113.ほろ苦い傾国の美姫
媚薬騒動のあと、ヴィクトルの活動に支障が出ても申し訳ないので、ひと晩中、月明かりの中で本を読んでいた。
読んでいた本は玄蒼国建国時の逸話集みたいなもの。クーヤくんが暇ならどうぞと差し入れてくれた。玄蒼国語で書かれているものなので少し難しい部分もあるけれど、勉強がてら夢中で読み進めた。
面白い話はたくさんあった。玄蒼国のように長く栄えている国だと、建国時のお話はもはや神話状態。本当にそんなことある? みたいなぶっとんだお話がちらほら。
その中でも私の目を惹いたのは〝傾国の美姫ラクヨウ〟の話。
約千百年ほど前。まだ玄蒼国の名前が見当たらず、ただ皇が神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤのほとりにある地に蒼璃という都をかまえていた頃。皇は番として女神スロイスティエ・ ロジェーニヤの化身を探すため、大陸中の部族を蹂躙し掌中に収めていったという。
ある時、皇の命で遠征に行った皇子が、一人の美姫を皇に献上した。神湖の大陸の中でも南西にある端の地。温厚で争いを好まずゆったりとしていた部族のなかで、ただ一人だけ剣を奮い生き残った美姫の異質さを皇子は感じた。その異質さこそ、女神の化身である証しではないかと。
しかしこのラクヨウ、皇をたちまちのうちに籠絡し、腑抜けさせてしまう。宮中の男さえ皆ラクヨウの虜。嫉妬に狂った皇が宮中の男たちを次々と処刑していった。これでは国が立ち行かぬと皇子は皇をたしなめるけれど、その諌言に皇は耳を貸さなかった。
そんなある日、日照りが百日も続くことがあった。神湖の水位もみるみるうちに減り、人々は水の枯渇に戦慄した。畑は渇き、川は枯れ、砂ぼこりが喉の潤いを奪っていく。皇が腑抜けたせいだと囁かれる中、ラクヨウはこう言った。
——この日照りを終わらせたいのならば、女神スロイスティエ・ ロジェーニヤへ贄を捧げると良いでしょう。さすれば神湖より慈悲深き恵みが与えられることでしょう。
ラクヨウの言葉を皇は疑わなかった。
贄は皇を筆頭にラクヨウを崇拝する者たちが方々から集めた。大陸全土からかき集められた贄たちは生きたまま燃やされて、天高く命の煙をたなびかせた。
それでも日照りは終わらない。皇の凶行に民たちは怯えた。このままでは民たちから見放されてしまうと感じた皇子が皇を止めようとするものの、皇はどこ吹く風。とうとう皇子はこう言った。
——それほど女神の力が弱まっているのであれば、ラクヨウ妃を贄にしてはいかがか。ラクヨウ妃ならば民のために身を犠牲にしても女神へ直訴できるのではなかろうか。
皇子の言葉に皇は激怒した。でもラクヨウは皇子の進言に是と答えた。
ラクヨウは皇の制止を振り切って、皇子の言葉通りに自分を贄とした。そうしたところ、天にその思いが届いたのか、ラクヨウが亡くなった翌日、ようやく雨が降った。
民はラクヨウによって救われた。けれども、ラクヨウが自らの命を絶ったことで皇と皇子の確執はより一層激化した。
やがて皇子は皇からその冠を奪うと、神湖のほとりの都から離れ、数多の部族を束ね直して玄昌の地で即位した。かの皇こそ、玄蒼国初代皇帝である。
そして神湖のほとりの都では、皇を筆頭にラクヨウを女神の化身として崇め奉った。皇はやがて〝女神を祀る一族〟となり、皇の御下に集まった者たちは女神の化身の再来を望んだ。
この二つの地は確執こそあれど、皇子はその身を犠牲にしたラクヨウへ敬意を忘れなかった。それをふまえ、今後〝女神の化身〟が現れた場合は皇帝に準じる権威を持つことを定めた。そしてその見定めを、父である元皇にゆだねたそう。
これが玄蒼国の成り立ち。
皇都玄昌と神京蒼璃。
二つの都から成立する不思議な国。
どこの国にもひとつくらいは見かける傾国の美女。玄蒼国も例外ではないのね。そんなことを思いながら、私は手帳に〝傾国の美姫ラクヨウ〟について分かったことを箇条書きで書いてみる。そして首を捻った。
「〝女神の化身〟としてラクヨウさんが扱われたのは分かったけれど……転生者……?」
このラクヨウ氏は転生者なのかしら。この人もクーヤくんが手紙で教えてくれた転生者っぽい人の名前に挙がっていたけれど……この建国の逸話からはラクヨウ氏が転生者だとは判断できない。
少し考える。そもそも〝女神の化身〟という言葉がラクヨウ氏が生きた時代にすでにあったとしたら、その時にはもう〝女神の化身〟が転生者だという図式は成り立っていた?
それからクーヤくんが渡してくれた他の本を手に取った。玄蒼国語の図鑑。植物図鑑のようでぺらりと薄い紙をめくる。和紙のような質感の紙。手触りの良さを感じながらめくっていると、ラクヨウ氏の名前がちらりと見えた。二度見する。ラクヨウ氏の名前だわ。
ラクヨウ氏の名前が書かれているページの植物を見てみる。〝cacahutl〟。カカワトルって、チョコレート!
じっくりと読んでみると、〝cacahutl〟はラクヨウ氏が名付けた食べ物らしい。実際の〝cacahutl〟は果実のことを差していて、私が食べたチョコレートは〝cacahutl〟の種からできるそう。実は甘酸っぱくて豊富な栄養があるけれど、そのぶん腐りやすい。〝cacahutl〟の原産は小大陸オストロリーチで、船乗りが海の上で食べる果物だった。その種が神湖の大陸で捨てられた。それを拾ったラクヨウ氏が加工して媚薬効果のある薬にしてしまったのが、〝cacahutl〟の始まりだという。
小大陸オストロリーチが原産ということは、オストロリーチでは別の呼び名があるのかもしれないわ。本来は実そのものを〝cacahutl〟と呼ぶべきだけれど、種を加工したもののほうが流通して加工品のほうも〝cacahutl〟となったのね。
そういうこと。これならたしかに、ラクヨウ氏が転生者だと疑うのも分かるわ。だってカカオ豆からチョコレートを精製する方法は、あまりにも手間がかかりすぎて偶然で発見できるようなものではないもの。捨てられる種を食べようなんて奇特な人も早々いないでしょうし。
その結論が出た頃には夜がすっかり明けてしまっていた。ふぁあ、と欠伸が出てしまう。さすがに眠くなってきたわ。
窓をそっと開けてみる。空にたちこめる朝焼けの色。夜の紫から朝の薄紅色がにじみ出ていく。暗がりで本を読んでいた目を休めるように綺麗な色合いを見つめていると、背後で衣擦れの音がした。
「ん……フェリシア……?」
振り向くと、ヴィクトルが眠たそうな目をしぱしぱとさせて寝台に腰かけていた。私はさっと窓から離れる。ヴィクトルのもとへ。
「すみません、ヴィクトル様。起こしてしまいましたね」
「ん……大丈夫。フェリシアはひと晩中起きていたのかい?」
「はい。おかげさまで、心置きなく本が読めて楽しかったです。まだ起きるのには早いですが、もう起きられますか?」
欠伸を噛み殺すヴィクトルを眺めながら問いかける。ヴィクトルはぐっと伸びをして、すっくと立ち上がった。
「目が覚めてしまったし、起きようかな。フェリシアは仮眠するかい?」
「いえ、このまま起きています。今寝たら、寝過ごしてしまいそうですから」
そう伝えたら、ヴィクトルはふにゃりと笑う。寝起きでまだ頭がしゃんとしていない、貴重な表情ですね。
「眠くなったら遠慮なく言っていいからね。クーヤ殿も、今日はゆっくりして良いと仰っていたし」
「そうします。あ、でも。知りたいことがあるので、クーヤくんに会えるならもっと色々とお話を聞きたいですね」
ラクヨウ氏のこととか、女神の化身のこととか。
詳細を聞かねばという使命感で、眠気はすっかりとんでいた。
【ほろ苦い傾国の美姫】
とある部族の、族長の娘として生まれる。名前はラクヨウ。ある日、女神の化身を探す皇軍の侵略にあう。復讐を誓った彼女は自身を女神の化身と偽って皇の後宮に入りこみ、チョコレートを作って皇を籠絡したり、皇をそそのかして生贄の制度を作らせた。ひどい日照りのあった際、最後は自ら生贄になることで皇と皇太子の仲を切り裂き、今の玄蒼国の礎となった。蒼璃に遺された記録では、生贄となる直前に神湖を眺めて「テノチティトランの景色へはまだ遠い」と言ったそう。テノチティトランとは神の国の都の名前で、ラクヨウの魂の故郷と伝わる。このテノチティトランも地球の都市なのだろうか。





