使うよう命じたのは、あいつの父親だ』
あまりにも残酷な話に私たちは絶句した。どういうこと? それに禁術とはあの爆発のことよね? あんな爆発を起こさせるものを使わせるなんて、そんなの娘に死ねと命じるのと同義じゃない!
『クーヤ殿、コトヨリ姫の父親とは』
『エイガだ。皇太子エイガ』
私たちの間になんとも言えない空気が広がる。あの唯我独尊の言葉が似合いそうな男は目的のためなら手段を選ばなさそう。それでも人として越えてはいけない一線はあると思う。自分の娘に自害を命じるなんて……!
ちらりと脳裏にかすめるのは、神湖で爆発が起きた時に率先してコトヨリ姫を探していたエイガの姿。あれが演技だったと言うのなら、とんだ役者だわ。
……それに、クーヤくんを殺す、なんて。
二人の仲が良くないのは知っていたけれど……そんな、殺したい、だなんて。
『どうして皇太子は、クーヤくんを殺そうだなんて』
エイガへの怒りと、コトヨリ様への憐憫。それからクーヤくんへのどうしようもない切ない気持ちがないまぜになる。その気持ちを、私はクーヤくんにぶつけてしまった。
でも、クーヤくんは。
『あいつが俺のことを殺したいほど憎んでるのは知っていたよ。俺だって殺そうとしてくる奴のことは大嫌いだ』
「言いたいことは分かるけど! そうじゃなくて!」
この期に及んではぐらかそうとするクーヤくんの肩を掴む。私より背が高くなってしまった子どもは、とてつもなく重い何かを一人で背負おうとしている。それを見過ごすことなんてできやしなくて。
「ねぇ、クーヤくん。話してみて。命を奪われるなんてこと、あってはいけないの。そのことを、私たちはこの世界の誰よりも知っているはずでしょう?」
伝えたいことを伝えられない言葉はかなぐり捨て、私たちの間でしか伝わらない言葉を伝える。金色の瞳をじっと見つめた。ほの暗い色をした金色は、いつも楽しそうなクーヤくんからは考えられないほどに暗い色。陰りを帯びた彼の頬へ、そっと触れた。
「あなたはアニマソラで私の命を救ってくれた。だから今度は、私の番」
高所から落ちた私を、クーヤくんはすかさずカズミヤさんに指示を飛ばして助けてくれた。さすがカズミヤ、とクーヤくんは口癖のように言うことを私は知っているの。
「ここには私だけじゃない。カズミヤさんだっているもの。クーヤくんは絶対に死なない。死なせないわ」
だから、あなたの背負っているものを、少しだけ私にわけて。
じぃっと視線をそらさずにいれば、クーヤくんは観念したかのように情けない顔で笑った。
「フェリシアさん、すごい殺し文句。それ、旦那さんに言ってあげなよ」
「ヴィクトルは私より優秀だもの。そんな旦那さんよりも、独り善がりなお子ちゃまのほうが助けは必要でしょう?」
「俺、お子ちゃまなん? これでも精神年齢そろそろ五十歳越えるんだけど」
「あら、奇遇ね。私ももうすぐ五十を越えるんじゃないかしら」
精神年齢を引き合いに出してきたので、私も負けじと言い返す。こちらの世界では私のほうが年上だけど、前世ではクーヤくんのほうが年上だった説がありそう。そんなことを思いながら胸を張ってみせれば、クーヤくんもようやく笑った。
「分かった、分かった。フェリシアさんは興味を持ったらしつこいってのを知ってるからな。話すよ」
ちょっと待って? しつこいって何?
言いたいことがちょっぴりあったけれど、せっかくクーヤくんがその気になってくれたんだもの。私はぐっと言いたいことを飲みこんだ。
それじゃ、とクーヤくんは咳払い。
『何から話すかなー……まぁ、あのクソ野郎が俺の命を狙う理由から順番に話すか』
うんうん、と頷いたクーヤくんは滔々と語りだす。
『元々、俺の母はあのクソ野郎……エイガの恋人だったらしい。だけど皇帝のお手つきとなって、俺が生まれた。まずその時点で、俺はもうあいつに嫌われていたと思う』
でも、嫌われているだけで、憎まれていなかったとクーヤくんは言う。
『あれが憎悪になったのは、俺が三歳の時だ。俺が女神の化身だと分かった〝女神を祀る一族〟の奴らが「女神には親などいない」と言って、母さんを神湖に生きたまま沈めた』
クーヤくんもエイガも、カズミヤさんでさえ、一族の凶行をとめることができなかった。それがクーヤくんとエイガの間に埋めることのできない確執が生まれたきっかけ。
エイガが憎むのはクーヤくんだけじゃない。〝女神の化身〟や〝女神の化身〟を崇拝する国そのものを恨んでいるそう。自分が皇帝になった暁には、神湖を埋め立て、女神を祀る一族を滅ぼそうと考えているのだとか。
『これまであいつはこんなにも派手な計画は立てなかった。それが今回、こんな騒動を起こして俺もびっくりしたんだよな。こんな派手にやるなんて思わなかった。まぁ、たぶん……神樹の神子であるフェリシアさんがいたからなんだろうけど』
『え、私?』
私はびっくりした。毎度のことですが、急に〝神樹の神子〟を巻きこむのやめてくれないでしょうか……私はただの一般人として過ごしているのに……。
釈然としない気持ちでいれば、当事者であるクーヤくんは自嘲するように笑って。
『あいつはさ、俺たちを貶めたいんだよ』
分かりやすく禁術を使えば、禁術を知るはずの女神の化身や神樹の神子へと民たちの怒りの矛先が向く。神樹の神子も女神の化身も危険なものであるという意識を民衆に根付かせること。娘である斎宮が死ねば、世間の同情は皇太子に向くし、エイガは神京蒼璃で権力を奮う大義名分を持つ。
『おそらくエイガは娘の死を免罪符に、女神を祀る一族を蹂躙するつもりだろうな。今頃、神湖の水を抜こうと画策してる頃だぜ』
『神湖の水を抜く……? わざわざそんなことをして何になるのですか』
疑問に思ったらしいマトヴェイさんが率直に尋ねた。その問いかけに答えたのは、ミギワ様。
『クーヤの母君……先代斎宮イチダ様を、湖の底より取り戻すためです』
呼吸が、止まりそうになった。
生きたまま沈められたイチダ様を湖の底から取り戻す——愛した人の子どもと、自分の娘を殺してでも。
エイガの中にある核となる想いに、ひどく胸が痛む。……たとえそんな想いがあったとしても、誰かの犠牲を強いることはしてはいけないのに。それではイチダ様を生贄とした人たちと変わらないのに。
重たくなった雰囲気の中、明るい声をあげたのはクーヤくん。
『だがまぁ、ここで誤算だな。コトヨリが失敗した。気の弱いコトヨリじゃ、爆薬に火をつけられなかったんだよ。それを俺は利用した』
あとは服を脱ぎ捨て、爆発とともに湖に飛び込んで今に至るらしい。深夜だったとはいえ、よくもまぁ、あの捜索隊の中で見つからずに済んだと思う。そこは安心と信頼のカズミヤさんの手腕らしい。本当に忍者みたいだわ、カズミヤさん。
私なんかよりも壮絶な人生を歩んでいたクーヤくん。彼と出会った時「この世界は生きにくい」と言っていたことを思い出した。その通りだった。この世界は、クーヤくんにとって優しくなかった。
そんなクーヤくんが不敵に笑う。
『エイガのことは嫌いだけど、俺だって母を殺したあの一族のことが嫌いだ。これに便乗して一族もエイガも、力を削いでやるつもり。せいぜいうまく利用してやるさ』
ほの暗い色を宿していた金色の瞳が獰猛な輝きを帯びる。
まるで、眠れる獅子が目覚めたように。





