118.玄蒼国の年越し
日本には〝臭いものには蓋をせよ〟と言う言葉があった。
転生の真相へ不用意に近づいてもあまり楽しくないことに気がついた。好奇心は猫を殺すとも言うけれど、私が楽しく生きるには転生の真相なんて知らないほうが良いとすら思った。
あくまでも私が知りたいのは、この世界で生きた転生者たちの人生。先達の人生から学びを得たい。そう思って始めた転生者リストの編纂。それ以上でもそれ以下でもないのです。
書庫にこもるのもちょっと疲れてしまったと思い始めた頃、玄蒼国はいよいよ年越しを迎えた。
神京蒼璃の社は主に二つある。一つは女神の化身や斎宮が住まう陸社。そしてもう一つが、儀式を行う祭祀場として設けられた神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤに忽然と建つ水社。そのうちの水社にて、年越しの儀式が行われる。
日本風に言うなら大晦日の夕方。神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤのほとりに人々が集う。ぽつりぽつりと灯籠が湖上に流れていく。夕方でも陽は高い。湖上が灯籠の火で満たされる頃、茜色の空がひっそりと色を変えて夜の帳が下りた。
水社は女神の化身と斎宮のみが入ることを許される。そのため儀式の見届人は皇族を筆頭に水社のそばに舟を並べて参列するそう。私たち使節団の一行も、その末席に加えていただけた。
すっかりと暗くなる頃、雅楽の音が湖畔に響き渡りはじめた。玄蒼国の弦楽器は一音がとても長い。風にたなびいていく弦の音の中、灯籠の火を道標に湖畔より最後の舟が押し出された。
舟に乗るのは黒髪の女性が二人。一人はコトヨリ様。やっぱり斎宮だったみたい。そしてもう一人の女性は……〝女神の化身〟として女装したクーヤくんだった。なるほど、女神ですものね。
厳かな雰囲気の中、舟は水社へと到達した。湖の中から生えているかのような浅い階段を登り、クーヤくんとコトヨリ様は水社の中へと入っていった。
雅楽の音が変わる。弦の音は余韻を残して消え、笛の高く澄んだ音と太鼓のどっしりとした音が湖面を揺らす。これを聞いているだけでも楽しい。夜通し楽の音を響かせるのが玄蒼流の年越しだそう。
耳を澄ませながら、湖のほうへと視線を向ける。ゆらゆら揺れる湖面に灯籠の火が照っている。少し視線をそらせば、ゆらゆらと風でさざ波が立っていた。
「……あら?」
近くのさざ波に違和感を覚えた。不自然な光を帯びて、湖面が鈍く虹色に煌めいている。まるでシャボン玉のように不安定な揺らめき。これも、神湖と言われる所以かしら。
じっと湖面を見つめていると、ヴィクトルが私の様子に気がついた。
「フェリシア? どうしたんだい?」
「いいえ。湖面が綺麗だな、と」
「神湖といわれるぐらいだからね。……ん?」
微笑みながら私と一緒に湖面を眺めていたヴィクトルが首をひねる。私は彼を見上げた。
「ヴィクトル様、何か?」
「いや……神湖の印象が前と違うような気がして。昼だったからかな」
「自然の趣の面白さですね」
「たしかに」
二人で顔を見合わせながらくすくすと笑い合う。
日常から隔離されるかのような厳かな楽の音に耳を傾けながら、神秘的な湖の中に立つ社を見上げた。
風が吹く。ゆらゆらと揺れる舟の上。
何度も繰り返される楽の音に、ふぁ……と誰かの欠伸がもれる。夜通し楽の音を響かせるといっても、ずっと同じ調子では眠気が誘われるのも仕方ないわ。私も眠たいもの。
今、何時くらいかしら。
そう思って月を探す。
その瞬間。
盛大な破裂音とともに社が吹き飛んだ。
「——っ!?」
「フェリシア!」
火の粉に混じった瓦礫が頭上へと落ちてくる! 爆風で舟が大きく揺れた。舟から投げ出されないようにヴィクトルが私を支えてくれる。散った火の粉が灯籠の火と混ざり、炎となった。
「み、湖が燃えてる……!」
「離脱しろ! 船頭!」
マトヴェイさんが白目を剥いて今にも倒れそうになっている。ニエストルさんが船頭に指示して舟を陸へと戻させる。私はハッとして舟の縁に身を乗り出した。
「フェリシア!」
「フェリシア様、舟の中央に寄って!」
ヴィクトルとオリガさんと二人がかりで引き戻された。待って待って待って!
「クーヤくんとコトヨリ様が社に! 助けなくちゃ!」
「無理だ! 湖が燃えてる! 社に近づけない!」
「でも……!」
「フェリシア様、まずはご自身の安全が最優先! 社のほうは玄蒼国の人たちに任せて!」
二人の正論に何も言い返せない。私は唇を噛む。
どうして。なんで社が爆発なんて。
せっかくの年越しなのに。
神湖を舐めるように炎が揺らぐ。灯籠の火だけじゃない。言葉通りに湖が燃えている。まるで炎でできた草原のように。私たちと同じように並んでいた舟が、我先に陸へと戻っていく。
私たちも炎に巻かれながらなんとか陸へと戻った。尾を引くように炎が湖を蹂躙する。
爆散した社は屋根ごと燃えて崩れた。支柱も折れ、湖上にあった社は見るも無惨な姿になってしまっている。目を凝らしてみても、そこに人影はない。さぁっと血の気が引いていく。
「ヴィクトル様、クーヤくんは……っ」
「分からない……湖の中に落ちたとしても、あの衣装では……」
クーヤくんもコトヨリ様も、儀式用の重たい盛装をしていた。あれは着るのも脱ぐのも難しそう。なんてこと。なんでこんなことが、こんな大事な時に起こるというの……!?
ざわつく参列者の中、なんとか炎を散らそうと玄蒼国の武官たちが消火活動にあたる。湖が燃え上がったのも一時のことで、問題は瓦礫となった社のほうだった。
「探せ! 姫を探せ!」
武官たちに交じり怒声が上がる。聞き覚えのある声のほうへ視線を向けると、皇太子エイガが率先して武官たちに指示を出していた。
私もクーヤくんを探したい。視線をさまよわせてあの人を探すけれど、参列者でごった返すこの中で見つけることはできなくて。
そのうち第二皇子ミギワ様がやってきて、一度離宮へ戻るように促された。何か手伝うことがあればと思ったけれど、私たちにできることなんて何もない。
離宮へと戻れば、外に出ないようにと念を押された。その後の状況を知ったのは夜が明けたあと。疲れた様子のミギワ様が離宮へお戻りになってからだった。
『ハルウェスタ王国の皆様にはこのような事態となったことをお詫びいたします』
『いえ、こちらこそ助力できることもなく、申し訳ありません』
ミギワ様に呼ばれたのは、私とヴィクトル、マトヴェイさんの三人。ひとまず、昨夜から今までの現状について教えてくださった。
『昨夜の件につきましてはまず箝口令が敷かれます。というのも、水社を粉砕したあれは、禁術と呼ばれる類のもの。人の口にのぼってよいものではない故に、ハルウェスタ王国の皆様もみだりに口にしないようお願いいたします』
禁術……何を指しているのかなんて言わずもがな。あの爆発のこと。なんとなく察してしまう。アニマソラ神樹国では危ない知識を禁忌として封印していた。それと同じように、玄蒼国でも危ない知識を使うことを禁術として封印していたのかもしれない。
でも私が気になるのはそこじゃない。あの爆発が何だったかなんて、あとからいくらでも調査すればいい。それよりも大切なことがある。
『ミギワ殿下。クーヤ様とコトヨリ様の安否は……』
『……二人の遺体は見つかっていません。捜索は引き続き行なっております』
私は奥歯を噛み締めた。
悔やんでも悔やみきれない。クーヤくんのことを思うと、心臓が握られたかのように痛む。こんなのって、あんまりだわ。
『このような状況ですし、国交樹立についてのお話はまた改めさせていただきたい。その際は玄蒼国より使節をお送りします。すぐに帰国の手配をいたしますので、ハルウェスタ王国の皆様は支度をなさってください』
ミギワ様の命令にも近い提案に、ヴィクトルの表情も曇る。何の成果を持ち帰ることなく帰国するのは、使節団としては失敗にも等しい。それでも国の大事な儀式で大きな事故が起きてしまった以上、無理にこちらの都合を押しつけるのも憚られる。
『致し方ありません。その時は是非』
『もちろんですとも。そうと決まればすぐに出立の準備をなさってください。東行きのジョウキキカンシャが今夜出ます。それに乗れるよう、至急支度を』
急き立てるようなミギワ様の態度に、マトヴェイさんの眉が寄った。
『さすがに今夜発つのは急ではありませんか』
『いいえ、急いだほうが良いかと』
『それはどういう……』
ヴィクトルが重ねて問いかけた時、部屋の外から喧騒が聞こえてきた。ミギワ様が眉根を寄せる。
『一日くらいなら余裕があると思ったのですが……』
『ミギワ様? 外が騒がしいようですが、何かあるのでしょうか』
『おそらく〝女神を祀る一族〟が騒いでいるのでしょう。神樹の神子を出せ、と』
途端、私もヴィクトルも眉間にしわが寄ってしまう。
女神を祀る一族って……陸社でクーヤくんに仕えている人たちが? どうして私を?
『女神の化身であるクーヤを損なうことは、彼らにとって耐え難いものですから。禁術を知る人間は限られています。女神の化身か、陸社の禁書庫に出入りできる人間か……』
ミギワ様に言われて、苦虫を噛み潰したような気持になった。それで私、ですか。女神の化身と相応の異質な知識を持ち、かつ禁書庫にも入り浸っていた。疑いたくなるのも分かるけれど。
『クーヤくんに誓って、私じゃありません』
『勿論ですとも。貴女がそういう方ではないことは、私もクーヤから聞いております。ですが、女神を祀る一族は貴女のことを良く思っていないのも事実』
えぇ……? 私、知らないうちに女神を祀る一族の人たちに嫌われていたの? どうして?
『女神を祀る一族はその名の通り、女神こそが絶対唯一。そこに女神の化身と同じような存在が現れたのです。その上、自らが信仰する対象と馴れ馴れしい。そんな存在、面白くはないでしょう』
『だからといってフェリシアを疑うのは、見当違いも甚だしい』
ヴィクトルのおっしゃる通り。
ミギワ様もそれを理解してくださっているからこそ、気が滅入るそう。
『エリシン子爵夫人の安全のためにも、早々に帰国されたほうがよろしいでしょう。そのための手配を進めているのですが……あの様子では、外に出るのも難しそうですね』
庭を眺めながら嘆息するミギワ様。
私たちはどうすべきかと顔を見合わせた。





