109.人類は飛べる
ようやく蒸気機関車が港町に来た。単線のため毎日便があるわけではないらしい。
大陸を横断するように広がる〝レイウェイ・トレビシック〟。その遺構の上を走る蒸気機関車。実際に見た〝レイウェイ・トレビシック〟は線路のことで、蒸気機関車が発明されるよりもずっと昔、それこそ九百年も前に百年もの年月をかけてこの線路だけが神湖の大陸を横断するように敷かれたらしい。
そして近年、レイウェイ・トレビシックを活用するべく〝女神スロイスティエ・ ロジェーニヤの化身〟によって蒸気機関車がもたらされた。〝女神の化身〟は私たちの大陸で言う〝神樹の神子〟と同じで、それがクーヤくんらしい。
「クーヤくんはすごいですね。蒸気機関車を発明できるなんて、前世は科学者か技術者だったんでしょうか」
「あまり驚かないんだね」
蒸気機関車での移動中。前回の出張でヴィクトルが見聞きしてくれたことを教えてくれた。私は「そうですねぇ」と相槌を打つ。
「ヴィクトル様の報告書で、蒸気機関車については大まかに知っていましたし。前世ではこの蒸気機関車より発展した乗り物が当然のようにはびこっていましたし。ようやくこの世界もその域に達したか、というような気持ちです」
「本当にどういう気持ちなんだい、それ」
苦笑するヴィクトルだけれど、私はそれ以上どう気持ちを表していいのか分かりません。こほんと咳払いして、良い感じにまとめておきましょう。
「クーヤくんのおかげで蒸気機関ができたので。ここからの発展は加速度的に進むと思います。なのでヴィクトル様も私と一緒に人類がんばれって応援しましょう」
「君は発展に貢献しないのかい?」
「むりです」
ヴィクトルさん、人には得意不得意というものがありまして。
「私、そっちのほうはてんでだめです。理屈を知っていても、物理的な仕組みに落とし込めません」
そうなんです。私、文系ですから。小中高と習った基礎的な科学や一般教養くらいなら分かるけれど、専門として学んだわけでも、そういったものに興味を持ったこともあまりなく。
なので期待されるような、この蒸気機関車のように目に見えるような成果物を作るようなことはできません。
ヴィクトルはそういうものかと頷いた。それから興味本位とばかりに質問を重ねて。
「ちなみに、このジョウキキカンシャの原理は分かるのかい?」
まぁ、そのくらいなら。
「火を燃やします。水を沸騰させます。水蒸気をつくります。その水蒸気で車輪が回ります。これが蒸気機関車の原理です」
「分かるんだ」
「分かりますよ?」
ドヤ顔で胸を張ってみる。ヴィクトルが面白そうに目元を細めた。
「君がいるなら技術者の同行は不要だったかもね」
「えっ、困ります。必要です。原理は分かっても、水蒸気で車輪を回す仕組みを私は作れません!」
過信しないでください、私にそんな機械的機構を作る能力はありません!
胸を張ったまま主張すれば、ヴィクトルは残念な人を見るような目で私を見てきた。やめて、そんな目で私を見ないで。
「なんだかもったいないな。君、他にもそういう知識を持っているんだろう?」
「ありますよ? テネッコンもその一つです」
義務教育を受けていたから分かる理科のお話。天体望遠鏡の存在を知っていたからこそ、私はヴィクトルにお金を借りてまでノエルに投資をしたんだもの。
テネッコンといえば、今頃は観光事業も軌道に乗って私の懐がちょっと温かくなっているかもしれない。まぁ、そのお金はしばらくヴィクトルへの借金返済に当てられるんですが。結婚したからといって、有耶無耶にはしませんとも。
そんなことを思いながら車窓へ視線を向けると、蒸気機関車はちょうどどこかの街にさしかかったところ。ポッポーと汽笛が鳴る。でも停車はしないで、街を通過するだけみたい。
「じゃあフェリシアの持っている知識で、面白いものはある?」
「えー? 突然の無茶振りですね」
「ジョウキキカンシャの旅は長いからね」
素通りしていく街並みを眺めながらヴィクトルの言葉に思考を巡らせる。馬車旅よりは短いけれど、話題づくりは大切です。そうじゃないとヴィクトルは外国語しりとりを始めてしまう。玄蒼国語縛りとかで。出張の時の定番だった。もう懐かしい。
そんなことを思い出しながら、私は考える。面白い知識……面白雑学とか? 言われるとなかなか思いつかない。考えあぐねて、再び車窓の風景を眺めた。青い空に鳥が群れをなして飛んでいく。
「あ、乗り物つながりでヴィクトル様が驚きそうなことを言っても良いですか?」
「もちろんだとも」
したり顔で頷く。
それならば、これはどうでしょう。
「人間は空を飛べます」
どうです? とにっこりと微笑んでみせれば、ヴィクトルはすまし顔のまま。表情が変わらない。反応が悪いわ。驚いてくれないの?
「ヴィクトル様? 人間は空を飛べるんですよ?」
「え、あぁ。うん。……ジョウキキカンシャよりすごいものを期待はしていたけれど、空か。まぁ、予想の範疇だったかな」
えー、そんなぁ。驚いてくれることを期待していたのに。残念です。
「驚くような話じゃなくて申し訳ないです。空を飛ぶ方法もお伝えしようかと思ったんですが」
「フェリシアは飛ぶ方法も説明できるのかい?」
「まぁ、ざっくりとですけど」
空を飛ぶことには驚いてくれなかったけれど、飛び方についてはヴィクトルも気になる様子。菫色の瞳が面白そうに輝く。
私はこほんと咳払いすると、指を三本立てた。
「飛び方は色々ありますが、簡単に分類すると三種類の方法で飛ぶことが可能です」
「飛び方が選べるのか」
ヴィクトルが感心したように頷く。私は気を良くして、三本立てていた指を一本だけにした。
「まず一つ目は鳥ですね。鳥の翼を模した道具で飛ぶことが可能です」
「想定内の答えで良かった。鳥を真似て空を飛びたがる子どももいるからね。そういう道具が発明されてもおかしくはないかな」
ヴィクトルの思う通り、一番分かりやすいアプローチだと思う。ヴィクトルはぜひともライト兄弟の伝記を読んでほしいわ。空を渇望した二人の兄弟の努力と才能と成功のお話を。この世界にライト兄弟はいないけれども。
「二つ目は爆発ですね。爆発、分かります?」
「初めて聞く言葉だ」
ゆっくりと首を振るヴィクトルに、私はそっと声をひそめた。
「アニマソラで知ったんですが、どうも禁忌指定の知識みたいなんです。大きな声で言えないのですが。鉱石などを調合した火薬なるものをたくさん用意します。そこに火をつけると、発火の勢いでものが吹っ飛んでいきます。その力を利用して、人類は月への到達を実現しました」
内緒話をするように伝えると、ヴィクトルがぎょっとした様子で私の顔を見る。
「待って。聞きたがったのは僕だけど、そんな恐ろしい話をしてほしいとは言っていない。月への到達について詳しく聞きたいのに、聞いてはいけない話の類な気がするんだけど」
「旅は道連れ世は情けです!」
「聞いたこともない言い回しで誤魔化さないで」
笑顔でのたまえば、ヴィクトルの口元が引きつった。誤魔化すなんてとんでもない。
「日本のことわざですよぅ。ところでヴィクトル様、最後の一つの飛び方なんですが」
「強引に話を進めるね」
ジト目のヴィクトルに私は素知らぬフリ。何と言おうと禁忌指定の知識なので。いたずらに話を長引かせる必要もないですし。
立てている指を二本から三本に変える。
さて、説明がきちんとできるかしら。
「空気中には色んな気体が混ざっています。その中には空気より軽い性質のものもあります。それを集めて布などで覆い、上昇する空気の力を借りて空に浮かぶ方法があるんです」
分かりやすいのは風船や気球。風船のなかには空気より軽いヘリウムガスが入っているし、気球は空気を暖めることで上昇気流を生み、空を飛ぶ。そういえば風船や気球っていつからあったのかしら。ライト兄弟の飛行機よりも早いのかしら?
明後日な方向へ向かいそうになる思考を引き取めつつヴィクトルを見れば、私の旦那様は何とも言えない顔になっていた。
「……フェリシアを侮っていたよ。それほどまでに知識があるのに、どうしてそれを活用しようと思わなかったんだい」
「言ったじゃないですか。人には得意不得意があると。日本は教育に力を入れていた国なので、この程度は一般教養としてだいたい学びます。でも勉強したからといって、必ずしもそれを仕事にしないといけないわけではないんです」
そこそこ理科のできた私だけど、科学者への道ではなく歴史家への道へ進んだ。そっちのほうが楽しくて、面白くて、好きだったから。それだけのこと。せっかく選んだ道もその果てに分岐して、私はただのOLになったわけですが。
次の街にさしかかる前に汽笛がポッポーと鳴る。
そろそろ補給のための休息を挟むらしい。蒸気機関車の速度が緩まっていく。ゆっくりと風景が遅くなっているのを眺めていれば、窓に映るヴィクトルが優しく微笑んでいるのが見えて。
「君のいた世界は、とても自由だったんだね」
「やりたいことをするためには、それ相応の努力は必要でしたけどね。でもそれはどこの世界も同じですから」
前世では外国語があまり得意じゃなかった私ですが、転生者リストを作るためにいったいどれだけの国の言葉を覚えたことやら。
世界が変わっても、努力は裏切らない。
私はヴィクトルと笑い合った。





