104.炭酸水とアヒージョ!
いよいよ書籍発売日が明日となりました。店舗購入特典など、情報が解禁されております。詳細は活動報告にて。
港にいたヴィクトルたちと合流すると、真っ先にヴィクトルは私が抱えた人形に目をやった。
「買ったのかい?」
「いいえ、もらいました」
「……」
ヴィクトルがオリガさんを見る。オリガさんは屈託なく笑った。
「人形工房へ行かれたのですが、そこの親方と意気投合したようでして。帰りがけに押しつけるようにして渡されていましたよ。フェリシア様も遠慮されていましたが、船の時間が差し迫っていたので、もう受け取ってくださいと進言したんです」
そういうことなのです。
私がうんうんと頷いていると、ヴィクトルは深々とため息をつく。
「ウガールの人形はとても高価だ。工房によっては宝石よりも価値がある。どこの工房に行ったんだい」
「……えぇと、王室御用達のー……」
ヴィクトルが頭を抱えてしまった。護衛をしていたニエストルさんも渋面になる。さらに一緒にいたマトヴェイさんも私の人形を二度見する。
「王室御用達ってことは、宝石よりも価値があるところでは……?」
「オリガ、なんでそんなものを受け取るように言ったんだ!」
マトヴェイさんの呟きに、ニエストルさんが怒鳴った。怒鳴られたオリガさんは涼し気な表情で。
「だってそんなに高い物だと思わなかったんだ。土産物に売ってる人形と同じだと思ってさー」
オリガさんの言葉にニエストルさんも頭を抱えてしまった。私は価値を知っていたからお断りしていたんですけどね。
「……子爵夫人。さすがにいくら高級な人形だろうと、護衛対象からは外れますのでご容赦いただきたい」
「あ、はい。分かっています」
「ご自分で十分に管理ください。それとオリガ、お前はあとで面貸せ」
「ええ〜? やだなぁ」
ニエストルさんの気持ちもよく分かる。文字通りお荷物になってしまった人形は、ハルウェスタ王国に帰るまでの間は旅行鞄の奥底に大切にし待っておいたほうがいいかもしれない。あとオリガさんは大丈夫かしら。元はといえば断りきれなかった私のせいだし、叱られたりしないわよね……?
とりあえず反対の港に戻る船が出るので、私たちはそれに乗った。もう一泊したら、明日の朝にはウガール王国を出立する予定。
甲板から茜色に染まるウガール王国の海岸を眺めていると、隣にヴィクトルが立つ。
「何か面白い話は聞けたのかい」
「ふふっ、とても良いものが見つかりましたよ」
にっこり笑って、ヴィクトルにいろは歌を綴った手帳を見せてあげる。ヴィクトルは眉を寄せた。
「……知らない文字だ」
「これ、日本語ですよ」
「これがかい?」
「くずし字といって、古語に近い文字ですね」
親方に書いてもらったいろは歌の隣のページに、再び楷書のいろは歌を綴る。さらに楷書の隣には、漢字も交えて歌の意味を取れるように直して書く。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見し 酔ひもせず
「こっちがくずし字、これがくずし字を楷書に直した平仮名、そしてこちらが漢字を入れて意味を通すように書き直したものです」
「……文字の種類が多すぎる」
難しい顔をするヴィクトルに、私は笑った。
言語の魔術師と呼ばれた人が何を言っているのかしら。
「日本語は玄蒼国語と同じで、象形文字がもとになっているものが多くありますからね。そこから文字がくずれて、音を重視したものが平仮名になったんです。私の時代では五十個に限定されましたが、百年くらい前には変体仮名といってもっとたくさんの平仮名があったんですよ」
これとか、それとか。
親方に書いてもらった原文いろは歌から、変体仮名っぽいものを抜き出す。読めなかったものはだいたい変体仮名です。
ヴィクトルはもう一度、いろは歌の文字を眺めた。意味を聞かれたので、本日二度目のいろは歌の解説をする。異世界転生したのにいろは歌の解説をするなんて、なかなかない経験ですね。
「ニホンゴ……君の文字は本当に奥深いね」
「せっかくなので、少し覚えてみますか? 平仮名五十音だけなら簡単でしょう」
「いいね。船旅の間の暇つぶしにお願いしようかな」
まだ半月ほど船旅は続く。
ヴィクトルならこの半月で平仮名を完璧にしてしまいそうだわ。
ウガール王国を出立した私たちはまた船に乗った。マトヴェイさんは三半規管があまりにも弱すぎるのか、船酔いで船室に籠りっぱなし。たしか三半規管って身体のバランスによるものだったっけ、と思い出したので、マトヴェイさんに簡単なストレッチをお勧めしておいた。船酔いが軽い時にでもストレッチをしてください。
私はといえば、ヴィクトルと一緒に日本語のお勉強。私にとっては自然と使える日本語だけれど、人に教えるには難しい。主語と述語から始まって、助詞である〝てにをは〟の正しい使い方とか。説明が難しい。ヴィクトルに聞かれてもニュアンスでしか説明ができない。日本語って難しいですね……?
そうして過ごすうちにも船は順調に航海し、使節団は小大陸オストロリーチの港に着港した。
「テクマク港……マヤコンって続けたくなりますね」
「姉妹港らしくて、二つの港間で行き来する分には、輸送費が他より安くなるらしい。小大陸オストロリーチの港の中でも五指にはいる大きな港だよ」
ヴィクトルが解説してくれるけれど、そういうことを聞きたかったわけじゃない。でもこの、テクマクのあとにマヤコンってつけたくなる心境を誰か理解してほしい。ちなみに〝テクマク〟はオストロリーチ語で〝一番星〟、〝マヤコン〟は〝暁〟を意味するらしい。かっこいい。
さて、使節団の従者さんたちが宿へ荷物を降ろしてくれている間に、私たちはお昼ご飯をいただきましょう。
私とヴィクトル、オリガさんとニエストルさんの四人で食事処を探す。マトヴェイさんも誘ったけれど、今日も今日とて船酔いでぐったりしていたため、護衛騎士に背負われて宿へと直行していった。
ここでも滞在は補給と休息のために三日間の予定。今は海が穏やかだそうで、三日後までそれが続くと良いと水夫たちが話していた。この三日間、どんな美味しいものが食べられるのか楽しみです。
「前回はここで食べたんだ。泡水の果実水と海の幸の油煮込みが美味しかったよ」
「報告書読みました! 私も食べたいです!」
そう、思い出した! ヴィクトルは前回ここで炭酸ジュースっぽいものと、アヒージョっぽいものを食べている! うらやましい! 私も食べたいです!
それじゃあここにしようということでお店に入る。そこそこ広い平屋の建物で、海に面したテラス席がとても広い。
「オリガさんとニエストルさんも、一緒の席へどうぞ」
「じゃあお言葉に甘えて。良い席ですねー」
「おい、オリガ」
護衛騎士の二人を誘って、私たちはテラス席へ。メニュー表を眺めて見るけれど、知らない食材の名前が多すぎた。
「ヴィクトル様、魚の名前しかわかりません。かろうじてパスタとパンの文字も読めます」
「そんなことだろうと思ったよ」
ウミアユのためにオストロリーチ語の魚図鑑の解読を頑張りましたので。
ヴィクトルが苦笑しながら他の食材がどんなものかを教えてくれる。私はふんふんとヴィクトルの解説を聞きながら、何を食べようかと思案する。
「はー、さすが外交官。これがすらすら読めるんだ。私はちんぷんかんぷん。落書きにしか見えないや」
「オリガ」
ニエストルさんが咎めるようにオリガさんの名前を呼ぶ。同席しているとはいえ、護衛としての本分を忘れちゃいけないと言いたいのかもしれない。分かります、分かりますよ。まぁ、私はオリガさんと同じ側の人間ですが。上司であるヴィクトルに何度首根っこを掴まれたことか。
とりあえず私はレモネードっぽい炭酸水と海の幸の油煮込みを注文した。オリガさんとニエストルさんもヴィクトルの説明を聞いて、それぞれ食べたいものを注文する。
最初に飲み物が配膳される。しゅわしゅわの気泡がグラスの中でくぷりくぷりと浮かび上がってくる。
「ふふっ、かんぱーい!」
「かんぱい?」
つい炭酸水に浮かれて日本語が飛び出てしまった。乾杯と言ったらグラスをコツンと鳴らし合うのが鉄板ですが、本来の由来はぐいっと杯を飲み乾すことなのです。私はグラスをぐいっと一気にあおる。
口に含んだ瞬間、蜂蜜の甘さと一緒にしゅわしゅわと弱い炭酸が突き抜ける。炭酸の刺激が喉を過ぎるとあとに残るのは檸檬のような酸味。
「ん〜〜〜っ! さいっこう、ですね! 暑い時期にぴったりの飲み物です!」
「わーお、不思議な感覚。しゅわしゅわしておもしろいね!」
「悪くないな」
私に続いて、オリガさんもニエストルさんも炭酸水をお気に召したらしい。ヴィクトルは心配そうに私を見た。
「よく一気飲みできたね。喉、痛くないのかい?」
「微炭酸なのでそこまで。もっと強い炭酸だったら無理ですけど」
「ビタンサン?」
「あー、泡水のことです」
またもうっかり日本語が出てしまった。結婚してからのヴィクトルは、私が自分の知らない単語を使うと日本語だと勘づくようになった。たぶん今の炭酸も、日本語だと気づいたことでしょう。
レモネードを飲み乾すと、海の幸の油煮込みが届いた。ヴィクトルの魚の香草焼きや、オリガさんのボンゴレパスタっぽいもの、ニエストルさんは肉厚な魚のソテーも配膳される。私はうきうきで油煮込みを頬張った。熱い。でもじゅわりと噛みしめた瞬間に染み出た旨味が舌の上に広がっていく。追従してくる油の甘みを堪能して……炭酸水をひと口。
「ん〜っ! これは絶品ですね! おいひぃ……!」
「それは良かった」
海の幸のアヒージョなんてあまりにも贅沢すぎる。ほろほろとした白身魚も、ホタテのような貝柱も美味しい。ブロッコリーやパプリカに似た野菜が油でくたくたになって、野菜の甘味がさらに引きだっているのも最高。
「フェリシア、これも食べてみるかい? テクマク港で漁獲量が一番の魚だよ」
「いただきます」
今回の出張で、ヴィクトルは私が色んなものを食べられるようにと、よく自分の食べるご飯を分けてくれる。とはいえ今日の私は油煮込みを注文してしまった。いつもはお皿の隅っこにおすそ分けしてもらったものを置いてもらうけれど……どうしましょう。今日は油でひたひたです。香草焼きだから、味が混ざってしまう。
「ヴィクトル様、取り皿をもらってきま……」
「ん」
私の目の前にふっくらした魚の切り身が差し出された。私は反射的にぱくり。
「ん〜! 香草焼きもおいひいですね!」
「それは良かった」
ガムラン王国のスパイスとはまたちょっと違う味わいの香草は、淡白な味の魚にとても合う。
「……そういえばご夫婦だったね? すごいな。普段そんな雰囲気ないのにいちゃいちゃしてる」
「見てやるな。さっさと食え」
オリガさんとニエストルさんが何かを言った気がする。美味しいご飯に夢中な私はうっかり聞き逃してしまった。





