117.醤油味噌の伝道師
ヴィクトルが理解しがたいと言うように腕を組んだ。眉間には皺の寄ったまま。
「また、突拍子のないことを言い出したね……?」
「はい! いやもうこれは世紀の大発見かと! すごいですよ、転生者の真理に一歩近づいたかもしれません!」
ヴィクトルに私が気がついたことをカクカクシカジカと話す。比較対象として日本人が多くいたというのがとてもありがたいこと。力説する私の話を、ヴィクトルは神妙な顔で聞いてくれた。
「なるほどね。理解したよ。魂が時間を超える……面白い話だ」
「そうでしょう、そうでしょう!」
「それで? 君はそれが分かってどうするつもり?」
ヴィクトルに尋ねられて、私はきょとんと目を瞬く。どうするつもり、とは?
「発見したことを使って、今度は何をするつもりだい」
「何をするつもりって……これに関してはこれ以上、何もないと言いますか。あぁ、でも。この転生者がどうやって選ばれるか、運ばれてくるのか、は気になりますね」
国も時間も、一見ランダムのように見える転生者たち。むしろ魂が時間を超えるというのなら、そこには時間と世界を超えるための理論があるかもしれないと考えるのが妥当ですけども。
とはいえ、それを科学的に証明しろなんて土台無理な話かと思いますので。私は科学者じゃないので。無理無理むーりー。
「君ねぇ……その、時間を超えられるって話、突き詰めていけば、未来にでも過去にでも行けるということなんじゃないかな。それってすごいことだと思うけれど」
「あぁ、タイムスリップですね! 未来に行くこと自体は理論上可能ですよ」
「は?」
ヴィクトルがぎょっとした顔でこちらを見る。
私はこてりと首を傾けた。
「相対性理論を使えば理論上は可能だとアインシュタインは言いました」
「アインシュタインって誰だい……それに、そーたいせーりろん? って」
「私も詳しく知りませんが、光の速さに近づけば未来へ行くことができるそうですよ」
ヴィクトルが度し難いと言いたげに眉間をもんだ。呆れられた顔をされることは多いけれど、この「理解できない」という表情はなかなか珍しいです。
そして私は、自分の言葉でさらなる気づきを得てしまう。
「はっ、つまり! 魂は光速よりもなお早く移動することで、過去と未来という時間の軸に関わらず、この地球より遠く離れた異世界の如きこの世界へ転生してきたということ……!?」
なんてファンタジー! いや、これはSF!
何億光年離れた場所にあるかは分からない地球を思うと、浪漫で胸がいっぱいになる。あぁ、なんてことに気がついてしまったのかしら。これはぜひ、クーヤくんにも教えてあげなくては!
うきうきワクワクしながら手帳にメモをする。相対性理論。私は理系じゃないですが、蒸気機関車を実現させたクーヤくんならもっと上手く理解できるかも。
ヴィクトルは嘆息しながら、難しい話よりも報告書のほうがだいじと言わんばかりに机に向き直った。私もるんるん気分でメモを整理する。途中、昼食をいただいて、午後からはもう一度書庫へと向かった。
再度書庫へと訪れた時、コトヨリ様はもういなかった。読みたかった本は読めたのかしら。私はもう一度ヤマト遺跡に遺されているというヤマト古語の攻略に勤しむ。持ってきたメモ帳に、分かる文字だけを記していく。
使用されている文字が現代仮名遣いの片仮名であることが分かれば簡単だった。難しく考える必要はない。くずされきった漢字は、片仮名という整った一つの記号になってしまっているのだから、素直に読めば良いだけだもの。そう思って挑んだら、すんなりと解読ができた。
〝我ガ旅路 此処マデ来テモ 果テハナシ〟
〝在リシ日ノ 仲良キ朋ヨ 國ト為れ〟
〝底知レヌ 神トハ何ゾト 問ウ凡愚〟
〝之ク川二 舟ヲ並ベテ 身ヲ流セ〟
〝海ヲ越エ 別レヲ惜シムハ ロジェーニヤ〟
〝淡キ願イ 運ビテ征カン 新天地〟
息を詰めながら、半日かけて解読した。
浮かび上がってきたのはヤマトの旅路。
東から西へ旅をして、さらに海を越えた転生者。
どうしてヤマトは、西を目指したのかしら。
西には何がある? 西には……いいえ、海をわたった先には、小大陸オストロリーチがある。そのさらに先には、私の生まれた神樹ゴドーヴィエ・コリツァの大陸も。
(そういえば、神樹は男神から生えでたと聞くわ。コリツァの鳥に導かれて、彼方より来訪した男神ゴドーヴィエ・コリツァの成れの果て……)
ふと、何かが符合した。
でもその符号に、私は一人で首を振る。
「さすがにそこまで安直なのは良くないわね。ヤマトと男神ゴドーヴィエ・コリツァを同一視するのは」
ないない、と一人で笑う。卑弥呼と天照大神を同一視するような話だもの。それなら小大陸オストロリーチと神樹の大陸にヤマト伝説が残っていないとおかしいし。
あぁ、でも。
(神樹歴は、神湖暦と、一年半のズレがある)
神樹歴の始まりが、神湖暦よりも一年半遅れた理由。それが、ヤマトの旅路の時間を表しているとするならば。
そこまで考えて、もう一度大きく頭を振った。さすがに飛躍しすぎる話だもの。それを裏付けるものがない。裏付けるもの——ヤマトが生きた年代の特定。
ヤマトは玄蒼国が成立するよりも前に生きていたことは分かっている。ラクヨウ氏が玄蒼国建国時に生きていたとして、その時代は今から千百年ほど前。神湖暦はすでに千四百年を数えたのだから、さらにその前に三百年間の歴史があるはず。
その三百年間の歴史を紐解くことができれば、ヤマトについてもっと詳しく分かるかもしれないし、もっと深く調べたら神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤという女神の実像を結ぶこともできるかもしれない。
ふるりと身体が震えた。
知的好奇心が鎌首をもたげている。
(知りたい。もっと知りたい。ヤマトのことを、空白の三百年のことを。もっと調べないと)
もっと古い記述を探さないといけない。玄蒼国の……いいえ、蒼璃というこの地にまつわる記述を。
私はまだ見ていない本棚を巡ってみた。午前中に見た棚は歴代の斎宮や女神の化身による図面が多かった。それ以外の場所には何があるかしら。
とはいえ、本棚と本棚の間で本を探し出してすぐに後悔した。日が落ちてきている。本の文字が棚の影のせいで読めやしない。仕方ないので、明日にしましょうか。
年越しの儀式まではまだ数日あるので、その時間は自由にして良いと言われているもの。焦らなくても大丈夫。いざとなったら、クーヤくんに聞けば良いものね。
そう思って、その日は書庫を出た。
それから連日、私は書庫にこもりきり。
ヴィクトルには根を詰めすぎないように言われたけれど、何しろ今しか読めないものが多すぎる。私はとにかく〝女神の化身〟の記録については念入りに読み込み、メモを取った。そして玄蒼国建国以前の〝蒼璃〟に関する話も探した。
午前中はコトヨリ様と会うこともあった。ほんのひと時だけれど、斎宮の儀式に関する書に目を通しにやってくる。どうやら同じ本を読みに来ているようなので、持ち出したら良いのにと思ったものの、ここの本はすべて持ち出し禁止だとか。私は気づかれないように手帳と筆記具を懐にしまった。メモしたことがバレたら叱られるどころじゃすまないかもしれないわ……。
そして書庫へと入り浸った結果。
私はクーヤくんからヒントをもらっていた〝ヘキジの氷室〟と〝占い師シキ〟についてもよく知ることができた。これはまさしく棚からぼた餅と言えましょう。
一番知りたかったヤマトに関してはこれ以上の収穫はなかったけれど……〝女神の化身〟がどういうものかというのは、ラクヨウを寵愛した皇が初代斎宮に伝えた言葉から凡その推測ができた。
〝女神の化身はそれすなわち叡智である。神の国の叡智を教授べく、人々に与えられるもの。それは必ずしも善とは限らす、時には人々が与えられることに気づかぬこともあろう。〟
アニマソラ神樹国で、教皇ロナルディーナが〝神樹の神子〟に対して似たようなことを言っていた。やっぱり〝女神の化身〟は〝神樹の神子〟と同じ存在であるのは間違いないと思う。
そして〝女神の化身〟を語る上で、初代斎宮へ神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤの成り立ちも語られていた。
〝遥か空より流れ落ちた星の女神は故郷を思い、あふれんばかりの涙を流した。流した涙はやがて湖となり、あまねく命を潤した。スロイスティエ・ ロジェーニヤはこうして生まれた。〟
〝しかし地上の命はあまりにもちっぽけだった。スロイスティエ・ ロジェーニヤが何かを理解していなかった。浅き泉と思った愚かなヒトがその身を沈めて命を失った。星の女神は涙した。月の宮殿より魂をたぐり寄せて死せるヒトへと命を与えた。ヒトは息を吹き返すと、月の宮殿で見聞きしたものを同朋へと分け与えた。そしてヒトは国を作った。〟
〝これはスロイスティエ・ ロジェーニヤの罪だ。この大地に、母なる湖にて死せる者の魂を月の宮殿より手繰り寄せることを刻んでしまった。永劫の罪だった。女神スロイスティエ・ ロジェーニヤは月の宮殿へと召しあげられた。〟
〝されどもヒトは女神スロイスティエ・ ロジェーニヤを崇めよう。卑賤なるヒトの身に叡智を与えてくれた神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤを讃えよう。そして願わくば、月の宮殿より手繰り寄せられた魂が女神の化身であることを願い奉らん。〟
必死に解読した初代斎宮の記録。玄蒼国の古語で書かれているからすごく時間がかかってしまった。そしてそれを解読してしまったことを、ひどく後悔もした。
装飾された昔話や誇大化された神話としてなら面白い読み物だと思う。でもこれを真実とするには、あまりにも荒唐無稽……そう、言いたかった。
「実際、転生してしまっている以上、否定ができないのよね……」
魂を月の宮殿からたぐり寄せて、生き返らせる……生き返った魂は月の宮殿で見聞きしたものを知っている。
ふるりと背筋が震えた。
ぐるりと思考が巡る。
(月の宮殿が私たちの地球だとして。ここで死んだ魂が月の宮殿へ行き、そこから魂だけをもう一度たぐり寄せたのが〝女神の化身〟や〝神樹の神子〟……)
唐突に〝胡蝶之夢〟という話を思い出す。
私はそっと、初代斎宮の記録を閉じた。
【醤油味噌の伝道師】
ヤマト。本名か通称かも不明。性別不詳。たぶん日本人。隣の大陸にある現玄蒼国のあたりにいた。玄蒼国建国以前から住まう部族たちの間に「ヤマト伝説」が残っている。ヤマトという人物が醤油と味噌をもたらしたという伝説だ。ところで醤噌院の発音が〝shousouin〟のせいで、前世の正倉院を彷彿しちゃうのは私だけかしら……?
「ヤマト遺跡」により、神湖から西へ向けて移動したことが分かる。その後の行方は不明。もしヤマトが神湖歴と神樹歴の一年半の暦のズレの間に神樹の大陸へと移動していたのだとしたら、彼は神樹ゴドーヴィエ・コリツァと呼ばれる存在になったのだろうか。現代に伝わる最古の転生者。





