111.玄蒼流おもてなし術
クーヤくんのはからいで、皇帝陛下との謁見までの間、第二皇子ミギワ様の持つ離宮で滞在することになった。
ミギワ様は涼やかな美貌を持つ方だった。長い黒髪をゆったりと束ね、金色の瞳を柔和に細めている。活発そうなクーヤくんとは正反対で、知的な雰囲気を持つ人。
『遠い大陸よりおいでくださり、まことに感謝いたします。礼部尚書である祖父に代わり、皆様のおもてなしをさせていただきます』
ミギワ様は柔和に微笑んで私たちを迎えてくれて、滞在の翌日には歓迎の宴を開いてくれた。クーヤくんも一緒で、玄蒼国の料理が振る舞われる。私は大興奮した。
『はわ……! うどん! 天ぷら! うなぎ! 全部、食べることができるでしょうか……!』
『ははっ! フェリシアさんなら絶対食べたがると思ってた!』
『本当はもっと贅を尽くしたほうが良いかと思っていたのですが……クーヤの言う通りにして正解でしたね』
玄蒼国は裸足の文化のようで、お座敷のような広間で歓迎の宴が行われた。慣れた長テーブルはなく、私たちの前には一人ずつ御膳が配膳される。私はうきうきで御膳のご飯に箸をつけた。
『フェリシア様は箸の使い方がお上手ですね。それに姿勢も美しい。我が国の文化をよくお知りですね』
ミギワ様がじっと私を見つめている。慣れない座り方に脚の組み方が分からない一行の面々も多い中、私はしれっと正座で座っている。さらには慣れた手つきで箸を使っているものだから、ミギワ様の目に止まってしまったみたいだわ。私はにっこりと微笑んだ。
『ふふ。ハルウェスタ王国にも玄蒼国の料理店があります。箸の使い方はそのお店で覚えました。そのお店はヴィクトル様との逢瀬の場でした』
『そうでしたか。道理でヴィクトル殿も箸の扱いがお上手なわけですね』
『光栄でございます』
初めて玄蒼国料理店に行った時はデートというわけでもなかったけれど。二人きりで食事に行くという説明が難しかったので、そういうことにしておいた。ヴィクトルからも抗議の声は入らなかったので問題ないでしょう。
ヴィクトルも慣れた手つきで箸を使っている。私と玄蒼国料理店に通う内に覚えたようで、これがこんなところで役に立つとは思っていなかったに違いない。人生って何があるかわかりませんね。
『フェリシアさん、鰻どう? 美味しい?』
『すっごく美味しいです! 蒲焼のタレだけでご飯をたくさん食べられます!』
『わっかる〜! 米もっと食って! お代わりあるぜ!』
『うどんも食べたいので、我慢します』
そろそろお腹がいっぱいなのです。クーヤくんに勧められるがまま食べているとお腹が破裂してしまいかねない。ただでさえこの御膳は、私にとってちょっと量が多くてぇ……!
それでも食べたい欲が勝り、ゆっくりじっくり味わう。はー、美味しい。生きている内に再び鰻の蒲焼が食べられるなんて。天ぷらもうどんも。ハルウェスタ王国にある玄蒼国料理店で焼き魚の定食や肉じゃがは食べていたけれど、ここまで日本食らしい日本食を食べる機会はなかった。玄蒼国に入港した時、街でお刺身や海鮮丼を食べたけど、やっぱり本場は違う。食べられるものの種類がぐっと上がる。
『明日のご飯も楽しみにしててくれよな。はりきって献立を立ててやるから!』
『クーヤ殿下がこのお食事を考えられたのですか?』
『おうとも!』
『クーヤは昔から食事に関して人一倍好奇心の高い子でしたから。海のお刺身を食べたいからと、蒸気機関車の開発を進めさせたくらいで……』
『兄上、そんな昔の話良いじゃないですかー』
私は思わずクーヤくんを見てしまう。クーヤくんが蒸気機関車の開発に関わったのって、それが理由だったの!?
呆れるやら驚くやら、何とも言えず天ぷらをサクサクと咀嚼する。あ、これはカボチャっぽい天ぷら。甘くて美味しい。お塩の味がカボチャの甘味を引き立ててくれてる。
話に花を咲かせながらも歓迎の宴はつつがなく進んだ。お食事の途中、余興として玄蒼国の舞手がお座敷に面した夜の庭で舞を披露してくれた。ひらひらとなびく長い袖が円を描く。とても華やかで目を奪われた。
余興も終わり、宴もたけなわになる頃、不意に屋敷が騒がしくなった。使用人がミギワ様とクーヤくんに声をかける。二人とも渋面になって、それだけじゃ足りずクーヤくんは舌打ちした。
『いかがしましたか』
『招かれざる客のようですね。少し対応してきま……』
ミギワ様が腰を上げるよりも早く、荒々しい足音が廊のほうから聞こえてきた。全員の視線がそちらのほうに向くと、黒髪をきっちりと結い上げた男性が金の瞳を爛々とぎらつかせて私たちの前に姿を現す。唇の端を上げて、獰猛な笑みでミギワ様とクーヤくんを一瞥する。
『ミギワと女神の化身よ、私を呼ばないとは良い度胸だな』
乱入してきた男性はずけずけとそう言った。
ミギワ様が嘆息する。
『皇城へ使いはやっております。兄上もお忙しい身でしょうし、礼部尚書である祖父から御一行の滞在については私が一任されておりますゆえ』
『ならば女神の化身はこの場に不相応であろうに。彼の者を呼んでおきながら、私を仲間外れにすると言うのか』
『まさか。クーヤは元々、一行の長と面識がありますゆえ。橋渡しをしていただいただけですよ』
突然やってきた人物とミギワ様が話し出す。下手に口出ししないほうが良いだろうと私たちは黙っているけれど……ちらっと見たクーヤくんの機嫌が急転直下しているのが見て取れた。
そのうち、ミギワ様がクーヤくんに声をかけ、上座の席を男性に譲った。クーヤくんは男性を避けるようにミギワ様をはさんだ逆隣に移動した。……仲が悪いのかしら?
『皆様、騒がして申し訳ありません。こちら、我が玄蒼国の皇太子殿下であらせられるエイガ様です』
ミギワ様の紹介に私とヴィクトルはさっと挨拶の構えをとる。マトヴェイさんも。宴席に招かれた技術者さんたちは戸惑いながら、私たちの真似をした。
『ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ハルウェスタ王国より国交樹立のために派遣されました、ヴィクトル・エリシンと申します。皇太子殿下にお目通りかないましたこと、大変光栄に存じます』
『海向こうの大陸にある辺境の国だと思っていたが、なかなか我が国の言葉が堪能だな』
ものすごい見下した言い様。なるほど、これがこの国の皇太子。この人が来た瞬間にクーヤくんが嫌そうな顔をするわけだわ。
『顔を上げよ。宴の席だ。無礼講を許す』
言われた通りに頭を上げる。皇太子エイガから視線だけそらしてクーヤくんを見れば、ぶっすりとした表情になっていた。そんなにあからさまな表情で良いのかしら……?
『して、私がここにきたのは他でもない。神樹の神子とやらに会いに来た』
急に名指しされた。顔に出そうになったのを堪えて、何気ない振りをする。この皇太子殿下、クーヤくんがすごく威嚇しているから、あまり手の内を見せないようにしておいたほうが良いかも。
『神樹の神子は女人と聞いている。ならば登城は難しいと思ってな。わざわざ会いに来てやったんだ』
ひしひしと私に向けられた視線を感じる。クーヤくんが射殺しそうな視線を皇太子殿下に向けた。クーヤくんがこんなにも表情あらわにしているのに、当の本人は何とも思っていない様子。さて、どうしましょうか。
ちらりとヴィクトルの様子を横目でうかがってみる。柔和な余所行きの笑顔を浮かべているヴィクトルが私の視線を受けて、口を開いた。
『お越しいただきましてありがたく存じます。ですが、彼女の同行は女神の化身たるクーヤ殿下のお招きによるものでございますから。ご挨拶が遅れたこと、ご容赦くださりますよう申し上げます』
『そうだとも。彼女は俺の個人的な客人だ。皇太子殿下には関係ない』
ヴィクトルの無難な返しにクーヤくんが便乗した。でもその返しが皇太子殿下のお気に召さなかったようで、金の瞳がギラリとクーヤくんに向く。
『何を言うか。お前は女神の化身である前に皇族の一人。皇太子である私の意に反する気か?』
『ハッ。ここが蒼璃ならとっくに追い返しているぜ』
『こらクーヤ。エイガ兄上も客人の前で大人気ない真似はしないでくださいませ』
頭が痛いと言いたげにしながら、間に挟まれたミギワ様が取りなす。私たちは口出しできることもないのでこの口論の行く末を見守ることしかできない。
やがて先に態度を崩したのは皇太子殿下だった。まぁ良いとぼやいて、手を打ち使用人を呼びつける。それから何事かを言いつけると、使用人は食べ終わった私たちの御膳を片付けて新しい御膳を置く。
『せっかくだ。酒くらい振る舞わさせろ』
『兄上、勝手は困ります』
『つれないことを言うな』
『いくら無礼講といえど、女人もおりますゆえ』
『この人数なら一升ごときひと口だ』
やんわりと苦言を呈するミギワ様の言葉をのらりくらりとかわす皇太子殿下。その間にもヴィクトルたちの前には徳利と盃、そして肴を乗せた御膳が用意されていく。その様子を見た皇太子殿下は満足そうに頷くと、私へ視線を向けて獰猛に笑った。
『だがまぁ、女人にはこの酒はきつかろう。喜ぶと良い。珍しい甘味を用意した』
私は背筋を伸ばす。わざわざ私だけ別に用意された菓子? さっき神樹の神子と名指しされたのもあって身構えてしまう。
私の前へと御膳が饗された。並ぶのは干し果物と……白磁器に揺れる、濃いダークブラウンの液体。たぷんと揺れる液体はなめらかなとろみがあるみたい。これは何かしら。
『見慣れないだろうか? これは我が国が建国した当時より伝わるものだ。〝cacahutl〟と呼ばれるものだ』
『おい皇太子殿下! なんてものを用意したんだ!』
カカワトル……? 聞き慣れない言葉に内心で首を捻っていると、クーヤくんが声を荒げて皇太子殿下を睨みつけた。え、これ、食べてはいけないものなの……?
『何を言うか。歴代妃たち御用達の甘味だ。神樹の神子へ振る舞うのにこれ以上のものはないだろう』
玄蒼国妃たちの御用達の甘味? それならそこまでクーヤくんが声を荒げるようなものではないような気がする。困惑してミギワ様を見てみれば、困ったような表情で私を見ていた。ばっちりと視線があうと、何かを言いあぐねるように口を開閉させている。ふむ。
『ミギワ様、これは頂いてもよろしいのでしょうか』
『えぇ……まぁ、その……悪くはありませんが……兄上のおっしゃる通り、酒に代わって女人が好んで飲むものですので……』
歯切れの悪いミギワ様。でもクーヤくんは何かに怒っている。直接聞いてみても良いものかしら。
でもこれ以上、場を悪い雰囲気にはしたくないし……うん、よし。
私はカカワトルの入った白磁器へとそっと口をつける。皇太子殿下が振る舞われたものを無碍にはできないもの。ひと口だけいただいて、あとは口に合わなかったと言ってお断りしたら——
「……うん?」
カカワトルを口に含んだ瞬間、身体中に苦みと甘さが突き抜けていった。ぴしゃーんと私の全身に電流が走る。こ、これは……!?
「ちょ、チョコレートだわ! えっ、チョコレートじゃない!? まっ、チョコレート!? ちょっとクーヤくんどういうこと!?」
『あちゃー……』
思わず日本語で叫んでしまう。クーヤくんを凝視すれば、彼は頭を抱えてしまった。
私は大興奮。なんでこれに対してクーヤくんは怒っていたの? この世界でチョコレートを食べられるなんて思ってもみなかった。どうしてクーヤくんは私からチョコレートを遠ざけようとしたの?
おいしい、おいしい、とチョコレートドリンクをいただく。苦みが強いけれど、カカオの濃厚さの向こうに甘さが見え隠れしている。ハイカカオチョコだと思えば全然おいしい。ぐびぐびとは飲めないので、舐めるように味わう。あぁっ、転生してから初めてのチョコレート!
「フェリシア、大丈夫かい……? 何ともないのかい?」
「大丈夫です、すごくおいしいです。まさかこれをいただけるなんて! 皇太子殿下ってめちゃくちゃ良い人ではありませんか」
ヴィクトルに聞かれて、にこにこ顔で返す。ヴィクトルは私の様子を見てほっとした様子になるけれど、クーヤくんのほうを見てなんだか微妙な顔になった。
私もつられてクーヤくんを見る。クーヤくんは苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔で私を見ていた。どうして?
『クーヤ殿下? いかがいたしましたか』
「フェリシアさん、念のためにもう部屋へと戻ったほうが良いよ。それ、そこのクソ野郎の嫌がらせだ」
「えっ、どうして、チョコレートじゃないこれ」
クーヤくんに玄蒼国で返せば日本語で返ってくる。嫌がらせ? 皇太子殿下に聞かれたくないのか、クーヤくんは日本語で話し続けて。
「チョコレートだけど、玄蒼国のチョコレートは前世のチョコとちょっと違うんだよ」
「えぇ? 味は普通にチョコレート……」
「チョコだけど! 普通のチョコじゃなくて……カカオのもつ興奮効果をめちゃくちゃ高めてんの!」
「興奮……? カフェイン?」
「端的に言うとな! それ、媚薬!」
クーヤくんが叫ぶように言う。
び、媚薬……?
私は白磁器の中身をのぞく。おいしくてすでに半分くらい飲んでしまった。え、媚薬? びやく……?
言葉の意味を理解した時、かっと顔に熱が集中するのが分かった。隣にいたヴィクトルの肩にぐっと顔を押しつけて、沸き上がる羞恥心を隠そうとする。
なんてものを飲ませてくるんですか皇太子殿下——!





